シホ様のペ〜ジへ


 


「近頃の兵士達の士気の低下は非常に懸念があります・・・」
 メッケイ大佐の執務室。
 そこで、大佐の報告を、背で受けているのは、シホだった。
 執務室の窓からは、基地よりも、その側から広がる森のほうがよく見える。
 じっと、報告を黙って聴きながら、シホはその森を眺めていた。
「低下でありますか」
 彼女が黙したままなので、かわりにベーグマン少佐が、大佐に声をかけた。
「あ・・・・・」
 しかし、それになんとなく応えたのはティーチェだった。
「何か?」
「いえ・・・・その、ひょっとしてその原因って噂の・・・」
「噂の?」
「はい、噂の・・・ユーレイのせいかなって」
「幽霊?」
「あ、知りません?ここ数日で、もう知らない人はいなくなっちゃったと思っていました
けども」
「そういえば、ここのところ、騒がしかったが、そういうことか」
 少し、ぐったりしたような声を出したのは、ベルナードだった。
「詳しく知っているのか。君は?」
「いえ、まぁ、とりあえず人並みには・・・」
 そう言うと、彼女はちらりと窓に目をやった。
「なんでも、ジオンがこの基地に攻め込んだ時の連邦の将軍が、ようやく掴んだ司令官の
座にはりきって、基地の見回りから始めたんだけど、ちょうどその森の脇を通っていると
きに、運の悪いことに、ジオン最初の、ほとんど威嚇にしかならなような弾がそこに着弾
しちゃって、基地で最初の犠牲者になっちゃって・・・それで、あっけないほど簡単に陥
落しちゃって・・・」
「人並みに?・・・やけに詳しいな」
「うへ?」
 ボソッと囁いたシェンの声に、ティーチェはぎくりと言葉を区切る。
「あ〜だって幽霊見たってヒト、多いんですよ。」
 何故かシホに視線が集まる。
「で」
 怪しげな沈黙を、ベーグマンが破った。
「兵共はそれを真に受けて士気が下がっていると?」
 メッケイの視線が、僅かに厳しくなる。
 と、シホはその視線を背で受け流しながら、背伸びをした。
「さーて、大物釣らなくっちゃあね?」
 
 
 
 
朝靄が濃い、森。
 シホは、その森の中を、何の躊躇もなく進んでいった。
 この季節、大雪でもあって良さそうだが、今年も異常気象で積もるほどではない。だか
らといって寒い季節だが、彼女は薄手のTシャツにベージュの短ズボンという、真夏のよ
うな出で立ちで、しかし気にする風もなく、ただ、ふわふわと、そう、ふわふわとしか言
いようのない、ゆるやかな足取りで奥へ奥へと進んでいった。
 シュヴァルツ少佐は、ともすれば霞んで消えてしまいそうになる彼女の後を、ただつい
ていった。
 この女は一体なにがねらいだ?
 シュヴァルツはそのことばかり考えていた。
 俺に用がある。
 昨夜、面識もない俺に会いに、、わざわざ部隊宿舎の中までやってきた。
 彼女はなにをするでもなく、ただ世間話のようなものをして、帰っていった。
 なぜかただの世間話だった。
 なぜか我が部隊に彼女を煙たがる者が出なかった。
 彼女が口を付けたコーヒーカップを巡って、部下達は徹夜の争奪戦を繰り広げたらしい。

 なぜか先頭を切っていたのは沈着冷静たる我が副官だった。
 あの様子だと昼過ぎまで部隊は壊滅状態だ。
 そして、帰り際、ぽつりと俺だけに場所を告げて帰っていったのだ。
 
 一体なぜ・・・。
 時期が時期だけに、おそらくは、ジャブローについてのことだろう。
 まだ内密で、俺の率いる部隊のみだが、機上からの降下作戦の先鋒としての訓練を開始
している。
 わざわざ、司令代行自らのご指名か?
 いや、早朝の森の中が何の意味がある。
「兵士に愛される上官」のつもりか?、正式には上官じゃないが。
 
 いい加減、今歩いていることに意味がないのではないかと思い始めた時。
 急に視界が開けた。
 森が、一部だけ、ぽっかりとなくなっていた。
 きれいに。
 中央の、円形の泉を囲うように、開けている。
 そこで、初めてシホがこちらをゆっくりと振り返った。
 一瞬、ドキリと心臓が震える。
 恐怖。畏怖?
 遙か年下の、自分の教え子達よりも年少の女性。いや。少女。
 その、人間が、怖い。畏れ?
 意識されたその一言に、疑問を覚える。
 この・・・・・女性。
 少しぼんやりとしたような、それでいて、こちらの意識の奥底まで見抜くような、つか
み所のない視線。
 シュヴァルツの足下からゆっくり上へと、眺めていく。
 最後に、落ちた髪の間から覗く視線をこちらに合わせると、彼女は微かに微笑んだ。
「そ・・・・。思ったより落ち着いているわね少佐?」
「こんなところに泉があるとは驚きですな」
「基地内でゆっくりできる場所って少ないでしょう?今の所、ここぐらいしか見つけられ
ていないの。少佐はどこかご存じ?」
「いえ・・・・此処ほどの所は。後はコクピットくらいですな」
「そうね・・・・。落ち着く。いえ、ちょっと違う。あそこは・・・・自分の意識がどこ
にあるのか確かめられる・・・・。」
 そういうと、シホは髪を掻き上げた。
「さて。何か武道はできて?」
 そういうと、彼女は右足で何かをすくい上げた。
 刃先まで、黒く塗られた、薙刀。
 それをしっかりとつかみ取ると、彼女は再び俺に背を向け、泉に沿って歩く。
 少し距離を置いて、ついていくと、すぐに、目に付いた。
 刀。剣。
 彼女はそこで、俺を見た。
「ね。ちょっとつきあってくださいな。無理?」
「ダガー位は扱ったことがありますが・・・・」
「ん。じゃ、サーベルっと」
 そういって柄先で山をつつくと、一番下にちょっと大振りなサーベルがあった。
「?」
 目だけで同意を求めて来る。
 俺は、無言でそれを手に取った。
 
 
 
 カッ。
 キンッ。
 森の静寂の中、2つの金属が重なり合う音だけが響く。
 彼女は、かなりの腕だった。
 実際、俺の方が押されている。向こうは泉の側はともかく、長いポールアームを扱うに
は不向きな場所であるにもかかわらずだ。
 俺も、サーベルを実際に「使った」こともあるのだが。
 軽く、しなやかで、素早い。
 特に、そのしなやかさは特筆モノだと感じた。
 そのまま、この動きは舞だといわれても納得するのではないか?そんな、美しささえ感
じさせるような動き。
 間髪なく打ち込んでくる彼女の刃を受け流すことに、俺はしばし集中していた。
 
 
 
 しばらく刃音を響かせ続けた後、彼女は不意に、薙刀の刃を伏せた。
「・・・・?」
「ジャブロー攻略は難しいわ」
 急な一言。
 が、それはわかっていることだ。
 俺が口を挟もうとするより早く、彼女は続けた。
「攻略するつもりはないの」
 その一言に、俺は眉をひそめた。
「後1週間は早くなければ。先手でなければ意味はない。攻略する自信はあるわ。突入口
さえわかれば、全力で当たってもいい。でもね。その後が続かないの。戦線を立て直す前
に・・・・オデッサが保たない。」
 シュヴァルツは内心の驚きを現さないように、黙って彼女のいうことを聞いていた。
「だからどうしようと?中止か少佐?」
「・・・・そこまで出来るほどあたしの足場は強くないな。だからね・・・」
 彼女の目が細くなる。
「とりあえず、頭数、減らすことにしたの」
 なにか・・・不吉なモノを感じて。
 俺は自分の間合いを確保した。
 確保した瞬間。
 彼女から今まで感じられなかった殺気。と同時に、鋭い切っ先が俺を襲った。
 とっさに大振りして、距離を稼ぐ。
「だからね・・・・」
 彼女の顔から、暖かみが失われる。と同時に現れたのは、冷たい・・・・
「殺す」
 
 
 
「ここの連邦軍の最後の司令は、ここを連邦でも楽な配属先だと思っていました・・・・。
彼は、ここの任期を終えれば、そのまま予備役になって、後はおいしいことだけを考えて
いればよいのだと思っていました・・・・」
 彼女が、あの細い声でしゃべり始めた。
 先ほどからの厳しい攻撃の手は緩まない。
 なのに、彼女は言いよどむことも、息を切らせることもなく、淡々と、平坦な声音で続
けた。
 次第に、彼女の攻撃をかわし続けるのが困難になる。時間の感覚が失われる。なにが本
物?現実?俺は・・・・。
 こちらの体に、幾筋も血が流れ始めた。
 と。
 当たり負けして勢いの狂った俺の刃先が、逆に彼女の左肩に食い付く。
「!!!」
 驚きで、俺の動きが止まる。
 が、彼女は声音も、表情も変えなかった。
「そんなある日。ジオン公国は、地球連邦に対し、宣戦を布告。連邦に大打撃を与え、勢
いもそのまま、地上へと降下したのでした・・・・」
 白いシャツに、血。
 その彩りがじわっと膨らみ続ける。
「基地司令は、それでもまだ、この場所は安全だと考えていました。
 これだけの規模の基地です。当然後からやってくるものとばかり・・・・」
 そんな、子供も引っかからないおとぎ話に何の用がある?
 俺を殺すのに!
 彼女の長刀は、確実に俺を追いつめる。
 この華奢な身体のどこにそんな力があるのか、彼女の一撃は非常に重い。そのくせ、速
い。
「連邦の受けた最初の地上攻撃は、その司令官のいた、森の中に落ちた、威嚇の流れ弾で
した・・・・」
 かと思うと、全く同じ動作、速さで、軽い打ち込み。
 こちらの勢いが、吸い込まれるように抜き取られ、姿勢が崩れる。
 俺は・・・・。
「誰も、そう、司令自身も、最初の砲弾が大戦果を挙げるだろうとは、夢にも思いません
でした・・・・」
 殺される・・・・殺される??
 ただ、やられないように。
 俺は間髪おかず、打撃を続けるしかなかった。
「軍籍上、行方不明者のリストの頭にいる、その司令官は、今でも自分の身に起きたこと
が信じられずに、ずっと森の中をさまよい歩き、時たま迷い込む哀れなジオンの兵士にと
りついて、その仲間を殺すことで、何もなかったあの時に戻ろうと、戻れると、信じてい
るのです・・・・」
 彼女の緩急を組み合わせた攻め。
「だから・・・・」
 次第に、こちらの姿勢の崩れが大きくなるのが、自分でもわかる。
「恨まれて・・・・・」
 ガンッ。
 彼女の、柄での大きな払いが、俺の剣をはね飛ばす!
「死になさい・・・・・・」
 薙刀の突きが、俺の体に吸い込まれていった。
 森が。
 静寂に包まれる。
 
 
 
「で、オデッサ側の動きは?」
「いろいろ画策しているようですが、当基地からの補給停止に有効な手だてはないようで
す。さすがにこっちに物資を送ってくれる様子はありませんな」
「ん。じゃ、あたしたちもいくわ」
「は?」
 全員が目を見張る。
「帰んなきゃね。まだオデッサには仕事があるのよ?今落ちられたらも〜大変」
「まだ一兵士ですか?」
「いつまでも一兵士。でないとモノを見失うわね」
 聞くと、メッケイはため息をついて、
「では、出立前のパーティにご出席を。ここの士気は回復させていただかねば」
「あらら。それは大変」
 
 
 
「少佐。あなたの命はわたくしが頂きました」
「・・・・」
 ポタリ。
 彼女の汗が、地面に倒れ込んだ俺の顔にかかった。
 さっきまで全く汗をかいているように見えなかったが。
 そういえば、いつの間にか息も切らせている。
 そう、最後の一撃を止めてから。
 間違いなく、全力での、突き。
 それを、彼女は、自らの力で止めたのだ。
 しかし、その表情の無さは、先ほどまでと変わりない。
「あなたとあなたの部下たちには、ジャブローで死んでもらいます」
「・・・・」
「わたくしの直属として。シャアに対抗できるだけの、戦力として。代わりに、ここの兵
士達が、宇宙に帰ります」
 と、一息で彼女の顔に、優しいものが現れた。
「死んでいただけますか、少佐?」
「・・・・」
 俺は、深く息を吸った。
「・・・死ぬつもりはありません」
「・・・・」
 今度は彼女が沈黙。
「ですが・・・・その話、乗らせていただきましょう。我が部隊は、全力でもってジャブ
ロー攻略を行います」
 シホ・ミナヅキが、笑った。心底うれしそうに。
「ありがとう!」
 言うが早いか、彼女は俺に抱きついてきた。
「ごめんね・・・あたしの手駒は少ないの。手放せないの。あなた達なら、あたしの部下
たちより、できるのだろうけど、時間がないの。把握しきれない部下を操ることはできな
いの。もし、もしあなた方にもう少し早く・・・」
「どのみち、誰かを差し出さねばならないのでしょう?ならば、光栄な任務です。喜んで
遂行させていただきましょう。司令殿?」
「・・・・・」
 ゆっくりと立ち上がって、彼女は再び言った。
「ありがとう」
 と、言うが早いか、
「あー、すっきりした。っと」
 急に、泉を振り返り、そのままに倒れ込んだ。
 
  ぱしゃんっ
 
 軽い音を立てて、泉に沈み込む。
「な・・・・」
 すぐに、泉の水面に、肩の傷から流れる血が、広がってゆく。
 しばし、沈み込んだ後、彼女はゆっくりと、浮き上がって、静かに立ち上がった。
「あー、緊張したぁ。あなた、ずいぶん腕が立つのね。途中で、寸止めできそうにないか
らばっさりいっちゃおうかとちょっとだけ考えたのよ?」
「ちょっとだけ?」
「・・・・かなり」
 濡れた彼女は・・・・
 畏れと敬いと愛おしさと、ある種の酔いを抱かせた。
 しばしぼうっとする俺に向かって、シホ・ミナヅキは半眼になって呟いた。
「痛いんだぞ」
 
 
 
 
 その夜。
 開かれたパーティにおいて。
 メッケイに無理強いされて、シホが歌わされたもの。
 ちょっとした流行歌や軽い調子の軍歌など、どことなくパーティにはそぐわないものば
かりで、シホ自身顔を赤らめてしまうような歌ばかりだった(とはいえ終わりの方ではノ
ってしまうシホだった)が、その歌が、この戦局に、大きな影響を与える事になろうとは、
誰一人考えもしなかった。
 いや、大真面目で企画した、ただ一人を除いては。
 彼の名前が現れるのは、まだ・・・・・・・・。
 
 
 
 


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