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kinematopia2001.05


 「スティーブン・ソダーバーグ監督が、アメリカとメキシコを結ぶ巨大な麻薬組織に迫った渾身の傑作『トラフィック』。ひとまず、そう言っておこう。アメリカとメキシコを色彩によって描き分け、麻薬をめぐるさまざまな場面が浮かび上がる。困難を極める麻薬との闘い。その深刻さを映像に刻み付け、映画は静かに終わる」「複雑な展開が完璧に決まったとはいえないが、安易な解決を避け手応えのある作品に仕上がっている。ただ、ラストシーンは麻薬問題を家族の問題に狭めているような印象を与えたかもしれない」

 「大勢の人物が登場するが、実に手際良く動かしている。ただ、欲を言えば不満はある。優等生キャロラインが麻薬に手を染めていく過程は、もう少し彼女に寄り添ってほしかった。警官ハビエールの頑固さ、信念の強さは伝わってきたが、それが何によって支えられているのかは理解しづらい」「前宣伝が盛んだったマイケル・ダグラスとキャサリン・ゼタ=ジョーンズの夫婦初競演。マイケル・ダグラスは、主役ではあるが、やや弱気な役。今回存在感を放ったのはキャサリン・ゼタ=ジョーンズの方だ。華麗な小悪魔性が、貫禄ある悪魔性に成長していた」「怖かった」

 「『15ミニッツ』(ジョン・ハーツフェルド監督)に移ろう。『2days トゥー・デイズ』から4年。今回も時間の長さの題名。アンディ・ウォーホルの『誰でも15分間は有名人でいられる時代がくる』というマスメディア社会を預言した有名な言葉から取られている。」「視聴率を上げるために血なまぐさい事件を追い掛けるマスコミを安易に批判するだけの映画かと思ってみていたら、もっと骨のある良質な作品だった。コメディ風の導入部から一転して殺人が起こり、緊迫感のある展開になる。主人公と思っていたエディ刑事が、あっけなく殺されてしまって唖然」「そこから、手に汗握る映画の見せ場が始まる。ブラックなユーモアをたたえたラストシーンは、爽快さを感じていた私をあざ笑うかのようだった。まったく、やられたぜ」

 「エドワード・バーンズに『片腕を切り落としてでも共演したかった』と言わせたロバート・デ・ニーロは、相変わらずの渋い味を発散。出過ぎだよ、という思いをすぐに消し去ってしまう」「放火捜査官ジョーディ役のエドワード・バーンズは、最初は頼りな気だが、困難な状況を見事に切り抜けるタフガイぶりをみせる。そして、カレル・ローデンとオレッグ・タクタロフの得難いキャラクターに拍手。彼等の存在がこの作品を重層的なものにした」「忘れてはならないのがメリーナ・カナカレデスのギリシャ彫刻のような美しさ。彼女のひとすじの涙がエディの死に、何ものにも変えがたい花を添えている」

 「『ガールファイト』は、2000年サンダンス映画祭でグランプリ、最優秀監督賞を受賞した。カリン・クサマ監督は、父親が函館出身、日米ハーフの女性監督。20歳前半にボクシングを始めた経験を持っている。孤独で禁欲的なボクシングの決勝戦で、恋人たちを闘わせるというアイデアは、なかなかのもの。攻撃的でひたむきなラブシーンだ」「ここには『ファイト・クラブ』(デイビッド・フィンチャー監督)のような、屈折したいかがわしさはない。まっすぐなに青春映画に素直な賛辞を送ろう」

 「何といっても、ダイアナ・グズマン役のミシェル・ロドリゲスを賞賛しない訳にはいかないだろう。まず、オープニングでの、むき出しの怒りをあらわにしたまなざしが衝撃的。全身から日常への激しいいらだちを放っている。そんな彼女がボクシングの試合を見つめる時には、はっとするような可憐な表情をみせる。この落差がリアルだ。トレーニングに励むひたむきな横顔も美しい」「フラメンコのリズムをアレンジしたテオドール・シャピロの音楽も印象に残った」

 「『ブレアウィッチ2』(ジョー・バーリンジャー監督)は、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(エドアルド・サンチェズ、ダニエル・マイリック監督)の続編。映画がヒットしたために、バーキッツヴィルには観光客が押し寄せていた。ウェブでグッズを売っていたジェフ・パターソンは、『ブレアウィッチ・ハント』を企画し、一癖ある観光客とともに森に入っていく。 そして、恐ろしい出来事が。なかなか面白い展開だなと思っていたら、話はどんどん横道に逸れて、B級ホラーの終末へ」「思いつきは良かったのだが、それだけに終ってしまった」

 「自称・魔女として登場するエリカ・ギーアセン役のエリカ・リーアセンがなかなか魅力的。ホラーには、こういう存在が必要です。ただ、怖くない」「前作は、手振れの映像が恐怖を引き出した。今回はチラシにもあるように『酔いません』。しかし、チラシにあるように『ブレアの呪いの謎が全て明かされ』る訳ではない。ただ、事実と写っていた映像が大きく異なるという結末は、映像の相対化という意味では、前作とつながっているとも言える。深読みすればの話だが」「手振れシーンでの酔いはなくなったけれど、映画にも酔えなかったというオチはどうでしょう」

 「『東京マリーゴールド』(市川準監督)では、冒頭『ほんだし』発売30周年記念作品と大写しになり、思わず苦笑。樹木希林と田中麗奈だものなあ」「確かに大切な場面で味噌汁が登場していた。田中麗奈初の大人の恋愛もの。1年間で終わるせつない恋を、1年間で枯れてしまうフレンチマリーゴールドに例えている。これを未熟な恋愛とみる向きもあるだろうが、1年で別れなければならないという緊張感が、恋を情熱的にしたともいえる」「古今東西、ハンディがあるほど燃え上がるのが恋愛というものだ」

 「さまざまな東京の風景が切り取られ、その空気がただよってくる。市川監督お得意のシーンだが、エリコの揺れ動く心と共振し、現在の東京を浮かび上がらせている」「そんな市川流の心地よいスケッチを揺さぶるのが、クラシックで芯の強そうな田中麗奈の存在感、その瞳だ。恋に振り回されながらも、懸命に自分らしさを保とうとする彼女の決断が、この作品を爽快な青春映画にしている」

 「『山崎幹夫の短編世界』が、まるバ会館で開かれた。今回は2プログラム。Aプログラムは、V.M.シリーズ8編を合体し追加編集した『V.M.』(1997年、8ミリ80分)。1999年に独自の多重露光を生かした『VMの夢想』『VMの漂流』を観ているが、それらの作品をつなげたというよりは、廃虚を基調にして多次元的な空間を開いた新作といった方が正解だろう」「山崎監督自身でなければ上映できないというパフォーマンスがうれしい」

 「Bプログラムは、11作品。『泥のなかで生まれた』(1986年、8ミリ17分)は、危ない映像がちらつく独自の露悪性が魅力。 『うまうお』(1986年、8ミリ3分)は、ショート特有のアイデア。『りりくじゅんび』(1987年、8ミリ10分)は、学童クラブの子供たちに8ミリカメラを渡して勝手に撮らせたものを編集した作品。映像を撮ることの特権性がまだ生きていた時代だけに、子供の世界の生々しいサスペンスが記録されている。不滅の作品だ」「『あいたい』(1988年、8ミリ11分)は、変色したフィルムをめぐる熱い想念。映像として定着した時間と現在との隔たりとつながり。かけがえのなさの発酵。山崎監督の友への叫び、その肉声がとりわけ胸を打つ」

 「『くねひと』(1991年、8ミリ3分)は、ビルの壁の亀裂など街の『気になるもの』のスケッチ。『破壊市を探して』(1992年、8ミリ15分)は、過去の作品に出演していた犬飼久美子の死去の知らせを聞いたことがきっかけになった作品。外に開こうとする思いは伝わるが不発気味。『6月15日の赤いバラ』(1993年、8ミリ3分)は、『虚港』のために撮影された断片。『コージョルの鳩』(1996年、8ミリ3分)は、インド映画への疑問を、強引に日本への皮肉につなげた力技の小品。『8ミリシューター論理狼』(1998年、8ミリ3分)は、自身のパロディ化。おちゃめな側面をみせる」「『夜にチャチャチャ』(1999年、8ミリ14分)は、1999年にも観た。カメラからレンズを外して撮った作品。山崎監督の魅力的な声が響き渡る。『モーロー牛温泉』(2000年、8ミリ3分)は脱力的なナンセンス。21世紀の山崎作品は、新しい広がりを見せていくのか。そういえば、『グータリプトラ』にも、いくぶんナンセンスの側面があった」

 「それぞれの作品の間にある振幅や落差の大きさは、驚くべきものがある。そして短編個々の面白さとともに、まとめて観ることで、それが長編へと組み込まれていく様子も知ることができた」「さらに、過去の自作を引用・改編していく自在な境地にまで、すでに達していそうな気配も感じた。20世紀の全自作を再構成した、スピード感あふれる壮大な新作が生まれるかもしれない」

 「『LOVE SONG』(佐藤信介監督)は、主題歌に尾崎豊の曲が流れることで、注目された。しかし、尾崎の曲とは似ても似つかないつまらない映画だった。尾崎の歌には、青春の切実さが込められている。赤裸々な憤り、怒り、怯え、不安、とまどいが心を打つ。この作品は、夢を求める若者を描いてはいるが、表面をなぞるだけ。ストーリーは、すかすかのまま拡散し、紋切り型の結末を迎える。あまりにも平凡な終わり方で、欲求不満がつのった」

 「仲間たちとレコード店を開きながら友人に裏切られて挫折した松岡を演じた伊藤英明には、もっともがき苦しんでほしかった。『ブリスター!』(須賀大観監督)の方が、何倍もいきいきと青春していた」「高校最後の夏に松岡を訪ねて北海道から東京に出てきた彰子を演じた仲間由紀恵も、不完全燃焼。『リング0〜バースディ〜』(鶴田法男監督)の方が、まだ魅力的だった」「ファンとしては、こんなふやけた作品で、尾崎の曲を聞きたくなかった」「ため息出たね」

 「『日本の黒い夏 冤罪』(熊井啓監督)は、かなり抽象的な題名だ。素直に『松本サリン事件 冤罪』で良かったのではないか」「映画的な盛り上げを意識的に避けた構成が心に残った。サリンによる被害者の中毒症状の衝撃的な場面から始め、マスコミや警察の対応、そして冤罪へと話を進めていくのが、普通だろう。しかし熊井啓監督は、高校の放送部が地元のローカルテレビ局を訪れるシーンから始め、冤罪事件が何故起こったのかを冷静に追求していく。物語は、たえずテレビ局の会議室に戻り、当時の状況を分析する。そして、冤罪が明らかになった後、初めて人々がばたばたと倒れる事件の映像が流れる。ちぐはぐに見えるこの構成を、下手と断ずることは易しい。しかし私は、意図的にセンセーショナルな展開を避けた監督の志の高さを評価したいと思う」「あざとさが微塵もない格調の高い作品だと思う」

 「冤罪事件は何故起きるのか。マスコミが犯している過ちは何か。しっかりとした事実確認よりも、不確実であってもスクープ性が優先されるマスコミの実情が明らかにされていく。それが警察の情報操作に利用される側面も。高校性の取材に応じた地元テレビ局は、取材力では他社にかなわなかったものの、事実の裏をとる慎重な報道を行った。スクープ性に傾きがちな東京主導の他社と違い、誤報の恐ろしさを知る報道部長の判断が生かされたとともに、現場取材に徹した地元の強みが発揮されたといえる」「この作品は、特にマスコミ関係者に観てもらいたい。それにしても地下鉄サリン事件がなかったら、松本サリン事件がどのような展開になっていたのかを考えると、そら恐ろしい気がする」

 「江戸時代中期の宝暦年間、現在の岐阜県に位置した美濃国郡上(ぐじょう)藩で、増税に反対する農民一揆が起こった。『郡上一揆』(神山征二郎監督)は、その史実に基づくもの。製作委員会や支援組織ができ、『県民映画』としてつくられた」「困窮した農民が短期的に闘うという一揆のイメージとは、かなり違う。増税が行われた場合の困窮を予想し、作戦を立て、長い時間とお金をかけて交渉していく。最後は、闘いには勝利するものの、首謀者は獄死するか、さらし首にされる」「現在の祭りのシーンから始まり、その平凡さにイスからずり落ちそうになったが、物語が進むうちに俳優の熱演もあり、映像は熱をおびてきた。武士の役が多かった加藤剛を、農民の智恵者としてキャスティングしたことで、イメージが大きく変わったと思う」

 「ストーリー運びは悪くない。しかし、観ていて複雑な思いにとらわれた。製作者の意図は何だろう。社会のために命をかけて闘うことを賞賛しているのか。単にその地域の史実を紹介しようとしているのか」「一揆に立ち上がり、命をかける人々の迷いや苦悩はあまり描かれない。何故か。家族の心配や哀しみも慎ましやかに表現されている。何故だろう。もっと深刻なあつれきや激しい葛藤が描かれても良いのではないか」「なかでも、さらし首になった父親の姿を誇らしげに子供に見せる母親の姿が、どうしても納得いかない」「駄作ではけっしてないが、今一つ心に響いてこなかった」


kinematopia2001.06


 「待ちに待った『A.I.』の先行上映に駆け付けた。スタンリー・キューブリック監督が、長い年月映画化を目指していた『A.I.』をスティーブン・スピルバーグ監督が、その遺志を継ぐ形で製作している。キューブリックが骨格をつくり、スピルバーグが仕上げをした」「キューブリックは、力強い映像をつくるが、温度が低くやや強引な展開が個性。一方、スピルバーグは落ち着いたストーリー運びで映像の温度は温かめ。性格の違う両者の持ち味が融合し、不思議な色合いの作品になっている」「その点をちぐはぐに感じるかどうかで、評価は分かれるだろう。スピルバーグの集大成という宣伝コピーが使われているが、むしろキューブリックSFの集大成と言った方がいいだろう。基本は、キューブリック・テイストだ」

 「愛をインプットされて生まれた少年ロボットの話だが、真実と偽りをめぐる物語は、長い時間を経て、思わぬ展開をみせる。真実と偽りが逆転する結末は、私たちの常識を激しく揺さぶる。いかにも、シニカルなキューブリックらしいが、それを柔らかなファンタジーにまとめあげるところが、スピルバーグらしい」「人工知能の物語といえば、まっ先に『2001年宇宙の旅』を思い出す。人工知能の行方、人間と機械の共存というテーマの一つの回答が、『A.I.』だともいえる」「結末も『2001年宇宙の旅』のラストと響き合っているように思う。2001年に公開された意義は大きい」

 「『JSA』(パク・チャヌク監督)は、ショッキングな作品だ」「38度線上の共同警備区域=JSA。この南北朝鮮分断の象徴で不可解な射殺事件が起こり、真相を究明するためスイス軍将校が訪れる。そして、驚くべき真実と統一への熱い思いが明らかになる。紋切り型を避け、南北分断の現実をファンタジックでありながらリアルに描いた問題作」「2000年に、韓国でこのような作品がつくられたと、きっと後世は記すことになるだろう」

 「最初は、演技が硬く、もたつきが気になったものの、中盤からは南北の男たちの友情に、ぐんぐん引き込まれた。タブーを犯しながら、出会いを繰り返し、本当に楽し気に語らい合う4人。重大な犯罪という政治的な側面を忘れさせるほどに、その会話はコミカルだ。だから悲劇が際立つ」「スイス軍将校役のイ・ヨンエは、最初付け足しのような役回りだったが、最後は未来を象徴する存在となる。表情が乏しく物足りない面もあるが、月並みな恋愛に巻き込まれなかったので許そう」

 「小沼勝監督は、1937年に小樽市で生まれた。12年ぶりに発表した映画『NAGISA』は、2001年第51回ベルリン国際映画祭のキンダーフィルムフェストで日本映画初のグランプリに輝いた。『サディスティック&マゾヒスティック』は、小沼監督の助監督を務めた経験を持つ中田秀夫監督による日活ロマンポルノ30周年記念作。17年間 に47本の日活映画を撮り続けた小沼監督を通じて、日活ロマンポルノの意義を浮き彫りにしている」「懐かしい映像とともに、おとなしそうな監督の『鬼』の側面が明らかにされていく。かつての過酷な共同作業の思い出を語る関係者の証言が面白い」

 「石井秀人は、1960年群馬県生まれ。専修大学在学中、演劇活動をした後、1984年、イメージフォーラム付属映像研究所で実験映画を学ぶ。処女作『家、回帰』が1985年のPFFに入選。以後、8ミリフィルムで作品を制作する。1999年、新作『光』を発表した。山崎幹夫が『8ミリ界の孤 高の人』と呼び、尊敬している監督。6月に屋台劇場まるバ会館で『石井秀人作品集:視線の祈り』が企画された」

 「Aプロプログラムは、『家、回帰』(18分、1984年)、『光の神話』(25分、1986年)、 『風わたり』(26分、1991年)。『家、回帰』は、祖父の死に衝撃を受けて始められ、入浴する祖母の裸体を執拗に記録することで終る。個人映画の王道か。『光の神話』は、『家、回帰』の記憶を反復しながら、変奏していく。『風わたり』は、不動のまま移動、出会いへと転奏していく試み」

 「Bプログラムは、2作品。『小さな舟』(15分、1992年)の写真の独創的な使用、『光』(48分、1999年)の光と影と音響のシンクロは、ケミカル系へと超越しそうになりながら、自らの根拠へと立ち返ってくる。8ミリ映像としての面白さは感じるものの、頑固なまでに世界を切り詰めていく手法は、かなり息苦しい」

 「第2回アメリカン・ショート・ショート・フィルム フェスティバル2000inサッポロのオープニングレセプションが、6月7日夜、イベントスペースEDITで行われた。実行委員長の別所哲也さんは『ショート・フィルムの面白さを北海道中に広めていただきたい』とあいさつした。上映作品のダイジェスト紹介、トークライブの紹介に続き、第54回カンヌ国際映画祭で、短編映画部門のパルムドール賞を受賞したアメリカ映画『おはぎ(ビーン・ケーキ)』(デイビッド・グリーンスパン監督、12分20秒)の上映も行った」「『おはぎ』を見る前に皆でおはぎを食べるという札幌らしい粋な試みも。『おはぎ(ビーン・ケーキ)』は、戦時中の日本の学校を舞台にした作品で全編日本語。軍国主義教育の下、建て前が重んじられた時代だ。そんな中でも率直な感性を失わない子供がいた。転校生の少年を宮川竜一が好演、彼に好意を持つ少女を波多野沙也加が爽やかに演じている。時代考証に支えられながら、全体に素朴な味わいが素晴らしい。ほのぼのとした感動が広がる」

 「6月8日が映画祭の初日。午前11時からアーバンホールで特別プログラム1が始まった。平日ながら、まずまずの入り。『月球儀少年 Moon Grow』(山田勇男監督、28分)は、デジタルな感覚とレトロな感覚のミスマッチ。冒頭の『雨は千億のほうき星』という語りから、稲垣足穂へのオマージュに満ちた幻想世界が広がっていく。まだ生な感じの場面もあるが、山田映画の新しい展開として、今後が楽しみだ。『teevee graphics ・VIDEO VICTIM』(総合演出=小島淳二、34分)は、16の多彩なパーツから成り立っている。最初はデジタル映像のおとなしいサンプルかと思ったが、後半に進むにつれて危ない展開の作品が多くなり、少しドキドキした。結構Hだ」

 「特別プログラム最大の収穫は新海誠監督のアニメとの出会いだ。1973年生まれで、新進気鋭。『彼女と彼女の猫』(4分46秒)は、一人暮らしの女性と拾われた猫のほわっとした日常を描いている。省略のセンスが抜群で、心地よい時間を過ごさせてくれる。2000年のSKIPクリエイティブヒューマン大賞、第12回DoGA CGアニメコンテストグランプリを受賞している。製作中の『ほしのこえ』は、予告編を公開。スーパー遠距離恋愛、アクションSFといった内容。女性が国連宇宙軍のパイロットに選ばれるというのが、いかにも現代的。『私たちは、たぶん宇宙と地上にひきさかれる恋人の、最初の世代だ』というコピーが、新鮮だ。胸の中に染みてくる音楽は、ともに天門の担当」「名コンビと言って良い」

 「札幌ショート作品として『monumentに話し掛ける男』(吉澤智之監督、10分)も上映された。吉澤監督は、マルチ集団 『COMPAS』を主宰している。見ようによっては哲学的なテーマを軽くポップに描いているといえるが、おちゃらけスレスレの危うさもある。堂々と作品化した姿勢は立派。今後に期待しよう」「北海道開発局の看板が取り上げられているので、いくらでも深読みができる」

 「6月9日午前11時からは、特別プログラム2。『デンマーク・ヴィデオアート・データバンク』(80分)は、キュレーターのトーベン・セーボルグ氏が自作『これが色彩である』『それが私である』『広く開けた海の沖合いへ』『AとBの間の宇宙は無限大である』を含め26作品を集めたもの。実験作を中心にしながらも、1960年代から活動している先駆的なデンマーク・ヴィデオの層の厚さを感じる。考えさせる作品が多い中で、カサンドラ・ヴェーレンドルフの『枕』、ダニエル・サロモンの『フットボールヴィデオ』は、笑わせてくれた」

 「Aプログラム(9作品=81分)。ジャパン・ショート・ショート『侍スター』(花見正樹監督)は、集金人の逆襲を描いたもの。凝ったショットは認めるとして、寄せ集め的で個性が見えにくかった。 いよいよアメリカン・ショート。『This Guy Is Falling』(Michael Horowitz & Gareth Smith監督)は、無重力コメディ。スケールががあんなに大きくなるとは思わなかった。12分ではもったいない。 『CHUCK』(Alex Turner監督)『Seraglio』の画像ですは、狂気に陥り訪問者を惨殺するセールスマン・チャックを不気味なまでに静かに描いた作品。後味の悪さは一級。『Me and My Old Man 』(Georgie Roland監督)は、長年連れ添った妻に逃げられた男が父親を訪ねてきて、衝撃の事実に気付くせつなすぎるドラマ。辛い」

「カンヌ映画祭でも注目された『Seraglio』(Gail Lerner & Collin Campbell監督)は、日常に退屈していた中年主婦がキャベツ畑で自分宛てのラブレターを見つけたことで、生活が一変する。テンポ良く男女の心の機微を描いた。うまい。『TITLER』(Jonathan Bekemeier監督)は、ヒトラーを笑いのめしたブラツクコメディ。下品きわまりない替え歌が笑える。『Sunday Afternoon 』(Paul Charney監督)は、『不誠実な返答』などト書きそのままによる会話というアイデア小品。 『The Fool』(Jon Farhat監督)は、『未知との遭遇』のパロディ。男のおバカぶりとブラックな結末に、思わずニヤリとした」「『Vincent』(1982年、Tim Burton監督、6分15秒)は、何度も観ているが、何度観ても飽きない。恐怖の世界に憧れる早熟な少年の妄想を見事に映像化している」

 「Bプログラム(10作品=82分)。ジャパン・ショート・ショートは 『Too Much』(野川みゆ樹監督)、『サイの芽 』(アラキ マサヒト監督)の2作品。ともに2分台で、一気に話を進める。『Delusions in Modern Primitivism』(Daniel Loflin監督)は、今年のアワード受賞作。ドキュメンタリーの面白さと結末の衝撃が評価されたのだろう。『The Ride Home』(Sam Hoffman監督)は、アルツハイマー病の悲しさと家族の絆を描いた寡黙な作品。 『Soul Collectors』(Rebecca Rodriguez監督)は、ショートショートにありがちなオチの典型。先が読めてしまう」

 「『That Creepy Old Doll』(Beck Underwood監督)は、アニメーションの技術的な面白さはあるが、もう少し物語を膨らませてほしかった。平凡な結末。『Seven Hours to Burn』(Shanti Thakur監督)は、過酷な民族と宗教の歴史をたどる。『Zen and the Art of Landscaping 』(David Kartch監督)は、若い庭師が仕事先の家の家族のとんでもない関係に巻き込まれる物語。『Voy』 (Casey Thomson監督)は、ストーカーの実態に迫ったやりきれない作品。 『Girl Go Boom 』(Mark Tiederman監督)は、女性を口説く青年に待ち構えている結末が凄まじい」

 「Cプログラム(8作品=80分)。 ジャパン・ショート・ショート2作品。『取毛男』(高掛智朗&前田賢次朗監督)。抜いた鼻毛がくじ引きだったらというコミックCG作。着眼点は素晴らしかったが、ひねりが足りなかった。残念。『Elle etait si jollie 』(Marc Rigaudis監督)は、在日のフランス人によるもの。いじめによる自殺を描いている。最後の長々とした説明がなければ、もっと胸に迫ったはず」「『The Ballad of Little Roger Mead 』(Mark Carter監督)は、とんでもない作品。芸能コンテストに参加した12歳の少年の特技は、歌いながらゲロを空中に吐き、それをまだ飲み込むというもの。観客は皆気分が悪くなって、父親にも勘当されてしまう。ゲロ吐きが印象的な映画としては、『トレインスポッティング』(ダニー・ボイル監督)や『チューブ・テイルズ6・マウス』(アーマンド・イアヌッチ監督)、日本では『ピノキオ ルート964』(福居ジョウジン監督)などがあるが、独創性ではこの作品が一番かもしれない」

「『NO IDEA』(Dan McLaughlin監督)は、1分間のアニメ。ファスナーなどの発明品を思い浮かべている原始人が登場する。『Oregon』(Rafael Fernandez監督)は、近未来の冷酷な管理社会を冷徹に描いているように見えて、その滑稽さも表現している。 『The Last Real Cowboys』(Jeff Lester監督)も、カウボーイの定義をめぐる男たちの物語。温かさと冷たさの両面を備えた作品。『The Box 』(Stefan Gronsky監督)は、優れたCG技術を見せてくれる」「『Frankenweenie』(Tim Burton監督)は、『シザーハンズ』の原型と言われるストーリーだが、まだ習作といった方がいい。センスの良さは感じるが」

 「Dプログラム(9作品=79分)も、ジャパン・ショート・ショートは2作品。『Hands』(島田英二監督)は、メッセージ性を乗せたスピード感のある映像。ほのかなユーモアも見逃せない。『若い二人(Too Young)』(合志知子監督)は、フルCGによるブラックなコメディ。はつらつとした笑いの下に隠された暴力性をえがいている。のかな。『12 x 12』(Maja Zimmerman監督)は、シリアスな独房もの。政治犯がゴキブリと心を通わせる場面から、痛々しい孤独が伝わってくる。緊迫感のある展開が、ラストでそがれたのが惜しまれる。16分のドラマを見事にまとめた『 LAST REQUEST』(Tom Hodges監督)は、ギャングたちのやりとりが抜群に面白い。長編の余韻さえ残す味わいだ。『Alien Song 』(Victor Navone監督)は、CGによる1分間のお遊び」

「 地獄行きが決まった主人公は、善行を積んで天国へ行けるのか。『In God We Trust』(Jason Reitman監督)も、16分を目一杯使ってドラマを楽しませてくれる。計算される善悪の価値観がめちゃくちゃで笑わせる。『Rick & Steve: The Happiest Gay Couple in All the World 』( Q.Allan Brocka監督)は、レゴを使ったアニメ。超危ない会話も、可愛いレゴ人形によって救われている。『Invisible』(Mollie Jones監督)は、ドラッグ中毒のアーティストの物語。ストーリーよりも映像の美しさに引き込まれた。グラスドームをめぐるラブストーリー『The Indescribable Nth』 (Oscar Moore監督)は、セルアニメの自在さを生かして、心温まる世界を作り上げた」

 「Eプログラム(8作品=81分)。ジャパン・ショート・ショートは、さわやかな感動を運んでくる『並木道』(小野寺圭介監督)。リリシズムの表現力は将来性十分。 『The Hook-Armed Man』(Greg Chwerchak監督)は、殺人鬼『フック腕』が、社会に溶け込もうとするが、再び殺人を繰り返してしまうまでを、皮肉な視線で描いている。 『Better Life 』(Atsuko Kubota監督)は、タッチがユニークなアニメ。日常を淡々と描写するという狙いは分るが、あまりにも当たり前すぎる。『New Apartment』(AlexanderRose監督) は、前任者の忘れ物をテーマにしたクスクス笑いの小品」

「『The Great Upsidedown』(Brian Klugman監督)は、盗みを働いて逆さ吊りにされた3人の若者の会話劇。コントとして楽しめる。会場を笑いが包んだ『Pillowfight』(Scott Rice監督)は、リアルで愛情に満ちたコメディ。監督が奥さんに捧げたというラストクレジットと、最後の放屁がさらに笑いを盛り上げた。『Boundaries』(Greg Durbin監督)は、20分近いドラマ。無口のトロンボーン奏者に24時間こづかれているという患者が、その悲惨さを医師に訴える。俳優の演技のうまさと見事な結末に感心した。『George Lucas in Love 』(Joe Nussbaum監督)は、アメショーにふさわしい心温まる作品。笑った回数は、この作品が一番多い」

 「Iプログラム(7作品=85分)。このプログラムは、アメリカ以外の国の作品。『Flowergirl』(Cate Shortland監督)は、オーストラリア。日本人ダイスケは、帰国を前にして、友人たちとの関係など、さまざまな思いに浸る。ラストのビデオが素敵だ。ニュージーランドの『Infection 』(James Cunningham監督)は、コンピューターウィルスをテーマにしたCGアニメ。少し不気味。ドイツの『Kleingeld 』(Marc-Andreas Bochert監督)は、ホームレスとビジネスマンの関係を描いて、なかなか考えさせられる」

「『Walking on the Wild Side 』(ベルギー、Dominique Able & Fiona Gordon監督)は、Hでハッピーなコメディ。大いなる勘違いがドタバタ劇に発展し嬉しくなる。 イランの『Alone with the Land』(Vahid Mousaian監督)とシンガポールの『Sons』(Royston Tan監督)は、父と子をめぐるストーリーが心にしみる。『Cycling is Essential』(Soko Kaukoranta監督)は、フィンランドの冬の風景を生かしたほのぼの作品」


kinematopia2001.07


 「『クイルズ』(フィリップ・カウフマン監督)は、シャラントン精神病院時代のマルキ・ド・サドを、虚実を織り交ぜて描いている。史実通りでも十分に映画的な人生だったが、創作を加えることによって、サドという存在の現代性がより際立ったと思う」「知的なユーモアと背徳的な表現が溶け合った会話、サドをめぐる人々の複雑な関係、十字架を飲み込んで絶命するクライマックスシーン。ダグ・ライトの脚本は、素晴らしく独創的。サドやコラール博士の内面に入り込むのではなく、行動によって思想をあぶり出す手法も現代的だ」「撮影、衣装など美術面も傑出している。品格とケレン味がバランス良くブレンドされ、芸術的な奥行きと刺激的な娯楽性を両立させている」

 「『シャイン』のオスカー俳優ジェフリー・ラッシュと『サイダーハウス・ルール』で2回目のオスカーを受賞したマイケル・ケインがサドとコラール博士を演じて対決する。『グラディエーター』でオスカーにノミネートされたホアキン・フェニックスがクルミエ神父、『タイタニック』でノミネートされたケイト・ウィンスレットがサドの理解者マドレーヌ。この4人は、息詰まる熱演をみせる」「彼等に隠れて目立たないものの、コラール博士の16歳の幼な妻シモーヌ役のアメリア・ウォーナーが、サドによって背徳の性に目覚めていく妖しい美少女を見事に演じている」「サドに影響された人々の多くが破滅していく中で、彼女はサド思想の自由の側面を開花させているね」

 「1968年に公開された、あまりにも有名な『猿の惑星』をティム・バートン監督がリメークした『猿の惑星』」「単なるリメークではなく、リ・イマジネーション(再創造)だと宣伝されている。確かに新しい試みを取り入れ、バートンらしさもあるが、オリジナルの衝撃力の磁場から抜け出しているわけではない。価値観の転倒というテーマ自体がバートン的ではあるものの、身ぶりやデザインなど猿の独自の文化を取り入れた以外は、遊びが少なかったように思う」「ラストも見え透いていた」

 「これまでのバートンの作品は、突拍子もないお遊びが絶妙な面白さにつながっていた。俳優たちに猿のメークをして、猿の身ぶりを演じさせる、という今回のお遊びは、抱腹絶倒や深い感動をもたらすまでには至らなかった」「ティム・ロスら猿側の熱演に比べ、人間の側の俳優に魅力がなさすぎる。マーク・ウォルバーグは真面目なだけだし、モデル出身のエステラ・ウォーレンは意外に影が薄かった」

 「自然と地域文化に溶け込みながら、大胆な省略法で独創的な世界を生み出した『萌の朱雀』から、4年。奈良を舞台にした河瀬直美監督の新作『火垂(ほたる)』は、ストリッパーと陶芸家のラブストーリー。四季の移り変わりを美しく描きながら、暗い痛々しさで始まり、明るい痛々しさで終わる」「今回も、言葉は少ない。通常のストーリー展開を打ち破って、監督の情念がほとばしる思わぬ展開にとまどうことも多かった。個人の思いを赤裸々に作品に持ち込む姿勢は、賛否が分れるところだろうが、私は支持したい。映画の整然とした物語に慣れ過ぎているが、人生は整然としていないのだから」

 「『TRUTHS: A STREAM』にも出演していた中村優子が主演。少女時代のトラウマを抱えたまま大人になった弱さと、人間としてのふてぶてしさの両方を、大胆かつ繊細に演じていた。ぶっきらぼうに見えながら、醜さと美しさが交差し、しっかりとした存在感がある」「癌に倒れ、最後は窯で弔われるあやこの母親代わりのストリッパーを山口美也子が、どこかに淋しさをたたえながら、どっしりと演じている」「しかし男たちの影は薄い」

 「『ブレード・ランナー』(リドリー・スコット監督)の有名なエレベーターのラストシーンが、『I.K.U.』のセクシーなオープニングにつながる。近未来の東京を舞台にしたサイバー・ポルノ・ムービー。タルコフスキーが『惑星ソラリス』で使用した首都高速道路も登場する。シュリー・チェンという女性監督が、CGを多用しながら、セックス・レプリカントの行動を流れるように活写していく」「ストーリーは、ひねりがなく平凡で、映像の求心力も乏しいが、トータルで評価すれば、ちょっぴり日本を皮肉ったおおらかなポルノ風B級SFかもしれない」「男性にとっては扇情的なポルノとは呼べないだろうが、女性たちが、どう評価しているのか、知りたい」

 「注目すべきは、キャステイングだろう。面白い俳優たちを集めている。レイコの七変化は、予想に反してあまりインパクトはなかったが、時任歩のねっとりとした存在感には圧倒された」「私にとっての最大の収穫は、Aja(あや)というアーティストとの出会い。『クスコー氏の宇宙』『赤い魚』『月の海月』というCDアルバムを発表しているほか、独創的なパフォーマー、作家でもある。人間もレプリカントも、ともに魅了してしまう美しき超絶レプリカントTokyo Roseを演じるにふさわしい逸材だと思う」


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Visitorssince2001.10.21