(2)地中海の花嫁、アレキサンドリアからアブシンベルへ |

* アレキサンドリアへ
どういう理由か不明だったが早朝にホテルを出発し、アレキサンダー王が紀元前四世紀頃に造ったといわれるアレキサンドリアに向かうことになった。アレキサンドリアは地中海の花嫁と呼ばれる程のリゾート地で、美しいローマ風の町並みで知られている。
紀元前331年この地に遠征したアレキサンダー王はこの都市をクレオパトラの為に建設したと言われているが、王はこの都市の完成を待たずに死去。プトレマイオスⅠ世、Ⅱ世に引き継がれ、都市は繁栄を極めたという。
長距離バスの旅には警察の護衛が必要らしく、いきなりガイドから、早朝出発して深夜に戻ると説明があった。みんな怪訝な顔で口々に、何故そんなに早く出て夜中に、しかも警察の護衛付きで帰って来なければならないのかと添乗員に聞きにいっている。

(遺蹟への道とレストランまで先導してくれたポリス達)
怖がりの友人は、もうそんな思いまでしてアレキサンドリアへなど行かなくてもいい・・と真顔で心配している。夜中に強盗なんぞに襲われたらどうするつもりやの?
あの2年前の過激派イスラム原理主義者達の無差別乱射事件以来、外国人の旅行バスは警察の護衛付きでないと走れないことになったらしく、その護衛の付く時間帯に走ると言う。しかしその時間帯は夜間で、日中は護衛が無いから走ることが出来ないなんて奇妙な話。
なんで昼間の明るい時間に行って帰らないのだ、と釈然としない。エジプトの事情ですと言われても、安全な国から来た人々にはどうも合点がいかない。添乗員に聞いてみた。
「夜中でなく、昼間の内にアレキサンドリア観光を済ませて、カイロにもどったらどうなの?」
「だって、カイロにホテルをとってないもん」「・・・・」
なーんだ旅行社の都合なんだ・・結局早い時間に市内観光を済ませて、ホテルで仮眠、夜中の1時にカイロ目指して、戻る事になってしまった・・変なの!
昼食に出た「ボラの焼魚」にチョッピリ機嫌を直した一行は翌朝カイロ空港6時半離陸予定の便に間に合うべく、真夜中にアレキサンドリアを「ねぼけまなこ」で出発した。私服の刑事がバスに乗り込んできて怖い顔をして座っている。
運転手が眠ったら大変と、ガイドのハッサンは一晩中運転手に話し掛けていて、その声が耳について結局バスでは眠ることなど出来なかった。(ハッサンは職務に忠実で犠牲的且つサービス精神あふれる優秀なガイドだった)
前の座席からスースーという軽いいびき、友人はハッサンの声など全く聞こえなかったと、熟睡!(眠るが勝ち!?)

(カイロからアレキサンドリア往復の4日間乗務し続けた運転手さん)
*ポンペイの柱
思い返してみてもアレキサンドリアではカイトベイの要塞も修復中で入れず、ポンペイの柱一本と地下の墓跡カタコンベの見学のみで、疲れた割にはあまり収穫はなかった。ツアーの一行は、「ポンペイの柱、一本でっか、イタリアのポンペイに行ったら、こんな柱、ぎょうさんおまっせ」「ほんまに墓場の跡と柱一本で警察付きやなんてとぼやいた。

(アレキサンドリアの丘にある柱でプトレマイオス朝時代の図書館の柱だった)
アレキサンドリアには宝石博物館やグレコローマン博物館もあるというのに、午後からはホテルで仮眠なんて、時間の無駄遣いだ「エジプト時間」と言う言葉がこのあたりからガイドの口から聞かれるようになったが、この「エジプト時間」が相当な物でる事が徐々に徐々に分かって来る。早朝にカイロ空港に到着した。
*カイトペイの要塞
15世紀ファロスの灯台の跡に建てられた。地中海に突き出た城の壁が美しい。この海の底からは古代遺蹟の花崗岩の像や柱や土台石などが発見されている。
カイトベイの要塞
・ 高さ・・30メートル
・ 長さ・・22メートル
・ 直径・・上の部分 2メートル30センチ
・底の部分 2メートル70センチ |
エジプトタイムの飛行機はかなり遅れてアブシンベルへ向けて離陸した。
* ラムセスⅡ世と王妃ネフェルタリの愛の神殿
アスワンのアブシンベル神殿へ向けてエジプト航空の古い727型飛行機はガタビシゴトゴトと飛び立ち、ドッスーンと着陸した。空港からはシャトルバスが往復している
なんの変哲も無い田舎の道を回り込んだ所に、いきなりナイルの青い水が目の前に開けた。アスワン・ハイ・ダムの建設で水中に没する運命をユネスコの努力で救われた神殿が巨大な姿でそびえたっていた。
風はゴウゴウと神殿の上にへばりついている岩山から吹き降ろしていて、まるでビル風のように吹きつけてくる。太陽は容赦なく照り付け、口が乾く。

(アブシンベル大神殿)

(アブシンベル小神殿)
中の壁画の保存状態もよく、王の生活や儀式の様子が浮き彫りされている。勿論、撮影はフラッシュ禁止、ビデオ撮影は有料、約八百円程。
中には各国の観光客がひしめいていて監視人も多い。いきなりフラッシュの閃光が堂内を照らす!!すぐさま監視の男はその観光客の女性に近づき、カメラを取り上げた。ここは監視が厳しく、もし違反したらカメラを取り上げられるから決してフラッシュはたかないようにとハッサンが念をおした場所だ。
連れとみられる男性が男の傍へすっとんでいって、抗議している。甲高い女性のスペイン語が響き渡る。監視人はガンとして首を振ってカメラを渡さない。騒然として人々が注目している。
「返せ!」「駄目だ!」と、険悪になってきた。すると連れの男性は周りの人々に「何でもない!何でもない!」と手を振って注目をそらそうとしはじめた。そして次の瞬間素早く何かを監視の男の手に握らせた。
監視人の手にはもうカメラは無く、素知らぬ風だ。事件は解決したのだ。それにしても西洋人のお金の使い方、渡しかたの見事なこと!
日本人には真似出来ません。
* アブシンベル大神殿と小神殿
巨大な岩山をくり貫いて造られた神殿で、向かって左がラムセスⅡ世、右が王妃ネフェルタリのために造られた小神殿で美の女神ハトホル神に捧げたものとされている。
大神殿前にはラムセスⅡ世像が四つ、下に横になったままの像が一体ある。小神殿前にはラムセスⅡ世像とイシス神と王妃の像がある。
アスワンハイダムの建設で水没の運命だったこの神殿にユネスコが救済の手をさしのべ、これにフランス、イタリア、スウェーデンなどの国々が協力し、岩山ごとブロックに切り取り、移動し又組み立て直す事で移転が成功した。

(ナイル川からみたアブシンベル小神殿・ツアー同行河島氏撮影)
アブシンベル宮殿
・1963年着工ー1968年完成
・総経費 ・・3600万ドル
・移転時のブロック 1041個
・正面幅・・約37メートル
・ 高さ・・約33メートル |
この神殿の主ラムセスⅡ世は67年間君臨し、エジプト国内に数多くの神殿を建てた英雄的伝説の多い精力的な王であった。
数人の正妻の他に数多くの側室を持ち、王子111人、王女57人、王の権力もさることながら、その精力的なエネルギーには仰天。
* アスワンへ
あまりの神殿の大きさに圧倒されて、何となくぐったりする思いでアスワンへ向けて又、飛行機・・エジプトタイム。遅い昼ご飯は帆船(ファルーカ)に乗って対岸のレストランへ向かう。
若い漕ぎ手は太鼓を叩き、みんなを浮き立たせる、こんなことにはすぐ乗る大阪人のこと、小船の中は掛け声と踊りでドタドタドタドタ・・ハッサンが「船頭多くして、、」と言いよどんでいる、ハッサン!「船頭多くして、船、山に登る」でしょう?!「そうそう、それそれ!」(でも、この場合に使うことわざではないなぁ)
この頃、もう日本人でもあまり知らないことわざを何故か外国人が知っていてびっくりすることが多い・・テレビに出る外国人タレント達の達者なこと!あのサンコン氏もそうだけど、このハッサンの日本語も凄い。しっかりしないと!日本人!
突然船の傍から歌声が聞こえた。子供の高い声「ヤムスタファーヤ・ムスターファー」「ヤムスタファーヤ」
三人程が手作りらしい小船に乗って船端にしがみついて唄っている。どうしよう?ハッサンは首を振って無視しているし、お金を渡してやりたい気持ちをぐっと抑える。散々唄ってもなにも貰えないと解ると、彼等は遠ざかっていった。
アーッ!一艘が沈みそう、沈んだ!!」
「危ない!死んでしまう!」
「大丈夫!このへんの子供は毎日川に出ているから決して死んだりしない!」
ハッサンの言うとおり、他の子が落ちた子供を船に引き上げてやって、帰って行く・・・何となく気持ちが揺らいだままだ。豊かそうに見える日本だって、ついこの間まで貧しく、敗戦の頃は米兵のジープに子供達が群がっていたんだものおんなじやないの。ステラビールとモロヘイヤのスープとチキンの焼いた物、毎度同じ感じのエジプト料理でおしまい。後はホテルに入り、つかの間の休息タイムだ。
約束の夕食時間になってみんなロビーに集合、遅れる人は無い。このツアーの参加者は旅のベテランが多く、きちんとして手慣れていて、お行儀もいいし、時間通りに集合する。
8時を5分過ぎた、「まだかな?」10分が過ぎた、添乗員が現れない。仕方なく部屋へ行ってみる事にした。ドアをドンドンと叩く、中から
「ふぁーい、、」「、、」
「皆さんお揃いですよ~!どうしたの~?!」
「はぁ~い、、エッ?、、」「、、」
「彼女は寝ていました、すぐ来まーす!」
何回もツアーにいったけど、添乗員を起こしにいったのは初めてでーす。彼女はスッピンで髪の毛を振り乱してロビーに転げ出してきた。ほんまにも~!でもお気の毒。
食事が終わり、希望者だけでスークとやらの市場へ行ってみることになった。タクシーも無いから、馬車に乗って行くという。ホテルから少し下がったところに馬車は待っていた。
どれも汚れていて、馬も心なしか小さくて元気が無い、本当は二人乗りなのだろうけれど、四人で一台らしい、10センチ程の前の板に腰を斜めにおろす、不安定だ・・
ゆっくりゆっくりとパッカパッカとダウンタウンに出た、凄い喧騒、人、人、人、夜中から明け方の3時頃まで大賑わいなのだそうだ、それにしても男ばっかり・・女はめったに目につかない、鞄をシッカと抱え直し、スークに突入。
両側の店からはひっきりなしに声がかかる、大阪の黒門市場のようで、もっと入り組んでいて店が多い、Tシャツや布製品が多く、なんでもある感じだ。
「ニホンハ、スバラシイクニデース!」 「ギョッ!」
「ヤスイヨー!ワンダラー!ワンダラー!」 「 ミルダケ、タダヨー!」
「いらない!いらない!ノウサンキュー!」
「ヤクーザ!」「ブスッ!」
エッ?今、何て言った?「やくざ?ぶす?」だって?その後は「いらない!」「ヤクーザ!」の連発となった。誰かが教えたのだろう、何という言葉を教えるのだ!
香料を山積みして売っている店でサフランが目についた、日本では非常に高い香料で、パエリャやブイヤベースなどの料理には欠かせない物だ。早速交渉に入る、何故か値札のない市場ばかりのエジプトでは、この値引き交渉が頭痛の種だ、時間がかかって、集合時間に遅れないかと、焦ってしまう。二袋で300円程まで下がったので手を打って代金を払う。(えらい安くなったけど、効くのかな?)
帰りの馬車は威勢のいいアンチャンが御者席に座っている、O夫妻と旦那様がオナカの具合が悪く一人で参加されたM夫人との四人、馬車は走り出した。
「えらい速いですな」「ほんとに」「私、、ずり落ちそう、、、」というM夫人を右手で抱えて、こっちもずり落ちそう、、段々スピードが上がっていって、交差点の車をかわしながら、パカパカパカパカ
「あっ!危ない!止まって!止まって!」
御者はかえって鞭を入れる。馬は競走馬のように走り出した。町並みと雑踏が飛ぶように後ろへ移っていく!「キャーッ!」Mさんはしがみついてきて「こわーい!落ちるー!」
「チョットぅ!!スピードを落として落として!スローダウン!!」
右手にMさんを抱えて左手で御者台を叩く。こっちが落ちそう、、
「こらっ!スロウ!スロウ!」「ちょとぅ、プル・アップ!!」
御者台から声
「プレゼン!プレゼン!」
「プレゼント?!だって?そんなもの、いらない!いらない!」
「プレゼン!プレゼン!」
オカシイやら、恐ろしいやらで笑いながら御者に怒鳴り、四人はお互いにしがみつきあってヘトヘトになって涙まで出てくる始末。ホテルが見えて来た!
ヤレヤレ命があったねえー!と、馬車から降りた、馬は息を弾ませて、フーフーいっている、御者が近づいてきて、「プレゼン!」と手を出した。
何がプレゼンや!馬車代は先に払ってあるでしょうが、しかし彼は怖い顔をして「プレゼン!」と喚く、仕方ないので、トイレチップとしてよけておいた50ピアストルを渡すと、「ちえっ!」という感じでお札を見て、
「ヤクーザ!」
「なに言うてんの!やくーざはあんたでしょうが!」
同乗のO夫妻はおっしゃった。
「私達、今迄、こんなに笑ったのは初めてです!」
「有難う!おやすみなさい」と。
へたばって部屋に戻った。ツカレター!友人は別の馬車で、のーんびりと帰って来た。翌朝、かのO夫妻がご挨拶にみえる、
「昨晩はホントにお世話様でした、一生忘れないと思います」
「イエイエ、こちらこそ失礼を」
今日は予定がゆったりでアスワンハイダムとオベリスク見学だけ、飛行機の移動がある時はエジプトタイムを予想して大幅に時間の余裕を取ってあるようだ。
アスワン・ハイ・ダム
・エジプト大統領だったナセルが建設
・1964年竣工・1972年貯水完了
・ダムの長さ・・約3600メートル
・ 高さ・・111メートル
・年間総発電量・・100億キロワット
・ この時出来た人造湖ナセル湖
・ 全長・・500キロメートル
・ 面積・・約5000平方キロ |
ナセル大統領は建設に際し、アメリカとヨーロッパ諸国に援助を頼んだが各国ははこれを拒否、当時のソ連が援助した。そこにはソ連とエジプトの友好の記念碑が空高く聳えていた。

(アスワンハイダムのゲートの立て看板
アスワン市街の南1キロ、花崗岩の石切り場にある切りかけの巨大な一枚石、作業中にひびが入り、放置されてしまったのだそうだ
木製の楔に水を浸してその膨張力を利用して切断したと言う。
案のじょうエジプトタイム、2時間遅れでアスワンからルクソールへ向けて飛行機はヨタヨタと離陸した。
エジプト3へ |