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月間福祉に載った文章の原稿です。いつもどおりで、最終原稿と比べると少し変更ありです。正式には現物を見てください。
こちらも校正するし、月間福祉の側も少し手を入れるしで若干変わっているかと思います。
確認すればいいのですが面倒なのでサボりです。
原稿の量が少ないですし、「こんなのは論文ではない」という意見も多いかと思います。
ここでは、一応「特集論文」という項目で依頼をもらって載っているので、便宜上論文の部にのせておきます。

この号が「福祉専門職の倫理と責務」特集号で、資料価値高いですよ。
これだけ、資料が集まっている特集は珍しいと思います。




タイトル「福祉専門職に求められる倫理とその明文化」

1.専門職倫理の必要性―価値の大切さ―
 福祉専門職に限らず、およそすべての専門職は専門的「知識」、専門的「技術」とともに、専門的「価値」「倫理」をもつことが求められる。そしてそれらは一般に「倫理綱領」などと言った形で明文化されている。
確かに、専門職にとって高度な知識や技術が必要であることは分かる。しかし、価値と呼ばれ、倫理と呼ばれるものが必要なのはなぜだろう。日々、福祉実践を行うにあたって、ワーカーは知識の不足や技術の必要性を感じるが、倫理の必要性を感じることは少ないのではないだろうか。しっかりとした知識と技術さえあれば、良い援助者でありうるのではないだろうか。このことについて少し考えていくことにする。
例えば、命に関わる専門職である医師を例に挙げるならば、極端な例を挙げれば、医師にとっての知識や技術は殺人にも利用できるのではないだろうか。しかし、全ての医師は「人の命を守りたい、患者の健康を増進し、苦痛を軽減したい」といった強い「願い」をもつ。そしてそのことを患者は信じることができるからこそ、医療関係は成立する。また、医師は自分の個人的感情に流されて患者を依怙贔屓したりしてはならないこともまた当然である。これらのことは医師に限らない。弁護士であろうが、福祉専門職であろうが、それぞれの専門職なりの「目標」「願い」をもつ。この各専門職が大切にしている、信念の体系というべきものを「価値」という。
そして、価値を実現するための具体的な行動に関わる規範を「専門職倫理」と呼ぶ。「専門職倫理」とは専門家が、援助行動をとるための「行動規範」となるもののことである。知識、技術を、「福祉」のために目的的に行使するようにするのが、「専門職倫理」なのである。繰り返しになるが、「知識」「技術」そのものは、善用も悪用もされうる。歯止めになるのは知識や技術ではない。例えば、「児童虐待をしてはいけない」という「知識」が児童虐待をさせないのではない。児童の幸福を願う強い「願い」、「子どもの人権を尊重し対等な人間として接する必要がある」という「意志」が、福祉専門職としての知識や技術を行使させるのである。

2.価値と倫理
 知識、技術と並んで、倫理または価値と呼ばれるものが大切であることはわかるが、各種の倫理綱領やテキスト類を読んでもわかるように、両者の関係は必ずしも明確に区別して使用されていない。この違いをどのように意識すればいいのだろう。既に簡単にこのことについて触れているが、もう少し考えることにする。
ここでは「価値」とはその専門職が「何を目指しているのか、何を大切にするのか」という信念の体系であるのに対して、「倫理」は価値を実現するための「現実的な約束事・ルールの体系」であるとしておく。
国内の各福祉専門職団体の倫理綱領は別稿でそれぞれ論じられているので、ここでは国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)の「ソーシャルワークの定義」を例に論じてみる。(http://www.jacsw.or.jp/data/file/html/011109.html)
本定義の中の「価値」の項をみると、まず「人道主義と民主主義の理想」を歴史的背景としてソーシャルワーク専門職が生まれたとしている。次に職業としてのソーシャルワークは「すべての人間が平等であること、価値ある存在であること、そして、尊厳を有していること」を価値として尊重するとし、その上でソーシャルワーク専門職は、「不利益を被っている人びとと連帯して、貧困を軽減することに努め、また、傷つきやすく抑圧されている人びとを解放して社会的包含を促進する」よう努力すると述べている。ここではなお若干を省略しているが、人道主義、民主主義という現代社会の普遍的価値のレベルから、ソーシャルインクルージョンといった援助専門職の価値レベルが導き出されることを丁寧に展開している。一つ一つの言葉は当然のことのようであるが、本当に今自分がしている関わりがこれらの価値を実現できているかという視点で実践と照らし合わせたとき、意外と重要な指針にもなることに気づく。
それに対して、IFSWの「ソーシャルワークにおける倫理―原理に関する声明(草案文書)」(http://www.jasw.jp/betu-news.HTM)では、「自己決定権の尊重」「参加の権利の促進」をはじめ「資源の公正な分配」「正しくない政策や実践に挑戦する事」等々の具体的な項目が挙げられている。前述の「価値」を実現していくために、これらの具体的な「倫理」原則があるという関係になる。そして倫理綱領には「価値」と「倫理」の両面が一般には触れられているのである。ここで指摘しておきたいことは、「倫理原則」を機械的に守ることが必ずしも求められるわけではないということである。ソーシャルワーカーが大切にする複数の「価値」が矛盾することはないが、「倫理原則」のレベルは個々のケースとのかかわりでは対立する形で現れることがある。このことについては、4節で触れる。

3.倫理綱領の意味―明文化の必要性―
 援助専門職にとって自分たちの守るべき行動規範の集成である、「倫理綱領」は大切なものであり、弁護士、看護婦、ソーシャルワーカー等々各種専門職団体が独自の倫理綱領をもっている。全米ソーシャルワーカー協会(NASW)のソーシャルワーク辞典には、倫理綱領のことを「専門職の価値・原則や規制について明示的に述べられたもので会員の行為を規定するもの」と説明している。
 たしかに、個々の専門職者がしっかりとした価値観や倫理を持つ必要があることはわかる。しかし、それをあえて「倫理綱領」といった形で文書として公開する必要はあるのだろうか。「倫理」というものは個々人の心の中にしっかりともっていればいいのではないだろうか。この問いにはいくつかの答えが考えられる。
 一つ目は、福祉サービスの利用者=クライエントに対してサービス提供者=ワーカーとしての役割を明示する役割である。もちろん、今後の動向として個々の「契約」といった形で具体的なサービスの内容や責任範囲は定められることになるだろうが、福祉専門職全体としてサービス利用者に対してどのような姿勢で接するのか、何を実現しようとしているのかなどを明らかにすることは必要である。
 二つ目は、一般市民や連携相手である他職種に対して福祉専門職を周知していく、理解を促していくという側面である。福祉関係者同士では自分たちの業務内容や責任範囲に対して暗黙の了解があるが、他職種や一般市民は必ずしもそのことを了解できてはいない。自分たちは何を目指す専門職で、どのような努力をし、何を禁止規定として持つといったことを明らかにしていくことは社会的責任のレベルでも、また具体的な連携の効果を挙げていく意味でも必要になってくる。
 三つ目は、福祉専門職者同士が自らのなすべき業務に関する共通理解をするためという側面である。現実には、専門教育を受けた学校、現在勤めている職場などの状況によって個々のワーカーが日々目指している目標などには少しずつずれがある。しかし、福祉専門職に就くものである限りには、大枠において共有すべき知識や技術、価値がある。これらについて確認するためには、文書化され、公開された形での倫理綱領を持つことが大切になるのであり、福祉専門職が質的に最低レベルを確保するという意味で必要になってくる。

4.倫理綱領はマニュアルか
 時に、倫理綱領は「べからず集」などといわれることもある。実際倫理綱領には「しなければならない」「してはならない」といった項目が多い。これは、倫理綱領自体が、専門職の価値を実現していくための行動の規範になるものであるという性格からもある程度当然ともいえる。しかし、ここで考えなければならないことは、それでは「倫理綱領」は「マニュアル」か、という問題である。
例えば、ファーストフード店で客は全国のどの店でも同じ言葉掛けを受け、同じ味の品物を同じ値段でうけとる。この規格化を支える重要な要素がマニュアルの存在である。確かに、一般のサービス業において求められているサービスの標準化が、福祉援助においても必要なのではないかという議論がある。この議論にはもちろん一理ある。しかし、「倫理綱領」はマニュアルと同義ではない。マニュアルを、その指示に従えば自動的にサービスの質を規格化できるものだとするならば、倫理綱領はそのレベルの次を目指すものであろう。例えば、「利用者を呼び捨てにしない」、「毎日記録を書く」、「外部から電話がかかってきたときは受け手である自分の名前を名乗る」といったレベルの標準化はマニュアルの範疇である。そしてこれは、対人援助においてももちろん必要になる。しかし、対人援助はこのレベルを満たすだけでは問題が解決せず、個々のケースごとに判断が必要になってくることがある。このときに必要になってくるものが倫理綱領なのである。
われわれはしばしば困難ケースを前にして、どのように接し、どのような決断をするかを迫られたときに困り果てる。いくつかの選択肢を前にして、どちらの答えを選んでもクライエントの望むところにならないとき、また関係者の利害が厳しく対立するとき、われわれは困り果てる。教科書どおりの知識や、自分が従来用いてきた技術だけでは問題が解決しない、倫理的ジレンマとも呼ばれる状況を解決するときの、判断のよりどころになるのが倫理綱領なのである。ただし、正解を倫理綱領が教えてくれるのではない。実践においては各ワーカーが個々の状況に応じて、「今回の選択」を「クライエントとともに選び取っていく」ことが必要になる。その参考になるものが倫理綱領なのである。
例えば、IFSWの「ソーシャルワークにおける倫理―原理に関する声明(草案文書)」の4―1 「人権と人間の尊厳」の項には、@自己決定権の尊重 A参加の権利の促進 B個々の人間を全体として捉える、という三原則があげられている。しかし、クライエント本人の意思を尊重しようとすれば、その結果がクライエントの孤立を招くこともありうる。このような矛盾にマニュアル的な正解はない。しかし、綱領全体の中にある「ソーシャルワークの定義」や関連する「国際規約」の内容、それに加えて尊重すべきその他の倫理原則を、総合的に検討していくことによって、「今回の選択」を導き出していくことをワーカーは求められるのである。クライエントとワーカーが協同してまたワーカーが代弁して、悩みながらケースバイケースの結論を出していく時にこそ、専門職倫理は意味を持つのである。

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