ゴムをはめたおっちゃん

用事を済ませた僕は、白杖を左右にぷらぷらと振りながら建物の外へ出てタクシー乗り場へと向かいました。その日はあいにく1台もタクシーは停車してなく、仕方なくそのまま駅まで歩くことにしました。外は梅雨の湿気と、初夏の陽光でジメジメっとしています。

そのまましばらく歩くと、大きな交差点が目の前に現れました。僕はいったん歩く速度を落として、周囲の車の流れを確認し足を進めました。歩道に置かれた自転車にも注意しながら駅の方向へと近づいていくのですが、案の定大きな交差点の傍らで方向を見失ってしまい、その場に立ち尽くしてしまいました。

僕はやむなく道行く人に駅までの道のりを尋ねることにしましたが、通行人はたくさんいるものの、なかなか足を止めてくれる気配はありません。どうしようかと考えているとき、突然背後から声をかけられました。

「にいちゃん、どこまで行くんだい?」

僕は「ラッキー!」とばかりに、そのおっちゃんに駅までの道のりを尋ねました。

「じゃー、俺もそこまでついてってやるよ」
と、がらっぱちの声でそう言うと、おっちゃんは僕と並んで歩き始めました。歩きながらおっちゃんが話をはじめました。

「にいちゃんを見かけたときから、こりゃー道に迷ったなと思ってたよ。俺は全国を旅して回ってんだが、そこでいろんな人を見てきた。だから、にいちゃんを見かけたとき、すぐ困ってんなってのがわかったのさ」

僕は話を聞きながら、まるで「男はつらいよ」の寅さんみたいな人だなぁ、などと考えていました。おっちゃんはさらに話をつづけます。

「俺はいま背中に20キロくらいある荷物を背負ってるんだが、これをしょったまま1日中歩き回ってる。だけど、荷物は全然重く感じない。どうしてかっていうと、これを肩にしているからさ」
と言いながら僕の手を取り、自分の肩紐の辺りへ導きました。そこには1センチ幅くらいのゴムのわっかが痛そうに食い込んでいました。

「こうしてゴムで肩を締めつけてやると荷物の重さも半減するんだ。本当だぞ。俺はこれで全国を旅して回ってんだ」

 僕はなんだかおかしくなり、思わず笑ってしまいました。おっちゃんも笑っていました。そうこうするうちに駅に到着し、僕はおっちゃんに礼を言って駅の階段を上り始めました。すると、背後でおっちゃんが僕を呼び止めました。

振り返った姿勢のままそちらを向くと、おっちゃんが近づいてきて、肩にはめていたゴムのわっかを僕の肩へとおもむろにはめました。そして、

「どうだ、肩が軽くなった気がするだろう?」
とニコニコしながら言うと、おっちゃんはくるりときびすを反して、もと来た道をすたすた歩いて行ってしまいました。

僕はしばらくそれを見送っていましたが、体の向きを直してまた階段を上り始めました。おっちゃんが言うように肩の荷物が軽くなった気はしませんでしたが、心の何かがすーっと軽くなっていくのを駅のジメジメした人込みの中で感じていました。


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Last update: 2000/10/12