第5章 専門職としてのボランティアコーディネーター

第一節 専門職の成立要件
第二節 専門職に必要とされるもの−ソーシャルワーカーの「倫理綱領」の検討を通して−

内容の本筋は勿論変わっていませんが、この原稿と、最終的な印刷物ではいくつかの重要な点が変わっています。

ぼくは、ボランティアコーディネーターをソーシャルワーカーととらえ「福祉専門職」「福祉のプロ」として論じました。
それに対して、編集サイドはボランティアコーディネーターが「福祉ボランティア」以外の分野にももっと普及していくべきといった視点から福祉専門職という範囲を越えた市民社会の思想を前提にする新たな専門職ととらえたようでした。
その結果、僕が「福祉のプロ」、「ソーシャルワーカー」としてコーディネーターを展開している部分が変更されることになりました。
そこで、編集サイドと何点かについてのやり取りをして再修正もしてもらって最終的に合意した文章が出版されたものです。

ここでは、折角なので比較の意味で僕の提出した原稿版のほうを載せておきます。

といっても、大きい違いはありません。字句的には小さな修正が何点かというところでしょう。
「ボランティアコーディネーターは福祉のプロです。」といった記述が慎重に「ボランティアコーディネーターはプロです。」となっていたり、「ソーシャルワークの思想ともに市民社会の思想に立脚している」といった視点が明示されていたりといったところです。

したがって、原稿についてはもし引用したりされるときは印刷物との違いに特に注意していただきたいと思います。節立て的なものも含めて変わっています。(繰り返しますが、内容的には字句も含めて勿論殆ど僕の原文が尊重されています。上に述べた視点からの書き換えが数点というところです。)


 「プロ」という言葉があります。看護のプロ、教育のプロ、福祉のプロなどといいます。さしずめ「ボランティアコーディネーター」は広い意味での福祉のプロ、あるいは市民参加を支援するプロでしょう。では、プロという言葉を聞いて私たちはどんな人を連想するでしょう。その仕事を「職業」にしている人でしょうか。確かにプロという言葉はアマという言葉に対置されて使われます。高校野球や、社会人野球などをしている人が高校生や企業人という本業をもちながら趣味で野球をするのに対して、野球を職業としていてそれで収入を得て生活している人をプロ野球選手といいます。ボランティアは福祉のアマであるのに対して、ボランティアコーディネーターはプロといったところでしょうか。
岩波書店の広辞苑(第5版)では、「プロ」は「プログラム・プロダクション・プロパガンダ・プロフェッショナル・プロレタリアなどの略。」とあります。当然この場合は「プロフェッショナル」のことですから、それを引くと「プロフェッショナル【professional】@専門的。職業的。A専門家。職業としてそれを行う人。プロ。⇔アマチュア」となっています。職業人の中でも専門家というニュアンスのようです。
 専門家ということから考えると、お金をもらってさえいればプロといえるということではなさそうです。たとえば、プロのスポーツ選手がプレーで失敗をしたときに「それでもプロか」「プロの風上にも置けない」といった批判を受けます。いくら失敗したとしても、そのスポーツで収入を得て生活していることに代わりはないのですが、プロらしくないといった批判を受けるのです。つまり、お金をもらっているということに加えて、その仕事に求められる働きをしているかどうかといったことも「プロ」という言葉には関わってきそうです。
 このように、プロという言葉は、Professional,Professionが略されて日本語化したものです。そして、おおむね専門性、専門職といった意味で福祉の分野でも使います。ボランティアコーディネーターのことを「福祉のプロ」であるというとき、「福祉の専門職」であるといっていることになるわけです。では、専門職であるわれわれは、どのような人間でなければならないのでしょうか。
なお、本稿では広く社会福祉専門職の意味でソーシャルワーカーという言葉を使うことにします。

2.専門職の成立要件

 全米ソーシャルワーカー協会(NASW)のソーシャルワーク辞典では、専門職の定義を以下の言葉から始めています。
 「特定の社会的ニードを満たすための価値、技能、技術、知識、それに信念に関する体系を共有する人々から成る集団。」
 後で詳しく述べる日本ソーシャルワーカー協会の倫理綱領では、この部分を「福祉専門職の知識、技術と価値観」としています。また、『社会福祉専門職性の研究』(1992年、川島書店)を著した奥田いさよ氏は、同書において専門職業の属性について先行研究をまとめています(表参照)。


/////////////////////////////////////
//奥田書70ページの表3−1を引用(ごめん。インターネット版では省略します。)///
/////////////////////////////////////


 さらに、福祉専門職以外の、カウンセリングや看護の例もみてみましょう。国分康孝編『カウンセリング辞典』(1990年、誠信書房)では、「プロフェッション」の項目で、「高度の学歴と訓練」、「優れた専門技能(有資格)」、「社会的威信」、「厳しい奉仕性」、「倫理性(価値志向性)」が条件としてあげられています。また、ILOの報告書によれば、看護職員が専門職であるための条件として、「必要な知識と技術」をもち、そのための「資格」があり、「公認された地位」が確保され、「看護計画」の立案過程への参加が求められているといいます。(講座社会福祉4巻『社会福祉実践の基礎』仲村優一他編 有斐閣 1981年)
 それらをまとめると概ね「専門職者とは、自らが対象とする専門分野に関しての体系的理論・知識と技術を持ち、国家資格等といった形で、その専門性を社会的に公認されている人々で、独自の教育システムをもち、自らを律する倫理綱領を共有する専門職団体に所属する。」といったところでしょうか。
 これを福祉職に当てはめるならば、社会福祉士や精神保健福祉士、介護福祉士、保育士などといった公的資格があり、それぞれの養成のために大学や専門学校の課程が用意され、知識や技術の修得が行われているわけです。そして、日本ソーシャルワーカー協会や日本社会福祉士会、日本介護福祉士会などといった専門職団体に個々のソーシャルワーカーは所属し、各団体のもつ倫理綱領に従うことを受け入れているわけです。ボランティアコーディネータについていえば、特定の国家資格や社会的に広く認定された資格などがあるわけではなく一般的なソーシャルワーカーまたは社会福祉士に相当する仕事なわけですが、内容については全国社会福祉協議会によって専門の養成システムが定められ相対的に固有の知識や技術の体系を構築しつつある段階といえるでしょう。
 ここで確認しておきたいことは、ソーシャルワーカーが専門職であるためには、福祉実践に当たって必要な知識や技術をもっていなければならないのは当然のことですが、それに負けずに福祉家としての価値観、倫理をもたなければならないということです。

3.ソーシャルワーカーにとっての倫理

 なぜ、ソーシャルワーカーには専門家としての倫理といわれるものが必要なのでしょう。広辞苑では「倫理」は「@人倫のみち。実際道徳の規範となる原理。道徳。A倫理学の略」とあります。そして、「倫理学」を調べると「(ethics に井上哲次郎が当てた訳語) 社会的存在としての人間の間での共存の規範・原理を考究する学問。(以下略)」となっています。人倫のみちなどというと古くさく説教臭い印象になりますが、ここで用いられる意味は、「人間の間での共存の規範・原理」といった部分でしょうか。ソーシャルワーカーには何らかの共有される「規範・原理」が必要だということなのです。
 専門家に高度な知識や技術が必要であることは分かります。例えば、医師も弁護士もそれぞれに固有の知識と技術をもちます。それと同様に、福祉専門職も業務遂行にあたっての専門的な知識や技術を必要とします。
 しかし実は、専門知識と技術の体系さえもっていれば、援助専門職といえるかというとそうではないのです。医学的知識をもち、投薬や手術についての技術をもてば、「医師」と言えるでしょうか。その知識や技術をどのように何のために用いるのかということが問題になってくるのです。医学的知識や技術は極端なことをいえば、「殺人」のための知識と技術にもなりうるわけです。知識や技術以前に、全ての医師は「人の命を守りたい、患者の健康を増進し、苦痛を軽減したい」といった強い「願い」をもっていなければならないわけです。また、医師は自分の個人的感情に流されて患者を依怙贔屓したりしてはならないこともまた当然です。これら専門職に必要な基本的態度のことを「専門職倫理」と呼ぶわけです。
 ボランティアコーディネーターもボランティアを必要とする人と、する事を希望する人の双方にとって「確かに自分たちのことを考えてくれている人」であるという信頼をもってもらえることがまず必要になってくるわけです
 このように「専門職倫理」とは専門家が、援助行動をとるための「行動規範」となるもののことです。医学的知識と技術は、「相手を傷つけること」にも使えますし、弁護士の法律上の知識や技術は、「人をだます」ことにも使いうるわけです。知識、技術を「医療」のために、「福祉」のために目的的に行使するようにするのが、「専門職倫理」といえるでしょう。繰り返しになりますが、「知識」「技術」そのものは、善用も悪用もされうるものです。歯止めになるのは知識ではありません。「児童虐待してはいけない」という知識が児童虐待をさせないのではないのです。
 その意味で、援助職にとって自分たちの守るべき行動規範の集成である、「倫理綱領」は大切なものになってくるのであり、弁護士、看護婦、ソーシャルワーカー等々各種専門職団体が独自の倫理綱領をもっているわけです。全米ソーシャルワーカー協会(NASW)のソーシャルワーク辞典には、倫理綱領のことを「専門職の価値・原則や規制について明示的に述べられたもので会員の行為を規定するもの」と説明しています。

4.ソーシャルワーカーにとって必要とされるもの−「倫理綱領」の検討を通して−

ここでは、日本ソーシャルワーカー協会が定めている「倫理綱領」(1986年宣言)をもとに、ソーシャルワーカーが知っておくべきこと、守らねばならないことについて考えていきましょう。福祉分野におけるボランティアコーディネーターも当然ソーシャルワーカーですから、この綱領で述べられていることは自らの行動の規範となるものといえるでしょう。全文は資料を参考にしてください。また、全文は載せませんが、比較の意味で、日本医療社会事業協会の「医療ソーシャルワーカー倫理綱領」も一部参考にしていきたいと思います。

////////////////////
//すみません。コピー省略します。アドレスの紹介で勘弁してください。////////
//ソーシャルワーカー協会倫理綱領 http://www.netlaputa.ne.jp/~jacsw/rinri.html//
//////////////////////////////////////


  1)ソーシャルワークの目的
 日本ソーシャルワーカー協会の倫理綱領(以下単に「倫理綱領」と書くときには日本ソーシャルワーカー協会の倫理綱領をさすこととします)の前文には「われわれソーシャルワーカーは(略)社会福祉の向上とクライエントの自己実現を目指す専門職であることを言明する」とあります。また、これより20年以上前に作られた「医療ソーシャルワーカー倫理綱領」では第一条に「個人の幸福増進と社会の福祉向上を目的として活動する。」とあります。
 これらから、ソーシャルワークには二つの大きな目的があることが分かります。一つは援助を必要とする当事者(クライエント)の「幸福」を目指す専門職であるということです。この「幸福」の中身については色々考えられるわけですが、例えばソーシャルワーカー協会の倫理綱領では「クライエントの自己実現」という概念で説明しています。そして、ソーシャルワークの第二の目標は、「社会の福祉向上」を目指すということです。日本ソーシャルワーカー協会の倫理綱領では「社会福祉の向上」となっていますが、併記されている「クライエントの自己実現」を目指すことも社会福祉のうちですから、ここでは、医療ソーシャルワーカー協会の綱領と同じく「社会の福祉向上」と理解すべきでしょう。つまり、クライエントの幸福実現を目指すと同時に社会全体の幸福も目指すということが福祉には求められているということでしょう。この個人と社会の双方が望ましい方向へと変化していくということが社会福祉の目的であり、ソーシャルワーカーが目指すべきことということになるわけです。これは一人一人を大切にすることが社会全体の向上につながるというノーマライゼーションの思想につながるものです。
 さらに、もうひとつソーシャルワークの目的として注目したい指摘が「倫理綱領」にはあります。前文の「社会の進歩発展による社会変動が、ともすれば人間の疎外(反福祉)をもたらすことに着目するとき、この専門職が福祉社会の維持、推進に不可欠の制度であることを自覚する」という文言です。社会の進歩発展による社会変動というのは経済事象に着目した場合、社会事象に着目した場合、様々な例が考えられますが、よく知られている例でいえば、核家族化、過疎・過密化、少子・高齢化などが近年急速な勢いで進んだことなどがあげられるでしょう。その結果旧来型のネットワークが崩れてきて「隣は何をする人ぞ」という匿名性の高い社会になり、場合によっては同居している家族すらお互いが何をしているのかが分からないといった状況が生じていることは周知のことです。
 われわれソーシャルワーカーは人間疎外の問題を扱う専門職だということは注目しておきたいポイントです。医師は病気や怪我といった「問題」を扱いますし、司法関係者は法的なトラブルや不公正をただすことを目指します。その意味では、ソーシャルワークが扱う課題は人々の孤立ということだということです。
 例えば、一人暮らしの高齢者が病気がちになったとします。その時、「病気」そのものを直すことは福祉の仕事ではありません。しかし、病気になることによって家に閉じこもりがちになり近隣の人々とも交流がなくなっていくとすれば、それは福祉の課題といえるでしょう。また障害児を育てている母親は障害をもたない子どもを育てる場合と比べて、家族や親戚、地域の仲間そして専門機関などの支援がより一層必要になってくるでしょう。しかし実際には、地域の交流の場にでてきにくくなり、親戚との関わりも薄くなってしまい、結果的に子どもをもまた親自身をも家の中に閉じこめてしまうことになりがちなのではないでしょうか。
 このように生活上の困難を抱えた人々はその問題故に社会とのつながりが一層必要とされるにもかかわらず、かえってその問題故に孤立しがちであるということに焦点を当てるのが社会福祉の特徴なわけです。彼らを何とか家族や親族、地域や専門機関との関わりの中で生活していけるようにしようと福祉はつとめます。まさに、ボランティア活動そのものが、そしてコーディネータ業務が社会福祉の一環をしめているということがこのことからも明らかになるでしょう。

  2)ソーシャルワーク実践を支える背景
 上に述べてきたソーシャルワークの目的=社会福祉実践の目的を実現するためには、われわれはどのようなことを前提にしていけばよいのでしょうか。これも「倫理綱領」をみればある程度明らかになります。
 「倫理綱領」前文の「われわれソーシャルワーカーは、平和擁護、個人の尊厳、民主主義という人類普遍の原理にのっとり、福祉専門職の知識、技術と価値観により」という言葉で表されている部分がそうでしょう。これは、「医療ソーシャルワーカー倫理綱領」では、「日本国憲法の精神と専門社会事業の原理に従い」と表現されています。
 そして、これらはもう少し詳しくみると援助専門職普遍レベルと、ソーシャルワーク固有レベルとに分けて考えることができそうです。「日本国憲法の精神」に従うということが「平和擁護、個人の尊厳、民主主義という人類普遍の原理にのっとり」ということに対応するでしょうし、これはソーシャルワーカーだけでなく、医師でも、教師でも弁護士でもおよそ援助専門職者であれば前提とすべき価値観ということになるでしょう。
 一方、「専門社会事業の原理に従い」=「福祉専門職の知識、技術と価値観により」であると考えられます。医療ソーシャルワーカー倫理綱領ができた時代には社会福祉援助技術という翻訳語はなく、ソーシャルワークに対応する日本語としては「専門社会事業」という言葉が使われることがありました。その原理を現在は「知識、技術、価値観」からなるというわけです。これはすでに指摘したとおりです。
 では具体的に社会福祉専門職に必要な知識、技術、価値観とは何なのでしょうか。「倫理綱領」では本文において触れられています。

  3)ソーシャルワーカーに必要な知識・技術・価値
 「倫理綱領」では、本文は大きく「原則」「クライエントとの関係」「機関との関係」「行政・社会との関係」「専門職としての責務」という見出しを付けられています。

 a)原則
 まずソーシャルワーカーが守るべき原則として「人間としての平等と尊厳」「自己実現の権利と社会の責務」「ワーカーの職責」の三項目があげられています。最初の二項目を尊重することは、ソーシャルワーカー固有の態度というよりは、援助専門職共通のものといって良いでしょう。ボランティアコーディネーターといえども現実的な課題を前にしながらもここで挙げられているような(ある意味で当然ともいえる)人権意識に基づいた実践を行うべきことは強調されなければならないでしょう。
 そして「ワーカーの職責」という項目で、ソーシャルワークが個人の自己実現と家族、集団、地域社会の発展を目ざす仕事であることが、強調されています。
 すでに述べたことと重なりますが、ソーシャルワークが個人のみを対象とするのではなく、家族からひいては社会までをも援助の対象とするこの考え方は、福祉の視点として重要ですし、地域においてニードをもつ人々とボランティアをする意志を持つ人々(言い換えれば、生活者と生活者)をつなぎ合わせていくことで地域社会における人々の生活しやすさを高めていこうとするボランティアコーディネーターの仕事は福祉の重要な部分を占めることが明らかになります。

 b)クライエントとの関係
 続いて「クライエントとの関係」では、クライエントの「利益を優先」し「個別化」「受容」「秘密保持」がなされなければならないことが述べられています。個別化以降の3つの態度はバイスティックの7つの原則をはじめとして知識としてはすでに周知のことですので繰り返しません。ただ、「クライエントの利益の優先」という考え方がクライエントとの関係において出発点であることは確認しておく必要があるでしょう。

 c)機関との関係
 この項目は特に注目に値する部分だと思います。日本のソーシャルワーカーはほとんどが社会福祉関連の機関・団体等に雇用されています。ボランティアコーディネーターについても個人開業をしているといったケースはほとんど考えられないでしょう。とすると、自分の所属する組織の規則や方針に従わざるを得ないのは当然でしょう。
 しかし、それでは自分を雇っている職場の方針と自分のソーシャルワーカーとしての信念とが矛盾する場合にはどうしたらよいのでしょう。「理想と現実は違う」から目をつぶらざるを得ないのでしょうか。このことについて「倫理綱領」ははっきりとした方針を打ち出しています。
 ソーシャルワーカーは「所属する機関・団体が常に倫理綱領の基本精神を遵守するように留意し」なければならないというのです。いくら雇用主といえどもそれが福祉の実現を目的とした機関・団体である限り個々のソーシャルワーカーと同様この倫理綱領は尊重されるべきなのです。
 そして、自分の所属する組織が福祉を実現するように「業務改革」を一人一人のソーシャルワーカーが心がけ、組織の責任者に提言するべきだというのです。そしてさらに注目すべきは、自分の所属する組織の倫理綱領違反の状態がどうしても改善されない場合には「責任ある方法によってその趣旨を公表できる」というのです。
 組織の内部の不正等を無断で外部に公表する「内部告発」は組織人として一般に許されないことです。「倫理綱領」にもあるように内部で改善の努力をするところまでは必要でしょうが、それが無理だからと行って「公表」するということは我々に許されるのでしょうか。このことを要求する「倫理綱領」は非現実的な理想論と思われるかもしれません。しかし、施設での虐待事件であったり、また経営レベルでの不正など万一にもあってはならないことが時に存在する現実は認めざるを得ないでしょう。ソーシャルワーカーがそのような事態に対して「目をつぶる」ような存在だとしたら、社会から信頼を得ることができるでしょうか。
 現実には簡単にできるものでもすべきものでもありませんが、専門職がこのような「心づもり」「覚悟」を社会に対して「誓う」ことは重要になってくるでしょう。これらのことは自らの所属する組織に対してだけでなく、同僚であるソーシャルワーカーの不正や不誠実に対しても機能すべきことは勿論です。これが、「専門職業の成果の保持」という項で述べられています。

 d)行政・社会との関係
 ここでは、ソーシャルワーカーは自らの「専門的知識・技術」を「向上」させる努力を不断に行い、実践に「応用」する努力が必要であることが指摘されています。そしてすでに述べた社会の福祉向上というレベルに貢献するためには、行政、政策、計画レベルにも参画していく覚悟が求められていることが注目されるでしょう。
 ボランティコーディネーターも自らの業務を通じて得た知識や体験の蓄積を、実際のコーディネーター業務に反映することはもちろんのこと、社協の計画レベルに反映したり、ひいては自治体のボランティア推進施策等にも影響を与えていくといったことが望まれるのです。ケースワークやグループワークといったミクロレベルのアプローチと、メゾレベルのコミュニティワーク、さらにはサー者留プランニングといったマクロレベルのアプローチはソーシャルワークの中でも一般にばらばらの形で行われがちですが、ミクロの実践がマクロの計画に反映し、その結果がまたミクロに貢献していくといった関連が重要になってくるのです。

 e)専門職としての責務
 専門職である限りには「専門性の維持向上」につとめなければならないことや「援助方法の改善向上」に絶えず心がけなければならないことはいうまでもないでしょう。そして、そのためには、自らの職種が不当に非難されることのないように自らの「専門職の擁護」をしなければなりませんし、一方独善的にならないためには「同僚との相互批判」も忘れてはなりません。
 そしてもう一点強調されるべきことは「職務内容の周知徹底」が必要だということです。医師、教師、弁護士、カウンセラー等といった仕事と比べて、ソーシャルワーカーは一般市民にとってどのような仕事なのかイメージしにくいといった面があります。この問題の背景にはソーシャルワークという言葉の指す範囲が広いという理由もあるのですが、では例えば、ボランティアコーディネーターといった具体的な仕事を指したときに、どんな仕事をするのか、どんな場合に頼ればよいのかといったことが世間に知られているかというとそうでもないでしょう。その意味で自らの力量を上げる努力に加えて、自らの仕事の中身をどんどん社会にアピールしていって理解を高めていくという努力も必要になってくるのです。

  4)おわりに
 日本ソーシャルワーカー協会の「倫理綱領」を詳しくみることによって、ソーシャルワーカーが大切にすべきポイントについて触れてきました。施設の職員でも社協のボランティアコーディネーターでも、福祉担当公務員でも、ソーシャルワーカーである限りはここで述べてきたようなポイントを大切にして実際の援助における判断の規範にしたいものです。
 ただ、この「倫理綱領」はどのソーシャルワーカーにも適応されるべき大切なポイントについて触れているのですが、言い換えればそれだけ抽象的で具体性には欠ける綱領になっているともいえるでしょう。例えば、全米ソーシャルワーカー協会の倫理綱領は遙かに具体的な指摘を行っています。例えば、ワーカーとクライエントの性的な関係について禁止する項目や報酬についての指摘など詳細な記述が行われています。
 日本の「倫理綱領」に書かれてあることはよいことだが現実の実践の場において、どのように活用したらよいのかが分からない。といった感想をもつ人も少なくないようです。
 ここで述べてきた「倫理綱領」の精神を具体化するための、ボランティアコーディネータにとっての実践的な「倫理基準」的なものを現場が体験を通して蓄積していくことの必要性を最後に皆さんへの課題として強調しておきたいと思います。


★筆者のホームページ中に、福祉に限らず色々な専門職団体の様々な「倫理綱領」へのリンク集のページを作っています。参考にしていただければ幸いです。
http://www.asahi-net.or.jp/~LC1T-KYM/swcode.htm

.