評者・慎 武宏 2003.3.17 update
本年度ミズノ財団主催のミズノスポーツライター賞の受賞者が発表されました。賞は、地域やスポーツの普及活動、指導に貢献のあった方々とともに、優れたスポーツノンフィクションに対して与えられるもので、『ヒディンク・コリアの真実』が最優秀賞を受けました。
作者の慎さんとは、もちろん現場の取材でもお目にかかりますが、3月20日にも2号目が発売となる「フットボールニッポン」(講談社)で、ジーコ監督のインタビュー連載の企画を一緒にスタートさせました。彼と、編集者の木所氏と3人で昨秋以来、何度も何度も、なぜか原稿だけにはやたら細かい(笑)私に付き合って、インタビューのための構成や仕上げ方、資料整理といった細かな点にいたるまでの打ち合わせをしてきました。慎さんは編集者の仕事も勉強する、と、原稿のプロデュース作業にも大変意欲的で、木所氏と3人は、なかなかのチームワークで厳しいゲームを滑り出しています。
その慎さんが昨年長い取材の後に書き上げたこの本は、韓国サッカーの勝利の記録であると同時に、書いてあることではなく、なぜ書けたか、なぜその答えを彼が得ているか、こうしたことをじっくりと考えるところにもおもしろさがあると思います。そして、選手との関係に、最大のオリジナリティが潜んでいます。
受賞を聞き、慎さんに、ご自分で紹介文を書いていただくようお願いしました。今回の受賞は実際のところ、本当に嬉しいものでした。不思議なことに、自分が受賞した時よりもはるかに嬉しくて。
|
◆著者より
あれは確か昨年9月にソウルであった南北親善サッカー大会の前日だったと思います。同じ民族でありながら半世紀以上も分断国家の悲しみにある韓国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の代表チームが親善試合を行うことになった前日、練習会場に姿を表した大韓蹴球協会の李容秀(イ・ヨンス)技術委員長に聞いみたんです。
「02年W杯で韓国がベスト4に進出できると思っていましたか?」
すると、李容秀氏は小さな笑みを浮かべながら言いました。
「私はともかく、ヒディンクは確信していたのもかもしれない」
李容秀氏によると、W杯の組分けが決まった直後、ヒディンクと李氏は大会期間中に韓国代表が宿泊する宿舎について話し合ったそうなのですが、そのとき、ヒディンクは準決勝までホテルを抑えてほしいと打診したというのです。
このエピソードを聞いたとき、私は改めてヒディンク監督が韓国代表監督に就任した直後に選手たちに放った一言を思い出しました。「Let's surprise the World!! 」。彼は本気で世界を驚かそうと思っていたわけです。そして、それを現実にしたのですから、ヒディンク監督が今でも韓国の国民的英雄として絶大なる人気を集めるのも納得できます。とはいえ、ヒディンク監督も初めから救世主だったわけではありません。就任時こそ“救世主”として迎えられたヒディンク監督ですが、非難の矢面に立たされたのは一度や二度ではないし、一時は解任説が飛び出したこともありました。その道のりは紆余曲折の連続でもあったのです。
本書では、そんなヒディンク・コリアの500日をできるだけ克明に書き綴ることを意識しました。監督と選手たちは激動の日々をどう乗り越え、W杯ベスト4という快挙に至ったのか。まだ駆け出しのスポーツライターゆえに至らぬところが多いと思いますが、私としてはそこに焦点を絞ったつもりですし、本書を通じてその激動の日々が少しでも読者の皆さんに伝わってくだされば幸いです。
もちろん、すべては“結果ありきだ”のところも否めません。本書が刊行されたのも、W杯ベスト4という結果があったからこそです(笑)。ただ、韓国のことに関心を持つことは日本自身のためにもなるのではないでしょうか。
何しろ3年後には、日本と韓国はふたたびワールドカップの出場権を巡って熾烈に戦い合う間柄。宿命のライバルなのですから。 |