産んだ後自分が産んだ子が側に居ないというのは、とても寂しい。 ベッドの上で寝ていても誰かの赤ちゃんの泣き声が聞こえるし、隣の部屋では面会の人達が「かわいい〜」を 連発してるのが聞こえるし、『子供たちは大丈夫なのだろうか』という思いだけが込み上げてきて、 また泣いていた。 母と子が別々の病院だと、全く情報が入ってこない。 パパは一旦東京の自宅へ帰り、3日経った週末に来てNICU(新生児集中治療室)にいる子供たちの 写真を撮ってきてくれた。 NICUへは子供の両親しか入れないのである。おばあちゃんや親戚も入れない。 だからパパにその時の状態を聞いたけどその後はまたわからない。 やっと、男の先生が「赤ちゃんはどう?」と聞いてきたので、「わからないんです」と言ったら 「じゃあ向こうの病院に電話して聞いてあげるよ」と言ってくれた。 だけど、「元気だそうだよ。ミルクも飲んでるようだし」それだけだった。 早く顔が見たいと今まで以上に思った。 陣痛も麻酔もあまり痛くなかった私にとって、何が痛かったかというと、それは点滴と手術の時尿を とるための管を入れる時だった。 点滴は私の場合、血管が細くて出ないので切迫早産時からやっかいなことだった。 もう点滴をする血管がないほどになっていた。たぶん看護婦さんたちの嫌いな患者の1人だったに違いない。 でも失敗ばかりして私の血管が悪いと言う看護婦さんたちの中で、山口もえちゃん似の看護婦さんは 「もうほんとに〜こんな可哀想な腕にしちゃって。点滴は苦手な人多いのよ。ごめんね」と言ってくれた。 若いのにこの人は痛くなかった。やっぱ自信があるだけに上手い。 そしてもう1つ、おしっこの管を入れる時は、夜中に破水してちょうどその日は違う病院の先生の当直の日で ウテメリン(子宮収縮を抑えるクスリ)の点滴を強くして朝まで待たされ、おしっこに行きたかったが 「破水をしてるから動いちゃダメ」と言われ手術の時にも必ずすることだから今からやりましょうと、 おしっこを出す場所から管を入れられた。痛かった。 仕組みはあまりわからないが、たぶん逆点滴のような状態だと思う。 それからが大変だった。 だって脳は“おしっこを出したい”と指令を出してるのに、おしっこは勝手に出てるから違和感があって 悪寒が出るようになって熱が上がって寒くて寒くてどうしようもなくなり、ふとんを何マイも掛けてもらい 湯たんぽも入れてもらった。しばらくして汗を出したら、よくなってきた。 おしっこの管は抜く時は、「すって〜はいて〜」と言ってる間にスウ〜っと簡単に抜けて痛くなかった。 そうそう、それに産んだ後の子宮が元に戻る“後産(後陣痛)”がめちゃめちゃ痛くて、 痛み止めの座薬を2回入れてもらった。 もう1つ痛かったのは、おっぱいが張りすぎてガチンガチンになったこと。 帝王切開の人は手術後に点滴をしてるから、お乳は出たがってるのに止められてる状態なんだって。 おっぱいが張りすぎて熱が39度まで出てしまい、乳腺炎になるといけないからってまずおっぱいを冷やして、 その後マッサージをされるんだけど、「うぐぐぐぐぅううっっ〜〜〜!!!!」と言葉が出ないほど、 とてつもなく痛かった。 この時「双子だから2人分お乳が出るのね」と言われたが、3ヶ月ほどで出なくなったよ。 たぶん、子供たちが入院していた1ヶ月間は授乳時間以外は自分で搾乳していたからだと思う。 おっぱいは吸われると出るっていうじゃん。だけど私の場合はほとんどそういうのがなかったからじゃないかな? それに引っ越しなんかも重なって、おっぱいをあげる時間の間隔が長くなって、だんだん出なくなっちゃった。 それからはずっとミルクをあげてます。 母乳で育てたかったけど2人分もやっぱり出なかったわけで、でも今のミルクって母乳に近いっていうのが 出てるし大丈夫だよね。 現在も単胎の子よりは小さいけど、2人共大きくなろうとがんばってるよ。
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