演奏 レスリー・ハワード       
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.27 国家、アンセム集』
データ
1993年録音 HYPERION  CDA66787
ジャケット 17世紀オーストリアの画家? 『ウィーン包囲のレリーフ』
収録曲
1.表明とハンガリー国家                                          S486
2.ゴッド・セーブ・ザ・クイーン                                       S235
3.ナポリのカンツォーネ    第1バージョン                             S248

  ハンガリーの民族旋律                                         S243
4.テンポ・ジュスト
5.アニマート
6.プレリュード  〜 アレグレット

7.ナポリのカンツォーネ 〜  ノットゥルノ    第2バージョン                  S248

8.フス教徒の歌                                                S234

   ヴォロニンツェの落穂拾い                                     S249
9.ウクライナのバラード(ドゥムカ)
10.ポーランドの旋律
11.訴え(ドゥムカ)

12.ラ・マルセイエーズ                                           S237
13.Vive Henri 4                                              S239
14.鐘の音                                                   S238
15.ラコッツィ行進曲         第1バージョン                          S242 a/1
感想 1.表明とハンガリー国歌              S486        1873年
1871年6月25日にリストはハンガリーの総理大臣ジュラ・アンドラッシーの要請で、ハンガリー国王の顧問に任ぜられ、そしてブダペスト音学学校(現在のリスト音楽院)の校長に就任します。定住地はワイマールですが、年間3ヶ月のブダペスト滞在が義務づけられます。この“表明とハンガリー国歌”はこの頃の作品で、アンドラッシーに献呈されました。

この曲は2人の異なる作曲家の作品をつなげているのですが、二つの作品とも“ハンガリー国歌”と呼ばれるらしいです。“Szozat(ハンガリー第2国歌)”はベニ・エグレシー(1814-1851)の作品で、“Ungarischer Hymnus(ハンガリー国歌)”の方は、フェレンツ・エルケル(1810−1893)の作品です。エルケルはハンガリー国民楽派の租と呼ばれる人で、ハンガリー語によるオペラを作りました。“ハンガリー国家”は彼の1845年の作品です。エグレシーはちょっとわからないです。(エルケルのオペラの台本を手がけている人物がベニ・エグレシーという名です。同一人物だと思いますが)。

同時期にリストは“表明と国歌の幻想曲 S?”という交響詩も作曲しており、こちらもアンドラッシーに献呈されています。Szozat und Ungarischer Hymnus(10分00秒)
2.ゴッド・セーブ・ザ・クイーン              S235         1841年
イギリス国家の変奏曲です。リストは1840年から1841年にかけて2度目のイギリス・ツアーを行います。この変奏曲はその時につくられました。リストはこのS235の他に、同時期に“イギリスの主題による変奏曲 S694”も作っていて、ここでも“ゴッド・セーブ・ザ・クイーン”は取り上げられます。リストの1840年から41年のイギリスツアーの評はあまり芳しいものではありませんでした。

導入からゴッド・セーブ・ザ・クイーンの主題が様々に変奏されていきます。単音で主題を奏でたあと、壮大なアレンジに移る部分は非常に効果的なものです。

≪クイーンとキング≫
イギリス国家の“ゴッド・セーブ・サ・クイーン”、これは即位している国王が女性の場合“クイーン”で、男性の場合は“キング”。つまり“ゴッド・セーブ・ザ・キング”と呼ばれます。

1841年のリストの編曲は“クイーン”ですが、1837年頃タールベルクが演奏曲として取り上げていたイギリス国家の編曲は“ゴッド・セーブ・ザ・キングによる幻想曲”と呼ばれます。リストと対決する直前の3月12日に演奏されています。実はリストとタールベルクが対決した月から3ヶ月後の6月にイギリス国王ウィリアム4世が死去しており、そして即位したのがヴィクトリア女王です。そのためタールベルクの編曲は“キング”となっていて。リストの編曲は“クイーン”となっています。

ベートーヴェンも1802年頃にイギリス国家の主題をとりあげた変奏曲を作っていますが、タイトルは“ゴッド・セーブ・ザ・キングによる7つの変奏曲”です。1802年頃のイギリス国王はジョージ3世のため、ベートーヴェンの変奏曲も“キング”です。

God save the Queen
(6分46秒)
3.ナポリのカンツォーネ    第1バージョン          S248      1842年
この曲の作曲背景や主題のオリジナルなどさまざまなことが不明とのこと。“似ている”とまで言い切れないのですが、第2主題への入り方が、“巡礼の年 第1年”の“オーベルマンの谷”を思い出させます。

Canzone Napolitana

(5:08 HYPERYON CDA66787)
  ハンガリーの民族旋律(全3曲)  Ungarische Nationalmelodien S243 1840年頃
4.テンポ・ジュスト             S243/1
この3曲は、“21のハンガリーの民族旋律と狂詩曲”(S242)の中からの3曲をアレンジしたもので、この3曲はその後、“ハンガリー狂詩曲集”(S244)の第6番という1曲に纏め上げられます。

これは同時期1839−40年に作られている“21のハンガリーの民族旋律と狂詩曲”(S242)の第5曲目のアレンジです。またこれは1853年に出版された“ハンガリー狂詩曲集”(S244)の第6曲目の冒頭部分にあたります。

Tempo giusto(1分30秒)
5.アニマート                 S243/2
これは同時期1839−40年に作られている“21のハンガリーの民族旋律と狂詩曲”(S242)の第4曲目のアレンジです。“ハンガリー狂詩曲集”(S244)第6曲目の、冒頭の次にくるテーマです。

Animato(46秒)。
6.プレリュード  〜 アレグレット    S243/3
これは同時期1839−40年に作られている“21のハンガリーの民族旋律と狂詩曲”(S242)の第11曲目のアレンジです。“ハンガリー狂詩曲集”(S244)第6曲目の、後半部分にあたります。

Prelude−Allegretto
(2:37 HYPERYON CDA66787)
7.ナポリのカンツォーネ 〜  ノットゥルノ    第2バージョン     S248 a  1842年
第2バージョンにおいて、“ピアノのためのノットゥルノ”というサブタイトルがつけられます。イタリア語で“夜の音楽、夜想曲”を意味します。

Canzone Napolitana−Notturno
(4:33 HYPERYON CDA66787)
8.フス教徒の歌                      S234             1840年   
明るくて非常に面白い主題の曲です。
リストはこの編曲で取り上げた旋律を、15世紀のものと思い、タイトルに“15世紀の aus dem 15 jar”という言葉をつけていました。諸井三郎さんの作品表でも“15世紀のフス教徒の歌”となっています。ですが、ハワードの解説によると、この旋律はジョゼフ・テオドール・クロフ(1797−1859)作のものだとのこと。なのでハワードは“15世紀の”という言葉をとってしまいました。

ハワードの解説ではさらに面白いことが紹介されています。この旋律は、マイケル・ウィリアム・バルフ(1808−1870)のオペラ“ジプシーの少女 The Bohemian Girl(1843年)”で使われ。その曲を喜劇役者のローレル&ハーディが映画内で演奏したことでイギリス人にはポピュラーな曲となっているとのこと。ローレル&ハーディーの作品は、1936年の作品で、バルフのオペラをそのまま題材に映画化したもので、原題は『The Bohemian Girl』、邦題は『極楽浪人天国』になります。


ヤン・フスは15世紀のボヘミアの説教者です。宗教改革者として有名。1415年コンスタンツ公会議の結果、火刑に処せられました。民族的英雄とされ。彼を慕うものが、フスの死後、フス戦争を引き起こしています。

旋律自体はボヘミアのアンセムともいえる曲で、リストは1840年にプラハでの演奏旅行での演目として取り上げ、大変な成功をおさめました。中間部の抒情的な箇所が、ショパンのエチュード作品10/11の旋律に似ていると思いました。

Hussitenlied
(6:49 HYPERYON CDA66787)
   ヴォロニンツェの落穂拾い (全3曲) Glanes de Woronince S249  1847/48年
9.ウクライナのバラード(ドゥムカ)          S249/1
“ヴォロニンツェの落穂拾い”はヴィトゲンシュタイン侯爵夫人に献呈されました。1847年の2月にキエフにおいてリストはカロリーネ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と出会います。リストの生涯においてマリー・ダグーと並んで最重要な女性です。つまり2番目の恋人です。そして同じ年の10月にカロリーネの領地であるウクライナのヴォロニンツェで過ごします。そこで耳にした旋律を曲にした、というのがこの3曲のコンセプトですが、2曲目などはリストが以前より知っている旋律でもあります。

この“ウクライナのバラード”の元となっている旋律について、ハワードの解説で、サヴィッキーによる説明が紹介されています。どうも元々は非常に怖い内容を持つ歌で、ある女性が、自分以外にも愛人を持つ恋人を嫉妬し毒殺する4日間についての歌とのこと。ただリストはその原曲のエピソードについては知らなかったので、とても叙情的な落着いた曲となっています。

ヴォロニンツェを地図で調べたのですが、ちょっとどこかわかりません。ウクライナ、キエフ近郊には出てこないのですが・・・かわりにウクライナの隣接国ポーランドにはWoronieという集落があります。こちらでしょうか?ドゥムカとは辞典によるとスラブの舞曲とのこと。

Ballade ukraine(Dumka)
(9:14 HYPERYON CDA66787)
10.ポーランドの旋律                     S249/2
ハワードによると、この曲は二つの旋律を合わせているとの事。一つはショパンの歌曲“乙女の願い”、もう一つはリストの1835年作曲の“ヴァイオリンとピアノの二重奏曲(またはソナタ)”(S127)の第4ブロックで使われる旋律です。ショパンの歌曲は1829年に作曲、その後他の歌曲とまとめて1856年に“17のポーランドの歌”として出版されました。“乙女の願い”は第1曲目にあたります。どことなくウクライナよりもパリのサロンを思わせる曲です。

Melodies Polonaises
(4:47 HYPERION CDA66787)
11.訴え(ドゥムカ)                       S249/3
この曲の主題は、キエフにおいて盲目の少女が歌うのをリストが聞いて、とつたえられているとのこと。と書いてあったのですが、コトリアレフスキーという作曲家の作品によるとも書いてあり、ちょっとわかりません。3曲とも静かな曲ですが、ヴォロニンツェでのリストの生活がそのようなものだったのでしょうか?

Complainte(Dumka)
(6:52 HYPERYON CDA66787)
12.ラ・マルセイエーズ                    S237        1872年
現在のフランス国歌。1792年にルジェ・ド・リルによって作曲されました。意味は“マルセイユの人たち”。

リストは18歳の時にパリにおいて7月革命に接し、“革命交響曲”という大曲を作る事を試みます。その中に“ラ・マルセイエーズ”を組み入れようとしました。その後リストは1848年、つまり革命の嵐にヨーロッパ中が巻き込まれる時(パリでは2月革命)に、再度、作曲を試みますが断念。第1楽章のみ交響詩“英雄の嘆き”として完成させます。“英雄の嘆き”の中にも、“ラ・マルセイエーズ”が部分的に取り上げられます。

リストによる編曲年が気になります。1872年とはどういう年だったのでしょうか?
1870年にナポレオン3世がプロイセン軍に降伏したことで、パリで第二帝政が崩壊、共和政が復活することになります。しかし共和政となっても民衆の内閣に対する不満は収まらず、1871年3月28日にパリ・コミューンが発足。パリの民衆は自治を始めることになります。フランス政府軍は4月に入ってから反撃を開始。5月の“血の週間”と呼ばれる虐殺をも行い、敗北したパリ・コミューンは終結します。その翌年にリストが“ラ・マルセイエーズ”を編曲しているわけです。

実は第二帝政期、ナポレオン3世の時代は、ナポレオン3世の母が作曲したといわれる“シリアへの出発”という曲がフランス国歌でした。“ラ・マルセイエーズ”がふたたび正式に国歌の座に返り咲くのは1879年12月なのです。ですのでリストが編曲した年は、パリでの混乱はある程度落着いたものの、まだ“ラ・マルセイエーズ”は正式に国歌として認められていない年ということになります。

以上のパリでの背景をそのまま作曲背景とするのは無理があります。1872年当時のリストは諸外国に出掛けているとはいえ、ワイマールに定住しており、活動は主にドイツであったようです。リストの周辺は落着いているわけです。ですがリストが“ラ・マルセイエーズ”を取り上げた3回の編曲すべてのときにパリは混乱の状態にあったことは事実です。

#2のイギリス国家の方が、主題の変奏をランダムにつなげている感じであるのに対して、こちらは1曲全体として形がある程度整っています。
La Marseillaise(5分11秒)
13.Vive Henri 4                           S239    1870−80年?
もともとはフランスの民謡とのこと。チャイコフスキーの“眠れる森の美女”でも使われたとのこと。アンリ4世は16世紀末から17世紀初めにかけての在位なので、その頃の民謡でしょうか?曲の感じとしては#8みたいです。Vive Henri 4(1分31秒)。
14.鐘の音                            S238    1850年頃
静かな鐘の音をメインとした情景描写のような小曲です。これもフランス民謡が原曲とのこと。音数が少なくとてもシンプルな曲ですが、響きに無駄がありません。特に第2主題の響きが極めてに美しい小品です。

La cloche sonne
(1:52 HYPERYON CDA66787)
15.ラコッツィ行進曲         第1バージョン       S242 a/1  1839/40年
まだ形として整っていず、様々な変奏を試みています。この第1ヴァージョンは当時出版されませんでした。リストは1839−40年のハンガリー演奏旅行において、曲目として取り上げられ好評を博したとのこと。

Rakoczi March
(4:39 HYPERYON CDA66787)


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