あ然! 韓国風の“乱入劇”
(Weekly Column 1/4「プレスルームから…」より)


 夜勤を終えた午前2時、タクシーに乗り込むと、深川出身の運転手さんが江戸弁で話し始めた。「そのおう、なんだい、あのサポーターってのは」。こちらの職業は知らないのだから、純粋に「サポーター乱入」について話したかったのだろう。
「ありゃ、野球とか、プロレスなんかのファンとは違うのかい」。適当な合いづちを打っていたわたしに、近所のご隠居さんの話をし姑めた。ご隠居さんは魚河岸に勤めている。なにより、プロ野球広島カープの大ファンで、大勝しようもんなら、大喜びで魚を差し入れに来るらしい。
「連敗しててもさ、応援頼むよ、なんて魚を持って来るんだ。べつにカープに頼まれたんでもなかろうにね」。
車の中で笑ったとき、ふと、学生時代の体育の先生を思い出した。
 ゴーリキ先生もカープの大ファンだった。グラウンドでの授業の際も、カープの赤い帽子を披り、それは先生の宝物だった。勝とうが負けようがお構いなし。「先生、こんなに弱くちゃ応援しがいがないですね」と茶化すと、「なんのこれしき。キミらにはわからんだろうが、この片思い、ってのがまた楽しいんだ」と言った。
 15年以上経って、先生の「片思い」の意味がわかった気がする。応援するチームは、自分が勝手に選んだ「恋人」なのだ。誰に頼まれたわけでも、強制されたわけでもない。ただ好きでやっているのだから対等でいられるし、応援するのもやめるのも自由。まして応援してやってるわけでもない。だから楽しい。
 つい最近、わたしは日本のサポーターなど可愛いもんだ、と思える「乱入」に遭遇した。彼らほ、サポーターとは呼げれておらず、韓国でのスポーツ観戦必部品スルメイカをかじる普通の父親だったり、子供連れの母親だったりしたのだが。時は9月30日、ソウル五輪スタジアム、マラドーナのボカ・ジュニアーズ対韓国代表戦(2−1でボカ)だった。
 彼らの乱入先は、なんと記者席ですよ、記者席。切符の二重売りが原因なのだが、国立競技場の記者席が、それも通路まで、サポーターに占領されるなんて、日本じゃ到底想像できない、恐ろしい光景ではありませんか。彼らの迫力に、韓国が誇る優秀なシェパードたちも、お座りしたままヨダレをたらすだけ。わたしの隣は、応援の風船を振り回すお子様たちと弁当持参の若夫婦。後ろは老夫婦と、7枚の壁に囲まれた。
 さらにものすごい勢いで怒鳴られている。隣にいた崔サンが「あのー、自分たちは3万ウォン(約4000円はかなり高価)の切符を買い、あなたたちはタダ。席をどくのはそっちだ、と怒ってます」と、訳してくれた。う−ん、さすが韓国、熱くなると何を言い出すかわからない。
 取材で現場に居合わせた多くの記者は「韓国の運営はひどく、W杯開催などとても無理」と話していたし、日本の組織運営に比べればかな劣るという欠点を、露呈したともいえる。しかし同時に、このサポーター乱入に、韓国のとてつもない底力を見せつけられたような気もする。8万5000人が、代表の試合を観るために集まり、マラドーナにも代表にも同じように拍手を送ったのだから。
 ご存じの方も多いと思うが、幕張での柔道世界選手権期間中、世界柔道連盟会長選挙が行なわれ、日本はまたも韓国に敗れた。選挙では対韓国3連敗中である。その理由のひとつは、いつも相手の力を「過小評価」して来たことにある。いよいよ中間点を過ぎた日韓W杯招致合戦についても同じことが言えるかもしれない。
 例えば「韓国のサッカー人気は日本より低い」と言われている。しかしそれは、グッズの売り上げなどを指すに過ざず、今回、車で偶然通った漢江(韓国最大の川)沿いの土手には、数十面というフットバレーのグラウンドが整備されていた。町内会の親睦や、家族連れ、女性までもが、フットバレー大会に熱中していて驚かされた。8年前のソウル五輪の際、この国にはそんなゆとりはなかった。
 日本から見ていた光景が、韓半島から見てみればまったく違ったものに見える。破天荒な記者席占領は勘弁して欲しいが、そこに至る話を知っていれば違った評価ができる。試合の当日、じつは五輪スタジアムでは、韓国のエリート大学の延世大と高麗大の定期戦が行なわれていた。
 午前11時からまずはラグビー、午後1時30分過ぎからサッカーが行なわれ、そして夜のマラドーナ復帰戦と、信じられないことに1日で3つのイベントを行なっている。「大統領も来る警備の問題、さらにマラドーナには世界中が注目するし、芝の状態も心配だ。学生には使わせない、何かあったら、という意見も多かったのです」と、サッカー協会の関係者は説明した。1日3回の入れ替えが日本の、それも国立でできるだろぅか。彼らのやることにはいつも、大陸的なおおざっぱさと、おおらかさが同居する。
「事前の取材申請」がない外国記者にも、IDカードを次々に発行していた。テレビの事情は聞いていないが、ライバル国を迎えるにしては、拍子抜けするほどオープンで、日本でも韓国の記者たちに同じように接してくれるのだろうか。
 日本は、韓国が裏金や一種の社交術で招致を推し進めようとしている、と、イメージを抱いている。しかし、大韓協会関係者を取材すると「日本は経済力と金を背景に、アベランジェ会長らに取り入った」となる。例えば、選挙が6月から3月になりかけたこと。「そんな決定は当初、どの議事録にもない。会議の承認を得ない口約束ではないか」。鄭夢会長はFIFA副会長として、アベランジェに迫った。2人は中米で大口輪をしたそうだが、鄭会長はほかにも、FIFAの会計面や、開催提案書の提出時期の指定について、理に適わない点を徹底追求している。眉をひそめるグループもあるが、拍手を送る人々もいる。
 さて「韓国とは並んだ、あるいは抜いた」とまで言われる代表の力はどうだろう。試合後の記者会見で、マラドーナが、自国の記者に向かって激怒した。マラドーナの話を聞き終わった記者たちが、金判根のインタビューになると席を立ち、私語を始めたからだ。「きょうの彼らのサッカーと闘志に、最高の敬意を払ってほしい」と机をたたくと、金を中央に捉した。金は、マラドーナの握手を受ける際、相手に尊敬の念を示す、右手をソッと左手で支えるしぐさで握手を交わした。
 彼らのサッカーに対する真摯な態度は、W杯招致条件の中で、もっとも日本が警戒しなければならないものだろう。Jリーグのように恵まれたものは何ひとつないし、サポーターなんていやしない。最高年棒すら1500万円程度で、代表への報酬もごくごくわずかだ。金は「日本選手がうらやましいです」と、素直な笑顔を浮かべた。「わたしたちにできるのほ、いい試合をして国内のファンを一人でも増やし、少しでも韓国のサッカーを世界に認知してもらうことです」。彼らは過去4回ものW杯出場を果たしているが、決して日本を見下したりはしない。
 '88年のソウル五輪、韓国のナショナルトレーニングセンターを取材したとき、食堂に太い筆で書かれたこんな教訓を見つけた。
「先体力、後技術」
 今でもあるのかどうかわからないが、なにごともまず基礎、そして体力、そのうえでのみ、技術が花咲くとした意味は、彼らの強さを支えるものとして今も忘れることができない。
 そうそう、聞係悪化は、ファンのせいばかりではない。野茂のいるドジャース・ラソーダ監督がことあるごとに選手に話す有名な逸話がある。メジャーを初観戦したラソーダ少年はある選手にサインを求めた。ところが「ガキは邪魔」とむげもなく断られた。7年後、マイナーで最初に対決した打者は、あのときガキ呼ばわりした選手ではないか。3球も危険球を投げ大乱闘。退場したラソーダに、その打者は「おれが何をしたのか」と聞いた。ラリーダは答える。
「あんたはオレにサインをしなかった。ファンを大事にし、サインをしてやってくれ。その1枚がいつか自分に返ってくるんだ」

(週刊サッカーマガジン・'95.11.1号より再録)

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