2000年7月に読んだ本


【闊歩する漱石】 丸谷 才一 講談社

2000.7.31読了.
漱石に関する評論を三編おさめてある.
『坊っちゃん』『三四郎』『猫』について一編づつ書かれている.この中で『三四郎』は未読.『坊っちゃん』は小中学生時代に何回か読み,『猫』は大人になっても多分二回程再読している.夏目漱石では後は『こころ』は高校時代に読まされたけど後は未読.実は『こころ』が嫌いでそれ以上漱石を読む気がしなくなったのだ.
で,この本だけど,相変わらずの丸谷才一で,話が大きくなる.私としては圧倒的に教養が足りないので話についていくのがやっとで,それが卓見なのか単なる大風呂敷なのか判断がつかないが,雰囲気としては風呂敷の方に近い感じですねぇ.『坊っちゃん』での啖呵が面白い(確かに一番記憶に残っている)といっても,それについて古典から延々引用し,19世紀西洋文学と20世紀文学を論じられても,ちょっと無理筋だなぁ,と思うのだ.あるいは,『猫』を論じるのに古代ローマ(五賢帝あたり)の文学年表を出されてもねぇ….ま,大風呂敷ってのは広げれば広げるほど楽しいってことはあるけれども.
ちょっと心配なのは丸谷才一の語り口に衰えが見えることで,具体的に指摘するのは難しいのだが,文章から色気が抜けてきたように感じる.今回は評論なのでそう見えるのかもしれないので,次にお気楽エッセイが出たときに判断ですね.B

【アビシニアン】 古川 日出男 幻冬社

2000.7.25読了.
家出をした少女がいる.そしていきなり『沈黙』のエピソードが出てくる.あちらの方では違和感のあるエピソードだったけど,そうですか,こっち方面に来るのですねぇ.少女は猫と再会し,一緒に野良猫として生き,人間としての時間を放棄する.そして,猫が死んだとき少女の中では文字が失われる.
普通の目立たない少年がいる.彼は頭痛によって幻視し,内側から崩壊するのではないかというおそれを持っている.そして顔の無い自分,無い顔を失おうとしている自分を発見する.
その二人が出会う.そして再生の予感….というようなお話なのだけど,何といっても少女と猫のお話がよろしい.少年の方はちょっと理に落ちているような感じが減点かも….どうも彼から文字が無くなる理由がよくわからない(ま,わからなくたってかまわないのだけど).で,最後の章,猫少女がテリトリーを出てマユコさんと出会うところはなかなか感動的だが,電車のイメージや川のイメージがどうも私にはイマイチですねぇ.全体的にこじんまりしていて,ちょっと小手先での勝負っていう気がしてしまう.やっぱり古川日出男なんだから,破天荒ってのを読みたいよねぇ.B

【外人術】 佐藤 亜紀 メタローグ

2000.7.24読了.
ま,ヨーロッパの旅行指南書と言ってしまえばミもフタもないけど,そしてそういう本なのだけど,素晴らしく面白い.
相変わらず明晰な文章はもちろんなんだけれど,今回は著者が好きなことを好きなように書いていると思われるので,とりわけ言い回しその他に切れ味が見られる.また,話の脱線の仕方が,もはやこれは芸というべきなのでしょうねぇ,うまいものです.こういうものの魅力の何割かはこの脱線をどのくらいうまく制御できるか(そしてどのくらいうまく脱線するか)によるのではないかと,常々私は思っているのだけど,佐藤亜紀は既にトップクラスだよね.それに相変わらず切れ味の良い啖呵も楽しめるし.B+

【フェイダーリンクの鯨】 野尻 抱介 富士見ファンタジア文庫

2000.7.22読了.
クレギオン・シリーズ第二作.
ひょんなことでガス惑星のリングの住民に一宿一飯の世話になった主人公達が,追い立てを食らっている住民のために一肌脱ぐというお話.工学系SFといったおもむきで,このへんがありそうでなかなか無くて貴重ですねぇ.特にハリボテを作るあたりの場面は秀逸.こういうのが美しい(というのはちょっと大げさ)と感じることができないとこういうお話の良さはわからない.B

【サッカーの世紀】 後藤 健生 文芸春秋

2000.7.19読了.
サッカーの歴史と現在を世界史的見地,あるいは政治史的見地から書いた本.
いきなり94年でのイタリアの勝利への執念の話が出てくる.この執念はどこから来るのか?そしてサッカーの起源を語り,世界に広まった経緯が説明される.このあたり大変に説得力があってよろしい.後は一気読みですねぇ.当然,日本のサッカー事情は所々に出てくるが,これも冷静な目で見ていて納得.
不満はもっと長く書いて欲しかった,ということだけ.例えば1857年にシェフィールド最初のサッカークラブができたとあるが,わずか3年後に何故ミュンヘンにクラブができたのか(それとも『1860ミュンヘン』はサッカークラブとしてスタートしなかったのだろうか)とか,疑問がわいてくる.ま,自分で調べればいいのだろうけど,この著者の目を通した見解も知りたいよね.B+

【人生は五一から】 小林 信彦 文芸春秋

2000.7.17読了.
週間文春に連載していたのをまとめたもの.
小林信彦を読むのは久しぶり.いよいよ偏屈じいさん的になってきましたねぇ.そのあたりを楽しむのがこのエッセイ集を読むための心構えでありまして,そして実際楽しいのだけど,言っていることがオヤジ週刊誌的多数派意見であることが多くなってしまっていてちょっとさびしい.
若いときの生意気な感じの方が好きかも.B

【烈風】 ディック・フランシス 早川書房

2000.7.14読了.
フランシス二年ぶりの新作.今回の主人公はBBCの気象予報士.しかしやはり競馬がらみで,ヨーロッパとカリブ海での怪しげな陰謀に巻き込まれる.
カバー裏には『衰えを知らぬ巨匠の健筆』と書かれているけれど,そして前の長編である『騎乗』もなかなかよかった記憶があるので期待して読んだのだけど,はっきり言って駄作.フランシスといえども老いるのですねぇ.池波正太郎の遺作を読んで愕然としたことがあって,いい作家でも作家が死ぬときはこうなっちゃうのか,と感慨にふけったことがあった.う〜む,これはフランシスの命も危ないかも….
フランシスの本というのは気持ちのいいリズムがあり,物語も大変心地よく収束されていくので,一回読み始めたらやめられないのだけど,今回は物語の展開はいいかげんだし,登場人物に魅力が無く,悪役の行動は行き当たりばったりで後半は読むのが苦痛.最後の方にどんでん返しがあるけど不自然の極み….
そうそう,相変わらず翻訳は菊池光の翻訳であって,これまた年をとって年々癖がひどくなるばかり.これも困ったことではあります.
いやいやさびしいかぎりだよねぇ.C

【フランドルの呪絵】 アルトゥーロ・ペレス・レベルテ 集英社

2000.7.11読了.
主人公(美人)が修復するフランドル派の名画に謎の表題が隠されていた.どうやら絵のうちの一人は殺されたらしい.その謎を追求していくと,主人公の周辺でも殺人事件が起きる….というお話.
絵に描かれているチェスが昔の殺人事件の手がかりになり(つまり画家が後世にメッセージを残したのですね),現代ではチェスの指し手のとおりに殺人が起きる.しかも,絵に描かれた局面の後を犯人と探偵が指すわけですね(犯人からのメッセージを介して).ということで,とても不自然なお話なので,真面目にミステリをやらないで,思いっきり趣味に走ってしまえばいいのに,イマイチ作者は踏ん切りがつかないみたいで,どうもかったるい.話の途中で何回もチェスの図を出しているのに最後の詰めのところで省略しちゃうとか(もしかしたら日本版だけ?),せっかく美術関係のおいしい話をしてるのだからもっと詳細にオタク的に書けばいいのに書かないとか,もったいないのですねぇ.
最後に思いっきりずっこけさせた『呪のデュマ倶楽部』の方が良かったかも.B
【ST毒物殺人】 今野 敏 講談社

2000.7.5読了.
『ST』の続編.今回は坊主で化学担当のおじさんがメインとなる.
モノは連続毒物殺人事件.並行して女子アナのストレスが語られ,読者としてはどういう具合にそれらが結合するかを楽しむ,ということになる.それとSTの面々の行動と言動が相変わらず面白い.手慣れたものだよね.B−

【ウィーン薔薇の騎士物語2】 高野 史緒 中央公論

2000.7.5読了.
今回は吸血鬼がらみ.
このネタは今に出てくるだろうと思っていたのだが,やっぱり出ましたねぇ.しかも冒頭から怪しげないやらしい雰囲気でなかなかいいかも.表紙とのギャップも激しくていいよね.著者得意技の音楽ネタも十分で,全作より出来はよろしいのではないでしょうか.調子に乗ってきたようなので次作が楽しみ.四重奏団のメンバーもそろったことだしね(しかし,4人目はこれでホントにいいのだろうか?).B

【M.G.H.楽園の鏡像】 三雲 岳斗 徳間書店

2000.7.4読了.
第一回日本SF新人賞受賞作品.
宇宙ステーションの内部で不可能な死亡事件(事故死?殺人?)が起こる.殺人であるとしたら誰が,どのようにして,なぜ起こしたのかというもの.舞台はSFだけど,完全にこれはミステリといえるのでは….どうもこの頃の私の気分としてはSFの仲間には入れたくないような感じですね.雰囲気としては森博嗣.
ミステリとしてはとても良くできていて,さっき書いた三項目とも十分に謎であるし解決もよろしい.第二の事件も悪くないしね.しかしSFとしては今一つの飛躍が足りない感じがする.宇宙ステーションの描写もコンピュータがらみのところもリアリティがあっていいんだけど,とんでもないびっくりするようなものが無いのですねぇ.残念.B

【ダレカガナカニイル…】 井上 夢人 新潮社

2000.7.3読了.
題名通り,誰かが心の中に入ってしまうというお話.よくある話なのだが,その侵入してきた者が記憶喪失しているという点,新興宗教がらみであること,殺人事件がらみであることが新味であると言えるでしょう.侵入された人間との葛藤と慣れていく経過も丁寧に書かれていてよろしい.そして最後に大ネタが炸裂する.いやまあ,こういう風になっちゃうのですねぇ.SF味のミステリだと思っていたらミステリっぽいSFだったのか.びっくり.
こういうメインの部分はいいのだけれど,主人公がイマイチよくわからない奴で,そのあたりがちょっと不満.そういえば『オルファクトグラム』でもそうだった.B.

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