就職差別との闘い

東京都同和教育研究協議会 松浦利貞


 就職差別が今もなお厳しくあります。就職差別に対しては、丁度二十年前、一九七三年に全国高等学校の統一応募用紙というのが作られ、差別をなくす取り組みが進められてきました。しかし、二十年たったにもかかわらず、統一応募用紙の意義や精神が未だ理解されていないという現実があります。

早期選考の問題点
 東京都高等学校教職員組合が行なった一九九一年の就職アンケート調査集計結果というのがあります。就職試験を受けた生徒を対象にしてアンケート調査をしたわけです。現在、東京での採用選考については二つ問題があります。一つは早期選考。いわゆる青田買いというものです。大学生が非常に早く青田買いがおこなわれています。高校でも早期選考・青田買いがおこなわれております。ただしこれは全国どこでもかと言うとそうではありません。この東京、埼玉、神奈川、千葉、いわゆる首都圏の本社採用の選考だけが早期選考を行なっているのです。現在、高等学校では全国的に九月十九日からと選考日開始日が決まっています。ところが、首都圏の大方の高校では夏休みに入りますと、生徒を会社見学に送ります。そこで、事実上の選考がおこなわれて、七月の末、八月の末には内々定ということになるわけです。これは高等学校の教育でも大変困ったことなんですが、首都圏でどんどん内定が出てしまい、全国各地で九月十六日から選考開始になっても採用がない。困ったことだということで批判がありました。これが一つの課題です。

一九七三年に全国高等学校の統一応募用紙制定
 もう一つは統一応募用紙が制定されて二十年たったにもかかわらず、未だに統一応募用紙違反の「親の職業を聞いたり、本籍地を聞いたり、思想・信条を聞いたり」などの違反質問が多いのです。生徒を対象にしたアンケートを、この間約十年間継続してやっています。しかし、依然として変わっていない。親の職業を聞かれた生徒がこの十年間二十〜三十%、本籍地を聞かれた生徒が一九九一年に八・五%で、この十年間八%と変わっていません。住所略図、環境、家の状況など詳しく聞かれた生徒が二十四%。これも変わりません。それから、思想・信条を問うような尊敬する人物を聞かれた生徒も四・五%で変わりがない。東京の高校では私立公立合わせて、就職する生徒が二万人位いますから、この割合で換算しますと、数万件の違反件数ということになります。大阪の方だと十年間に十件二十件あると大変だということになるんですが、東京では数万件ですから、もうとんでもないことです。一方では、数万件もあるとどこでもそれをやっていると、別にいいんじゃないかという話にもなってしまうんです。
 東京の職安行政、労働経済局なども、この実態をある程度調べておりまして、何とかこれを無くしていきたい、是正していきたい、統一応募用紙違反を無くしていきたいということで、取り組んでこられたにもかかわらず、今回の足立職安の事件が起きてしまう。取り組んできた内容に、まだまだ問題点が多いということです。

就職差別撤廃に向けた闘いの歩み
 現在は就職差別はいけないものという認識が常識になっています。本音はわかりませんが。少なくとも、就職差別はいいなんていう企業はありません。それから、就職差別につながる「親の職業を聞く」ことがいけないということはおおかた理解をされていると思います。しかし、東京では三十%の生徒が親の職業を聞かれているということからすると、まだまだ理解は簡単ではないということになります。
 もう少し前まででは就職差別は常識だったんです。わたしは五十二歳なんですけれども、丁度三十年前に教員になりました。最初は埼玉県の商業高校に勤めました。約四百人位の生徒がいて、九割程が就職するという学校でした。その当時は就職差別は当たり前だったんです。四十代、五十代の方は当時就職差別が当たり前だったということをご理解いただけると思います。自分が就職するとき、あるいは自分のまわりで就職を考えたときに、就職差別は当然の事としてあったということはご存じじゃないかと思います。わたし自身が就職するときもそうであったし、それから、私が教員になった学校の生徒が就職する時にも、会社ごとに違う「社用紙」にさまざまな個人情報を書き込まされました。本籍地欄には番地まで書かせていましたし、親の職業や家族の職業も何々会社の係長だとか課長だとかそういうところまで書かせ、親の収入や財産についても動産、不動産、貯金がどれだけあるのかを書かせ、最後には家が持ち家なのか、借家なのか、アパート住まいなのか、何畳の部屋が何部屋あるのか、といった風に事細かく調べていたのです。親の学歴も、聞かれるし、宗教や思想信条を問うような尊敬する人物だとか、あるいは愛読書だとか、読んでいる新聞とかも聞かれていました。尊敬する人物がマルクスやレーニンであれば問題になったわけです。こうした履歴書、身上書を書かせられてさらに、戸籍謄本やあるいは住民票を提出させられていました。就職試験の面接のときにはもっと詳しくいろいろ聞いていた、それが常識的な実態であったわけです。あるいは身元調査をするということがありました。特に銀行や金融関係が厳しかった。まず、ひとり親の場合、母子家庭、父子家庭の場合はだめだった。親の職業や親の財産によっても差別をする。特に銀行はお金を使っているから、お金で親が問題のある人は、親の責任をとるということになるわけで、そういう子供は銀行ではだめだといわれた。貧乏であったり、収入が低いというのではだめなんだというわけです。我々教員がそういうものはおかしいなぁと思ったとしても、しかし、世の中そういうものであって、社会は厳しいんだ。甘くはないんだ。仕方がない。そんなことで文句をいってもどうしようもないんだ。だから、生徒にも、そういうところには行かないで、差別のないような、とは言っても実際は差別をされたんですけれども。そういうところへ送るのが教員の役目だと考えていたんです。そういうことが実態であったし、そういうことに教員は手を貸していたということがあるわけです。それは今考えてみますと、大変に問題があったと考えています。現在は本人の能力に関係のないことは採用にあたって調べたり聞いてはいけないということになっているんです。しかし、当時は、本人の能力適性は家庭環境や地域の環境によると考えられていたわけです。それで、それはおかしいと思ってもしょうがないこことしてみんな諦めていたんです。でも、どうしても諦めきれない。何とかしなければいけないということを考えてきた人たちがいるわけです。それはまさに差別をされた立場の人間であったし。部落出身の人たちであったり、部落解放同盟であったりということになります。
 こういう中で、一九六五年に「同和」対策審議会答申が出され、一九六九年には同和対策事業特別措置法が作られていきました。そして、「同和」対策事業が実施されるようになってきます。それと歩調を合わせまして、就職差別を許さないという取り組みが全国でおこなわれます。ただし、全国といっても西日本が中心で、東日本ではほとんど取り組みがなかったのです。
 「同和」教育というのは、四十年来の歴史があるわけですが、「同和」教育にとりくんでいた教員たちも最初は生徒を諦めさせていたんです。「差別に負けないように頑張れ」と言われて、生徒たちはがんばって自分の家の職業を胸を張って堂々と言う。けれども、有形無形の差別を受ける。「教員たちが頑張れと言うので、頑張って言うと差別をされて落とされてくるではないか。どう責任をとるんだ」ということになるわけです。そういう突き上げの中から教員たちも頑張るようになったのです。大阪で、京都で、滋賀で、あるいは、広島で。そういうことで就職差別反対の取り組みが始まりました。
 大変有名な取り組みとしては、一九六七年、京都の日本電池という大きな会社で部落出身の生徒が一度は内定したのに、内定後に身元調査をされてあの地域はがらが悪いということで不合格にされたんです。これはとんでもないことだ。それで就職差別反対共闘会議というものが様々な団体で作られて、日本電池と交渉をやり、最終的には京都府議会が満場一致で就職差別を今後一切根絶しようという決議をあげて、この問題を解決していくということになります。
 また、当時の協和銀行、現在のあさひ銀行が広島の高校生の採用で就職差別をするという事件も起きました。詳しくは後で述べます。
 こうした闘いから、一九七〇年に京都だとか、兵庫、広島だとかで、その府県独自の統一応募用紙ができるんです。そして、一九七一年には近畿の統一応募用紙が作られ、一九七三年には全国高校長会と労働省、文部省が話し合いをして全国高等学校の統一応募用紙ができてきます。

生徒たち自身の身を切るような闘いの中から
 この過程で民間企業に対する取り組みとともに、公務員に対する取り組みもおこなわれます。一九七一年に兵庫県の部落出身の女の子が国家公務員試験を受けて一次に合格します。その後、戸籍抄本の提出を求められて、さらに身元調査がおこなわれて不合格通知がきます。明らかに身元調査をして部落出身だということが判明して落とされたんだということで、これは兵庫の教員たちが中心になって取り組みを進めます。部落解放同盟中央本部とも一緒になって取り組みを進めます。人事院の近畿事務局と交渉をしたんですけれども、その時に人事院の担当は「身元調査をするのは国民の大切な金を預かっているからだ。人柄と環境は切り離せない」と言ったのです。
 親の職業を聞くとか、身元調査をするのはいけないことだというのが、はじめからそう思われていたわけじゃない。むしろ、身元調査をしても当然なんだという意識が長くあったんです。しかし、それはおかしいんではなかろうか。どういう思いで生徒たちが公務員試験を受けようとしているのか。様々な差別の中で親は苦労をしている。自分は何とか親を安心させるために自分は公務員を受けたい。しかし、受けたら部落出身だということを知られてしまう。そういう子供たちの思いをきちんとわかっているんだろうかということで交渉をしていきます。そして、戸籍抄本から身元調査ということになりますけれども。兵庫の高校では戸籍抄本を求められたときに、出さないということで実力行使をおこなった。出さないというところは当然不利になるだろう。生徒たちは出さないとまずいんじゃなかろうかと考えたんですけれども。そこは皆で議論をするわけです。出せる人もいるかも知れないけれども、出せない人もいる。例えば、本人が生まれて母親が死んでしまった。お父さんは子どもを連れて別の人と再婚をする。ところが、そのお父さんも死んでしまう。それで、義理のおかあさんと本人と頑張ってきた。その子は別に義理のお母さんを恨んでいるいるわけではなくて、なかよく暮らしているわけです。しかし、戸籍抄本を出すことによって、相手はどう判断するのであろうか。偏見・差別の目で見られてしまう。それはいけないことだ。それは、やはり、出すべきではないし、出せる生徒も出してはいけないんだ。言ってみれば、自分の身を切るような形で実力行使をして、最終的には人事院も戸籍抄本はいりません。身元調査はやりませんという回答をしています。そういう高校生たちの闘いの中でようやく国家公務員もそういう差別的な選考が改まっていった。そして、全国高等学校の統一応募用紙ができていくわけです。

一切の差別を許さない取り組みとしての統一応募用紙
 この全国統一応募用紙が出来ていくということは、それは高等学校だけ。中学はどうかと言えば中学は、中学で別の統一応募用紙になっています。これは統一をされている。それから、大学は遅れているわけです。しかし、考え方、精神というものは、全国高等学校応募用紙というのは、高等学校だけ差別をしないというのではなくて中学も大学もそれは同じなんです。それは、就職差別を許さない。元々の出発点は部落差別を許さないということで、「同和」教育に従事をした教職員やあるいは部落解放同盟で運動が始まったんですけれども。統一応募用紙が制定されたのは部落差別を許さないというだけではなくって、親の職業による差別も許さない。ひとり親の家庭に対する差別も許さない。思想信条で差別をすることを許さない。信仰で差別をすることを許さない。一切の差別をしない、させない、許さないという考え方がここで確立をするわけです。数職差別を許さない。それは一切の就職差別を許さないという考え方が全国的に確立されました。そういうこととして全国高等学校統一応募用紙の制定を考えていいだろうと思います。しかし、本音としてはまだまだどうかなあというところがありまして、やっぱり、差別をしたい、差別をする材料を見つけたいというところがでてくるわけで。これが一九七五年全国的に問題になりました部落地名総鑑事件であったわけで。今までは堂々と本籍も親の職業も堂々と聞けた。ところが、もう聞けないという状況になった。では、聞かなくてもわかる手立ては無いかということで、差別を商売にしたのが部落地名総鑑で、会社もそれに乗っかってしまった。それで、部落地名総鑑が問題になったんです。それでようやく企業でももう少し考えようということで、部落問題に対する企業の責任もこのへんからはじまった。

まだまだ東京で根付いていない統一応募用紙
 そういう全国的な取り組みの中で東京ではどうだったか。全国高等学校統一応募用紙は、西では自分たちがそれぞれ就職差別に対する闘いを、滋賀でも京都でも広島でも岡山でもとりくんだんです。だから、自分たちがとりくんでようやく実現した統一応募用紙だったんです。それは大切にしなければいけない。統一応募用紙違反については学校も許さないし、企業に対しても許さない。そういうことでこれは受けとめられていくんです。ところが、東日本、関東、東京では、そういう闘い、そういう取り組みがなくて、突然、一九七三年に統一応募用紙ができた。だから、差別を無くすためにできたんだという知識ぐらいはありますけれども、今までは生徒を就職させるということは、すごく面倒な履歴書身上書を書かせなければいけない。それをきちんと書かせなければいけないし、戸籍謄本を要求しなければいけない。住民票を要求しなければいけない。そういうものが簡単になってしまって。統一応募用紙になって、これは簡単になってよかったなあという形の受けとめ方、書式が簡素化したぐらいにしか受けとめられずに、就職差別を許さないという本質的な受けとめがかなり希薄であったといえます。ですから、学校の取り組みも弱いし、企業の受けとめ方も十分ではなくて親の職業を聞くのも当たり前、本籍を聞くのも当たり前という状況が東京ではずーっと、続いている。私たちもその中でいくつかの取り組みをしていくわけですけれども。一九七八年に横浜市の就職差別に対して都立南葛飾高校の教職員、そして、東京都同和教育研究協議会が一緒になりまして、横浜市と交渉いたしました。都立南葛飾高校の卒業生で部落出身の男子の生徒が、横浜市の職員採用試験を受けるわけです。一次が通って、二次の面接が終わってその結果不合格だったわけです。当時の横浜市は横浜市独自の用紙を使っていました。そこには本籍地を書かせる、家族の職業や収入を書かせるそういう特別な用紙を使っているわけです。彼はお母さんが病気だったので、お母さんの世話をしたい。そのためには近くがいいということで、横浜市を選ぶことにしたのです。面接でも、お母さんの健康状態を詳しく聞かれたり、「自分は親の面倒がみたいからこの職場を選んだんだ」とちゃんと応えているわけですけれども結果的には不合格になった。これは差別じゃないかといって交渉をやったんです。しかし、横浜市は差別はしてませんの一点張りでした。では最終的に何で落とされたんですかと聞くと、血圧が高かったんですという答えが返ってきました。血圧が高いというだけで落とすのは問題だということで、今後一切親の職業を聞くとかいうことはやりませんということで、本人については再度試験を受けさせて最終的には横浜市に合格したんです。
足立区内の企業も就職差別を
 それから、足立区に本社のあるお菓子問屋「サンエス」が「部落出身者と韓国人はとりません」と明言して問題になって、糾弾をされて反省をしたという事件です。また、一九八八年にはブルーチップスタンプ社の差別事件ー部落出身者はとりませんということで糾弾されたという事件があります。

二十年前の教訓は?
 さらに、私たち東京都同和教育研究協議会がとりくんだ事例として、一九八八年に協和銀行の差別事件というのがあります。一九八七年に、それまでは高校の選考開始日は九月十八日だったんですが。大学の青田買いがどんどん進んできたということで、高校も早くしようということで九月十六日に繰り上がったわけです。そうすると協和銀行では今までも青田買いがあったわけですけれども、更に早まるなあという判断をされたんだろうと思いますけど。六月十五日に各学校に連絡を送りまして、七月二日から選考をはじめるということになります。これはひどいのではないかということであちこちから問題が出まして、私たちは都の労働経済局に問題提起をしまして、協和銀行としてはまずいということで、七月二日の選考はやらなかったんです。ところが、そこで問題提起をしたのは神奈川や東京の公立高校だったんですね。そこで、東京都の教職員組合が委員長名で直接協和銀行へこれはあまりにもひどいということで抗議をしているんです。そういうことで都立高校が問題提起をしたということが会社の方に分かってきたわけですが、そうすると次の年に、協和銀行は都立高校や首都圏の公立高校の求人を物凄く減らして、私立高校を中心として青田買いをやったんです。都立高校は三校だけ、言い方は良くありませんけれども、「名門」商業高校とでも言うんでしょうか。その三校だけは例外でとりましたけれども、都立高校からはとらなかったんです。我々が問題提起をしたことへの報復行為だったんです。
 それで、私たちは協和銀行へ直接抗議をしました。その次には部落解放同盟にもお願いをしまして、東京都、組合も一緒になりまして、協和銀行と交渉を持ちました。協和銀行の方は事実は認めまして、確かに公立高校を外して私立高校を中心に早期選考をした。それと合わせて協和銀行はずっと、親の職業を聞いていたんです。組合の調査の中で協和銀行が例年親の職業を聞いていることが資料としてでてきました。協和銀行は早期選考の問題もあるけれども、親の職業を聞いているではないかということを言いました。協和銀行は、はじめはそんなことはないですと言っていたんですけれども、しかし資料をつきつけられて、最後には親の職業を聞いたようです、何のために聞いたのかと言うと、親の職業を聞いて親が定職についていない、親が仕事してない、そういう場合にはやはり銀行ではお金を扱っているので、ちょっとどうかという意識が働いたんですという答えでした。協和銀行は問題を認めて反省をして今後取り組みますということなので、悪く言う必要はないんですけれども、実は協和銀行はこのときがはじめてではなくて、実は二十年ほど前に同じような事件を起こしているんです。
 一九六九年、就職差別が常識であった時代に各地で闘いが起こりました。その一つは広島において協和銀行の差別事件があったんです。協和銀行の就職担当者が、広島のある高校を訪れまして、来年もよろしくという話だったんですけれども、そのときに部落出身の人と創価学会の人は困りますといったんです。何で部落の人と創価学会の人はいけないんですかというふうに聞きましたら、部落の人は銀行の品位を犯すものだといったんです。創価学会の人は何故かと言うと、仕事している間に学会の活動をするから困るという具合です。そういうことで、部落の人と創価学会の人は困りますということで、これは部落解放同盟の広島県連が中心になりまして、糾弾闘争を行ないまして最終的には協和銀行は「確かにそういう差別をした。銀行の中に差別体質があった」ということを認めまして今後そういうことはあらためましてきちっと部落問題解決のために取り組みます。今後部落の人が協和銀行にくるならば是非受けてください。是非、協和銀行を受けて欲しいというアピールまで出していったん終ったんです。そういう差別事件を起こして、真面目に「同和」研修もやりますと言っていたのに二十年ぐらいたって、もう「同和」研修はどっかへいっちゃって、二十年前の差別事件も忘れている。二十年前に、こういう話はありませんでしたかと聞くと、いや、そういう話は聞いていません。そういうようなことなので本当に反省をしたのか、どうなのか分からないんですけれども、その点では率直に反省をしまして、今後しないということになりました。そして、銀行全体の問題でもあるということで、銀行協会にも申し入れをして、今では銀行は他の企業と違って早期選考は一切しないということで銀行全体が足並みをそろえています。しかし、親の職業や本籍地を聞くといったことは、まだまだ、普通にやられているのが現状です。
差別撤廃に向けた取り組みの強化のためにも、統一応募用紙の意義を理解しよう
 最後に、東京の現状と問題点になりますが、いままでにも繰り返して過ちをしているわけです。統一応募用紙が制定され : 二十年経っているのに未だに考え方が理解されていない。統一応募用紙への無知、無理解、無関心があります。二十年も経っているのに未だに統一応募用紙の事をしらない。東京の現実というのは二十年経っても未だに親の職業が聞かれているというのが現実だと思っています。
 親の職業を聞いてなぜ悪いんだ。なぜ悪いのか良くわからないという人がたくさんいるわけです。日常の会話だってお前のおとうちゃんなにしてんの?って聞くだろうというんです。しかし、一般的な会話で親の職業を聞くのと、就職選考の際に親の職業を聞くのとでは質は違うわけです。また、聞いてるほうは意味があるわけじゃない。親の職業を聞いて差別するつもりじゃないと思われているかもしれませんが、協和銀行の事例もそうですが、親の職業を聞くということは前提として親が職業についているということなんです。親の職業が無い人だっているわけですね。お父さんが病気で、事故で何らかの理由で仕事につけない。お父さん何をしてるの?と聞かれたときに、お父さんは遊んでますとか、寝てますとかでは生徒の方も答えにくいんです。聞くほうも親の職業で差別はしないけれども、職業の無い人については別だとということにもなっていく。親の職業を聞いて職業に貴賤はないと言われているんですが、職業によって偏見を持つ人はまだまだ多いというのが現状です。親の職業を堂々と答える生徒もいると思いますが、親の職業に不満がある、自信が無い生徒もいます。そういう生徒は親の職業を聞かれたときにくちごもってしまいます。くちごもってしまえば本人は何か印象が悪い。ちゃんと、はきはきしない。答えないということになります。親の職業はそういうことで差別につながるわけで、これは聞いてはいけないわけです。
 人事の担当の方は親の職業を聞いてはいけないくらいはご存じかも知れません。担当者以外で親の職業について聞けば、なぜ悪いの?ということになるかもしれません。朝日新聞の論壇に投稿したことがあって、そのときに東京で今親の職業を聞いたことのある企業は三十%ありますと書いたことがあるんです。そしたら、論壇の担当者が電話をよこしまして、あなたの原稿を採用しますけれども、何で親の職業を聞いちゃいけないんですかいうわけです。朝日新聞の論壇の担当者であるような人が、親の職業をなぜ聞いてはいけないのかと聞くようでは困ったものですねと言ったんですけれども。実態としてはそんなもんだと思うんです。どこの企業も人事担当者くらいは知識として知っていたとしても大方は親の職業を聞いてなぜ悪いの?という程度ではないかなあと思っています。

東京の差別の現実を直視しよう
 まして東京の場合はもう差別はないんだとか、差別なんて今どきあるのかという意識も非常に強い。しかし、現に差別はあるのです。私自身も昨年度から今年度にかけて、目の前に様々な差別事件に出会っています。多摩に住んでいる多摩のある定時制高校の教員が、一昨年八王子で行なわれた民族差別と闘う交流集会に参加して、その後の懇親会の中で「私のいなかでは朝鮮人との結婚はしない。」と発言し、あなたはどうなのかと聞かれて「私だって朝鮮人の女性と結婚するかといったら反対するよ」と答えています。その後、いろいろと話が広がっていく中で、「朝鮮人との結婚をみんな反対するけれども、田舎に行けば部落民との結婚だってそうでしょう。」というところまで出てきています。朝鮮人差別があるように部落差別だってあるじゃないか、田舎に行けばだれが部落かはすぐ分かるんだ、そして、そういう結婚があれば生まれた子供はたいへんだ、差別をされる子供がたくさん生まれるじゃないか、差別をされる子どもを生まないようにしよう、という大変な思想になっていくわけです。そういう朝鮮人に対する差別意識と部落に対する差別意識を都立高校の教員が公言している。私たちはこの人が特別に偏見のひどい人だとは思っておりません、そういう意識はかなり都立高校の教職員の中に、あるいは東京都、日本の社会の中にあるだろうと考えています。従ってこの人の個人的な責任を追及するだけではなく、都立高校全体でこのことを考えなくてはいけないということで、組合にも問題提起をし取り組みを進めているというのが現状です。
 それから、私の学校に朝鮮人の女の子がいますが、一年生の女子生徒がいる教室で、黒板にその子の本名が書いてあるわけですが、○○○のあそこはくさい。セクシャルハラスメントでもあるわけですが、そういうことが大きく書かれている。○さんは韓国へ帰ってくださいということが書かれている。これは大変な差別です。それは、全日制の生徒であることは分かるんですが、学校に対して問題提起をしました。これが、昨年の六月にありまして、五月には友人の結婚式に出ていて、部落差別発言がありました。そして、この朝鮮人の生徒に対する差別落書きがあったわけです。十月に入りましたら、「身障○○」ということが机に落書きされていました。十一月になると「定時殺せ」。定時制の事ですが、これは黒板に書いてありました。ノートにも「定時制死ね、殺せ」ということが書かれていることがあります。だから、定時制にたいする差別、あるいは障害者に対する差別、あるいは朝鮮人に対する差別がある。それは、特定の生徒だけではなくて、本人はふざけ半分でやっているということもありますけれども、それを許す雰囲気が学校の中にも、社会の中にもあるということだと思います。今度は私が担任をしてます朝鮮人生徒のことで、職安に連れていきまして就職差別ということで、仕事を紹介してくれたんですが、それはマンションの清掃ということでやりとりがあって結果的にそれは困りますということになったんです。日本語が話せないでしょうというのがまず、あったですね。在日朝鮮人ですから、生まれたときから日本にいるわけですから日本語がわからないことはありません。そういう誤解がまずありました。日本で生まれた人ですから、大丈夫ですと答えるわけです。マンションには色々なひとがいますから困りますということで、断ってきたんです。とんでもないことだということで、学校として抗議するから職安に会社の住所を言えといったんです。職安の人が、これは責任をもってやりますから、任せてください、というので、とりあえずまかせましょうということで終わりました。そしたら、会社から連絡があって、若いものが間違っていってしまったんで、私はそういう考え方を持っていませんから、とりますからよこしてくださいということになったんです。こちらとしては、何が問題なのかを整理して答えてほしいといったんですが、その後、なかなか返事がきませんでした。その時に職安の人と話をしたんです。職業指導の部長さんなんですけれども、荒川の方では日本人も朝鮮人も軒を並べて生活をしていて、差別なんかありませんよと言うわけです。それでびっくり仰天したんですが。私は足立、荒川、台東、葛飾、墨田あたりの生徒を教えていますから、朝鮮人生徒やあるいは部落出身の生徒が、様々な差別をまわりから、友達から受けているのを見ているんです。差別はないなんて言うのはとんでもない話です。自殺をしようかと思った生徒もいるんです。しかし、職安の担当者の方は差別はありませんというんです。いえそんなことはありませんと反論をしたんですが、現状としてはそういうことではないかと思います。ですから、差別がないなんていうのはとんでもないことだろうし、差別ははっきりとあります。実際、就職をさせるときに、差別される。しかもどうどうとやられる。私の学校の事例じゃありませんけれども、本名を名乗った朝鮮人の生徒が就職を断られたり、ある生徒は本名では困ります。日本名なら結構ですと言われたり、それは差別です。しかし、なかなかその辺の問題は進んでいませんし、行政の問題を言えば、新潟県の上越市で第一次の合格者に対して思想や犯罪歴はどうなのかということを大学に問い合わせて、大学の方でも、これは問題だということで、断ったり、抗議をしたりという大学もあります。そういう事例もありますし、昨年ですか埼玉県の朝霞市長がどこかの学校の何周年記念かと思いますけれども、君が代を歌うときに起立をしないような生徒は職員に採用しない。これは思想に対する差別です。言ってみれば、行政のトップですが、まだまだ、就職差別はいけないんだという認識がきちっと確立されていないと言うことだと思います。本当はこういうことは確立されてなきゃいけないんですけれども、東京においては現在のところまだまだ課題になっています。差別の現実をきちんと踏まえて、さらに闘いを前進させましょう。
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