演奏 レスリー・ハワード       
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.35 アラベスク』
データ
1994年録音 HYPERION CDA66984
ジャケット シルベスター・シェドリン『ベランダを覆うぶどうのつた』
収録曲
  ロシアの2つの旋律 アラベスク
1.アリャビエフ〜リスト  ナイチンゲール
2.ブラホフ〜リスト     ボヘミアのシャンソン

3.ヴィルホルスキー〜リスト 昔、ロマンス   第2バージョン
4.ダルゴムィジスキー〜リスト タランテラ
5.ブルハコフ〜リスト ロシア風ギャロップ
6.?〜リスト マズルカ
7.リスト ボロディンのポルカによるプレリュード
8.ボロディン ポルカ (ピアノ連弾曲)
9.キュイ〜リスト タランテラ 作品12
10.ラコッツィ行進曲   (一般的なバージョン)
11.アブラニー〜リスト 花の歌
12.フェステティクス〜リスト スペインのセレナーデ
13.ジチー〜リスト ひげなが蛾のワルツ
14.スツァバディ/マスネ〜リスト Revive Szegedin!
15.ヴェーグ〜リスト 4手のための“ワルツ組曲”による演奏会用ワルツ
16.セチェーニ〜リスト 前奏曲とハンガリー行進曲 
S250
S250/1
S250/2

S577 ii
S483
S478 ii
S384
S207 a

S482
S244 c
S383 a
S487
S456
S572
S430
S573
感想   ロシアの2つの旋律 アラベスク             S250
1.アリャビエフ〜リスト  ナイチンゲール        S250/1    1842年
アリャビエフは19世紀初めから中頃までのロシアの作曲家で、歌曲の作曲で活躍しました。デカブリストと親密であったため、殺人容疑の嫌疑をかけられシベリアに追放されます。歌曲“ナイチンゲール”はその頃の苦悩を恋の歌にしたようです。親しみやすい旋律の曲です。ナイチンゲールの鳴き声を描写したのでしょうか、“ラ・カンパネラ”のような、高音のトリルが美しいです。

Soloveoi − Le Rossignol
(4:07 HYPERION CDA66984)
2.ブラホフ〜リスト     ボヘミアのシャンソン   S250/2     1842年
ハワードによると、この曲は、ピョートル・ペトロヴィッチ・ブラホフのものらしい、とのこと。このブラホフという作曲家のことは、他に知られていることがないそうです。ゆったりとした曲調の憂いを帯びた舞踏曲調の作品です。S250/1と同じく、高音の響きの美しさをいかしています。

Chanson bohemienne
(7:58 HYPERION CDA66984)
3.ヴィルホルスキー〜リスト  昔、ロマンス      S577 ii     1843年 
ヴィルホルスキーはアリャビエフと同じ頃の、ロシアの歌手、作曲家です。ショパンやリストとも親交があったとのこと。リストは1840年代初めにサンクト・ペテルブルクを訪問したときに、ヴィルホルスキーに会いました。リストの“ため息”のような、アルペジオの美しい曲です。曲の最後の終わり方が、“ノンネンヴェルトの僧房”を思わせます。

Autrefois − Romance (Lyubila ya)
(2:40 HYPERION CDA66984)
4.ダルゴムィジスキー〜リスト タランテラ       S483      1879年
原曲はダルゴムィジスキーのピアノ連弾曲です。アレクサンドル・ダルゴムィジスキー(1813−69)はリストと同世代のロシアの作曲家です。ロシア国民楽派の“5人組(ムソルグスキー、ボロディン、キュイ、バラキレフ、リムスキー=コルサコフ)”の先輩にあたる作曲家です。リストは早くからダルゴムィジスキーやグリンカらに関心をもっていました。この編曲は、“5人組”に関心を持ち出した頃のようです。

ロシア風のエキゾチックな旋律が魅力的な曲です。

Tarentelle
(5:33 HYPERION CDA66984)
5.ブルハコフ〜リスト ロシア風ギャロップ  第2バージョン  S478 ii  1843年以降
コンスタンティン・ブルハコフ(1812-62)は、ダルゴムィジスキーらと同世代になるのですが、詳細はわかりませんでした。力強く楽しい曲です。ハワードも指摘していますが、イントロなどは“アテネの廃墟”による幻想曲などを思わせます。

Galop russe
(3:05 HYPERION CDA66984)
6.?〜リスト マズルカ                         S384   1868年頃
原曲はサンクト・ペテルブルクのアマチュアの作曲家の作品とのこと。少し憂いを帯びた小さなマズルカです。

Mazurka
(2:52 HYPERION CDA66984)
7.リスト ボロディンのポルカへのプレリュード   S207a  1880年
これは続くボロディンのポルカへの前奏曲と作曲されたもので、リストのオリジナルになります。S番号もオリジナルのグループに入っています。主題はボロディンのポルカと同じものを使っていますので、ボロディン〜リストと考えた方がよいと思うのですが・・・。和声などにおいて晩年のリストらしい作品となっており、おそらくこの作品だけが取り出されたら、リストの晩年の“宗教的な小品”と考えられたかと思います。

リストはボロディンのポルカに、同じ主題を使って、さらにゆったりとしたものをつけました。このリストのプレリュードは非常に効果をあげています。リストのプレリュードがあるおかげで、続くボロディンのポルカの、次第に増していく速度感の楽しさが強くなっているからです。

この曲は“チョップスティック・ポルカへのプレリュード”と呼ばれることもありますが、チョップスティックの主題と異なる、とハワードは指摘しています。ボロディンのポルカの主題は、F−G F−G E−A E−A D−B D−B C−C C−Cで、最後につなぎみたいにC−B−Aが入るので、ここがチョップスティックだと思われた理由でしょうか?

チョップスティックではなく、ハワードはこのS207aと続くボロディンのポルカを、バッハの“前奏曲とフーガ ホ短調 BWV548(楔形フーガ)”に似ていると指摘しています。バッハの“楔形フーガ”を、リストは1842〜1850年にピアノ独奏曲に編曲しており、S462/5になります。このボロディンの主題は“楔形フーガ”と同じですが、作品としてはバッハ作品のような格調高い感じはなく、陽気で少し憂いがかった旋律も入るおどけた作品です。

Curious Georgesandさんにリストの自筆の草稿を見せていただきました。たった1枚の短い草稿で、楽譜の上と下にリストによる書き込みがあります。書き込みの内容は、“この作品をキュイの後、ボロディンの前にいれること”という指示と、この作品を彼らの変奏曲集のために献呈する、という意思表示です。

書き込みはフランス語で、以下はCurious Georgesandさんによる英訳です。

“To go between pages 9 and 10,after the Finale by Cui and before the Polka by Borodine”

“Variation for the 2nd edition of these marvellous works (merveilleuse oeuveres)  by Borodine, Cui, Liadoff and RimskiKorsakow” their devoted, F.Liszt Weimar 28, July ’80”

merveilleuseという単語を力強く書き下線で強調しており、また“彼らを崇拝する”というサインの前の言葉などからも、リストのロシア5人組に対する強い関心を汲み取ることができます。

Prelude a la Polka de Borodine
(0:32 HYPERION CDA66984)
8.ボロディン  ポルカ  (ピアノ連弾曲)              1874〜75年?      
これはボロディンのオリジナルです。S207aとセットになっているため、このディスクに録音されました。またピアノ連弾曲であり、ハワードは、フィリップ・ムーアと連弾しています。

これはとても面白い作品です。まったく簡単なコード進行で、単純な主題を、速度を変えながら繰り返します。微妙に変化する和声と旋律が、ミニマル・ミュージックを思わせるような作品です。

辞典によると、この作品は1874〜75年頃に、キュイ、リムスキー=コルサコフ、リャードフとの合作“変化のない主題によるパラフレーズ”という曲集の中に収められています。ボロディンは“ポルカ”“マズルカ”“葬送行進曲”“レクイエム”を作曲。リムスキー=コルサコフは“BACH主題による小フーガ”“おどけたフーガ”など数多く作曲しています。“変化のない主題によるパラフレーズ”というものが、バッハ〜フーガ〜ミニマル・ミュージックというキーワードを繋げていると思います。そして1880年にこの合作集の第2版の改訂にあたり、シチェルバチョフとリストが作品を加え、リストの場合、それがS207aということになります。

リストは書簡でオルガ・フォン・マイエンドルフに対し、ロシア5人組の作曲家達に、非常に関心があることを、何度も伝えています。特にボロディンに対しては“すぐれた作曲家である”と述べ、最晩年にいたるまで、ボロディンの交響曲の素晴らしさに感嘆しています。

Polka by Alexander Porfirevich Borodin
(1:19 HYPERION CDA66984)
9.キュイ〜リスト タランテラ 作品12               S482  1885年
キュイ(1835−1918)の“タランテラ 作品12”は管弦楽作品で、1859年に作曲されたものです。リストは最晩年にピアノ独奏曲へ編曲しました。リストの晩年の作品が持つ要素を一堂に会したような、大曲になっています。例えば、イントロは“忘れられたワルツ”や“メフィストワルツ”、続く力強い打撃音は“アッシジの聖フランチェスコの太陽賛歌”、曲調には“ハンガリー狂詩曲集”などを感じます。

キュイの創造によるところが大きいと思うのですが、しっかりと構成された作品で、もっと有名になってもいい編曲作品だと思います。

Tarentelle Op.12
(9:13 HYPERION CDA66984)
10.ラコッツィ行進曲  (一般的なバージョン)          S244 c   ?年
全体的に大人しい“ラコッツィ行進曲”で、ビハリ〜リストとなるのでしょうか。これはよく知られた“ラコッツィ行進曲”をそのまま編曲しているようです。ハワードによると、リストによる変更箇所は少しだけとのこと。イントロの違いが一番耳をひきます。

Rakoczi March
(3:49 HYPERION CDA66984)
11.アブラニー〜リスト 花の歌                   S383 a   1881年
コルネル・アブラニー(1822−1903)もリストと親交の深い音楽家で、“ハンガリー戴冠ミサ曲”(S11)の作曲依頼をした人でもあります。ハワードがライナーで紹介している、ハンガリーのリスト研究家マリア・エックハルト女史によると、これは“編曲”ではないとのこと。アブラニーの原曲は歌曲で、アブラニー自身がまずピアノに編曲し、それをリストが推敲し、かなり細部を修正したり、旋律を加えたりしたものとのこと。

短いアルペジオの上に親しみやすい旋律がのる美しい小品です。中間部は暗く厚い響きとなり、そして主旋律に戻るという構成です。旋律の一部に1848年にリストが編曲した、ローベルト・フランツの歌曲“嵐をおかして彼は来た”(S488)に似た個所を感じました。

Virag dal(Chant des fleurs)
(6:12 HYPERION CDA66984)
12.フェステティクス〜リスト スペイン風のセレナーデ      S487  1846年
レオ・フェステティクス伯(1800−1884)はハンガリーの貴族で、リストが若い頃からのパトロンであり、そして親交は生涯に渡って続いたとのこと。“ハンガリー狂詩曲第3番”が献呈されたのも、フェステティクス伯です。また1839年の終わりに、リストはハンガリーへ“凱旋”帰還しますが、その時リストに献呈された有名なサーベルは、フェステティクス伯の手から渡されました。

力強いリズムにエキゾチックで哀愁を帯びた主旋律が魅力の曲です。リストは1840年から1845年にかけてスペインを演奏旅行しており、1845年には“スペインの歌による演奏会用大幻想曲”(S253)を作っています。フェステティクスの編曲も、スペイン演奏旅行の影響があるのだと思います。

Spanisches Standchen
(4:37 HYPERION CDA66984)
13.ジチー〜リスト ひげなが蛾のワルツ            S456  1877年
リストの友人“レフト・ハンド・ヴィルトゥオーゾ”のゲザ・ジチー伯の作品の編曲です。ジチー伯は片腕を失っているため、原曲は左手のみの演奏です。“左手演奏のための6つの作品”の第3番が、この“ひげなが蛾のワルツ”とのこと。リストはそれを両手演奏用に編曲しました。ハワードのライナーによると、ジチー伯はオペラでも成功していたとのこと。

優雅な旋律とダイナミックな迫力も持つ曲です。

Valse d’Adele
(3:27 HYPERION CDA66984)
14.スツァバディ〜マスネ〜リスト Revive Szegedin!    S572  1879年
ハンガリーのチャルダッシュの作曲家イグナッツ・スツァバディ・フランク(1825−1879?)の“ハンガリー風〜トルコ風行進曲”というピアノ曲をマスネが管弦楽化したものを、リストがピアノ編曲したようです。マスネの管弦楽作品は“スツァバディのハンガリー行進曲”というタイトルで、リストに献呈されました。またチュンド・ジータの解説(フェレンツ・ケレクのCDライナー)によるとスツァバディのピアノ版もリストに献呈されているとのこと。

1879年3月にティサ川(ユーゴスラビア、ハンガリーを流れる川)の氾濫によって被害を受けたセゲト(ハンガリー下部の大都市)の復興支援目的に、マスネがスツァバディの作品を編曲し、1879年6月7日に、パリ、オペラ座におけるチャリティコンサートで演奏しました。そのためリスト編曲のタイトルが“Revive Szegedin!”となっています。“セゲドの人たちを助けよう!”みたいな意味でしょうか。リストはこのチャリティコンサートには参列できなかったため、このピアノ編曲版を贈ったとのこと。リストによるフランス語のタイトルは“スツァバディのハンガリー行進曲、マスネの管弦楽編曲による”という感じです。

1879年3月21日のオルガ宛の書簡で、リストがセゲトの水害のことに触れています。リストの書簡から、数千人もの人が亡くなったことが分かります。セゲト支援のための、運動や基金がいたるところで行われたことが書かれています。リストは6月のチャリティコンサートには出席していませんが、この書簡を読むと“3月26日の次の水曜日、セゲトの人たちのためのチャリティコンサートに私の老いた10本の指を捧げたい”という記述が見えます。

詳しいことは分かりませんがスツァバディは1879年に亡くなっています。ティサ川の水害で亡くなったのでしょうか?

行進曲というより、チャルダッシュという感じが強い作品です。リストの“死のチャルダッシュ”に似たような感じがあります。

Revive Szegedin!
(3:44 HYPERION CDA66984)
15.ヴェーグ〜リスト 4手のための“ワルツ組曲”による演奏会用ワルツ  S430 1882年
ヤーノシュ・ヴェーグ(1845−1918)は、1881年からのブダペスト音楽学会長となった人物とのこと。リストは最晩年に、ヴェーグのこのピアノ連弾曲を、ピアノ独奏曲へ編曲しました。ハワードは“忘れられたワルツ”との近似を指摘しています。不思議で豊かな響きをもつ曲です。“忘れられたワルツ”よりも力強い構成の曲という印象を受けます。イントロは“ハンガリー狂詩曲第15番”を思い出しました。

Valse de concert
(9:04 HYPERION CDA66984)
16.セチェーニ〜リスト 前奏曲とハンガリー行進曲      S573  1872年
セチェーニ・イムレ伯(1825−1898)は、ハンガリーの政治家、外交官、ベルリンのハンガリー大使で、なおかつ音楽家です。晩年のリストと親しかったらしく、書簡でよく名前が登場します。1872年12月のオルガ宛書簡で、この編曲作品のことが簡単に触れられています。このS573はセチェーニ自身へ献呈されました。“ハンガリーの歴史的肖像”(S205)に登場する、セチェーニ・イシュトヴァーンとは別人です。

印象的なイントロを持つ作品で、全体は“ハンガリー狂詩曲”に似ています。ハワードは16番〜19番、中でも19番に類似していると、指摘しています。確かにそのとおりなのですが、例えば、2分30過ぎに登場する、豪快な部分などは第15番、後半の明るいマーチ部は12番あたりも想起させます。

Bevezetes es magyar indulo
(8:09 HYPERION CDA66984)


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