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小山隆
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あいかわらずですが、最終的な原稿とは違う部分があることをお許しください。


 研究倫理について―社会福祉研究のために―
小山隆

T.はじめに

 
近年、大学や学会において「研究倫理」に関する論議が盛んになり始めている。社会福祉分野に限らない学術界全体のレベルでいうと、2003年に日本学術会議の「学術と社会常置委員会」によって「科学における不正行為とその防止について」という報告書が出されており、その中で「科学者の職業倫理(科学者倫理)」について論じられている(文献1 P.1)。個別の大学における動向を見ても、各大学で倫理規定を策定する動きが急であり、同志社大学においても「研究倫理に関する検討委員会」が設置され、「同志社大学研究倫理規準」が20055月より施行されている。
これらの一連の動きは、「研究」が非倫理的なものであってはならないという当然のことを、改めて確認する必要が出てきているということであり、そのことは社会福祉研究においても例外ではない。
例えば、日本社会福祉学会は「日本社会福祉学会研究倫理指針」を、2004年度総会を経て施行した。また日本社会福祉実践理論学会においては2004年度年次大会においてシンポジウムの発題として「質的研究の倫理」がとりあげられた。
 研究を進めるに当たって、「倫理」が大切であることは一般論として了解されることであるが、その対象とする範囲はあいまいであり、どこまでが研究倫理上許されないことで、どこからは許されるものかといった論議は社会福祉研究の分野において蓄積されているとは言いがたい。本研究では社会福祉研究において今後の議論の基礎となるべく研究倫理についての整理を試みることとする。
 

U.研究倫理問題とは

 
「研究倫理」というとき、その内容はどのようなものをさすのだろう。
まず簡単に、そのイメージを明らかにするために、インターネット上のGoogleで「研究倫理」という語を入力してフレーズとして検索してみると(2005年8月5日)、10300件ヒットした(注1)。
そのトップ10件の内容を見ると、「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針ホームページ」(文部科学省)、「研究倫理委員会」(田辺製薬)、「研究倫理について」(日本赤十字九州国際看護大学)、「研究倫理委員会」(大阪大学)、「ゲノム研究倫理体制」(第一製薬)、「研究倫理委員会」(シスメックス株式会社)、「研究倫理指針」(お茶の水女子大学)、「科学における不正行為とその防止について」(日本癌学会)、「ヒトゲノム・遺伝子解析研究倫理審査委員会運営要領」(住友化学)、「ヒトES細胞研究倫理委員会」(信州大学)となっている。
 
そのほとんどが、ヒトゲノム、医療といったキーワードに関わっている。大阪大学の研究倫理委員会もヒトゲノム・遺伝子解析に関する研究、ヒトES細胞の樹立及び使用に関する研究等々が対象となっており、お茶の水女子大学の指針のみが、「本学に所属するすべての関係者に遵守を求める」ものとなっている。これを見る限り「研究倫理」が話題となる分野は「人間を対象とする実験」に関する範囲に集中しているといってよさそうである。
先端医療の分野における治療や基礎研究の部分で、患者・被験者に関する人権を守るということの重要性からして当然のことともいえるだろう。
 しかし、それでは「研究倫理」が人間を対象とする実験等に関する「倫理」に限定されるかというとそうではない。たとえば、「日本社会福祉学会研究倫理指針」を見ると、その「指針内容」は「引用」「事例研究」「調査」「書評」「査読」「二重投稿・多重投稿」「学会発表」「研究費」「差別的表現とされる用語や社会的に不適切とされる用語」「共同研究」「アカデミック・ハラスメント」の11項目が立てられている。これを見ると、その多くが研究成果を発表する段階の注意事項であり、論文作成・口頭発表等に当たっての研究者への諸注意とでもいうべきものである(注2)。
このことに焦点を当てたとき、「人間を対象とする実験」とは別の、もう一つのテーマである、「研究者の不正行為」の問題が研究倫理の課題として浮かび上がってくる。全国の学術レベルでいうと、既に述べたように2003年に日本学術会議の「学術と社会常置委員会」において「科学における不正行為とその防止について」という報告書が出されている。その本文の書き出しは、「近年、国内外で研究上の倫理にもとる科学者の行為あるいはその疑いがもたれる事件が相次いで起こっている。」ではじまり、「科学者の職業倫理(科学者倫理)は、科学の健全で適正な発展に欠かせない行動規範の基礎であると同時に社会がよせる科学への信頼の基礎でもある。」とうけている(文献1 P.1)。まさに研究倫理を守らないこと=不正行為という脈絡から論じられているのである。
このように見ると、研究倫理問題というとき、「人に対する実験等」を巡る問題と、研究一般における不正行為問題の二つの議論があることがわかる。これらを厳密に整理して、「人に対する実験・調査等」に関する倫理の問題と、「研究者の不正行為」の問題を区別して同一に論じない考え方もある(注3)が、前者も「研究」の一環としてみたときに研究上の不正・倫理問題に関わることといえ、本稿では一括して「研究倫理」の問題として論じていくことにしたい。(注4)
具体的には本稿では仮に以下のように定義をすることで論を進めることとしたい。
「研究倫理」とは研究者が研究の全プロセスにおいて守るべきとされる倫理のことである。一方「科学者の不正行為」は研究倫理上の問題の中でも、法的・社会的にまた学会等において明示的に禁じられる違反行為のことであり、その中核部分は、研究成果自体の信憑性に疑念を抱かせることになるような行為である。つまり両者の関係は、研究倫理の視点からみると問題があるが、不正行為とまではいえない行為はあるということにもなる。
そして、「人に対する実験・調査等」は、人体実験や心理実験はもとより、人間を調査対象者・協力者として行われる情報収集などの段階における研究上の行為のことである。人間を対象とする実験・調査は、研究一般の中でも、研究者本人以外の「人」を研究活動に巻き込むことになるため特別の倫理的配慮が必要とされることになり、「研究倫理」の中でも大きなテーマとなっている。社会福祉研究においては、研究のプロセスで人を情報収集の直接の対象にすることが多いため、「人に対する実験・調査等」における倫理問題は特に関心をもたれる必要があると考えられる。
 

V.研究の段階別に見た倫理問題

 
「科学における不正行為」(scientific misconduct)とは、広義には「科学的研究の目的、計画、遂行、成果にかかわるすべての過程において、科学者の行為を律する公式・非公式の規範からの逸脱」(文献1 p.2)とされる。まさに、研究の各段階においての規範からの逸脱が問題になるわけである。ここでは、研究の各段階において生じうる倫理上の問題について概観することとしたい。
 

1)問題意識の段階・研究計画の段階

 
主として、研究倫理の問題は研究計画の実施から分析、公表の段階に集中的に発生すると思われるが、研究計画の策定の段階でも問題が生じないわけではない。例えば、ナチスドイツや日本軍の731部隊による人体実験は、その行為自体が許されないことも当然であるが、それ以前に医学の進歩の名の下にあのような人体実験を思いつき、企画すること自体が「反倫理的」だったのである(注5)。現在においても、例えば社会的コンセンサスや技術的準備が十分整っていない段階で、研究者が功名心に駆られて人体実験を計画することなどは許されない。研究が研究者の個人的な報酬や名誉など二次的な関心事により歪むことは許されないのである。その意味では、一般に「研究者の利益相反」といわれる問題にも研究者は敏感であることも求められる。また、研究計画の段階で先行研究についてのフォローについて手抜きをした情報収集計画を立てるなども許されないことはいうまでもない。
 さらに、特に「人に対する実験・調査等」を行う場合には、本当にその調査方法をとらなければならないのか、他のもっと負担の軽い方法で同様の知見を得ることができるのではないかということが、確認されなければならない。問題意識の段階でいえば、「今回の研究で明らかにしたいことは、文献研究では明らかにならないのか」、また研究計画の段階でいえば、ヒアリングにおいて、「この質問項目は本当になされなければならないのか」等といったことは、絶えず問われなければならないだろう。
 

2)研究の実施の段階

 
研究上の不正行為はFFP(Fabrication Falsification Plagiarism)ともいわれる、捏造、改竄(偽造)、盗用の三種が中心であるとされる(注6)。これらは、情報の収集と処理の段階に主として発生し、公表の段階へと継続することになる。捏造は存在しないデータを作成することであり、改竄はデータを変造することであり、盗用は適切な引用なしに、他人のアイデアやデータ、研究成果を使用することである(文献1 p.5)。研究が“something new-ism”(注7)を前提とし、業績のプライオリティーと生産量を競うとき、これらの不正行為はなかなか後を絶たないことにもなりかねないが、裏返せばそれを絶とうとすることこそが「研究倫理」にとっての大きな課題ということになるだろう。
FFPを中心とする不正行為は、研究の「内容」の正当性に関する不正である。つまりデータを「実験によって得た」としながら他者のデータを利用したり(盗用)、実際には実験していない数値を混入させたり(捏造)、または実験によって得られたデータの数値を研究にとって都合の良いデータへと書き換える(改竄)といった行為は全て、研究の内容に関する信頼性を失わせるものである。
これに対して、「人に対する実験・調査等」についていえば、FFPの問題とは異質な「研究倫理」上の問題が多く発生することに留意しなければならない。「人に対する実験・調査等」は、研究者が他者から情報を得ようとするものであり、調査対象者・協力者(被験者、研究対象者、情報提供者など様々な呼び方がなされる)の権利を守るために、インフォームド・コンセントに代表される一連の手続きが必要になってくるのである。研究の内容そのものは信頼に足るものであったとしても、調査対象者・協力者に対する「侵害」は最小のものでなければならない。また、情報収集に当たって調査対象者・協力者を「欺く」ことも許されない。(注8)これらの「努力」も研究上の「不正」のレベルではなくとも「研究倫理」上の問題であるといえよう。
また、研究の内容の信頼性に関わる問題でもなく、調査対象者・協力者に対する倫理的問題行動でもないが、研究にまつわる問題行動もある。(前の計画の段階や次の公表の段階も含む問題であるが)例えば、研究費の不正使用の問題や、研究のプロセスにおける性的嫌がらせの問題、オーサーシップに関わる問題などである。これらは、米国科学アカデミーの定義によれば「科学の不正行為とはいえない」ということになるが、間違いなく研究倫理上の問題であることは確かである(注9)
 

3)研究の公表の段階

 
研究成果の発表についていえば、学術論文としての学会誌等印刷媒体への発表または学会等における口頭発表や市民に対する講演等の方法が中心である。その他、学会におけるポスター発表等も従来からなされているし、新しい動向としてはインターネット上のホームページによる公開、メーリングリスト上での速報等も行われている。
研究成果の公表の段階では、「引用」の仕方、「事例研究」におけるインフォームド・コンセント及び匿名化、「二重投稿」の問題、誰を著者・共同研究者とするかの「オーサーシップ」の問題などが、研究倫理に関わる問題として指摘されるだろう。
 加えるならば、「人に対する実験・調査等」においては、(特に質的調査においては)調査対象者・協力者のプライバシーが研究の公開後も本当に守られるのか、また公開を本人が了解しているのか、また公開される内容が回答者の本意に沿うものであるのか等も確認される必要があるだろう。その意味では、インタビューした結果を研究としてまとめるプロセスで、調査対象者・協力者にその内容をフィードバックし、確認・コメントを求めるといった一部の質的研究でとられている方法は、調査対象者をまさに調査協力者としての参加を求めていくという意味で注目すべき方法といえるだろう。また、そこまではいかなくとも、アンケートやインタビューに協力してくれた人のうち、希望者に研究成果を送付するといったことも積極的に検討していく必要があるだろう。
 

W.研究倫理上発生する倫理問題の類型

 
 前節では研究の段階別に発生しうる倫理問題について触れたが、本節では研究倫理上の問題をタイプ別に整理してみることとする。
 
『背信の科学者たち』(文献2)の巻末資料によれば「科学における欺瞞の事例」は、古くは紀元前二世紀のギリシャの天文学者によって「バビロニアの文書から得た星に関する資料を、あたかも自分の観測結果であるかのように偽って出版した」といった事実にまでさかのぼることができるという。そして、「疑わしい事例を含む」という注釈つきではあるがプトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、ベルヌーイ、メンデルといった誰もが知る大科学者を含めた「欺瞞の事例」が古代から現代に至るまで紹介されている。
ただ、現代からみて不正行為にあたる、非倫理的であるといえるものと、当時の社会状況において既に不正であった、また倫理的に問題があるとされていたものとは完全に重なるわけではない。時代によっては二重投稿が必ずしも悪ではなかったし、研究におけるプライオリティが決定的な条件でもなかったのである(文献3p.65、文献4p.49)。
その意味では現時点での「不正」「倫理違反」の基準を大学や学会が明示し、各研究者はそれを遵守するということが必要になるのだろう。
 

1)FFPを中心とする、研究内容の信頼性に問題がある事例

 
このレベルの事例としては、文献1に、「Alsabti事件」「常温核融合事件」「Baltimore,Imanishi-Kari事件」「SchoenBell研)事件」「旧石器発掘捏造事件」「遺伝子スパイ事件」があげられている(文献1pp.6-9)。
Alsabti事件は、他人の論文をタイトルと著者名を入れ替えて、知名度の低い別の雑誌に発表して業績を作ったというものである。文献2によればAlsabtiは三年もの間他人の論文を一言一句まで無造作に盗んだ(文献2p.39)という。1970年代後半から1980年代初頭にかけてのアメリカの医学会を舞台にして「発表した60篇の論文のうち、おそらくはそのすべてを剽窃し」、「世界中の何十という科学雑誌の編集者を欺き」、「中東の二つの政府、11の科学雑誌の審査委員会、アメリカの六つの高等研究機関の管理者を欺いた」(文献2pp.58-59)という。
海外の雑誌に投稿された他人の論文をそのまま名前を変えて投稿されたとき、どのような形で発見しうるのか、レフェリーのシステムなどがあっても、「故意の確信犯的犯罪」にどのように対応するか、本事件は大きな課題を提起している。日本の社会福祉研究においても現実的には海外の論文はもちろん、読者数の少ない地方の大学紀要等に載った他人の業績を盗用したとしても、たまたま被害者等関係者が気づく以外には発見されにくいのではないだろうか。
言い換えれば、ピアレビューによる予防策ももちろん大切ではあるが、刊行(公表)後、不正が発見されたとき(またはその旨の申請が他者からあったとき)に、どのような手続きで処理されるかの手順の明確化などが学会や、大学において必要になってくるだろう。
他にも、ねずみの皮膚移植実験の成功を示すために、白いねずみの皮膚をフェルトペンで黒く着色した「ペインテッドマウス事件」(文献3、pp.35-36.)をはじめとする、第三者から見て滑稽とも思われる事件が科学研究の世界で行われている。社会福祉研究においては、実験が行われることは少ないが、研究における「実証性」が強調される中、調査研究は今後ますます増えてくると思われる。データの捏造、改竄の危険性へのチェックシステムについては必要に応じてアンケート現物の閲覧が出来るように求めるなどのルール化の必要があるだろう。
一方「Baltimore,Imanishi-Kari事件」は、同僚により「データの捏造」が指摘され、結果的に米国健康福祉省研究公正局によってその疑惑が晴らされるために十年間かかったという事件である。その間、ノーベル賞受賞者のボルティモア博士は、ロックフェラー大学の学長を辞職することになっている。
不正が見過ごされることは許されないが、不正の指摘を受けたときに不正をしていないことの証明は難しく、時に研究者生命を奪うことにもなるという事実も心に留めておく必要がある。後に無実が明らかになったとしても、それまでに「有罪であることについて」論じられた文献はその後も訂正・回収されることなく、世間に存在し続ける。例えば、文献4では、この事件は「ボルティモア事件」として紹介され「ボルティモア側が、疑惑を認めた形で決着した」(P.94)としているし、『科学が裁かれるとき―真理かお金か?―』(文献5)では、「基礎研究に絡む不正事件のなかでも名だたる一件といえば『デービッド・ボルティモア事件』であろう。」(p.189)として、第四章ほぼ全体を通してこの事件を詳細に論じている。これらの文献が現在も閲覧可能なのである。
不正を犯したと指摘された研究者が不服申し立て等をできる仕組みを、学会や大学がしっかり整え、冤罪に問われることのないような努力することが必要であるし、また後に訂正された事実をどのような形で周知していくかといったことについての仕組みつくりも必要になってくるだろう。
 

2)FFPレベルではないが、研究プロセスに問題がある事例

 
捏造、改竄、盗用が、科学研究における不正行為であることは論を待たない。しかし、既に述べてきているように、「不正」であるかどうかは異論があるものの、「研究倫理」上の問題が指摘されるレベルの問題は他にもある。
文献1には、「不適切なオーサーシップ、重複発表、引用の不備・不正(先行例の無視・誤認や不適切な引用、新規性の詐称など)、研究過程における安全の不適切な管理、実験試料の誤った処理・管理、情報管理の誤り」や「研究グループ内の人間関係や研究成果の帰属に関する問題」があげられている(p.5)。
これらの中で、先行例の誤認や不適切な引用の場合、実験試料の誤った処理・管理等は、FFPと同様に研究成果そのものに影響を与えると考えられるものであり、「故意」ではないというだけで、研究結果に悪影響を与えうるという意味ではFFPに準ずるものといえる。確かに「故意」でない問題行為を「不正」として裁くことはいかがかと言う慎重意見にも一理はある。しかし、FFPのみを不正行為とし、それ以外の「引用を正しく行わないこと、手抜きによる間違い」は「科学者のコミュニティ内部の問題」であり、ピアレビュ−をはじめとする評価システムによって「個々の問題として処理される」(文献6P.57)という米国科学アカデミーの考え方は、楽天的過ぎるというべきであろう。意図的犯罪と無意図的ミスはその与えられるべき罰においては差があるべきだろうが、研究成果に与える悪影響には変わりはないのである。
 

3)研究内容には必ずしも影響しないが、研究上許されないとされること

 
研究倫理の問題はこれらにとどまらない。研究成果そのものには影響を与えないかもしれないが、研究者として倫理上許されないものとして、オーサーシップに関わる問題や、重複発表の問題等がある。
これは、研究プロセスにおいて従うべきとされるルールの問題である。例えば、誰が論文のオーサーとして相応しいかという本来単純なはずの問題も、共同研究においては難しい問題が生じてくる。一般にファーストオーサーが重要な役割を果たしたという理解があるが、研究領域や学会等によっても扱いは異なる。例えば、「最も有名な科学者をファーストネームにする」場合、「研究指導者の名前は常に最後に書かれる」場合、「指導者の名前はめったに論文に出さない」場合、「教授の名前をその研究室の論文全てに載せる」場合、「アルファベット順に名前を並べる」場合などもあるという(文献6p.45)。
このように領域・学会ごとにも研究倫理上の「常識」が若干異なることがある。これらの問題に様々な研究分野の研究者が集まる大学単位で統一するといったことは困難であるので、学会が指針を出す必要があるのではなかろうか。社会福祉関連学会においても、今後共同研究が一般化していく傾向にあると考えられ、学会としての線引きをある程度明確化していく必要があるだろう。
 

 4)広義の研究倫理問題

 
 上に述べてきたこと以外にも気をつけるべきこととして、研究上の問題というよりは、社会一般の倫理レベルでみて許されないことがある。例えば、助手に対するセクシャルハラスメントをはじめとするアカデミックハラスメントの問題が挙げられる。それ以外には、研究費の横領などの問題もある。ある意味でこれらは「社会的」に裁かれるべきことでもあり、学会として特別に注意すべきことではないとも言える。しかし、「注意するまでもない」ことと「そのような行為に気づかなくて良い」ということとは異なる。広義の「研究倫理」の問題ととらえて関心を持っていく必要があるだろう。
 

 5)調査対象者・協力者との関係で発生する倫理問題

 
 社会福祉研究においては、医学研究、心理学研究などと並んで情報収集の段階において、「人に対する実験・調査等」が行われることが多い。つまり、研究のプロセスにおいて何らかの形で、研究者以外の人を研究活動に巻き込むことが生じることが多い。その意味では、例えばFFP等の研究そのものの正当性(内容)が問われるレベルや、オーサーシップ等の研究上のメリットの公平な享受のレベルといった、研究一般のレベルではない配慮が必要となる。
例えば、隣接分野である心理学系の学会によって製作され市販されている『心理学・倫理ガイドブック』(文献7)では、「質問紙法」「心理テスト法」「観察法」「面接法」「実験法」といった調査研究法ごとの留意点について、それぞれ章を立てて詳細に論じている。そこでは、資料の保管のあり方から、協力者への謝礼の問題などにわたって具体的に触れられている。
 例えば、質問紙法を使う場合には「質問紙尺度それ自体には著作権等は発生しないので、誰もがその尺度を自由に使うことができる」が、「研究上のマナーとして、他人が作った尺度を使用するときには、事前に手紙などで一言ことわるのが礼儀」であると指摘し、また標準化され市販されている場合には、「尺度を無断で複製して使用するのはけっして行ってはいけない行為」であり、販売会社に連絡を取り問い合わせる必要があると指摘している。(pp.5-7.)またインフォームド・コンセントも、学校等で集合的に調査を実施する場合に教師等の承諾はとっているが、児童生徒一人ひとりの承諾は取っていないことが多いと指摘し、「研究への参加・不参加を最終的に決定するのは、一人ひとりの児童や生徒の意志に任せなければならない」(pp.8-9.)とする。これらの指摘は、そのまま福祉施設などにおいても適用することができるだろう。また質問紙の回収者が担任の教師の場合には回答者が「途中で見られるかもしれない」と考え回答にバイアスがかかる可能性があるので工夫が必要であるといったことが指摘されている。
福祉研究においてもこのような具体的なレベルでのガイドラインの策定、留意事項の蓄積といった作業が求められるだろう。
 

X.質的研究において特に意識しなければならない問題

1)質的研究における研究倫理

 
以上述べたこと以外にも、「人に対する実験・調査等」に当たって留意すべきことは多い。中でも「質的研究」は「量的研究」と比べて、そのプロセスにおいて倫理的な問題をより多く抱えることになる。例えば、一般に行われる匿名の質問紙調査では調査対象者・協力者の回答は、早い段階で(一般には調査実施者の手元に届く段階で既に)匿名化されており、一次処理される段階でコード化される。それに対して、面接によってえられたインタビュー記録などは、個人を特定できる状態で保存され処理されるのを待つことになる。
文献7では、丸1章(第六章)を「臨床にどう取り組み、研究するか−発達障害に即して」と題して展開している。そこでは大きく、発達障害児・者を対象とする「実験・調査などの研究活動」と「臨床活動」に節を分け、注意点を論じている。前者が研究倫理上の問題であり、後者は実践倫理、専門職倫理に関わる問題と言えるだろう。本論のテーマとの関係で前者をみると、「何のための研究か」「研究対象と方法が適切か」「対象者の自由は保障されているか」「対象者に対して危険を冒させないこと」「研究意図を隠す場合への注意」「研究の目的・方法・公開方法についてのインフォームド・コンセント」「研究結果の報告と感謝」という項目が立てられている。
いずれも、「研究内容の信頼性」を担保するプロセスにおいての、「不正」でも「不適切」な例でもない。しかし、計画される調査や実験は研究遂行上やむをえない場合に限り、本人の許可を得た上で、必要最小限の範囲で行われなければならないのである。
IRBハンドブックでは、「質的社会科学研究」(文献10pp.106-111.)という節を設け「質的研究におけるリスクの類型」について論じている。そこでは、社会科学領域では、「仮説を検証し立証する比較対象研究などとは異なる」ところの「仮説を生成すること」を目的とする質的研究の長い伝統がある(p.107)とのべたうえで、「守秘の不履行」「プライバシーの侵害」「悪行の是認」「他者に害を及ぼすリスク」「インフォームド・コンセント」「通報義務のある事態」「機密性証明書」という七項目について説明している。これらのうち、守秘義務、プライバシーの尊重、インフォームド・コンセントについては、その重要性は十分理解できるものである。研究者は調査対象者・協力者に対しての十分な配慮が必要であるということであり研究に当たっての当然の前提とも言える。
一方、他の四項目については、まったく別な社会的責任との関係で研究者の義務について論じられたものであり、従来は日本の社会福祉等の研究倫理で論じられることが少なかったと思われる。以下に、これら四項目について検討していくこととする。
 

2)悪行の是認

 
研究において、研究者がある行為や考え方を調査すること自体が、調査対象者・協力者の行動や考え方を「正当化」「是認」してしまう危険性がありうるという指摘である。
インタビュー等を実施するに当たっては、その調査対象者・協力者の行動や考えを否定することなく受け入れ、信頼関係を築いていくことが前提となるが、このことが抱える問題点についての指摘である。事例としては、地下武装勢力へのインタビューにおいて、「著名な研究機関の研究者が興味を寄せてくれたことによって、自分たちの無政府主義的な活動はその合法性を是認された」と調査対象者・協力者が語った例が紹介されている。
このようなケースに、「IRBは研究者と議論し、厳密な科学的客観性と責任を持つべき社会的価値との間の落差を狭めようにする」必要がある(P.108)とIRBハンドブックでは指摘している。
 確かに、オウム真理教のときの例のように、ある程度研究者がその組織に関わりをもったことが、対外的な「宣伝」に利用されることもありうる。もちろん、ここで問われるような反社会的な集団等を、社会福祉研究が直接的な調査対象とすることはあまりないと考えられる。しかしながら、調査研究において相手に受容的にアクセスすること自体が「悪行の是認」にもつながりうるという指摘は重要だろう。
 

3)他者に害を及ぼすリスク

 
調査対象者・協力者に対してインフォームド・コンセントを得ることの必要性は言うまでもない。しかし、直接のインタビュー等の対象ではなく、そのインタビュー等によって語られた第三者についてのインフォームド・コンセントまでが必要かといった話である。この「その人自身はインタビュー協力者等の立場で研究に関わってしていないけれども、その人について研究者がインタビューその他の伝聞などの手段で情報を得ることになる人」を「二次的対象者」とよび、彼らに及ぼす害の可能性について研究者はどう考えていくかが問われているのである。
例えば、児童虐待を行った母親の事例研究中に母親の母親(虐待を受けている子どもにとって祖母に当たる)による数十年前の虐待が語られたとき、その祖母の了解まで必要かといった問題は、従来考えられてこなかった問題である。この件についてはアメリカにおいても、意見が分かれているようであるが、情報収集の段階はともかく研究の「公表」の段階では一定の配慮が必要になってくるかもしれない。
 

4)通報義務のある事態

 
例えば、子育てについてのインタビューを親に対して行っているときに、深刻な虐待が繰り返されていることが発見されたとして、研究者はどのような行動をとるべきなのか。協力者との信頼関係を重視してその秘密を守るのか、児童の人権侵害状況を解決すべく関係機関に通報する等といった社会的行動をとるのか等といった状況であろう。
すでに述べた「悪行の是認」や次の「機密性証明書」にも関わるが、研究がどれだけ社会的価値から自由でありうるのか、反社会的、非社会的行動に接したとき研究者はどのような行動をとるべきかについては、研究プロセスにおける「守秘の不履行」、「プライバシーの侵害」との関係で難しい問題となる。
繰り返しになるが、最初から調査対象者・協力者の考えや行動について否定的な見解を研究者が明示して、質的研究を実施することはきわめて難しい。批判的でなく、できるだけ、中立的または受容的な雰囲気で調査が行われることが一般に必要とされる。しかし、そこで、発見された反社会的、非社会的行動に関わる事実が「研究」を理由に伏せられ、取り返しのつかない事件へとつながったとしたらどうするのかといった問題である。この件については従来「職業上知りえた秘密」は漏らしてはいけないという「秘密保持」原則とのかかわりで論じられることが多かった。そしてこれらは「専門職が自ら内在的にもつ専門職倫理」の問題でもあると同時に、法的根拠にも基づいていた。
具体的な根拠としては専門職レベルでは、「刑法」第134条の「秘密漏示」禁止規定がそれに当たり、福祉専門職レベルでは例えば、「社会福祉士及び介護福祉士法」の第46条の「秘密保持義務」規定がそれに当たった。また、非専門職レベルで言えば、刑法第230条の「名誉毀損」規定もそれにあたると考えられる。(注10
しかし、これら倫理上及び法律上の専門職の秘密保持義務は必要に応じて一部解除される傾向にある。アメリカでは虐待の証拠を得たり、自傷他害が予期される場合には「多くの州では、研究者にはそうした事態を関係する当局に通報する義務がある」という。(文献10 p.110)日本においても、「児童虐待の防止等に関する法律」の第6条は児童虐待に関する通告義務を定めているが、その第3項は、「刑法(明治四十年法律第四十五号)の秘密漏示罪の規定その他の守秘義務に関する法律の規定は、第一項の規定による通告をする義務の遵守を妨げるものと解釈してはならない。」としている。
これらの事態に対しては、「通報義務のある事態に遭遇する可能性のある研究者は、その事態の発生に備えていなければならない」し、場合によっては「インフォームド・コンセントのプロセスの一部として通報義務について述べることが必要」になるという指摘(文献10 p.110)も日本の社会福祉研究においても検討される必要があるのではなかろうか。
 

5)機密性証明書

 
上に述べたように、研究者といえども法に従う存在としてふるまうことが昨今は必要になってきている。しかし、このことは行き過ぎると、研究の中立性が脅かされることにもなりかねない。そこで、アメリカでは「機密性証明書(Certificate of confidentiality)」をNIH(米国国立衛生研究所)やHHS(米国保健福祉省)によって発行されるというシステムを米国公衆衛生法(Public Health Service Act)が定めている。
ある意味で「通報義務」とは矛盾する関係でもあるが、継続的研究の場合などで、個人を識別できる形でデータを保存する必要があるときなどに、事前にこのような証明書を取って調査対象者・協力者のプライバシーを守っていこうとする仕組みつくりも大切になってくるかもしれない。
現実的に考えられる範囲で言えば、日本ではアメリカのように政府機関によって機密性証明書の発行を得るといったことは当面考えられない。しかし、学会や大学等研究機関に対して研究者が研究計画を提出し、その倫理的な適否について審査を受けるというIRB的な機関の設置が進み始めたとき、その機関からのある程度の認証を得るといったことは考えられるかもしれない。(注11
 

Y.終わりに

 
 以上、「研究倫理」という言葉が、研究の「不正」に関わるものと、研究対象・協力者に関する人権侵害からの保護といったものと、異なる脈絡で用いられていることを確認した上でいくつかの論点を整理した。
 特に、質的研究に関するいくつかの指摘については、従来論じられることの少なかったことであるので注意し、ある意味で調査対象・協力者の権利保護と対立することのありうる状況について検討していく必要が出てくるだろう。
 最後に、個々の研究者レベルでなく社会福祉系学会が今後対応を求められると思われる課題を確認しておきたい。一つは、社会福祉研究者が研究を遂行するに当たって利用できる基準つくりである。「学会研究倫理指針」はでき、また「投稿規定」といった形で、論文作法についての明確化は進んできたが、研究全体に及ぶ指針となるものが求められる。
「研究者として常識」という形で、師匠から弟子へと常識を伝えていくという現状を変えて、発達心理学会のガイドブックレベルの詳細なものを社会福祉系学会が集まって作っていくべきではないだろうか。
 二つ目は、不正行為が発生した場合の処理システムつくりである。予防については、確信犯については予防できないが過失によるものは事前に防ぐことが可能なので、学会として、許されること許されないこと等を明示し周知していくことが必要になってくるだろう。
その上で、不幸にして、不正行為が発見された場合はその後の手続きと、反対にそれが冤罪であるという申し立てがあった場合の手続き等を学会がシステムとしてしっかりと定めていく必要があるだろう。
 
 



注1
 インターネット上の検索エンジンでヒットする件数の多寡はそれほど重要なことではない。例えば、同じ検索エンジンでありながら同日に結果件数が違うこともある。例えば、それはpdfファイルを検索対象にするか、検索語をフレーズとして検索するのか全て含むという条件で検索するか、さらには検索対象のドメインを限定するかどうかなどによっても異なるのである。
 
注2
「日本社会福祉学会研究倫理指針」の指摘は研究発表の段階に関する言及が多い。
調査対象者・協力者との関係について論じているところといえば、「事例研究」のところが、当事者の匿名化、当事者からの発表に当たっての承諾の必要性を論じ、「調査」のところに、匿名性の問題等が触れられていることなどがあげられる。しかし、これも研究の発表の段階における注意事項が主であり、C−10の「調査用紙(質問紙)の文言は対象者の名誉やプライバシー等の人権を侵害するものであってはならない」が発表段階ではなく調査段階の倫理的原則を述べているものといえそうである。
また、「研究費」の部分も調査対象者・協力者との関係ではないが、発表段階に限定されない研究上の約束事を論じている箇所である。
 
注3 文献3 pp.4-5
山崎は「ヒトを対象にした治療や実験に関するもの」を生命科学領域においては通常”research ethics” (研究倫理)とよび、”research integrity”(研究の公平さ)は科学研究の誠実さと真実さへの疑問を論ずるものであるとして区別している。
しかし、人間に関わる実証的研究が中心となることが多い社会福祉研究においては、少なくとも”research ethics” の問題は同時に”research integrity”の問題の一部を構成するともいえるものであり、ここでは両者を区別せず「研究倫理」の問題として論じていくことにする。
 
注4
 厳密に言えば、研究倫理には明確に違反するとはいえないが好ましくないといった事柄も、また倫理違反ではあるが不正行為とは言い切れない事柄もありうる。
 
注5
ナチスドイツの第二次世界大戦中の非人道的な人体実験を裁くためにニュルンベルク(医師)裁判が行われた。そこで明らかにされた「人体実験」に当たってのインフォームド・コンセントをはじめとする遵守すべき基本原則(ニュルンベルク綱領)がその後の「人に対する実験・調査等」の実施に当たっての前提ともなっている。しかし、それ以前にドイツにおいてもその他の国においても人体実験についての規制が全くなかったわけではないし、また非人道的な行為が他国においてなかったわけでもない(文献8 pp.14-15 20-21 文献9 pp.24-27.)のである。
 
注6 
この三種に不正行為を限定するか、より広く定義するかについては米国でも意見が分かれるようである。「米国科学財団」は三種以外の逸脱行為も「科学の不正行為」に含むのに対して、「米国科学アカデミー」は「新奇な手法や非正統的な研究方法をとろうとする科学者が訴えられる可能性」があるゆえに限定しようとする(文献3 pp.61-62 文献4 pp.58-60)。しかし論文の重複発表や共同研究において誰が著者となることが相応しいかというオーサーシップの問題なども、科学の不正行為として理解するべきではないだろうか。
 
注7 
文献4によれば(P.49)、16世紀コペルニクスは自らの書物に書かれていることは昔からいろいろな人によって言われてきたことであると述べていることからもわかるように、当時まだ自らの研究が「二番煎じ」であると述べることが奇妙なことではなかったという。
 
注8
この調査対象者・協力者を「欺く」ことについて、心理学研究等においては「不可欠」とされることもある。例えば、葛藤状況にある家族等の面接時に、最初から隠しカメラがあることを知らせて許可を得なければならないとすれば、面接は不自然なものとなり「家族の自然な状況」を撮影することが出来ないといった問題である。
このような場合も、「対象者の参加意思に影響する重要な側面については、参加者を欺いてはならない」「同意説明文書には真実でない事柄は一切書かれてはならない」な度々言ったガイドラインに従うことが求められる。(文献10 pp.102-105.
 
注9
文献6pp.59-60 注6でも述べたように、米国科学アカデミーはFFPに化学の不正行為を限定しようとするが、それでも「研究機関は、そのような行為をやめさせ必要な措置をとる必要がある」ということは当然ながら認めている。その意味でも研究倫理上の問題であるという扱いを本論ではしておくこととする。
 
10
「刑法」第百三十四条(秘密漏示) 
医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、六月以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。
2 宗教、祈祷若しくは祭祀の職にある者又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときも、前項と同様とする。
 
「刑法」第二百三十条(名誉毀損)
公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
 
「社会福祉士及び介護福祉士法」第四十六条(秘密保持義務)
 社会福祉士又は介護福祉士は、正当な理由がなく、その業務に関して知り得た人の秘密を漏らしてはならない。社会福祉士又は介護福祉士でなくなった後においても、同様とする。
 
11 IRBとは、”Institutional Review Board”の略であり、機関内審査委員会、治験審査委員会とも訳され、人体に関わる臨床的な実験についての審査を行う組織で、アメリカでは、1970年代に法的に位置づけられ、日本でも医学系大学等で設置されてきた。日本では2003年に、厚生労働省によって「臨床研究に関する倫理指針」が定められ、「倫理審査委員会」が「臨床研究の実施又は継続の適否その他臨床研究に関し必要な事項について、被験者の個人の尊厳、人権の尊重その他の倫理的観点及び科学的観点から調査審議するため、臨床研究機関の長の諮問機関として置かれた合議制の機関をいう。」と定められている。
 近年になって、人体実験に限らない、質的調査のアンケートを実施する研究計画などについても委員会の審査を受けるという考え方が出始めている。例えば、同志社大学でも「人を対象とする研究」に関する倫理審査委員会が設置され、義務ではなく任意ではあるが、「研究計画等審査申請書」の提出による審査体制の検討にかかっている。
 

文献
 

文献1 日本学術会議・学術と社会常置委員会「科学における不正行為とその防止について」
文献2  W.ブロード、N・ウェード著 牧野賢治訳『背信の科学者たち』1988年 化学同人
原題は”Betrayers of the truth :fraud and deceit in the halls of science ”
文献3 山崎茂明著 『科学者の不正行為―捏造・偽造・盗用―』2002年 丸善
文献4 村上陽一郎著『科学者とは何か』1994年 新潮社
文献5 R.ベル著 井山弘幸訳『科学が裁かれるとき―真理かお金か?―』 1994年 化学同人
原題は”Impure Science-Fraud,Compromise and Political Influence in Scientic Research-”
文献6 米国科学アカデミー編 池内了訳『科学者をめざす君たちへ』 1996年 化学同人
文献7 日本発達心理学会監修『心理学・倫理ガイドブック―リサーチと臨床―』2000年 有斐閣
文献8 杉田勇他編著『インフォームド。コンセント―共感から合意へ―』1994年 北樹出版
文献9 R.A.Greenwald et al. 阿岸鉄三他訳『治験者ハンドブック−アメリカIRBの活動』1987年 地人書館
現代は”Human Subjects Research -A Handbook for Institutional Research Boards-”
 
文献10 ロバート・J・アムダー編著 栗原千絵子他訳『IRBハンドブック』2003年 中山書店
原題は、”Institutional Review Board Member Handbook”
 

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