館山若潮マラソンを走る


【2013年1月28日 月】

さすがに今日は走らない.天気予報によると薄っすらと雪が降るかもということだったが,少しパラついているくらいであり,傘は持って出たがさす程ではない.
地下鉄では引き続き『The Burning Wire』を読む.今35%くらい.昨日のマラソンの影響で少し足の筋肉が痛いが,それ程でもない.普通に階段も降りることができるし.レース前にアミノバイタルを2本とアミノバイタルプロの粉末を飲んだためだな.そういえば昨日のレースでは途中で何も食べなかった.きっとカーボローディングがうまくいったのだろう.
今日は一日中会社.昼食は昨日のレースで赤血球がだいぶ破壊されたであろうから,レバー野菜定食を食べる.そして早めに会社を出て,レバーとタンの串焼でビールを飲む.
帰宅して夕食.風呂に入り,寝る前に体重を計ると,2キロ程多くなっている.ちょっとヤバイな.年末からの飲み過ぎが基本的にいかんのだろうなぁ.自制しなければいけない.

【2013年1月27日 日】

ということで今日は館山若潮マラソン当日.4時過ぎに起床.パンを焼き,ハムとカップスープの朝食(いつもは和食だけど作る時間の余裕がない).それからバナナを牛乳で食べる.
5時に出かける.地下鉄で新宿に出たのだが,ちょっと早すぎた模様.バスは6時発なのだ.で,コンビニでおにぎりとお茶を買い,集合場所に行くともうバスが来ており,さっさと乗り込んで今買ったおにぎりを食べる.
バスは15分遅れで出発.寝るべく目をつぶるが,席が狭くて(それに隣の人が大きいので)よく眠れない.それでもアクアラインの記憶が全然無いから,それなりに眠れたのかも.レース会場には8時前に到着.ショッピングセンターの一部屋に着替える場所が確保されている.このツアーに申し込んだのは,これが大きな理由でもある.
まず,会場に行って受付を済ます.天気は晴れで思ったよりも寒くない.風もそれほど吹いておらず,これはマラソンには絶好のコンディションと言えよう.着替えて,たまたまこのレースに出場する会社の奴にメールする.するとマラソンのために増発された電車が中止になり,今だに電車に乗っているとのこと.結局彼は8時過ぎにやっと到着.
スタートし,最初の10キロまではキロ5分を少し超えるくらいのペース.そしてそれ以降はペースが少しずつ上がり,5分を切るくらいになり,それが20キロほど続く.悪くない感じだったが,30キロ過ぎの峠越え+山下りで足に来てしまい,そこの5キロは25分.そして後は落ちる一方で,最後の3キロはホントに辛かった.しかしアクアラインの時のように足がつることはなく,無事にゴール.結局3時間34分ちょっと.スタートまで2分程かかったからサブ3時間半に惜しいところだった.
ゴールして豚汁をありがたく頂く.そして荷物を持って海岸ベリのホテルの風呂に入りに行く.レース参加者は500円で入れるのだ.このサービスを使うのは初めてだったが,混んでいたけれど予想以上に快適.その後,スーパーでビールと寿司を買ってフードコートで食べる.この寿司はイマイチだったな.
そんなこんなでバスが出る時間になって集合場所に行く.バスは行きと同じく15分遅れで出発.ところが渋滞で全然進まない.乗っているうちに分かったのだが,二車線の道が一車線になるのと横道からの合流が多いのが原因.館山市を出るのに1時間もかかってしまった.その後も断続的に渋滞があり,結局新宿まで3時間半以上かかってしまった.来年の帰りはやはり電車だなぁ.しかし首都高を走っていると東京のバカでかさを感じるねぇ.
帰宅して夕食.今日はアンコウ鍋で,私は家事は免除.スカパーでチャンピオンズリーグの番組を見て風呂に入りさっさと寝る.

【2013年1月26日 土】

土曜日だが息子が学校なので早起き.そして走る.いつもの土曜日ならば,朝食後午前中に走るのだが,明日がレースなので長く走る気が無く,朝食前に3.2キロ.
息子と妻が出かけて,私はヒマなのでPCでネットをウロウロ.洗濯物を干し,娘を起こして昼食の材料を買いに行く.今日は焼きそば.そして妻が買っておいたのを思い出し,ジャイアントキリング26巻を読む.面白い.
妻がアルバイトから帰ってきて昼食.焼きそばをたっぷりと食べる.とにかく体にすぐに使えるエネルギーを貯めておかなければいけない.そして昼食のあとは昼寝.ただ,あまり良く眠れなかったかも.
夕食は豚肉の角煮を作成.一緒に大根とユデタマゴを煮る.後は野菜炒め.そして私のためだけにカツオのタタキ.こいつはビールのつまみ.妻はカツオがキライだし,子供達はまだ帰っていない.
明日のレースの準備をしてさっさと寝る.明日は早いのだ.

【2013年1月25日 金】

昨日の夜,少し遅かったけれど,頑張って起きて走る.寒い.3.2キロ.
会社に行く.地下鉄の中では『The Burning Wire』を読む.やっと三分の一になるかというところ.
昼前に出かける.行き先はお台場の展示会で,行く途中に昼食を食べる.明後日がレースなのでカーボローディングを考え,けんちん蕎麦定食.展示会に出展しているのだが,どうも畑違いの展示会であり,アテンドしている奴に話を聞くと,どうにもヒマであるらしい.
一回りして会社に戻る.で,今度は夕方にまた出かける.今度は業界の賀詞交換会で,貧乏な団体なので協会の会議室でささやかに行われていた.ちょっと遅刻して行き,中締めで失礼する.本来ならば今日は休肝日であるのだけど,まあ仕事だからということでビールを飲む.
帰宅して夕食.妻がバドミントンがらみの宴会でおらず,彼女が作ってくれていたカレーとサラダとスープを一人で食べる.食べ終えたところで,二次会をうまく行かずにすませた妻が帰宅.
FC東京魂を見ているうちに爆発的に眠くなりダウン.

【2013年1月24日 木】

天気予報によると今朝は雨か雪であり,目をさまして外を覗くと確かに濡れているので走らない.しかし朝食後,会社に行くべく外に出ると雨はあがっており,もしかしたら起きた時には既にやんでいたのかも.
地下鉄の中では引き続きKindleで『The Burning Wire』を読む.電気会社の技師がサックスに電気の話をしていて,これがどうもよくわからない.
今日も一日中会社.明日はどこかに出かけたい.
夜は早めに会社を出る.まず紀伊国屋に行って新刊をチェック.ちょっと興味をそそられる本はあるけれどパス.紀伊国屋を出た後,以前,車窓からちょっと興味を引いた店があったことを思い出し,西新宿まで行く.普段来ない場所で,どうやって行くのか少し悩んだが,スマホってのはこういう時に便利だよねぇ.迷わずに行き着くことができた.しかしその店は想像とはちょっと違っていて少しがっかり.
結局,そのまま中野坂上まで歩く.1時間程歩いたことになるな.で,帰宅して夕食.センター試験の結果での予備校の判定が出ていて,息子の第一志望はE判定(まあ想定内)だが,第二志望がC判定であり,少しは希望が持てるらしい.本人は何か受かりそうな気がすると言っているが,こいつは能天気だもんな.信用できない.
明日は走ろうと,早く寝ようと思っていたが,バタバタして遅くなってしまった.大丈夫か?.

【2013年1月23日 水】

どうも走る気が起きないな.困ったことだ.また体重が増えつつあるし.まあしかし今週末はレースなので,体を休めておくことも大切なことは確かではある.
会社に行く.地下鉄の中では昨日の夜に続いて『The Bruning Wire』を読む.もうそろそろ30%になろうというところ.
今日はほぼ一日中会議とヒアリング(聞く方と聞かれる方両方の立場)で終わる.疲れるよなぁ.
帰り道,今日は妻の誕生日なので花を買って帰る.オレンジのバラを8本ほど.帰りの電車が混んでいたらどうやって花を保護しようかと思ったが,幸い空いていた.ラッキー.
さて,週末のレースに備えて,そろそろグリコーゲンを溜め始めなければいけないので,夕食でご飯を少々食べる.いつもは酒を飲んだ時にはほとんど食べないのだけどさ.
梶山がやっとパナシナイコスに選手登録されたらしい.チームのウェブサイトにも掲載されて,これでやっとゲームに出ることができる.期待しているんだけどねぇ.

【2013年1月22日 火】

雨が降っているので走らない.
ところが会社に行くべく家を出ると雨は降っていない.地下鉄の中では昨日に続いて『スクウェア2』を読む.多分,今日中に読み終えることになりそう.で,新宿でコーヒーを飲んでから外に出ると雨.結構真面目に降っている.
ただ雨は昼には上がる.今日も一日中会社にいて,ちょっと退屈.昼休みに『スクウェア2』を読了する.
ということで帰りに中野の図書館に立ち寄って『スクウェア2』を返却.その後,一駅歩いてみるが,この辺りというのは結構良さそうな飲み屋が多いねぇ.ちょっと一杯飲みたくなったが,我慢して帰宅する.地下鉄の中では『The Burning Wire』に戻る.こちらはなかなか読み進めない.
帰宅して夕食.今日は珍しく娘も早く帰ってきて一緒に食べる.彼女は来週に試験で,何とアラビア語をやっているのだが,難しくて全然わからないとのこと.まあそうだろうな.奴には語学の才能は無い.
東京のホーム開幕戦は柏と決まったらしい.それは良いのだけど,ゲストに猪瀬都知事が来るとのこと.嫌だよなぁ.まあ,ブーイングする程大人気ないことはしないけれど,顔なんか見たくないから,その時はトイレかどこかに行くかも.
そして常盤新平が死去したというニュースも入ってくる.ニューヨーカーという雑誌があることを知ったのはミステリマガジン経由であり,その頃彼が編集長であったはず.また,ボクシング小説という存在を知ったのも彼経由であったのではないか?.

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