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白内障手術体験記

2014.04.21. 掲載
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目次
1.はじめに
2.視力低下
3.眼科を受診
4.手術
5.手術後の視力
6.手術後の生活
7.雑感
8.まとめ


1.はじめに

私は78歳の男性で、18歳から近視があり、以来約60年間、近視の眼鏡を着用してきた。

約3年前から、右の視力が低下し、眼鏡の度数を変えても対応できなくなってきた。視界がぼやけるだけでなく、左と比べて暗く見えることから、白内障ではないかと自己判断をして、眼科を受診した。

眼科で、自分では視力の衰えを感じていない左眼にも白内障があると診断され、両眼の手術を勧められた。それなら、この際両眼とも一緒に解決して置こうと思い、即お願いをした。

3泊4日の入院で、第1日目に右眼、第3日目に左眼の手術を受けた。手術時間は正味約10〜15分、点眼による局所麻酔で行われたが、術中術後を通してまったく痛みや苦痛を感じることはなかった。

手術後の経過は良好、1週間目の検診でも異常なく、1ヶ月目に眼鏡の処方をして頂くことになっている。


2.視力低下

こどものころの視力は良く、1.5〜2.0はあったが、高校2年(18歳)から近視となり、眼鏡を着用するようになった。この時からずっと黒縁太枠の眼鏡を続けている。近視の度数は、25歳頃までは半年ごとに増えて行き、レンズを変えて対応した記憶がある。

3年前(75歳)ころから、右眼の視力が低下してきて、眼鏡のレンズの度数を調整しても対応できなくなった。それだけではなく、右目で見える景色の方が暗く見えることから、これは白内障による視力低下ではないかと自己判断した。

●白内障

白内障の手術が普及し、「白内障」がどのような病気であるかご存じの方も多いと思われるが、ここで簡単にまとめておくことにする。

人間の眼球は図1のような構造になっている。その中の水晶体は、カメラのレンズにあたる。

 
図1.眼球の断面図 Wikipediaより

しかし、水晶体はカメラのレンズと違って、その厚みを調節することができる。近くを見るときは、毛様体筋が収縮し、チン小帯が弛緩することで厚くなる。遠くを見るときは、逆に毛様体筋が弛緩し、チン小帯が引っ張られることで薄くなる。このようにして遠近に焦点を合わせることができる。

 
図2.水晶体の伸縮による焦点の調節 Wikipediaより

白内障は、この水晶体が灰白色や茶褐色に濁り、視力が低下する病気で、原因として最も多いのは加齢によるもので、個人差はあるが、高年齢の人ほど多く発症する。加齢による白内障では、混濁が水晶体の周辺部から始まるため、初期には自覚症状は少なくいが、進行するにしたがって混濁が中央部にまで及ぶため、視力低下が強くなる。

 
図3.白内障の目 Wikipediaより 

●白内障の自己判断

眼科で診察を受ければ、すぐに正しく診断されるのは分かっているが面倒だ。そこで私が行った自己判断は、1)眼鏡の度数を調整してもらっても視力はあまり良くならず、少しずつ悪くなる。2)左目と比較して景色が暗く見えるの2点による。

この左右の目で見える景色を比較する視力検査法は、白内障の手術を受けた後の視力のあらましを知る際にも役立った。ただし、片目をつむるのではなく、両眼を掌で隠しておいて、隠している掌を除くやり方で行う。

これは絶対的な視力ではなく、相対的な視力であるが、日常生活では、これが結構有用である。ただし、両方の目の視力が落ちている場合には、この方法は当然使えない。

●手術を受ける最大の理由

私が一番したいことは、何かを創ること、構築することである。それに欠かせない道具がパソコンで、それは49歳で始めたころから変わっていない。また、私は記録を大切にする人間だが、その中の重要なものは、パソコンを使ってファイル化し、パソコン内に保存している。

目が不自由になって、パソコンが使いづらくなり、作業がはかどらなくなったことは非常な苦痛である。そこで意を決して、眼科を受診し、白内障の手術を受けることにした。


3.眼科を受診

白内障の手術を受ける気持ちにはなったが、どこで受けるかを決めなくてはならない。妻は2006年と2009年に大阪市内の病院でこの手術を受け、その後支障なく日常生活を送っている。しかし、自分はそれにとらわれる必要はない。

●眼科選択

これまで入院したことがあるのは住友病院だけで、2006年末に前立腺肥大で尿閉となり緊急入院し、翌年早々前立腺肥大症に対して前立腺の切除術を受けた。以後年に1回の術後のフォローを受けている。

その執刀医が、昨年より大阪中央病院に移られたので、昨年からここで術後経過を診ていただいている。そこで、まずこの病院の眼科についてWeb検索を行い、大阪中央病院眼科のサイトから、特色やスタッフ、診療実績を調べた。

その結果、ここの眼科は、白内障を中心に手術に力を入れており、眼科部長は大阪大学で医学博士の学位を取られた方で、2013年の手術件数は741件、その内の白内障手術は317件であることなどを知った。この情報に納得できたので、この病院の眼科部長を受診することに決めた。

●初診(3月13日)

3月13日に大阪中央病院の井上眼科部長を受診した。諸検査の結果、右の白内障のほかに、左にも白内障が始まりかけている。緑内障はなく、糖尿病性網膜症もないとのことだった。実は、20年ばかり前から糖尿病を持っているが、治療は数年前から軽い内服薬を服用しているだけだったので、糖尿病性網膜症がないことはありがたかった。

視力低下を感じていなかった左眼にも白内障が始まりかけていることを知り、井上医師の勧めに従って、両眼の白内障手術を受けることにした。

日帰り手術も可能だが、術後眼帯をして遠近感がない状態で帰宅し、翌日には術後の状態のチェックを受けるために通院する必要がある。その不便と気苦労を減らすために、1泊2日の入院で1眼の手術を受ける方法を勧められた。自分としてはその方が楽なので、右眼4月7日、左眼4月9日に手術という3泊4日の入院を選んだ。

●術前検査(3月20日)

3月20日には、血液検査、尿検査、胸部X線、心電図、出血時間検査を受けたあと、2時間ばかりかけて眼科の手術前検査があり、そのあと井上部長から説明を受けた。 その際に、視力低下がない左眼に「黄斑上膜」という病気が見つかったことを知らされた。これは黄斑の上に膜が張る病気で、視野の真ん中が歪む、ぼやける等の症状が出てくる可能性がある。原因は加齢によることが多いとのことだった。

水晶体と取り換える眼内レンズについて、遠近両用の多焦点レンズもあるとの説明を受けた。それについては、これまでの経験から、遠近両用の眼鏡は階段を降りる際に怖いので、遠方はこれまで通りに眼鏡を装着し、近くの物は眼鏡なしで見える単焦点レンズを選択した。

単焦点レンズを選んだもう一つの理由は、60年近く着用してきた黒色太枠の眼鏡が私のアイデンティティであり、眼鏡なしの私など考えられないからでもある。


4.手術

1泊2日の入院による白内障手術を選択し、両眼を続けて手術するので、結局3泊4日の入院となった。病院は自宅から車で10分、地下鉄と徒歩で30分くらいの位置にあり、毎夕のウォーキングの範囲にある。

●入院(4月7日〜4月10日)

病室に案内されると、担当の看護師から何枚かの書類を渡され、記入を求められた。その中に、現在または過去の職業を記入する欄がある。かっては、カルテに職業を記入する欄が必ずあったが、2005年の個人情報保護法施行以来なくなったと思っていた。しかし、入院の場合の看護記録には残しているようだ。私は2005年より医業から離れているが、過去は医師だったので、医師と記入した。

今の年齢では「後期高齢者医療被保険者証」だけで保険診療を受けることができる。医師国保など医師を示すものが不要だから、医師であったことを知られることはなかった。しかし、今回の入院中はそう言うわけにもいかなくなった。看護師、薬剤師から日ごろ服用している糖尿病の薬について質問と説明を受けたときに、それが分かった。しかし、担当医は看護記録の職業欄をご覧にならなかったようで、退院の日に申し上げると、少し驚かれたようだった。

入院当日、薬の説明のあとで、なぜか薬剤師から手術前の現在の心境を尋ねられた。それに対して「もし、今日の手術がうまく行かなかったとしても、両方が失敗するということはないでしょう。片方がよく見えない状態で今までやってきたのだから、しかたがないとあきらめてやっていくと思います。」と答えたのが、妙に印象に残っている。

担当の看護師からA3用紙に印刷したクリニカルパス(診療計画表)を渡された。これは白内障手術のために入院した患者が、入院から退院までの間に受ける投薬、検査、処置、手術、食事などを時間順にまとめた表である。これを見ることで進行の順と内容が正しく分かり、記憶力の衰えた老人には非常にありがたかった。

●手術前

手術の3日前から抗生剤クラビットの点眼を1日3回行ってきたが、手術直前では、1時間前から30分ごとに、看護師が手術前の点眼(内容は不明)を3回行い、手術着に着換えて、抗生剤の点滴を受けながら、車椅子で手術場に運ばれた。

●手術中(右眼:4月7日、左眼:4月9日)

・右目周辺を除いて覆布で覆われ、麻酔薬の点眼による局所麻酔で手術は行われた。
・瞳孔が散瞳薬で最大限に開いているためか、視界はぼやけて朦朧状態だった。
・無影灯で照らされてまぶしいが、耐えられないほどではない。
・手術中痛みは全くと言ってよいほどなかったが、手を握りしめているのに何度か気付いた。
・痛みはないが、目の表面に繰り返し液体をかけられているのは分かった。
・無意識で呼吸を止めていることがあったようで、「普通に呼吸していて良いですよ」と一度言われた。
・局所麻酔なので、術者や助手の話すことばは聞こえるが、難聴気味なので内容はほとんど分からない。
・「咳やクシャミが出そうなど、変わったことがあれば、すぐに話してください」と言われた。
・しかし、そのようなことは一度もなかった。
・手術が終わると、執刀医は「手術はすべて順調に終わりました」と話された。
・続いて、手術を受けた眼の瞼にガーゼが当てられ、その上にカッペという金属製の眼帯が装着された。
・手術時間は正味10〜15分だと思う。病室を出てから帰室するまでに要した時間はほぼ30分だった。

●手術法

白内障手術を受けるに当たって、予め、現在の標準的な白内障手術の術式を勉強して置いたのを、図4で簡単に紹介する。

 
図4.超音波乳化吸引療法 Wikipediaより

超音波乳化吸引療法で取り除かれた水晶体に替わって、その場所に眼内レンズが挿入される。
眼内レンズ(Intraocular Lens IOL)は、直径約 6mm の円形で、これに指示部と呼ばれる脚が2本ついている(図5、図6)。眼内レンズは水晶体に替わって眼内に(図7)のように挿入される。

    
  図5.直径約 6mmの眼内レンズ  図6.眼内レンズの正面と側面   図7.水晶体に置き換わった眼内レンズ

●カッペ

手術が終わると、手術を受けた眼の瞼にガーゼ、その上にカッペという金属製眼帯が装着された。医師も看護師も「カッペ」「カッペ」と呼び、クリニカルパスにもその名前で書かれている。アクセントは「カ」にあり「ぺ」ではないので俗語のカッペではない。これがアルミ製の眼帯のことだと見当はつくが、語源が分からない。

気になるのでWeb検索をすると、ドイツ語の「 Kappe 」のようだ。縁なし帽子、蓋、キャップ 英語の「 cap 」に相当する。実物を見ると、米国 TECHNOLOGY社製で「 EYE SHIELD 」と刻印されていた。戦前のドイツ医学の名残りだろう。医療界にはよくあることだ。

       
図8.手術を受けた目にカッペ装着        図9.カッペ実物 EYE SHIELD の刻印あり


5.手術後の視力

手術によって、どの程度視力が回復し、どのように見えるようになったかということは、手術を受けた者の最大の関心ごとであろう。それを少しでも定量的、客観的に知りたく思い、左右の目で比較することにした。これも、白内障の自己判断の時と同じで、片目をつむるのではなく、両眼を掌で隠しておいて、隠している掌を除く簡易法で行った。

手術を受ける前の裸眼視力は、明るさ・鮮鋭度ともに私の簡易法では、左眼 > 右眼であった。

●手術後第1日目の視力(右眼:4月8日、左眼:4月10日)

右眼:カッペを外した後、裸眼視力は、明るさ・鮮明度ともに私の簡易法では、左眼 < 右眼だった。
   左眼の視力は良いと思っていたが、手術で右目が良くなると、相対的に左の視力は落ちていた。

   裸眼で、近位の物体はもちろん遠位の景色もかなり良く見える。
   近医用に使っていたメガネの着用で遠位が良く見える。

左眼:カッペを外した後、裸眼視力は、明るさ・鮮明度ともに私の簡易法では、左眼 ≒ 右目だった。
   両方に眼内レンズが入ったのだから、左右は当然ほぼ同じになるはずだ。

   裸眼で、近位の物体はもちろん遠位の景色もかなり良く見える。
   近医用に使っていたメガネの着用で遠位が良く見える。

●手術後第2日目の視力(右眼:4月9日、左眼:4月11日)

右眼:就眠中着用していたカッペを外すと、前日よりも視力が低下していた。
   不安な気持ちで、約1時間、天井の模様を注視したら、視力は回復した。

左眼:就眠中着用していたカッペを外すと、こちらも、前日よりも視力が低下していた。
   右目の時と同じように、不安な気持ちで、約1時間、天井の模様を注視したら、視力は回復した。

●退院(4月10日)後の視力

退院して感じた視力の変化を一言でいえば「世界が20%ほど明るくなった」である。それを少し分析してみる。

1.景色の明るさが格段に増し、自覚的には20%程度明るく見える。
2.景色の色では、白がこれまでのIvory-white から、少し青みを帯びた Snow-white に見える。
3.ビールの黄色が濃く見える。
4.パソコンやTVの画面が明るくなり、赤、緑、青の原色が鮮やかに見え、文字が鮮鋭になった。
5.眼内レンズという新しい環境に慣れず、記憶に残っている色は、ビールの黄、景色の白。
6.眼内レンズという新しい環境に慣れず、記憶に残っている明るさは、景色の明るさ。
7.階段を降りる際の不安が無くなり、足元を見なくても階段を降りることができるようになった。
8.近位の物体は、右眼は裸眼で最適、左眼はややぼやける。
9.遠位の景色は、術前に使用していた近位用眼鏡着用で、右眼左眼ともよく見える。
10.裸眼で近位がよく見えるが、遠位も、日常生活に支障が出ない程度に見える。

●左眼手術1週間後(4月15日)

左眼手術(後からの手術)の1週間後の4月15日に、執刀医の診察を受けた。その結果、経過はすべて良好で、点眼は目薬がなくなれば止めて良いと言われた。点眼液の減り方から、予想では2週間後の22日ごろになりそうだ。

手術後1ヶ月目に当たる5月15日に、眼鏡の処方をしていただくことになった。今は、手術前に使っていた近位用(パソコン用)眼鏡で代用しているが、この新しい処方で作った眼鏡では、より視力が上がるのではないかと期待している。


6.手術後の生活

手術前は、手術の3日前から1日3回、クラビットという抗生剤の点眼をすることだけでよく、手術当日の点眼や点滴などの処置は看護師が行うので、生活が規制されるのは、手術された目を保護するカッペが、医師の手により外された術後第1日目からあとのことになる。

この手術後の生活については、医療機関によってかなり違いがあるようだ。医師になってから10年ばかりを外科医として過ごした者から見て、手術部位の保護はもちろんであるが、要は眼内感染を防ぐことであり、そのための対応であると思った。それを、どれほど厳重かつ慎重に行うか、簡単に済ませるかは、各医療機関の経験と裁量に任せられているということだろう。

懸念するのは、商業ベースで安易にこの手術が行われ、術後管理が粗雑になり、眼内感染などの事故を起こして、不幸になる人が生まれることだ。

●手術後第1日目以降

点眼3種:クラビット3滴 分3、リンデロン3滴 分3、ブロナック2滴 分2
     各点眼の前に洗浄綿で目の周りを拭き、5分以上の間隔を置いて、点眼を行う
     5ml瓶の点眼液がなくなるまで継続(およそ14日間)
服薬:フロモックス3T 分3 3日
カッペ眠前装着:要
首から下の入浴:可
ウオーキング・軽いジョギング:可
飲酒:可(1週間は量を控えめにする)

●手術後第4日目以降

洗顔・洗髪:可

●手術1週間後以降

眠前のカッペ装着:不要
日帰り旅行:可

●手術1ヶ月後以降

眼鏡の調整:可


7.雑感

今回の白内障手術の前後で、思ったり考えたりしたことを、思った順に記録しておくことにする。

●手術後の自分の反応

白内障の手術を受けようと決めたとき、今は日帰り手術が可能なほど安全で成功率の高い手術のようなので、手術がうまく行ったら、自分はどのような反応をするのだろうかとまず思った。

車を廃車する、運転を止めるとの考えを撤回するのか? 今まで見えていなかったものがよく見えるようになって、ゴミが目につくようになり、書斎(工房)の掃除をするようになるのか?

結果として、廃車を止め、車の運転も必要最小限行うことにはしたが、ゴミはまったく気にならなかった。それよりも、部屋から外の景色を見る度に「世界が明るくなった」と感動し、幸せに思うことが最も大きい反応だった。その次は、パソコンを不自由なく使えることの嬉しさで、手術を受けて良かったとつくづく思う。

●白内障手術の今昔

学生時代の眼科の講義では、白内障に対する手術は、混濁した水晶体を取り除くという方法だった。水晶体を取り出すには十分に固まっている必要があり、そのため、手術時期は遅ければ遅いほど良いとされていた。

また、水晶体を取り出したあと眼鏡を掛けるのだが、それは無茶苦茶に分厚いレンズで、正視に堪えない代物だった。私が開業した1973年以降でも、その眼鏡を装着した患者さんの名前を何人か思い出すことができる。

1949年にイギリスのRidleyが、眼の中にレンズを入れるというアイディアを思いついて眼内レンズを開発し、眼内に挿入するようになった。その後、様々なレンズが開発されるようになったようだ。

私が眼内レンズのことを初めて知ったのは、作家の曽野綾子氏が、失明寸前の極度の白内障に対して、1981年7月に49歳で、この眼内レンズ挿入手術を受け、それが成功したというニュースだった。そのニュースを唖然としながら読んだことを今もはっきり覚えている。まこと衝撃的なニュースだった。

あれから30年以上も過ぎている。レンズの改良と技術革新が進み、安全で効率のよい手術になっていることは疑いないと思う。

●手術の時期

高齢化社会の現在、白内障を持っている人は多数いることだろう。「日帰り手術も可能」などと宣伝されると、手術の時期を迷われる人がいて当然だと思う。私の場合は、したいことをするのに必要なパソコン・ワークが困難になった時がその時だった。「どうしてもダメになるまでしない方が、、」という意見の人もいるようだが、私もそれを選んだことになる。

しかし、手術を受け、その結果を知ってしまった今なら、ある程度目が不自由になった時点で手術を受けるだろうと思う。人生のゴールが見えている年齢であるのに、手術を受けないで、世界が明るく見える時間を短くすることを私は望まないからだ。

もちろん、どのような手術にも危険はあり得る。このようにほぼ確立され、危険率の低い手術にも失敗や事故があるのは当然だ。だから、手術時期の選択はその人の判断であり、生き方が関係していると思う。

混濁した水晶体を取り出す手術しかなかった時代には、水晶体が硬く固まるまで待つことが、水晶体を安全に取り出すために必要だった。しかし、現在の眼内レンズと置換する手術方法では、超音波で水晶体を砕き、それを 2〜3mm の小さな切口から吸い出す方法が使われている。

水晶体が硬くなり過ぎれば、超音波で砕き難くなるとのことで、遅くなり過ぎるのは問題があるようだ。

●眼内レンズの焦点深度

白内障の手術を受けるまでは、図2のように、遠位の景色に対しては水晶体の厚さを薄くし、近位の物体に対しては水晶体の厚さを厚くして焦点を合わせていた。手術後は単焦点の眼内レンズなので、水晶体のように焦点を調節することはできない。

手術後、裸眼で近位の物体が良く見えるのは、その焦点距離のレンズが挿入されているから当然だが、遠位の景色も、日常生活に不自由しない程度によく見えるのは不可解な現象だ。

その現象の説明のため「瞳孔が狭くなり、眼内レンズの焦点深度が深くなる」という仮説を考えた。

白内障の水晶体に比べて、置換された眼内レンズは明るく、光の透過性が良い。自覚的にも景色の明るさが20%以上増したと感じられる。そのため、瞳孔の絞りが自動的に縮小し、光が通過する眼内レンズの有効直径も小さくなる。眼内レンズの有効直径が小さくなれば焦点深度はより深くなり、広い範囲でピントが合うようになる。これにより、裸眼で遠近ともに良く見えるのではなかろうか?

このレンズの明るさと焦点深度の関係は、カメラを触ったことのある者にはよく理解できる事実だ。その極端な例として、針孔写真機(ピンホールカメラ)があり、このカメラには焦点距離はなく、遠近すべてを写すことができる。

●眼軸の長さを微調整するメカニズムがあるのではないか?

白内障手術のあとでもう一つ不可解な現象を経験した。それは、朝の起床後、就眠中着用していたカッペを外してみると、就眠前と比べて天井を見る力が落ちていることだ。不安だったが、しばらく天井の模様を注視していると、視力は前日の程度にまで回復した。

もう一つの不可解な現象は、退院してからの話だが、パソコンのモニター画面を、遠くを見るような目で見ると文字はぼやけるが、意志的に文字を注視すると、良く見える。

手術で水晶体と置換された眼内レンズは単焦点であり、眼内レンズに調節力があるはずはない。

これらの現象の説明のため「眼球を周囲から圧迫して、眼軸を延長するメカニズムがある」という仮説を考えた。

この仮説のヒントになったのは、人は20代前半から30代後半にかけて眼球が成長するので眼軸が延び、誰もが例外なく近視の方向に屈折状態が変化するという事実である。そして、成人の近視の大部分が、図10の軸性近視であることを知った。

眼球が成長して眼軸が延びるのなら、眼球を周囲から眼軸の方向へ圧迫して眼軸をわずかだけ延長させるメカニズムがあるかもしれない。この仮説は、先の焦点深度の仮説とは違って、荒唐無稽な考えかも知れないが、これまでに考えられたり、調べられたことがあるのだろうか? 充分研究テーマに値すると思うのだが、、、

 
図10.眼軸が延びて生じた軸性近視 成人の近視の大部分がこのタイプだと聞く

●「白内障」というより「茶内障」?

眼球の水晶体が混濁する病気を、英語では「 cataract 」、ドイツ語では「 Katarakta 」と呼ぶ。わが国では、昔は「白そこひ」、現在は「白内障」と呼ぶ。その名前のせいか、白く濁るというイメージを持ってしまう。確かに、昔は白濁した目の人をよく見かけたし、飼っていた老犬の目が両眼とも白濁していたことも思い出す。

しかし、自分が手術を受けた後では、白く濁るというよりも、うす茶色に濁るという方が正確であることを知った。手術前は白く濁ったフィルターではなく、薄茶色に濁ったフィルター越しで物を見ていたことが実感としてよく分かるからだ。

手術の前後で一番色の違いを感じるのは白と黄色であるが、この薄茶色のフィルターが無色透明のフィルターに替わったのだから当然であろう。白を連想させない医学用語として「カタラクト」に改名してはどうだろう?

●明るさと色の記憶

退院後の視力や、手術後の自分の反応で書いたように、今回の手術の結果で一番恩恵を感じるのは、部屋から窓越しに見える景色が明るく素晴らしいことで、毎朝寝室から居間に入った瞬間に感じる。また、外出から戻った途端にも同じ気持ちになる。もちろん、部屋の外に出てバルコニーから眺めれば、より素晴らしい。

普通なら、目が慣れてしまって、手術前に見ていた景色と違いが分からなくなるのだろうが、嬉しいことに、この景色は慣れることなく、毎回新鮮に感じて感動する。

この景色は明るさだけでなく、白色が真っ白白の白で美しい。そのほかに、手術前と色の違いを常に感じるのはビールの黄色で、毎晩飲むたびに、これまでよりも明らかに濃い黄色に見える。しかし、この色の方が良いとは思わず、むしろ、前の色の方がビールらしかったと思う。

なぜ、景色の明るさや白の色、ビールの黄色がいつまでも記憶に残っていて、目が新しい状態に慣れないのか不思議だ。そこで思い浮かんだのは、1)どちらも自分が好むものであること、2)それを長年見続けてきたこと、この2つが関係しているのではないかという仮説である。

マンションの高層階からの眺望は、転居して以来最も好きなもので、ビールは、スーパードライの発売以来、専らこれを毎晩愛飲している。

ただし、好きな景色は限定されている。このマンションの、この場所で9年間見てきた景色が好きで、その明るさと色がいつまで経っても記憶に残っている。その好きな景色が、それ以上に素晴らしい状態で、毎日見ることができるようになったのだから、幸運に感謝するばかりだ。ありがたい。


8.まとめ

1.白内障の手術を受けて本当によかったと思っている。
2.視力は回復し、パソコンを不自由なく使えるという所期の目的は満たされた。
3.部屋から眺める明るく素晴らしい景色に何度も感動している。これは全く予想していなかったことだ。
4.数ある医学の進歩の中で、この白内障手術は、最も多くの人に恩恵をもたらしたのではないかと思う。
5.商業ベースで安易にこの手術が行われ、眼内感染などの事故が起きることのないことを願う。


<2014.4.21.>手術後12日目


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