Kestnerのお部屋へ
テートジュモーは1886−1899頃に製作された
といいますからこの子は100年以上
経っていることになります。
お人形に詳しくない人はどうして100年も
経っているのにこんなに綺麗なのと言いますが
それは年月に耐えるビスクのお顔だけのことで
手や、洋服の下のボディーは
痛々しい程ボロボロのものもあります。
私のテートは、ボディーをリペイントされているうえ、
ヘッドの後ろをほとんど肉眼で外側からは
解らない程度の補修もされています。

100年経っているということは2つの大戦を生き延びて来た
ということですし、この子はフランスで生まれ、
アメリカのディーラーから購入したのですから
はるばる海も渡っているわけです。
無傷。。。という事に私がこだわらないのは
歴史を考えたとき、この子の澄んだ瞳が見てきたであろう
多くの事を思うとき、傷の有ることのほうが
私には自然だと思えるからです。


私は時々この子の手を握って話しかけます。
良くがんばったねって。
きてくれてありがとうって。
この洋服、帽子、靴、帽子の花飾り全て
この子の為に私が作ったものです。
ページの最後のゴージャスなドレスが
私の家にこの子が来た時身につけていたものです。

帽子はビンテージの大人用を工夫して
この子に合うサイズにしました。
ドレスのレースはロンドンのポートベローマーケット
にあるレース屋さんのものでとても使い込まれた
感じの素敵なものです。上着の裏にはこれも
古いシルクを使いました。
写真では見えませんがボタンはアイルランドで
手に入れた、ドレスにぴったりの布製のものです。

靴は革で作りましたが
本当は人形の靴屋だったらなぁ。。。と
思うほど靴作りは大変です。まず、道具が無い!
技術が、くやしいけど無い。
だからごめんねテートちゃん。。がまんして。

髪もアメリカの私の大好きなところの
モヘアのものをとりよせました。
ブローチは私のお下がりです。
どうしてこんなに帽子とお花が似合うんでしょう
と思うほどぴったりです。
リボンも行き付けの手芸屋さんで納得のいくまで
あれこれ選びます。店員さんは
どうしてこの人はいつもリボンばかりじーっと見て
しゃがんであれこれ怪しく選んでいるんだろう
と、きっと思っているはずです。
こんなに可愛い子の帽子を飾るのに
使われていることを知らないのは
少し残念です。

そのお店には、江戸とんぼだまのコーナーもあって
できれば全部下さい!って言いたいのですが
1個2個買うのが精一杯です。高い。。
ゆめは豪勢にネックレスなのですが
今のところは、ゆかたを着たときの
根付を作ったぐらいです。でも、
本当に素晴らしい仕事をしていると思います。
外国のものが魅力無くなるほど
とにかく繊細で、見飽きません。
持っていて嬉しくなるものの一つです。

さて、この子の瞳ですが、これもまた
天才的な仕事の成せる技なのです。
人間の瞳に限りなく近いペーパーウェイト

というタイプの瞳で、もちろん現在でもペーパーウェイトと名の付くものは作られていますが、
この時代と同じ様には出来ないのだそうです。
今の技術をもってしても
これほどのものは出来ないということなのですが
逆に今の技術だからだめなのだと私は思います。
あまりにも不純物ゼロの機械的な、完璧な仕事のせいで
かえって不自然になってしまっている様に思います。

本当にどうしたらこんなに素晴らしいものが出来るのか
ガラス職人になりたい。。。と本気で思います。
さっきは靴職人でしたが。

さてもう一つの帽子です。ピンクのロゼワイン
のような帽子です。これは子供用の古い物を
何とかこの子用に作り換えました。サイズがいつも問題。
私がよく材料を調達する古着のお店は
福祉バンクというお店です。
そこで見つけました。
そこは障害を持った方たちのために
不要なものは全て寄付というかたちで持ち込んで貰い
それをまた誰かに買ってもらうという
システムをとっています。大好きです。外国にもあります。


テートちゃん3つ目の帽子です。これもふるーい
子供用を作り変えました。お花のなかには
あーら100円ショップで見かけるものも。。。
好みが合えばなんでも利用します。
それが楽しい。
お金を掛けるだけなら工夫がない。
限られたなかからアイデアが生まれる。

首のネックレスは白珊瑚のものを
これもまた作り変えたのをしています。

洋服は2着目。実は上のピンクの帽子に合わせて
ピンクのビンテージのレースを手に入れてあるのですが
この私でも、ちょっとお休みをください。。
というほど帽子に力を使い果たしたというところです。
脳が疲れた。そのうち、
また発表いたしましょう。

さてこの洋服ですが、すごいんです!
(力がはいります)
アルマーニです。生地が。いかにも
オートクチュール。。。です。
ローマの小さな生地屋さんで見つけました。オーナー
らしき人と番頭さんのようなおじいちゃんが2人だけ。
しかも店は初め、あきらかに営業時間中


のはずなのに閉まってた。待ちましたよ
シャッターのまえで。生地中毒ですから。
そうしたらうれしくなさそうなオーナーらしき人が
うれしくなさそうにシャッターを開けました。
中はもう宝の山。私が飢えた猟犬みたいに
生地を触り、ひっぱりするあとから番頭さん
にこにこ付いてきて
イタリア語で「それはあなた、ディオールです。あ、それは
アルマーニです。お客さん御目が高い!」
と言った。解りました。イタリア語解りませんけど。

スカートは茶のオーガンディー。アンダースカートは
トルコブルー。大好きな色合わせです。

この子が世に出た頃、ジュモーの人形は
そのドレスの素晴らしさで評判だったそうで
人々は下着だけのものを買い、ドレスを
好みに合わせて買い求めることもした、という事です。
靴、帽子、アクセサリーすべてトータルに
揃えることが出来た贅沢なお人形だった訳です。
200人程の外注のお針子さんがいて、
出来高で賃金が支払われたそうです。
私もお針子の気分ですが
当時のお針子さんたちに
この人形は手に入ったのでしょうか
そうでなければ少し悲しいです。
手の届かないものの洋服を作るのは。


私の性格からすると、仕事と割り切って非常に
手間のかかる、手の込んだ洋服は
お金をもらっても、少し難しい。
よほど気に入らないと引き受けない。
その点、家計を支える為とは言え
洋裁の内職のどんな仕事も引き受けていた母は本当に
大変だったろう。。と思います。
一度近所の若い女性の物を引き受けたとき
すでに裁断されたものを持ってきて
作り始めた母がどうしても袖の分が見つからないので
それを告げると、絶対渡したはずの一点張り
母が自分よりずっと若いその人にしかられていました
後で案の定、彼女の思い違いと解ったとき
母が涙をこぼしていたことを私は知っています

母は、どんなに忙しくても、私が頼めば
人形の洋服や、あぶちゃん(涎掛け)を
手抜きすることなく本式に縫ってくれました
それを母のミシンのそばでじっと見ているのが
大好きな子供でした。
母の手は魔法の手でした。

今母は75歳です。
私の布好きも洋裁好きも、明らかに
母からの遺伝なのに今は私の凝り様にあきれています。

さてテートちゃんがアメリカから届いたとき
髪の毛とドレスはこんなでした。
素敵です。
ドレスはオリジナルでは無く、当時のものを
再現したものだとのことでした。
沢山のお人形を見ていますがこのドレスは
すごい!
まさにオートクチュールです。
アンティークレース、シルクマトラッセの上着
花飾り、帽子とドレス、靴の一体感と
きっとかつては、こんな姿だったろうな
と思える出来です。

このドレス自体もうかなり年月が経っています。
ただ人形自体、価値のあるものだからこそ
これだけの事が成されていると思っています。
髪の毛は、他の子達に被せると
地味ぃぃぃぃになってしまうスタイルなのに
この子にはOKなんです。
不思議。ただ可愛いだけでは無い
なにかがあるからでしょう。
長らくお楽しみ頂いたテートちゃんのお部屋
これで終わります。
またドレスが出来ましたらぜひおたずね下さい

ジュモーのお人形も最盛期を過ぎると
本当に「どうしちゃったの?」と言いたくなるほど
顔が変化していきます。
悲しくなるほど。
時代の波の中に結局呑まれ消えてしまったのですが、
本当に良いものは決して皆がほうっておきません。

美しいものは美しい!
こういう子に出会えるなんて
生きていてよかった。
(毎日いくら眺めても飽きない。。。
という気持ちは赤ちゃんの時の
娘と息子の寝顔以来)。

言葉は無いけれどその表情が本当に多くを語ってくれる
素晴らしいテートちゃんです。


HEAD MARK
DEPOSE TETE JUMEAU Bte S.D.G.D. 11(65cm)
 
Kestnerのお部屋へ
  (Sep. 10, 2001)


このページのTopへ
©2001-2014 Y`s Antique Doll Museum
All rights reserved

*このホームページはWin7/IE11/解像度1280x1024で作成/動作確認をしています。