演奏 レスリー・ハワード       
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.10 ヘクサメロン、幻想交響曲』
データ
1990年録音 HYPERION CDA66433
ジャケット ジャン・デルヴィル『Satan’s Treasures』
収録曲
  ベッリーニ〜リスト、タールベルク、ピクシス、ヘルツ、チェルニー、ショパン
  ヘクサメロン'(演奏会用小品) − “清教徒”の行進曲による華麗な大変奏曲
1.導入部:エクストレムメント・レント(リスト)
2.テーマ:アレグロ・マルジアーレ(リスト) 
3.変奏1:ベン・マルカート(タールベルク)
4.変奏2:モデラート(リスト)
5.変奏3:ブラヴーラ〜コン・フオッコ(ピクシス)〜リトルネッロ(リスト)
6.変奏4:レガート・エ・グラジオーソ(ヘルツ)
7.変奏5:ヴィヴォ・エ・ブリランテ(チェルニー)〜フオッコソ・モルト・エネルジコ
       〜レント・クアジ・レチタティーヴォ(リスト)
8.変奏6:ラルゴ(ショパン)〜コーダ(リスト)
9.フィナーレ:モルト・ヴィヴァーチェ・クアジ・プレスティッシモ(リスト)

   ブロックヴィル侯爵夫人 音楽の肖像
10.テンポ・ルバート(ヘルツ)
11.レント・エ・レリジオーソ(プランテ)
12.メム・ムーヴメント・マシス・アヴェック・インセルティテュード(リスト)

   ベルリオーズ〜リスト 幻想交響曲 ある芸術家の生涯のエピソード
13〜14.夢想と情熱
15.舞踏会
16.田園の風景
17.断頭台への行進
18〜22.サバトの夜の夢
S392












S190




S470





感想
  ベッリーニ〜リスト、タールベルク、ピクシス、ヘルツ、チェルニー、ショパン
  ヘクサメロン (演奏会用小品)− “清教徒”の行進曲によるピアノのための大変奏曲集
  S392   1837年
華やかなパリ時代、ヴィルトゥオーゾ時代を象徴する作品です。当時のパリで最も華やかだったサロンの主、クリスティーナ・ベルジョイオーソ侯爵夫人が、リストとタールベルクのピアノ対決を企画したとき、その対決のイベントの目玉にしようとしたのが、この変奏曲集でした。当時パリで活躍していた6人のピアニスト(チェルニーはウィーン在住でしたが、ちょうどこの頃、リストからパリに招待されていました)に、ベッリーニの“清教徒”の主題で変奏曲を作るように依頼したのです。結局6人の作曲家の完成が、対決には間に合わず、対決の日には演奏されませんでした。

ウォーカーの『リスト』で紹介されている1837年6月4日にベルジョイオーソ侯爵夫人がリストに送った手紙の内容では、面白いことがわかります。どうも作品の提出が一番遅れたのはショパンらしく、ベルジョイオーソ侯爵夫人が、ショパンが作ることになっているパートがいったいどうなっているのか、心配している旨が書かれています。ベルジョイオーソ侯爵夫人は、誰がどのパートを担当するかというところまで関わっているらしく、またリストに全体をまとめあげるよう指示もしています。

この6人の中で、あまり知られていないのが、ヘルツ(1803−1888)とピクシス(1788−1874)だと思います。ヘルツはウィーン生まれのピアニスト、作曲家です。ピクシスもドイツ出身のピアニスト、作曲家で、ピアノ教師としても活躍しました。2人ともパリに定住して活躍しました。ピクシスは、11才のリストが作品を寄せている、もうひとつの有名なコラボレーション“ディアベッリのワルツによる変奏曲”の中にも、その名が見受けられます。

ヴィンチェンゾ・ベッリーニ(1801−1835)はイタリア出身の作曲家です。ベルジョイオーソ侯爵夫人もイタリア出身ですから、この辺も主題にベッリーニを選んだ理由かもしれません。ウォーカーも、デレク・ワトソンも“清教徒”の行進曲が“自由”への渇望の歌であることを指摘し、ベルジョイオーソ侯爵夫人の政治的性格も関連していると指摘しています。ベッリーニのオペラはほとんどがイタリアで初演されていますが、“清教徒”は1835年にパリで初演されています。“清教徒”は17世紀のイギリス、ピューリタン革命時を舞台にしたオペラです。“ヘクサメロン”で使われた主題は“Suoni la tromba”の部分、意味は“自由へのトランペットの音”という意味のようです。

“ヘクサメロン”とは、ギリシア語で“六日物語”を意味します。有名なボッカチオの“デカメロン”が“十日物語”です。ギリシア語の数を表す接頭辞は、1=モノ、2=ジ、3=トリ、4=テトラ、5=ペンタ、6=ヘクサ、7=ヘプタ、8=オクタ、9=ノナ、10=デカと続きます。

当初の目的であった“対決”のイベントには間に合いませんでしたが、“ヘクサメロン”はその後、ヴィルトゥオーゾ時代のリストの主要レパートリーとなります。ヘクサメロンはさらに2台のピアノ版(S654)、ピアノと管弦楽版(S365b)に編曲されます。

Hexameron − Morceau de Concert − Grandes Variations de Bravoure pour Piano sur la Marche des Puritains de Bellini
(21:08 HYPERION CDA66433)
1.導入部:エクストレムメント・レント(リスト)
導入部はリストによります。“ヘクサメロン”の持つスケール、エンターテインメント性にふさわしい巨大で豪華なイントロです。巨大な旋律が終った後に、旋律がマイナー調に転じ静かなトレモロの上で奏でられるのですが、このあたりの変化が与える効果はリストの“パガニーニ・エチュード”の第1曲目の持つ効果に似ています。

Intoroduction:Extremement lent(Liszt)
(3:25 HYPERION CDA66433)
2.テーマ:アレグロ・マルジアーレ(リスト) 
続いてもリストのパートです。テーマの提示ですので、ここでは行進曲らしい、基本的なアレンジです。曲集の中で最も格好のいい部分です。

Tema:Allegro marziale(Liszt)
(1:16 HYPERION CDA66433)
3.変奏1:ベン・マルカート(タールベルク)
タールベルクの変奏は、強調されたリズムと縦横に走る華麗な装飾が楽しめる変奏です。タールベルクの十八番、“3本の手”が奏でているかのようなトリックも楽しめます。

Variation I:Ben marcato(Thalberg)
(0:59 HYPERION CDA66433)
4.変奏2:モデラート(リスト)
続いてリストのパートです。華やかな変奏が続いた後に、重々しいリズムの憂いがかった変奏となります。つなぐような感じで、リストらしく高音の美しい響きを活かした静かな部分も登場し、それらの対比が魅力的です。

Variation II:Moderato(Liszt)
(2:36 HYPERION CDA66433)
5.変奏3:ブラヴーラ〜コン・フオッコ(ピクシス)〜リトルネッロ(リスト)
続いてはピクシスの変奏です。これも行進曲風のアレンジで、#2のテーマに付点のリズムが入ってます。一番最後の変奏を終止させる部分がリストによります。

Variation III:di Bravura〜con fuoco(Pixis)〜Ritornello(Liszt)
(2:18 HYPERION CDA66433)
6.変奏4:レガート・エ・グラジオーソ(ヘルツ)
ヘルツの変奏は、優雅で流れるような美しいアレンジです。変奏3の力強い終止の後に来るので美しさが際立ちます。

Variation IV:Legato e grazioso(Herz)
(2:36 HYPERION CDA66433)
7.変奏5:ヴィヴォ・エ・ブリランテ(チェルニー)〜フオッコソ・モルト・エネルジコ
       〜レント・クアジ・レチタティーヴォ(リスト)
チェルニーが一番、クセのある変奏ではないでしょうか?ユニークなリズムと装飾の変奏です。ここでも変奏をつなぐために最後は、リストによるアレンジがつけられています。巨大な終止と、その後にくるショパンの変奏へ流れるために、単音による、静かなアレンジがつけられています。

Variation V:Vivo e brillante(Czerny)〜Fuocoso molto energico〜Lento quasi recitativo(Liszt)
(3:19 HYPERION CDA66433)
8.変奏6:ラルゴ(ショパン)〜コーダ(リスト)
やはり聴こえてくる和声はショパンらしいです。この変奏6の中で一番盛上がる箇所では、同じ行進曲である、ショパンの“葬送行進曲”を思わせます。変奏は自然に展開していきますが、最初のアレンジに戻った後に、ショパンらしさがなくなります。つまりそこからリストによるアレンジ部分となります。これだけ短い変奏で、なぜショパンは作品の提出が遅れたのでしょうか?ショパンはこの企画にあんまり乗り気でなかったのだと思います。ですが、こんな短くて、乗り気でもない変奏にも、ショパンらしさがあり、この“ヘクサメロン”変奏曲の中で、“宝”とも言える変奏だと思います。

Variation VI:Largo(Chopin)〜coda(Liszt)
(2:24 HYPERION CDA66433)
9.フィナーレ:モルト・ヴィヴァーチェ・クアジ・プレスティッシモ(リスト)
そしてすべてをまとめあげる、最も巨大で輝かしいフィナーレがリストによって奏でられます。“ヘクサメロン”は、エンターテインメント性に優れ、本当に夢のような饗宴です。リストのフィナーレは、聴く人をすばらしい宴の余韻へと誘ってくれます。

Finale:Molto vivace quasi prestissimo(Liszt)
(3:21 HYPERION CDA66433)
  ブロックヴィル侯爵夫人 音楽の肖像            S190  1869年
この曲集に関する資料が、手元にハワードの解説以外ありません。これもコラボレーション曲集であるため、このディスクに収められたそうです※1。ハワードの解説はフランシス・プランテがデュラント家に関する回想として書いた書籍によるそうで、このプランテの“回想”書籍は1886年にフィガロ誌に発表され、1927年に出版されたものだそうです。

デュランド家のブロックヴィル侯爵夫人は、若い頃、ヘルツからピアノを教わっており、ヘルツは彼女の印象をアルバムリーフとして残しました。それが#10のヘルツのパートです。これだけ作曲年が1835年と離れているわけです。それから30年以上も経ち、ブロックヴィル侯爵夫人は、思い出したように、このヘルツの#10をプランテに見せました。プランテはブロックヴィル侯爵夫人に返答として、円熟期の彼女を#11に描いたのです。ブロックヴィル侯爵夫人は、手元にそろった2つの小品をリストに送りました。そしてリストは返答としてヘルツ、プランテの主題を使って華々しい#3を作ったということです。こうして音楽によるモーパッサンの“女の一生”ともいえるようなロマンティックな作品集ができあがったわけです。

※1
ハワードの解説によると、他にリストが参加したといえるような合作作品で、ルイス・ベルタンという作曲家のオペラ“エスメラルダ”があるそうです。この“エスメラルダ”にリストはピアノと声楽パートを、ベルリオーズがオーケストラパートを寄せているとの事。

Un Portrait en musique de la Marquise de Blocqueville
(Total 3:09 HYPERION CDA66433)
10.テンポ・ルバート(ヘルツ)                      1835年
ヘルツのアルバムリーフで、この曲集誕生の起因となったものです。アンニュイで憂いを帯びた美しい旋律で、若かりし日のブロックヴィル侯爵夫人を描きます。このアルバムリーフ自体に魅力があるからこそ、プランテ、リストと続いたのだろう、と思わせるだけの魅力を持っています。

Tempo rubato(Herz)
(0:33 HYPERION CDA66433)
11.レント・エ・レリジオーソ(プランテ)                 1868年
ハワードによると、プランテは教会の鐘の音をイメージして、円熟期のブロックヴィル侯爵夫人を描いているとのこと。冒頭の単音の2音が鐘の音を思わせます。静かで落着いた感じで通されており、詩情がうまく表現されている小品です。

シットウェルの『LISZT』によると、フランシス・プランテは1866年5月10日の手紙で、リストがロッシーニの家で“タッソー”の演奏模様について言及しているとのこと。リストとプランテは、ショパンのパトロンであったマルセリーヌ・ツァルトリスカ姫の家で出会ったとの事。プランテは1839年生まれでなんと1934年まで長生きし、実に94年の生涯であり、どうもレコーディングも残されているようです
※1

上記の記述をウォーカーFYで補足すると、リストはリストは1866年に2ヶ月間パリに滞在し、ロッシーニの家でマチネーを開いたとの事。そのとき、フランシス・プランテといっしょに2台ピアノに編曲した交響詩“前奏曲”と“タッソー”を演奏したとの事※2

この時の懐かしい交流が、続くリストの作品へとつなげたのかもしれません。

※1
SACHEVERELL SITWELL 『LISZT』 P237 COLUNBUS BOOK 1988
※2 ALAN WALKER 『FRANZ LISZT』FY P104

Lento e religioso(Plante)
(1:00 HYPERION CDA66433)
12.メム・ムーヴメント・マシス・アヴェック・インセルティテュード(リスト)   1869年
リストはオリジナルのイントロをつけ、次にヘルツの主題を舞踏曲のようにアレンジし、ドラマティックに盛り上げて、輝かしい響きでアレンジしたプランテの主題へとつなげます。一回盛上がった後、静かに終っていきます。リストの曲は先の、2作品をまとめて、ひとつの統一された作品集にするための曲となります。リストの作品は、先行するヘルツ、プランテの主題を使用することでブロックヴィル侯爵夫人の、いままでの生涯とこれからの生涯を称えるような感じになりました。ブロックヴィル侯爵夫人の、女性らしく可愛らしい思い付きと、それに応えるリストのロマンが、この美しい小品集をつくりあげました。

Meme mouvement mais avec incertitude(Liszt)
(1:36 HYPERION CDA66433)
   ベルリオーズ〜リスト 幻想交響曲           S470    1833年
リストの朋友ベルリオーズの“幻想交響曲”は1830年に作曲され、同年にパリで初演、31年に改訂され翌32年に改訂版が初演されました。リストの編曲は改訂版初演の後ということになります。ユリウス・カップの『フランツ・リスト伝』によると、1832年12月9日の演奏会でリストは幻想交響曲に感激し、ピアノ編曲を開始したとのこと。ですが“断頭台への行進”など、現在のスタンダードな“幻想交響曲”と異なるところもあり、リストがどちらの版を使用しているのか、ちょっとわかりません。

1837年9月にリストが書いたピクテ宛の書簡で、“幻想交響曲”のピアノ編曲について、編曲当時を回顧するようにリストは次のようなことを書いています。まず“幻想交響曲”の枠組みをそのまま編曲しただけでなく、細部のニュアンス、効果をピアノに移し変えようと努力した、と述べられます。またその編曲は非常に困難であったけれど、自分の芸術的感性と作品に対する愛着に勇気づけられて、成し遂げることができた、とも語られます。

リストの1830年代初めの編曲として、このピアノ版“幻想交響曲”には感嘆します。その芸術的成果がベルリオーズの創造に負うところが大きいとしても、リストのこの頃の他の作品と比べてみて、群を抜いた完成度を誇っています。僕は今まで、この“幻想交響曲”のピアノ編曲年代を強く意識していませんでした。ヴィルトゥオーゾ時代のリストを象徴する作品として、1830年代後半〜1840年代の編曲作品というイメージを持っていたのです。ですが作られた年は1833年リストが22才の時です。1833年という年はリストの創作においてかなり早い時期にあたります。“幻影”(S155)や“24の大練習曲”(S137)“パガニーニによる超絶技巧練習曲集”(S140)よりも前になります
※1。この頃の重要な作品としては、オーベール〜リストの“許婚のティロリエンヌによる大幻想曲”(S385 i )があります。演奏技術としてはS385 i でかなり確立はしていますが、このS385 i ではまだ構成力が弱い感じを受けます。この時期に“幻想交響曲”をピアノに編曲したということは、おそらくリストの音楽性の、そして演奏技術の成長に強大な影響を持ったと思います。リストに影響を与えた作曲家としてベルリオーズはやはり特筆すべき存在として挙げなければいけないと思います。

≪ベルリオーズ〜パガニーニ〜リスト≫
“幻想交響曲”のピアノ編曲と、近い年に編曲された作品で“パガニーニの鐘の主題によるブラヴーラ風大幻想曲”(S420)があります。これは1832年です。しかしこのS420は、まだよくあるようなサロン音楽の域を出ていません。リストがパガニーニの影響を自分の作品で昇華させていくのは1837年の“24の大練習曲”(S137)の第2番、1838年/39年作曲の“パガニーニによる超絶技巧練習曲集”(S140)あたりからになります。ユリウス・カップは『フランツ・リスト伝』で、“パガニーニがリストの中に名技というものを目醒ませたとするならば、リストはベルリオーズによって音詩人に至る萌芽を植えつけられたのである
※2”と言っています。その通りなのですが、この“幻想交響曲”の編曲を聴くと、その反対も言えるのでは、と僕は思います。リストはパガニーニからも詩情の影響を受けていますし、むしろリストはベルリオーズの“幻想交響曲”の編曲を契機として、ピアノによる表現の幅を広げ、ヴィルトゥオジティにさらなる磨きをかけている、と思えるのです。

※1
もちろん1833年以前にも多くの作品が、作られています。ハワードで言えば、第26巻に収められているような作品群です。ですが、これらの作品はまだ習作としての域を出ていません。
※2
『フランツ・リスト伝』 ユリウス・カップ  高野 瀏 訳  河出書房 1940年 P39 

≪ベルリオーズ〜リスト〜シューマン≫
シューマンは1835年〜36年の間に、雑誌『音楽新報』において、ベルリオーズの“幻想交響曲”を詳細に解説したエッセイを発表します。その時、シューマンが参考にしていた楽譜は、リスト編曲のピアノ独奏版でした。リストはピアノ独奏版のスコアに、ところどころ原曲の楽器を記載していたため、シューマンの理解の手助けとなったわけです
※1。シューマンは論文の中で、リストのピアノ版についても、わざわざ項を割いています。

“リストは、この仕事に全く勤勉と熱意を打ちこんでいたから、これはピアノによるスコア演奏法の実地教育として、彼の深い研鑚の結晶たる一個の創作としてみるべきものである。〜中略〜このピアノ抜粋は、オーケストラの演奏とならんで堂々と聴かせることができる。
※2

※1
シューマンは続けて、ベルリオーズのオーケストレーションに感嘆し、次のようなことも言っています。“またたとえ楽器の指定がなくても、万事が実にオーケストラの声質にぴったりとあうように考察されていて、あらゆる楽器がそれぞれ皆その処を得、何というか根源的な音力を発揮するよう用いてある”『音楽と音楽家』P61、以下注2と同じ。
※2
『音楽と音楽家』 ロベルト・シューマン 吉田秀和 訳 岩波文庫 1958初版/1994年 30刷  P71

幻想交響曲は一つの物語を持っており、リブレットがついています。ベルリオーズ自身がシェイクスピア劇団の女優ハリエット・スミスソンに恋慕し、その想いをこの交響曲に込めました※1
。“恋愛”といっても、非常に耽美的なデカダンスを感じさせる物語となります。交響曲の主人公である芸術家は、一種病的な感受性の持ち主であり、失恋し、失意のあまりアヘンを吸引し自殺を図りますが、致死量にいたらなかったため、さまざまな幻覚を見る、という構成をとります。

※1
ベルリオーズは、2回目の“幻想交響曲”の演奏でハリエット・スミスソンの気を引くことに成功し、ついに1833年に結婚することになります。その時の結婚式にはリストも参列しました。

Symphonie Fantastique 〜 Episode de la vie d’un artiste Op.14
(Total 51:26 HYPERION CDA66433)
13〜14.夢想と情熱
まず芸術家の夢に現れるのは、恋人と出会う前の不安定なころの自分、そして恋人への情熱、狂おしいまでの様々な感情が思い出されます。

非常に輝かしい楽章です。独創的な旋律と和声が豊富で、それらはそのままリストのピアノ版にも活き活きと移し変えられています。原曲の方でのティンパニの打撃音が、リストのピアノ編曲では、すばらしく輝かしい響きとなっています。

Reveries 〜 Passions
(14:18 HYPERION CDA66433)
15.舞踏会
芸術家は舞踏会へ出掛け、そして恋人の姿を見つけます。

舞踏曲へ移る前の冒頭部分など、ピアノ独奏版では、夢想が輝かしい響きとともに流れるような、すばらしい効果をあげています。続く舞踏曲の編曲は、パリ時代のリストにとっては、お手の物の編曲であっただろうと思います。

Un bal
(6:42 HYPERION CDA66433)
16.田園の風景
夏の夕方、芸術家は野原へと出掛けます。はじめ、そののどかな風景に心を安らがせていましたが、恋人の姿をみつけるやいなや、彼は焦燥し、不安に苛まれます。

リストはピアノ独奏で牧歌的な情景を描く場合、パストラールの曲調を使うのが通例ですが、ベルリオーズの原曲では管楽器の長音による音色のみで表現している感じです。ピアノ独奏となると、冒頭の単音旋律など、表現が難しいところを感じます。

Scene aux champs
(13:26 HYPERION CDA66433)
17.断頭台への行進
芸術家は愛するあまり恋人を殺害してしまいます。死刑の宣告を受けた芸術家は断頭台へと連れて行かれ、そしてギロチンの一撃が彼の首を落とします。

“リストが出演し、ベルリオーズの指揮で催されたあるオーケストラ演奏会で、あの豪奢に書かれた『幻想交響曲』の『断頭台への行進』が演奏されたそのあとで、リストはピアノ・ソロでこの楽章を弾いたのだが、それは完全編成のオーケストラにまさる効果を発揮し、筆舌に尽くしがたい熱狂を呼び起こしたのである。
※1

※1
『ピアノ音楽の巨匠たち』ハロルド・C・ショーンバーグ著 中河原理、矢島繁良 訳 芸術現代社 1977年 P。162
またこのショーンバーグが引用している記述は、サー・チャールズ・ハレが書いた1836年のパリのコンサートの模様についての証言で、アラン・ウォーカーの『FRANZ LISZT The Virtuoso Years 1811ー1847』ではP180に載っています。

“幻想交響曲”の中でも最も有名な楽章で、リスト自身も相当気に入っていたに違いありません。ティンパニや金管の低音のグロテスクな響きなどをリストは上手く編曲しています。“断頭台への行進”の部分が、原曲では2回なのですが、リストの編曲では3回演奏されます。ベルリオーズの第1バージョンがそうなのでしょうか?いずれにしても最大の見せ場である“断頭台への行進”が3回ある方が、リスト自身気に入っていただろうと思います。

Marche au supplice
(4:53 HYPERION CDA66433)
18〜22.サバトの夜の夢
芸術家はサバトの中にいて、多くの化け物や魔女達にかこまれています。その狂騒の中に恋人の姿が現れます。しかしその姿は魔女たちの中で、おぞましい姿でしかありません。

狂乱のサバトが描かれるこの楽章は、原曲でも様々な要素、表現がヒステリックに盛り込まれます。リストはそれらのニュアンスをひとつひとつ大切にしながら編曲しています。

さらにこの楽章はリストの作品の中で、“黒いロマン主義”“悪魔主義
※1”“メフィストーフェレス的”な要素が登場する、最初期のものだと思います。他には同年1833年作曲の“呪い”(S121)が挙げられるかもしれませんが、エネルギーの違いは比較できないほどです。

※1
“黒いロマン主義”という呼称は、デームリング著『ベルリオーズとその時代』P61に登場します。また“リストは音楽に悪魔主義を導入した最初の音楽家ではないか?”というようなことを、アリフレト・シュニトケが語っています。

その“黒いロマン主義”の象徴として、トーマス・デ・セラーノ作の“怒りの日(死のテーマ)”が登場します。リストはこの旋律を、その後ピアノと管弦楽のための作品“死の舞踏”(S126)で取り扱います。

そしてリストは“幻想交響曲”の続編である“レリオ”の主題を使った編曲へと進むのです。

Songe d’une nuit du sabbat
(10:17 HYPERION CDA66433)


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