演奏 レスリー・ハワード(P)        
タイトル 『リスト ピアノ独奏曲全集 VOL.5 サン=サーンス、ショパン、ベルリオーズ 編曲集』
データ
1989年録音 HYPERION CDA66346
>>輸入盤(試聴あり)
ジェームス・バリー『コーディリアの遺体を嘆くリア王』
収録曲
1. サン=サーンス〜リスト “死の舞踏” S555
ショパン〜リスト 6つのポーランドの歌 S480
2. 願い S480/1
3. S480/2
4. 指輪 S480/3
5. 遊び(酒宴) S480/4
6. 愛しい人 S480/5
7. 花婿 S480/6
8. ベルリオーズ〜リスト イデー・フィクス ベルリオーズの旋律によるアンダンテ・アモローソ S395
9. ベルリオーズ〜リスト 宗教裁判官の序曲 S471
10. ベルリオーズ〜リスト イタリアのハロルドより“夕べの祈りを歌う巡礼の行進” S473
11. ベルリオーズ〜リスト ファウストの劫罰より“妖精の踊り” S475
12. ベルリオーズ〜リスト リア王の序曲 S474
 
感想 1.サン=サーンス〜リスト 死の舞踏             S555   1876年
サン=サーンスの“死の舞踏”は1874年に作曲され1875年にパリで初演されました。もともとはアンリ・カザリスの詩につけられた歌曲を、管弦楽作品に編曲したものです。

リストの“死の舞踏”が恐怖のグロテスクな美を描いた、“死”の側面を強調したものだとすれば、サン=サーンスの方はシニカルな、メフィストーフェレス的な“舞踏”の側面を強調したものと思えます。冒頭から迫力のある、まさに骸骨が踊るといった調子の挑発的な旋律が続きます。リストのピアノ独奏曲変曲版はゾフィー・メンターに献呈されました。

1884年6月8日カロリーヌ・ド・モンタニーとジロティによって4手版“死の舞踏”が演奏された後、リストは曲の最後の跳ねるような音をさして笑い出し“ほら外を見てごらん、雄鶏が来たよ”と言ったとのこと。またリストの編曲はサン=サーンスの原曲に比べ約200小節近く膨らんでいるとのこと。その点について揶揄したような発言がされています。
※1

※1 Diary notes of August Gollerich 『The Piano Master Classes of Franz Liszt,1884-1886』edited by Wilhelm Jeger ,translated by Richard Louis Zimdars (Indiana University Press ,1996) P27〜29,P191

Danse Macabre
(9:53 HYPERION CDA66346)
ショパン〜リスト 6つのポーランドの歌   1847〜1860年 S480
ショパンの“17のポーランドの歌”作品74は1829年〜47年にかけて作曲され、ショパンの死後1856年にまとめて出版されました。リストは1847年〜60年にかけて編曲しています。
1847年以降というと、特に“コンソレーションズ”“ヴォロニンツェの落穂拾い”のような、リストがショパンに関心を強めている時期でもあります。

この曲集のうちのどの曲か分からないのですが、ウォーカーのFYによれば、リストは1886年の最後のイギリス訪問時、及びバイロイトへ向かう途中のルクセンブルクにおいても演奏しています※1。

※1 FRANZ LISZT  The Final Years 1861-1886 Alan Walker Cornell Univwrsity Press 1997 P.484 , P506

Six Chants Polonais
(total 16:33 HYPERION CDA66346)
2.願い          S480/1
原曲はヴィトヴィツキの詩によるもので、ショパンは1829年に作曲しています。作品74の第1曲です。“乙女の願い”とも呼ばれています。他のヴィトヴィツキの詩による曲がメランコリックな様相を持っているのに対し、この曲はとても華やかで明るい曲です。

Zyczenie
(3:26 HYPERION CDA66346)
3.春                S480/2
原曲はヴィトヴィツキの詩によるもので、ショパンは1838年に作曲しています。作品74の第2曲になります。簡単な構造の小曲です。“春”という季節名からは想像できないメランコリックな心情が歌われたような曲です。

Wiosna
(2:16 HYPERION CDA66346)
4.指輪               S480/3
原曲はヴィトヴィツキの詩によるもので、ショパンは1836年に作曲しています。作品74の第14曲になります。少し華やかさがありますがメランコリックな印象を受けます。

Pierscien
(3:03 HYPERION CDA66346)
5.遊び(酒宴)          S480/4
原曲はヴィトヴィツキの詩によるもので、ショパンは1830年に作曲しています。作品74の第4曲になります。リストは4の“指輪”とこの“遊び(酒宴)”をつなげて演奏するようにしています。結婚に関連する曲としてでしょうか。グリッサンドの多用された勢いのある陽気な曲です。

1880年12月16日のオルガ宛書簡で、リストは次のように述べています。

“以前あなたのグリッサンドの練習に、指の肌の部分は全く使わずに、親指、人差し指、中指のどれでもいいので、爪だけを使うようにアドバイスしたことがありますね。さらにもし6つのポーランドの歌の遊び(酒宴)を弾いて楽しまれるようならば、私は喜んでローのためにグリッサンドを、輝かしく弾きやすいようにアレンジしてあげますよ”※1

※1 THE LETTERS OF FRANZ LISZT TO ORGA VON MEYENDORFF 1871−1886 translated by William R.Tyler DUMBARTON OAKS 1979 P390


Hulanka
(1:41 HYPERION CDA66346)
6.愛しい人               S480/5
原曲はミツキェーヴィチの詩によるものでショパンは1837年に作曲しています。作品74の第12曲です。愛らしい小曲で、この曲集の中でも“願い”と並んで演奏される機会の多いものではないでしょうか。まるでショパンとリストのロマンティシズムの共演とも思える曲です。

Moja pieszczotka
(2:19 HYPERION CDA66346)
7.花婿                  S480/6
原曲はヴィトヴィツキの詩によるもので、ショパンは1831年に作曲しています。作品74の第15曲です。この曲もタイトルからは想像できない印象を持っています。リストの“ラコッツィ行進曲”の中で使われるような、あるいはショパンの“革命”のエチュードで出てくるような荒々しいパッセージに貫かれます。

Narzeczony
(1:33 HYPERION CDA66346)
〜・〜・〜・〜
8.ベルリオーズ〜リスト  
  イデー・フィクス ベルリオーズの旋律によるアンダンテ・アモローソ S395 1846年
ベルリオーズの“幻想交響曲”からの主題を用いて、リストが緩やかなノクターンのように編曲したものです。ハワードの解説によれば、リストはこの作品を“幻想交響曲”のひいてはベルリオーズの宣伝のために編曲したとのこと。

1846年のリストはヴィルトゥオーゾとしてのキャリアの終幕を飾る演奏旅行中であり、プラハにおいてリストはベルリオーズと会っています。その再会によるものかもしれません。またその時のリストは泥酔して決闘騒ぎまで起しているという放縦に身をやつしています。※1

※1 FRANZ LISZT  The Virtuoso Years 1811-1847 Alan Walker Cornell Univwrsity Press 1987 P.428

“幻想交響曲”の知られた主題が、サロン・ミュージックのように優雅な小曲に生まれ変わっています。“アモローソ”は“愛情に満ちた”という意味。

L'Idee Fixe Andante amoroso d'apres une melodie de Berlioz
(6:28 HYPERION CDA66346)
9.ベルリオーズ〜リスト 宗教裁判官の序曲    S471  1833年
ベルリオーズの宗教裁判官の序曲は、歌劇は未完成であり序曲のみが出版されました。オペラのテキストはベルリオーズの友人でもある詩人フェランによるものでした。

リストの編曲はちょうど“幻想交響曲”の編曲と同年に行われています。劇的な効果を多く含みスケールの大きな作品です。

Ouverture des Francs-Juges
(13:04 HYPERION CDA66346)
10.ベルリオーズ〜リスト イタリアのハロルドより
   “夕べの祈りを歌う巡礼の行進”              S473  1862年
リストは1836年頃にベルリオーズの“イタリアのハロルド”をピアノとヴィオラのバージョンで編曲(S472)しています。1862年にそのうち第2楽章の“夕べの祈りを歌う巡礼の行進”をピアノ独奏曲に編曲します。なぜこの年代に第2楽章だけをもう一度編曲したのでしょうか。

リストは1861年の5月10日から6月8日にかけてパリを訪れており、そこでベルリオーズに会っています。リストはベルリオーズが精神的に困窮な状態にあると思い、その窮状が相貌に表れていることを哀れみ、カロリーヌに報告しています※1。またその時の会話等は、ウォーカーの著作からは読み取れないのですが、この頃にはベルリオーズはワーグナーと芸術思想において対立しています。このあたりの不快感が漠然と両者間に漂ったのかもしれません。そしてベルリオーズがリストの“グラナーミサ”を酷評し、互いの信頼関係が決定的に凍結するのはその面会からわずか5年後の1866年です。

※1 FRANZ LISZT The Weimar Years 1848-1861 Alan Walker Cornell Univwrsity Press 1989 P538

神秘的な響きが高音で奏でられ、そこへ地鳴りのような不協和な低音が定期的に鳴らされます。

Marche des Pelerins: Chantant la priere du soir
(8:43 HYPERION CDA66346)
11.ベルリオーズ〜リスト ファウストの劫罰より“妖精の踊り” S475 1860年頃 
ベルリオーズの“ファウストの劫罰”は、1845年〜46年に作曲され、1846年にパリで初演されました。ベルリオーズ〜リストとの関係においてゲーテの『ファウスト』の存在は大きく、この編曲もその一環を成すものです。

またこの編曲年代が1860年頃と、リストとベルリオーズの関係が薄くなっている頃です。上述の“イタリアのハロルド”の第2楽章編曲と同じく、この頃にベルリオーズの作品に関心を強めたのかもしれません(年代が少し合わないですが)。

ヴェルディ〜リストの“アイーダ”のような神秘的で繊細な響きが聴けます。

Valse des Sylphes
(4:11 HYPERION CDA66346)
12.ベルリオーズ〜リスト “リア王”の序曲         S474  1833年
ベルリオーズの“リア王”の序曲は1831年に作曲され、1834年に初演されました。リストの編曲は初演前の1833年になります。

ハワードの解説によれば、この曲は未出版、未公開演奏のままで、1987年にイギリス・リスト協会が出版、そして同年に初演したとのこと。

劇的で重々しい壮大なピアノ独奏曲に仕上がっています。

Ouverture du Roi Lear
(16:23 HYPERION CDA66346)


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