演奏 レスリー・ハワード       
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.24 ベートーヴェンとフンメルの七重奏曲、他』
データ
1991/1992/1993年録音 HYPERION(輸) CDA66761/2  2枚組
ジャケット ハンス・トマ 『谷にそびえる秋の木』
収録曲
≪DISC 1≫
1〜6.ベートーヴェン〜リスト 七重奏曲 変ホ長調 作品20

  モーツァルト〜リスト “レクイエム”より2つの編曲作品 
7.呪われしもの
8.ラクリモサ

9.モーツァルト〜リスト アヴェ・ヴェルム・コルプスによる
10.ヴェルディ〜リスト レクイエムより”アニュス・デイ(神の小羊)”

   ロッシーニ〜リスト ロッシーニの2つの編曲作品
11.スタバート・マーテルより第2番“クユス・アニマム”
12.3つの宗教的合唱曲より“愛” 最終バージョン

S465

S550
S550/1
S550/2

S461 a
S437

S553
S553/1
S553/2
≪DISC 2≫
  ゴルトシュミット〜リスト “七つの大罪”より“愛の情景”と“フォルトゥナの球 ”
1.愛の情景
2.フォルトゥナの球

  メンデルスゾーン〜リスト “舟旅”と“狩人の別れ”
3.舟旅
4.狩人の別れ

5.ウェーバー〜リスト ”アラベスク”の付いた子守歌

  ウェーバー〜リスト 竪琴と剣 第2集
6.“導入”
7.“剣の歌”
8.“戦いの前の祈り”
9.“リュッツォウの荒々しい狩り”

10〜13.フンメル〜リスト 輝かしい七重奏曲

S490



S548



S454

S452





S493
感想  ≪DISC.1≫
1〜6.ベートーヴェン〜リスト 七重奏曲 変ホ長調 作品20      S465  1841年
ベートーヴェンが1799年に作曲した“七重奏曲”は、当時大変な成功をおさめました。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ホルン、ファゴットによる七重奏曲で、6楽章からなります。交響曲第1番と同時期に書かれたこの作品は、第1番と同じく輝かしい響きを持ち、シンフォニックな響きは室内楽というイメージでは収まりきらないほどです。ベートーヴェンの“七重奏曲”は出版時にマリア・テレジアに献呈されました。

やはり原曲の室内楽版が持つ柔らかい響きのブレンドが、ピアノ版では失われてしまいますが、輝かしさは増す感じです。第5楽章のスケルツォでは、高音を活かしたリストならではのアレンジが効果的で、ピアノ曲としての新しい魅力が生まれています。この編曲には全部で7つの改訂版があるらしく、リストは演奏する度に違うアレンジで演奏していたとのこと。

Beethovens Septett Op.20
(42:17 HYPERION CDA66761/2)
 モーツァルト〜リスト   “レクイエム”より2つの編曲作品  S550
7.モーツァルト〜リスト 呪われしもの                S550/1    1865年
モーツァルトのレクイエムから“呪われしもの”の編曲です。冒頭の唸りあげるようなオスティナートのピアノ独奏版が楽しめます。僕はリストがなぜ“レクイエム”から、“呪われしもの”と“ラクリモサ”を選んだのか、ということを、“システィナ礼拝堂の喚起”と関連している、と考えています。

Zwei Transcriptionen aus Mozarts Requiem 〜  Confutatis Maledictis
(2:59 HYPERION CDA66761/2)
8.モーツァルト〜リスト ラクリモサ                  S550/2     1865年
続く“ラクリモサ”の編曲です。後半のダイナミックな盛上がりがとても感動的です。リストによる“レクイエム”のピアノ編曲版では、モーツァルトのオリジナルの“レクイエム”において“ラクリモサ”までの曲を支配する、瀕死の人間の呼吸音のようなリズムがあまり感じられません。

Zwei Transcriptionen aus Mozarts Requiem 〜  Confutatis Maledictis
(3:44 HYPERION CDA66761/2)
9.モーツァルト〜リスト アヴェ・ヴェルム・コルプスによる    S461 a   1861年
リストは1862年にモーツァルトの“アヴェ・ヴェルム・コルプス”を、“システィナ礼拝堂の喚起”で使っています。また最晩年にはオルガン独奏曲に編曲しています。このピアノ独奏版の“アヴェ・ヴェルム・コルプス”は“システィナ礼拝堂の喚起”の準備なのでしょうか?

Ave verum corpus de Mozart
(2:49 HYPERION CDA66761/2)
10.ヴェルディ〜リスト レクイエムより“アニュス・デイ(神の小羊)”  S437 1877年
ヴェルディのレクイエムから第5曲“神の小羊”の編曲です。これはオルガン独奏版もあります。主旋律の美しさを主体とした小品です。1876年11月16日付けオルガ宛の書簡で、ブダペストにおいてヴェルディの“レクイエム”を聴いており感銘を受けています。それ以前にも聴いていたようですが、ブダペストでの演奏により感銘を受けたようです。その結果がこの“アニュス・デイ”の編曲でしょうか。

Agnus dei della da Requiem di Giuseppe Verdi
(5:45 HYPERION CDA66761/2)
   ロッシーニ〜リスト ロッシーニの2つの編曲作品 
11.スタバート・マーテルより第2番“クユス・アニマム”    S553/1 1847年
ロッシーニの混声合唱曲“スタバート・マーテル”より第2番の編曲です。原曲は1832年に作曲され、1841年に改訂されています。全12曲あり、6曲がロッシーニ、残りはタドリーニという作曲家のものとのこと。勇壮なマーチのような曲です。

リストはこの曲を好んでいたらしく、他にオルガン伴奏を伴うテノール独唱曲(S682)、1860年頃にオルガンとトロンボーンの器楽曲(S679)を作っています。

Deux Transcriptions d’apres Rossini − Air du Stabat Mater (No.2:Cujus animam)
(6:08 HYPERION CDA66761/2)
12.3つの宗教的合唱曲より “愛”           S553/2    1847年  
ロッシーニの3つの宗教的合唱曲より第3番“愛”の編曲です。これが最終バージョンです。 原曲は女声3部の合唱曲で、1844年にパリで初演されたものです。憶えやすい旋律が魅力的な曲です。この曲の異稿はすべて第56巻に収められています。“愛”の編曲過程は、すべて1847年で次のとおりです。

タイトル ジャンル 作曲年
S552a “愛” 第1バージョン ピアノ独奏曲 1847年
S552b “愛” 簡略版 ピアノ独奏曲 1847年
S701j “愛”の和声 (断片) ピアノ協奏曲 1847年
S553/2 “愛” 最終バージョン ピアノ独奏曲 1847年

この曲はベンジャミン・ブリテンがロッシーニの“音楽の夜会”を管弦楽に編曲したときに、フィナーレで使われたとのこと。

Deux Transcriptions d’apres Rossini − La Charite(Trois choeurs religieux No.3)
(10:00 HYPERION CDA66761/2)
 ≪DISC.2≫
 ゴルトシュミット〜リスト “七つの大罪”より“愛の情景”と“フォルトゥナの球 ”
 S490  1880年
1.愛の情景
アダルベルト・フォン・ゴルトシュミット(1848−1906)はヴィネツィアのアマチュア作曲家で、ほとんど情報が得られません。ハワードの解説によると、当時の作曲家達を支援したとのこと。また新ドイツ楽派の音楽の熱心な支持者だったとのこと。ゴルトシュミットの“七つの大罪”は1876年に作られたとのこと。

ハワードはゴルトシュミットは“ニーベルングの指輪”を知らなかったはず、と言っていますが、“愛の情景”のイントロが、僕にはラインの黄金の“ヴァルハラ城への入城”に似ているように聞こえます。不穏なイントロ以外は全体的にゆるやかな曲です。ハワードは“トリスタン”との類似を指摘していますが、僕にはそのように聞こえませんでした。

Liebesszene aus “Die sieben Todsunden”
(7:15 HYPERION CDA66761/2)
2.フォルトゥナの球
フォルトゥナは運命の女神のことです。英語タイトルでは“Fortune’s Crystal Ball”とのこと。、運命の女神が使う水晶球のようです。ゴルトシュミットのオペラは、キリスト教の“七つの大罪”のテーマと、神話とを合わせた劇的な物語だろうと想像できます。こちらは力強く迫力のある曲です。ハワードは“ワルキューレ”との類似を指摘していますが、ぼくにはちょっと分かりません。中間部で“さまよえるオランダ人”に似た旋律が現れるところが、印象的です。むしろ少しだけ調性が同じハ調の“超絶技巧練習曲集”の第8曲“狩”(S139/8)に似ていてると思います。エンディングはリスト独自のもの、とのこと。なかなか技巧的な曲です。

Fortunas Kugel aus “Die sieben Todsunden”
(3:54 HYPERION CDA66761/2)
  メンデルスゾーン〜リスト “舟旅” と “狩人の別れ”   S548   1848年
3.舟旅
原曲はメンデルスゾーンの“6つの男声合唱曲”作品50の4曲目になります。メンデルスゾーンの合唱曲は1839〜40年に作曲されました。詩はハイネによります。原曲の英語タイトルは“Gondola−Song”となります。

メロウな旋律を持つ小品です。

Wasserfahrt
(3:36 HYPERION CDA66761/2)
4.狩人の別れ
原曲はメンデルスゾーンの“6つの男声合唱曲”作品50の2曲目になります。メンデルスゾーンの合唱曲は1839〜40年に作曲されました。詩はアイヒェンドルフによります。

リストの編曲では前曲とつながっているように聞こえます。一転して力強い曲となります。後半の装飾、アレンジはとても面白い効果をあげています。

Der Jager Abschied
(4:57 HYPERION CDA66761/2)
5.ウェーバー〜リスト “アラベスク”のついた子守歌    S454   1848年
この曲はウェーバーの“6つの4部合唱曲”作品68(J285)の4曲目“憩え、眠りに沈め − 子守歌”を編曲したものです。ウェーバーの作品は1822年に作られました。辞典によると“アラベスク”というのは、アラビア建築の装飾から来ているもので、音楽としては幻想的、装飾的な曲に用いられるとのこと。

シンプルな主題に、ギターのコードストロークのような装飾がつけられます。ゆったりとした子守歌です。

Schlummerlied mit Arabesken
(7:40 HYPERION CDA66761/2)
  ウェーバー〜リスト 竪琴と剣 第2集
6.“導入”                          S452   1846/47年
ウェーバーの無伴奏男声合唱曲“竪琴と剣 第2集”は1814年作曲の作品です。全部で6曲あります。リストは1839年に出版業者のブライトコプフに宛てて、“竪琴と剣”が出版されたならば、それを喜んで編曲したい、というようなことを書いています。この短い導入はリストによってつけられたのだと思います。真中でウェーバーの主題が登場しますが、ほとんどリストによるオリジナルだと思います。小さな“ダンテソナタ”を思わせる曲です。リストによる“竪琴と剣”の4曲は続いており、ハワードは“小さな交響詩”と呼んでいます。

1848年4月4日のシュレジンジャー宛の書簡(FLS10−54)で、この曲集がベルリン、ウィーン、ケーニヒスベルクの学生達に献呈するよう、という指示があります。

Layer und Schwert − Heroide 〜 Introduction
(0:32 HYPERION CDA66761/2)
7.“剣の歌”                         S452   1846/47年
“導入”から続く、大変輝かしい曲です。これらの4曲はショウピースとして、とてもよく出来ています。編曲の仕方や、曲集の構成がもうひとつの“ヘクサメロン”といった趣です。

Layer und Schwert − Heroide 〜 Schwertlied
(2:11 HYPERION CDA66761/2)
8.“戦いの前の祈り”                   S452   1846/47年
曲集の中で緩徐楽章の役割を果たしています。叙情的なドラマティックな盛上がりを持つ曲です。

Layer und Schwert − Heroide 〜 Gebet (vor der Schlacht)
(4:01 HYPERION CDA66761/2)
9.“リュッツォウの荒々しい狩り”             S452   1846/47年
そしてドラマは決戦を迎えます。“wilde jagd”というと、“超絶技巧練習曲集”の第8曲を思い出しますが、デモーニッシュな“荒々しい”というイメージはなく、輝かしい“狩り”とその成功の情景が描かれているようです。

『カフカ、映画に行く』ツィシェラー著( 瀬川祐司訳 みすず書房 )のP98〜P107で、カフカが1912年に無声映画で『テオドーア・ケルナー』というケルナーの生涯を扱った映画を観ていることが紹介されています。カフカは日記に“テオドーア・ケルナー、リュッツォウの猟人団”という記述を残します。『カフカ、映画に行く』で知ることのできる情報から、ケルナーは、たった23歳しか生きておらず、彼は1813年に詩人、劇作家として成功した年に、リュッツォウの自由部隊に入り戦死してしまったようです(その辺がロマン主義の芸術家達に好まれたのでしょうか)。ということは“リュッツォウの荒々しき狩”というケルナーの詩の内容は、行軍の模様をヴォータンの“荒々しき狩”にイメージを重ねたようなものなのでしょうか?

Layer und Schwert − Heroide 〜 Lutzows wilde Jagd
(4:01 HYPERION CDA66761/2)
10〜13.フンメル〜リスト 輝かしい七重奏曲      S493  1848年
フンメルの“七重奏曲 二短調”(Op.74)は1816年頃に作曲されました。ハイドンを思わせる作風です。編成はフルート、オーボエ、ホルン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノです。リストは1841年、ロンドンでこの“七重奏曲”のピアノ・パートを演奏しています。

≪フンメルとリストの奇妙な関係≫
フンメルは、モーツァルト、ハイドン、サリエリに師事した作曲家で、ピアノ教本でも有名です。1804〜1811年までアイゼンシュタットのエステルハージー侯の宮廷楽長も務めました。そのころ、リストの父、アーダムと親交があったようです。フンメルはシュトゥットガルトの楽長を2年務めた後、ワイマールの宮廷楽長となります。幼少期のフランツ・リストの教育の為に、アーダムは、ワイマールにいるフンメルに最初依頼をしたのですが、金額が折り合わず、残念ながら、フランツはフンメルに師事することができませんでした。これに対し、リストと同年の1811年2日遅れで生誕したフェルディナンド・ヒラー(1811−1885)がフンメルの弟子となり、後年にリストのライバルとなるのも象徴的です。

フンメルは19世紀ロマン主義の台頭に、その存在感を揺るがされた作曲家でした。フンメルの名声は徐々に下火となっていきます。ロンドンにおいてはパガニーニの伴奏者をさせられ、フンメルは苦い思いをした、とのこと。そして1837年にフンメルは死去します。

フンメルが死去して10年後、フランツ・リストはワイマールの宮廷楽長に就任します。ワイマールにはまだフンメルの家族が住んでいました。フンメルの家族は、リストによって、フンメルの業績の影が薄れてしまうのを恐れ、リストの就任に徹底して反対しました。時にはメディアを使って、リストを非難したとのこと。

リストとフンメルを取り巻く背景を知ると、リストが“七重奏曲”を編曲した1848年という年が気になります。リストはワイマールの宮廷楽長に就任した年にフンメルの編曲を行っているわけです。前々任者のフンメルに敬意を表したのでしょうか?それともフンメルの家族達の気を少し和らげようとしたのでしょうか?リストはこの頃に、ワイマールで、若い頃によく演奏したフンメルのピアノ協奏曲を演奏したりもしています。
※1

このような奇妙な関係がリストとフンメルの間にはありますが、リストはフンメルの作品を若い頃より、演奏したりして、自分の音楽的向上に役立てていました。リストとフンメルを取り巻く空気は少し曇っていますが、結果的に、この“七重奏曲”の編曲が、リストの創作面での収穫となります。

ベートーヴェンの七重奏曲と異なり、フンメルの七重奏曲は、曲を形作っている中心楽器はピアノとなります。弦楽や管楽器は装飾的なフレーズや、長音でコード感を強めるような働きをしている場合の方が多いです。リストのピアノ独奏曲はすべてをピアノで演奏することで重厚な響きの独奏曲となっていると思います。

※1 このあたりのことはアラン・ウォーカー『FRANZ LISZT』 ワイマール時代 1848ー1861年のP.97〜98に詳しいです。

Grosses Septett Op.74 von J.N.Hummel
(37:37 HYPERION CDA66761/2)


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