斉藤 龍一郎の近況です

2020年11月13日 金曜日午前10時39分。

体調を心配して連絡くれる仲間、今なら調子よさそうだからお昼を一緒しようと連絡くれる昔の同僚、東京へ来るたびに連絡をくれる友達、と先週からお昼を一緒する機会を持つことができた。

会って食べながら話していると、話が思わぬところへ行ったりするのが楽しい。



2020年10月28日 水曜日午後6時26分。

退院して12日が経った。

退院直後は、午後になると微熱が出たりしていたが、退院時に処方された抗生剤の服用が終わり、食事の回数を増やしてある程度量を食べることができるようになったこの4〜5日は体調が落ち着いている。

体力が落ちていることを痛感する。といって急に運動量を増やすに不安もある。ボチボチと歩く距離を延ばし、自転車での行動半径を広げていくつもり。



2020年10月17日 土曜日午後2時20分。

先週金曜日に退院し、土曜日、気持ちよく本を読んで、夜は傘を差して行った近くの豚カツ屋でロースカツ130gを食べた。で、気持ちよく布団の中で横になっていたら、夜中に目が開いた。熱っぽいかなと測ってみたら、この2年くらい出たことのない高熱。あわてて病院へ電話をしたら「来なさい」とのこと。着替えを手提げ袋に詰め込み配車サービスで呼んだタクシーで病院へ。詳しくは、「ガンと付き合う

病院で腫瘍対応の分子標的薬服用も再開して、昨日、退院し部屋へ戻った。昨日は、少し胃が重く、部屋で風呂に入り、降りだす前にと夕方から洗濯をした。

今朝起きたらおなかは楽になっていたが、病院暮らしの体感温度と違うので寒い。朝食にレトルトお粥を温めて食べ、そのまま布団の中へ戻った。

10時半ごろ、けっこうすっきりと目が開いた。起き出して最寄り駅近くの評判のつけ麺屋へ。さぬきうどんみたいな太い麺、おいしかったが、僕のおなかには少し多かった。その後、入院時に届いた郵便物を受け取りに郵便局へ。昨夜、受け取りに行ったら、窓口営業は19時30分までですとついたてが立てられ大きな張り紙がしてあった。つい先日まで21時だった覚えがあるが、いつから変わったのか?

気持ちよく二度寝したし、昼食も摂ったので、気持ちはもう少し動こうという気になっているが、いかんせん寒さにからだがついていかない。おふろに入り、ストーブのスイッチを入れてストーブの前に座り込んでいる。



2020年10月10日 土曜日午前7時44分。

昨日、退院して部屋へ戻り、図書館へ行った。図書館で借りることのできる有川浩、残り少ない。

朝井リョウの作品を3冊借り、上橋菜穂子の新潮文庫のシリーズを予約した。早く揃わないかな!

ちょっと胃に違和感があり、お昼どうしようかと思ったが、フォースープを飲んだら食欲が湧いた。温かいものが必要だったようだ。

台風接近で、ずっと雨。気温の変化にからだがついていけず寒い。で、昼食を終えて部屋へ戻り入浴した。

夜、お粥を食べた後、「世界食料デー」月間オンライン企画に参加。1時間では終わらず10分ほど延びたが、参加者の反応良かった。



2020年9月30日 水曜日午後7時。

一昨日、退院して2日目。分子標的薬の服用再開の影響、まだ出ていない(自覚的には・・・)。

行きつけのスーパーで冬瓜を売っていたのが目に入り、鳥手羽を買ってきて一緒に煮た。これから食べる。

昨日、必要なものがあると入ったドラッグストアで素麺を安売りしてのを見て、7袋買ってしまった。隣にあったレトルトお粥も一緒だ。このドラッグストアで買った台湾まぜ麺の具、まだ台所で眠っている。もうしばらくは大丈夫だろう。

8月20日から18日間、9月19日から10日間とこの一カ月あまりの間に4週間も入院した。一昨日の消化器外科の診察で、まだ分子標的薬を使える状態と聞いて安心した。薬が効いて、急な体調不調がなくなってほしい。



2020年9月23日 水曜日午後2時30分。

4年前だったか、死んでしまった昔の仲間の名前を冠した障害者の大学進学を支援する基金があることを知った。

「篠田重晃障がい者大学進学助成基金」

という。

同じ歳で、出会った頃、大検で高卒資格を取って大学に入ったと聞いて、びっくりした。

学生時代、一緒にあれこれしてた頃は、腰から下に補助具を装着し、顔には汗腺がないんだと夏場は小さな扇風機を持ち歩いてたことを覚えてる。

大学卒業後、何年か東京にいて(その頃一度すれ違ったのが最後ということになる)、出身地へ帰って1990年代半ばに作った受験英文法の参考書が高評価を得てから、受験英語の参考書・問題集をたくさん書いて稼いだと聞いた。

上記基金、今、手元で検索かけた範囲では、いくつかの助成金紹介サイトに掲載されてた。

活用されるとうれしい。

しのぶ会で見せてもらった、娘の結婚式で新郎新婦に押されて入場する車いすに乗る父親の写真、良かった!



2020年9月9日 火曜日午後4時12分。

まだまだ暑いが、先月半ばのこの時間帯のような酷暑感はさすがに感じなくなった。

8月20日から9月6日までの入院、最初の1週間はステント交換を受けるために6月に入院した時と同じ部屋、同じベッドだった。1週間をそこで過ごした後、消化器外科の患者が集中する病棟へ移った。

2012年9月から一昨年のゴールデンウィークまで、開腹手術や塞栓術による治療を受けるために計9回入院した病棟だった(昨年8月始め、抗がん剤を切り替えるために入院した時もこの病棟)。

というようなこともあって、2012年9月、現在の病院へ転院して初めて入院して検査を受けた時のことを思い出した。

前年の健康診断をきっかけに定期的に検査を受け始めた病院で、予想されていたガンが発症したとの診断が出され、摘出手術を受けるために転院した。

転院先の病院、すなわち現在も通院している病院で、カテーテルを患部近くまで入れて造影剤を投与しCTスキャンをするという検査を受けた。カテーテルを動脈に入れるため、検査終了後は4時間絶対安静、その後も最小限しか動いてはいけないという状態になることから、入院しての検査であった。

検査当日、夕方からCT画像などを検討していた担当医のチームが、夕食後ベッドの上にいた僕のところへやってきて、「今度の金曜日だと手術できます」と言ったので、すごくビックリした。

長くて3日と説明を受けての入院だったこともあり、気持ちも身の回りのことも仕事に関わることについても、全く対応できない状態だった。

1カ月待って欲しい、と訴えた、



2020年9月6日 日曜日午後10時56分。

先月20日、肝臓内科の診察を受け、状態が良くないとのことで、そのまま入院した。

黄疸が出ており、炎症値も高かった。

朝、病院に到着してすぐに採血。血液検査の結果をもとに診察。状態が悪化した原因を探るためにCT検査。で、夕方4時過ぎに6月に入院した病棟の同じ8人部屋・同じベッドに案内された。

7月末の肝臓内科の診察時に炎症値が高いと、抗生剤を処方され、2日おいて検査を受けた。8月に入ってすぐに消化器外科の診察時にもまだ炎症値が高いと飲み続けるために抗生剤を処方された。

それでおさまったつもりでいたが、8月13日・14日に急に発熱して2〜3時間経つとほぼ収まるというくり返しがあり、3日続いたら病院だと思った。この時は3日目に発熱がなかったので、予約が入っていた20日の肝臓内科受診時に相談すればいい、とひとまず気持ちを落ち着けた。

で、血液検査の検査の結果は、先に記したとおりで、夏バテと考えていた倦怠感は黄疸からきてる、ということが明らかになったのだった。

入院した日の夜から2日間は布団の上で横になり眠っている時間が長かった。

薬が効いてきたのだったろう、3日目を迎える頃には、主観的にはもう大丈夫かなと感じた。

ところが、4日目の朝、38度を超える発熱があった。

食事は止められ、点滴の量が増え、炎症に対する薬が変更された。

3日間、点滴だけで過ごし、日に2回の抗生剤投与を受け、26日の水曜日の昼食から食事が再開された時は、その週末か翌週始めに退院できると思った。

週末には経過をチェックする血液検査を受けた。そのまま退院とはいかなかった。

週明け早々、また血液検査があった。その検査のための採血を受けたと前後して、眩暈に襲われ嘔吐した。

血液検査で退院できるとの判断だったようだが、眩暈と嘔吐が現在取り組んでいる治療に関係しているのか、胃など特にチェックしてこなかったカ所に何か生じていることを意味しているのかetcを調べるために、急遽、CT、MRIと耳鼻咽喉科での診察、胃カメラ検査が決まった。

朝の眩暈、嘔吐の後、朝食をとりシャワーを浴びたが気分はすっきりせず、昼食の前に再度眩暈に襲われ嘔吐した。

頭を上げて動かすとクラクラしそうで不安だったので、ベッドの上でジッとしていた。CT検査に呼ばれた時、転んで頭を打つ恐れがあるとのことで車いすに乗せてもらった。動き出してすぐに吐き気がこみあげた。CT検査室までの往復、ゆっくり押してもらった。

翌朝、病棟の担当医の指示に従って、ベッドからゆっくり起き上がり、MRI検査と耳鼻咽喉科での診察を受けた。耳鼻咽喉科の平衡感覚を専門とする医師が、MRI画像を見て三半規管にゴミがついてる、時間がかかるが動いているととれるから少しクラクラしても動くことが必要、脳に問題はない、と診断を伝えてくれた時は、ほんとにホッとした。

嘔吐、吐き気が胃の異常に関わっているのかをチェックするための胃カメラ検査は、PCR検査の結果が出てからでないと実施できないとのことで、耳鼻咽喉科での診察の後ほぼ2日間、絶食のままじっと待っていた。

起きている方が不安を感じないので、少し散歩とかしたかったが、病院の建物からは出られず、診療棟には来院者がたくさんいるということで、病室で本を読むくらいしかできなかった。

木曜午前に胃カメラ検査を受け、特に問題ないとの診断が出たので、その夜から2度目の食事再開となった。

金曜・土曜は、食事を摂っても大丈夫という確認、自力回復状態に入ったかどうかのチェックに充てられていたようだ。

土曜の血液検査検査でGO!が出て、やっと今朝退院できた。

昨年1月以来の、2週間を超える長期入院となった。



2020年8月13日 木曜日午前0時13分。

先週までの雨が上がったら、一気に猛暑。部屋の中にいても熱中症になりそう。

雨が続いている間、外へ出かけるのは最小限、自転車に乗るのも最小限だったので、先週末から、起き抜けに自転車を1時間ほど漕いでいる。力が入らず、ずっと漕いでいると足腰が重くなってくる。

歩くのがいいと思うが、足の裏、踵の腫れがあって歩く気になれない。

動き足りないと、夜の暑さで何度も目が開く。さて、どうしたものか?



2020年7月3日 金曜日午前11時21分。

昨日、退院した。今年2回目のステント交換、すんなりと終わり、病院も病室を三密にしないため、すぐに退院させてくれた。

病院の中は23度前後に空調されていたので、昨日、病院を出たら暑かった。今日は、曇り空で過ごしやすい。

入院中に、手足の皮がかなり剥けて、腫れが少し引いた。で、部屋では手袋をしないでキーボードを叩けている。



2020年4月27日 月曜日午前9時58分。

今日は曇り。昨日ほどは暖かくならない。とはいえ、ずいぶんと暖かくなった。それとも体調が良くて食べれているので暖かく感じるのか?

先月26日に退院した後、米と肉を良く食べている。

むくみもだいぶとれて、足首も膝も楽になった。で、ちょっとだけど歩きたくなる。歩くとおなかの調子もより快調になる、という好循環に入っていることを感じる。

明日は、診察日。休薬している薬を再開しても、おなかの調子を良くして食べていきたいな。



2020年4月9日 木曜日午後5時52分。

豚バラ・ブロックを買ってきて、塩煮(マース煮)の鍋をかけている。今日は、皮付きのブロックは入手できなかった。

昨日、今日と、一部で話題になっている香港マスクを作った。針の糸通しを自力でできたので、何とかマスクを完成させることができた。

先月、ステント交換を受けて退院した後、食べものがおいしいこともあって、毎日、ニュースまとめの作業をしている。土曜日の学習会に向けて、割り当てられた分の日本語訳作成作業もしなければならない。

明後日の学習会、オンラインで開催する予定。どんな感じになるのかな?



2020年3月27日 金曜日午後2時46分。

火曜日に、今年最初のステント交換手術を受けた。主治医によると、狭窄が緩んできたので、これまで細いステント2本を使用していたのをもっと太いステント1本に置き換えることができたとのことだった。

それもあってか、今回も短期間の入院ですんだ。だが、それ以上に良かったのは、おなかの不調が治まって食事を摂るのが楽しみになったことだ。

昨年夏に薬が替わってから続いていたおなかの不調のせいで、時々おなかを下し、また食欲不振になってしまうことも多くて、ずいぶんやせた。これで少しでも太れるといいなと期待している。

入院病棟には、新型肺炎対策でマスクを着用した家族しか面会できません、と3月19日付け院長通告が掲示されていたけど、同じ建物のB2〜2Fは診療室、検査室が並んでいるので、対策としてはどうかと感じてしまった。



2020年2月23日 日曜日午後1時48分。

先週金曜日、7年ぶりに伯母の家へ行った。

伯母とは一昨年から東京近辺にいるいとこたちとの集まりで会っているし、時々、LINEで連絡をくれるので、元気していることを知っていた。

伯母の家には、46年前の大学受験時に泊めてもらい、大学入学後2年間を過ごした。その時の建物は、伯母が80を迎える頃に「90歳になっても住める家にする」と建て直したので、かつて住んだ頃に比べるとゆったりとした感じがする。

伯母が持たせてくれた、摘み取ったばかりの春菊、昨日はワカメスープに入れた。緑鮮やかで美味しかった。今日は、伯母が話していた、生のまま生ハムと合わせて食べた。これも美味しかった。




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by 斉藤龍一郎
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