移住労働者と共に生きるネットワーク・九州 
第7回総会〜人身売買の廃絶を目指して〜
講演「世界に広がる人身売買と日本の責任」 
 玉井桂子(アジア財団日本事務所)
報告  アジア女性センター

 玉井さんの講演
1.人身売買とは?
 人身売買のルートを地図上に描くと、まるで航空路線図のようになる。人身売買には、送り出す側と受け入れる側がある。日本をはじめ主に先進国は受け入れ国になっている。タイは、受け入れ国、送り出し国、中継地でもある。日本へはタイやコロンビア、フィリピンから多くの女性が働きに来ている。そのすべての女性たちが人身売買の被害者であるとはいえないが、その中の多くの人たちが被害に遭っていると思われる。たとえば日本で被害が多いのはコロンビアである。コロンビアから、スペイン、イタリアなどヨーロッパの国々、インド、タイ・メコン流域を経由して来日する。なぜそういうことが起きているのか?推測される理由の一つは、アメリカがコロンビアからの乗継便を認めていないということ、もうひとつは1990年代の前半にはすでにコロンビアを含め南米の人たちが、ヨーロッパで仕事をするルートが発達していたという経緯がある。そこから東へと進んで日本に来たという状況がある。「人身売買」(「人身取引」)は英語では「trafficking in person」、「human trafficking」、「TIP」などと表現されているが、意味は同じ。

2.日本で何が起きているか?
 2004年2月頃22歳のタイの女性が長野からタイ大使館に保護された。彼女はウエイトレスとして日本で仕事ができると聞いて来日した。彼女は、「渡航費や、パスポート入手の費用は一切払わなくていい、代金は日本に行って仕事をしながら返せばいい」と言われて来日、すぐに長野に直行した。そこにはすでに5〜6人タイの女性がいた。ママから髪の毛を染めること、どのような格好をして、どうやって接客をするかということを指示され、彼女は仕事が実は売春だったということを知った。彼女はその仕事にどうしてもなじめずお客を取ることを拒んだ。そのため、「チンピラが私を殴った、リンチした」そうだ。大変な傷を負い、体中痣だらけなので商売にならず、一週間寝込んでいるうちに彼女は心を入れ替えたふりをして、「これからは、頑張って仕事をする、お客を取る」とママに言った。保護される前に1ヶ月くらい長野にいたのだが、車に乗る機会があれば、通りすがりの日本人の顔を見ては「助けて、助けて」と一生懸命口を動かしていた。しかし誰も気がついてくれなかった。ある日、彼女はママの運転する車に乗ってホテルに行った。ホテルの駐車場でお客が待っていて、お客とともに部屋に行った。彼女はお客がシャワーを浴びている間に、2階の窓から飛び降りて走り、民家の庭先に駆け込んだところを、車で通りかかった人が見つけて警察に行って保護されたのだが、彼女の話によると、保護された後でも「ヤクザ」が彼女を探し回り、車の検問をしていて、警察の車に乗っていてもとても恐かったということである。私たちは、帰国後の被害者支援体制の参考になればとインタビューしたのだが、彼女は、「あなたたちで会うのは5人目だ。警察の人、入管の人、大使館の人、同じ話を何度も何度もしてもう疲れた。」と言った。帰国時に空港にNGOの人が迎えに行ったが、彼女は支援を拒んで、街の中に消えて行った。
 27歳の男性は、「私の彼女が人身売買の被害者らしいので、即刻保護して欲しい」と相談してきた。東京の繁華街で仕事を通して知り合った彼女と、結婚を考えるようになった。彼女のお店のママに話すと、「彼女にはまだ借金がある。300万円を払え。」と言われた。つまりそれは昔で言う身請けである。私は、「あなたとデートができる自由がある女性を保護できるシェルターはない。今あるシェルターは、身体も精神的にも追い込まれた人の緊急一時避難のための施設だ。今私たちが、一生懸命努力して何とか被害者の保護体制を作って欲しいと政府に働きかけている。」と話して納得してもらった。
 その時私は、早晩彼女はシェルターに来ることがあるかもしれないと思った。なぜなら、元被害者の人たちが、今度はDVの被害者となるケースが増えているからである。人身売買の被害者として日本に来た女性が仕事を通して日本人の男性と出会い結婚することは、自然なことだと思う。ただ、結婚した日本人男性の中には、「俺が借金を肩代わりしてやったんだ」という思いが抜けきれず、DVの加害者となる人がいる。また一方で、人身売買の被害者であっても、その世界の中で生き抜くために、今度は自分が仕事を紹介し斡旋する側になる。あるいは内縁の夫あるいはパトロンとともに、ママとして売春斡旋をするスナックを仕切るようになることもある。被害者だった人が今度は加害者の立場になるという哀しい現実もある。

3.日本の人身売買問題
 1980年代から何度も報告されてきたことだが、日本には人身売買の受け入れ市場がある。日本社会がこの問題に関心を持たなかったこと、そして被害者が自動的に退去強制となっていたため被害者が証言する機会がなかったことも大きな問題である。被害者を保護支援する包括的な法制度がないなかでは、証言しても自身にとってのリスクが増すだけで得るものはない状態であるため、被害者の話はこれまで殆ど表に出なかった。
 1980年代の当初は韓国や台湾、フィリピンの人たちが多く日本に来ていた。その後80年代後半から90年代にかけてバブルの波に押され、タイの人たちが増えてきた。そしてその後にコロンビアなど、南米からの人たちが増え、90年代半ばからは東欧圏、旧東ヨーロッパ、ロシアの人たちが増えた。たとえば、タイの人たちは、売春を斡旋するスナック、コロンビアの人たちは街角にたたずんだり、あるいはストリップ劇場で働いたり。国籍によって働く場所に傾向があることは、そのルートが発達しているということ、人為的な計らいがあるということである。日本で人身売買の被害数がはっきりとわかる統計がない。人身売買はアンダーグラウンドなビジネスであり、犯罪である。被害者認定の定義が明確にされていないため、推測どころか探すこともできない状態となっている。数字で表しにくいということが、人身売買の問題の特徴でもある。

4.送り出し国の現実
 人身売買が起こる背景には、貧困から抜け出すために先進国に仕事の機会を求めるという現実がある。加えて、送り出し国のなかには国策として海外へ人を送り出すことを容認しているところもある。しかし、貧しさだけが被害者を送り出す要因ではない。高校の教育を受けた人たちも送り出されている。海外に憧れるというようなことも送り出しの要因になっている。
被害者が何らかの形で保護された後、帰国を望んでも、その人が無事に母国の出身共同体に戻れるとは限らない。日本でお金を稼いで故郷に錦を飾れる人は、母国で歓迎される。でも一文なしで帰ると、海外で働いていたことへの偏見や差別がある。当てにされていた仕送りができず、女性は大変居心地の悪い思いをする。そこでもう一度アプローチしてくるのがブローカーである。ブローカーからみると、一度日本で働いた人は日本語を話せる、接客の術を知っているなど付加価値がある。これは本当にエンドレスな悪循環で、どこでどう断ち切ったらいいのかわからない。

5.人身売買のしくみ
 女性たちは母国を出るときには、渡航の費用もパスポート手続きの費用も日本に来てから返せると思っている。実際に日本に着いて仕事をするまで、5〜600万の借金を返すということがどれだけ大変なことか気がつかない。仕事の斡旋をするのは、親戚や顔見知り、友人である。もし地方出身の女性であれば、都市部のブローカーに彼女を送り込み、そこで仕事をさせる。例えばタイでは、北部からバンコクに出てきて仕事をしてから来日する。コロンビアでも同じである。コロンビアからヨーロッパを経由し各地で仕事をしながら、来日する。そうやって人を移送する過程で、それに関わる人たちが幾ばくかのピンはねをしていく。結局彼女が日本の空港に着いたとき、迎えに来たブローカーは、「500万の借金があるからちゃんと返してくれよ」と言う。1人の客をとっても彼女に現金収入が入るとは限らない。
 まさか今、日本で人身売買が起こっているとは思えないだろうが、昔の奴隷制時代の人身売買と比べてどこが違うのだろうか?昔は、例えばアフリカからアメリカに奴隷を連れて行くときに、2ヶ月くらいの期間とお金がかかった。奴隷を集めるのにも人件費がかかった。ケヴィン・ベイルズ氏によると、数百万円の単位だという。そのため奴隷所有者は初期投資を回収するために奴隷を長く拘束下に留めた。時には世代間に渡ってその奴隷を長く拘束した。今の人身売買はタイから日本に行き来するのに3万円くらいで、移動にかかる時間も早い。業者は初期投資を抑えて、短期で投資を回収しようとする。つまり人間一人の価値というのが、ポイ捨ての携帯電話くらいの価値しかないということだ。携帯電話も次から次と新しいバージョン、需要に合わせて新しいものが売れる。例えば売り買いされる人の国籍や、ショーのスタイルが変わるというようなことである。結局、人身売買は人間を商品として物扱いして成り立っているビジネスである。その点は昔と同じだが、違うのは人間の価値が下がっていることである。取替えが容易で、短期で投資を回収しようとするから、もっと厳しく辛く被害者に無理強いをすることになる。

6.人身売買問題への取り組み
 2003年に国連で『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を補足する人、特に女性及び児童の取引を防止し、抑制し及び処罰するための議定書』が採択されたことがきっかけになり、人身売買の問題が日本や国際社会の中であらためて認識されるようになった。日本も署名しているがまだ批准していない。批准するためには国内法を整備しなければならない。私たちは、早急に実効性のある被害者保護支援の策を考えてほしいということを今日本の政府に働きかけている。

7.人身売買の被害者の定義
 人身売買とは、ひと言で言えば人間を物扱いにする、騙したり脅したりして、金儲けのために、その人を売り買いすることである。売り渡しと買い受けの人身売買行為がはっきりと定義されて犯罪化されている国は多くはない。日本では刑法の中に人身売買という言葉があるのは、日本から海外に人を送る時だけだった。それはカラユキさんの時代の話で、それから70年経って日本が受け入れ国になるとは想定外だったのだろう。今の国会に出されている法案は、その刑法を改正して人身売買罪を新たに入れようということである。(2005年7月12日施行)

8.風俗産業に寛容な日本
 よく聞かれる質問に、「人身売買の被害者と言うけれども、日本の風俗産業で働くことに同意して来たのではないか?」というのがある。ある女性が自分から大使館に保護を求めてきた。彼女は前もって風俗の仕事とわかって来日した。彼女は、「私はプロである。来る前にも仕事をしていたが、そこではコンドームをつけない客を店が断っていた。私は自分の体を犠牲にしてまで仕事はできない。まるで物扱いだ。」と言った。日本は風俗産業に寛容だと思う。日本では「そこは歓楽街だからいいじゃないか。」、「売春を仕事にしているんだからいいじゃないか。」と思われている。しかし、なかには監禁されて仕事をしている女性がいる。8畳ぐらいの部屋に10数人が押し込められていて、同国人が監視している。彼女たちは開店前の同伴と閉店後の店外デートを奨励される。様々なペナルティもある。1キロ体重が太ると1万円のぺナルティがある。食事をさせないことが暴力に代わるコントロールの手段として使われる。「食事したいんだったら、お客さんが来たときにフードを頼んでもらいなさい。」ということである。

9.子ども、男性も被害者
 子どもや男性も人身売買の被害者になる。子どもの場合は、中東でラクダレースの騎手として売られることがある。男性の場合は、漁業や、工場等で強制労働にあうことがある。日本で人身売買=売春というイメージで取り上げられるのは、人身売買で物扱いされてきた人たちが辿り着く市場が風俗産業だからである。家事労働や風俗産業は目立たない。つまりその市場がアンダーグラウンドとして発展しうるということである。

10.視点:人身売買問題を捉える
 グローバリゼーションによって人の行き来が非常に容易になり、経済格差、情報の格差も出てきている。東京六本木のキャバクラで働いていた英国出身の女性が男性客に殺害されるという事件があり、メディアが大きく報道した。日本で風俗産業にアジア人女性が働くことが普通になってしまったときに、英国出身の女性が風俗で働いていたことが珍しかったから、また、アジアからの女性に対する蔑視や偏見も影響しただろう。でも、大きく報道された背景には彼女の父親がメディアと接点を持ち、世論を喚起することを知っていたからである。もしそれが、タイの北部の小さな村であったら、情報へのアクセスがない。情報の南北格差も人身売買の送り出し要因の一つになっていると思う。
 70〜80年代の人の移動、移住労働というと、フィリピンの男性が母国にいる家族を養うために、中東の油田で働くなどの場合を想像する人が多いのではないか。90年代に入り顕著になってきているのは、女性の移住労働が増えてきたことだ。これはかならずしも女性が就労する機会が増えてきたということ、男女の雇用格差が減ってきたということではない。もしそうなら、女性がありとあらゆる職種に満遍なくつけるはずで ある。しかし実際には家事労働や風俗産業の分野での労働が増えている。
 ジェンダーの視点からは、人身売買は女性に対する暴力と捉えられている。1949年の「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を日本も批准している。だが、その後の数十年は女性の社会参画のほうが世界にとっての優先課題だった。1970年代後半から再び人身売買問題が取り沙汰されるようになったが、やがて買春是非をめぐる倫理問題としての議論に発展し、その間に人身売買対策が遅れた感がある。90年代に児童買春、子どもへの性的虐待の問題が関心を集め、それに続いて90年代後半から人身売買が改めて考えられるようになった。非正規の人の移動が非常に増え、受け入れ国、送り出し国の双方がどのように対処していったらいいのかという戸惑いと苛立ちの表れが、国連の人身売買議定書にもつながっていったと思う。

11.各国の取り組み
 タイやフィリピンは人身売買防止の法律を持っている。フィリピンとアメリカが、被害者の保護ということを包括的に網羅したという意味では、最も進んだ法律といえる。ただ法律ができても正しく運用されなければ何の意味もない。韓国は昨年、性取引に関連する法律ができ、買春者処罰を入れたところが特色ある。EU諸国については、各国での処罰規定を同じようなレベルにしようという動きがある。
 アメリカは2000年に人身取引被害者保護法を作り、世界各国の人身売買問題の取り組みを査定している。そして2004年には日本を監視対象国に指定したため、マスコミの反応が変わってきた。外圧だと言われるが、日本のNGOが人身売買禁止に向けた活動を頑張ったからだと言いたい。

12.人身売買の根絶に向けて−日本の市民組織の活動−
 JNATIP(人身売買禁止ネットワーク)は、2003年に設立されたNGOと個人のネットワークである。3つの活動目標がある。@日本における人身売買の被害調査をすること。これについては、2005年6月に報告書を公表した。A被害者の保護支援策を含む法律案の提言。政府は刑法の改正と個別法の改正案を国会に提出し可決された。B社会的関心を喚起するキャンペーン。
 これからの課題として、支援施設の拡充と外国語対応と心理ケアのための人材養成があげられる。2005年1月、地方都市で興行の在留資格で仕事をしていたフィリピンの女性が、雇い主から暴行を受けて保護を求めていると連絡を受けた。人身取引に対する行動計画では婦人相談所を被害者の保護施設とするとなっているため、婦人相談所に相談した。彼女を保護して住む場所、食事を彼女に提供することはできるが、大使館との協議、ブローカーやプロモーターとの交渉などに対応するスタッフがいない。DV被害者支援の方だけで手一杯の状態である。お金の問題の以前に本当に人手が足りないのだ。結局私は、顔の腫れた彼女の手を引きながら東京方面の保護施設に連れて行った。本人の望みは、帰国と未払い賃金を業者に払ってもらうことだった。しかし、帰国費用、被害の回復、置いてきた荷物の取り返し、医療費を誰が出すのか、様々な問題が生じてきた。代理人を立てて交渉をしようとしたが、弁護士探しに時間がかかったこともあり、3ヶ月後、ようやく未払い賃金等を受け取って無事母国に帰国した。緊急保護施設に健康な人が3ヶ月間何もしないでいるのは大変なことである。様々な立場の様々な思いをしている人たちを被害者という枠組みの中に一つにして入れることは、保護の現場では難しいと思う。ニーズはその人によって違うからである。

13.人身売買に関する意識調査
 外務省が行った人身売買に関する意識調査では、全体の9割の人は問題であると認識している。そして風俗産業が人身売買の温床になっているということも納得している。ところが、これから政府がどんな取り組みをしたらよいかについては、取り締まりの強化、入国管理の強化と答えた人が最も多く、5問中、被害者の保護は4位、広報、啓発の促進が5位だった。日本の一般の人たちが、人身売買に日本が荷担しているという意識を持たないと解決できないのではないかと思う。ごく普通の人たちが送迎のアルバイトなどで人身売買に関わっている場合もある。一般の人が人身売買のビジネスに協力できるのはなぜか?私たち日本人がこの問題を社会問題として見ていないから、また見ようとしていないからではないか。被害者保護が大切であると思う人が増えるように、私たちは何かしなくてはいけないと思う。この話を自分の家に帰って話題にしてほしい。6ヶ国語の被害者向けの情報カードが完成したので、それぞれの地域でこのカードを置いてもらいたい。

14.送り出し国と受け入れ国の連携
 もう一つ大切なことは、送り出し国と、受け入れ国側両方の支援者の連携である。私がいちばん心配することは、被害者が帰国後無事故郷に戻れる状況にあるのかということである。私は彼女が再び社会と接点を持てるようにと思っている。社会の中に居場所を作るということは、仕事をする機会、思いを話せる友だちがいる場を作るということなのだ。送り出し国の側で、空港でその人を迎えて安全な場所に連れて行くこと、そしてそこで新しい人生、もっと楽しい暮らしが送れるように道筋を作ることが必要である。