教育における奉仕活動の義務化について01.02.10

分野的には、教育の分野の話題ですが、もちろん福祉関係者にとってもとても関心を持たざるを得ないテーマですね。


教育改革国民会議報告−教育を変える17の提案−平成12年12月22日
教育改革国民会議 中間報告--教育を変える17の提案--平成12年9月22日

どれも首相官邸のホームページの中にあります。
中間報告は最終報告が出たら意味が無いのかというとそうでもないのですね。
今回もマスコミなどで話題になったのは中間報告でしたよね。お時間のある人は比較などしてもらえると面白いです。

教育改革国民会議
これも、官邸ホームページの中です。というより上の二つの元ページですね。
議事録やそのときの配布資料など本当に興味深ですよ。



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小山のこの件についてのコメント

福祉関係者にとっての最大のポイントは、最終報告の「奉仕活動を全員が行うようにする 」の部分ですよね。

◎奉仕活動を全員が行うようにする
 今までの教育は要求することに主力を置いたものであった。しかしこれからは、与えられ、与えることの双方が、個人と社会の中で温かい潮流をつくることが望まれる。個人の自立と発見は、自然に自分の周囲にいる他者への献身や奉仕を可能にし、さらにはまだ会ったことのないもっと大勢の人の幸福を願う公的な視野にまで広がる方向性を持つ。思いやりの心を育てるためにも奉仕学習を進めることが必要である。

提言
(1)小・中学校では2週間、高校では1か月間、共同生活などによる奉仕活動を行う。その具体的な内容や実施方法については、子どもの成長段階などに応じて各学校の工夫によるものとする。
(2)奉仕活動の指導には、社会各分野の経験者、青少年活動指導者などの参加を求める。親や教師をはじめとする大人も様々な機会に奉仕活動の参加に努める。
(3)将来的には、満18歳後の青年が一定期間、環境の保全や農作業、高齢者介護など様々な分野において奉仕活動を行うことを検討する。学校、大学、企業、地域団体などが協力してその実現のために、速やかに社会的な仕組みをつくる。


小山個人の見解を言うと、「教育」特に、「公教育」はある意味で何らかの強制性を伴うものという一側面を持つだと思います。これは悪いという意味ではありません。

漢字を覚えること、九九を覚えること、おトイレを使うこと、お箸を使うこと、ある意味で本人が願ったことではなく社会の側が強制的に教え込んでいるともいえるでしょう。それらのルールやスキルを学んだ上で人は社会的に活動していくことが出来るのです。
そしてその意味では、(知識教育と比べたときに、学校だけで出来るのか、どの程度強制することが可能なのかに大いに疑問は残るとはいえ)情操教育といったものも教育の対象になっていることは事実でしょうし、教師と児童・生徒という限定された関係を超えた学校外の社会体験といったものも「公」教育が取り込もうとするのも一理あるでしょう。
そのように考えてみたとき、
与えられ、与えることの双方が、個人と社会の中で温かい潮流をつくることが望まれる。
といったことを教育側が志向するのは最もだと思います。
「お年寄りを敬いましょう。」と教科書に書いてあるより、実際高齢者の人に接して楽しい時間を過ごしたほうがずっと良いと考えるのは分からないではありません。

ただ、それは、「奉仕活動」ではなくあくまでも「教育上の体験」に過ぎないということを区別しなければいけないと思います。(この奉仕活動とはどういう意味か、我々の現在使うボランティア活動の関連性をどうとらえるかということが難しいのですが)
もし、高齢者のお世話をしたり地域のお掃除をしたとしても、それが強制されたものである限りボランティアではありえません。あくまでも教育の一環として「体験学習」の場を提供した。ということにとどまるでしょう。ここで、感動したり、考えさせられたりしたとしてもそれは教育の一環としての成果です。その上で学校の行事としてでなく、自発的に「また生きたい」と彼が考えときそれが体験学習をきっかけとしてボランティア活動が始まったといえるのでしょう。

その意味では、農作業とか、掃除といった人間相手でない活動については「体験から自ら学び取る」プロセスにおいて「相手」が必然としては介在しませんから問題ないでしょう。それも、奉仕活動とよぶべきだとは思いませんが、どんどん採用していくことが可能なのではないでしょうか。

しかし、例示されている高齢者介護等を行うにあたっては体験学習の発想を簡単に適応できるかというと問題があると思います。極端に言えば、高齢者や障害者が子どもの教育のための悪く言えば道具にされることにもなりかねないからです。小学生がお年寄りにお世話をしてあげることなど可能でしょうか。お年寄りは、子どもに一方的に奉仕される存在なのでしょうか。お年寄りと子どもは当然ながら対等であり、互いに影響を与え合うべき存在なのでしょう。施設に子ども達がくるとき「世話してもらおう」「奉仕してもらおう」とお年寄りの方たちが考えているとは思えません。「子ども達に何か良い体験をして欲しい」「何かしてあげられることは無いか」と考えておられるでしょう。
その意味では、お世話するされるの関係が前提される奉仕活動とか、ボランティア活動というよりは、「世代間交流」「多文化間交流」であるべきだと思います。
ボランティアは両者は対等であることは当然ですが、あくまでも援助を必要としている人に対してサービスを提供していこうとする視点が必要なのであって教育の中に組み込むことは難しいでしょう。

結論的にまとめるならば、
奉仕活動という視点ではなく、体験学習という視点が必要であること。
特に、人間相手の活動については相手を対象化する危険もあり、それを超えた真のボランティア活動といった活動を教育で要求すること不可能なので慎重であるべきだし実施するにあたっては世代間交流等といったプログラムで理解するほうが適切であるだろうこと。
それらの前提を理解した上でならば、様々な体験を通して自然に自分の周囲にいる他者への献身や奉仕を可能にし、さらにはまだ会ったことのないもっと大勢の人の幸福を願う公的な視野にまで広がる方向性を持つ。という目的のために公教育が組織内部で完結せず、会部に開き外の資源を利用していこうとすることは新たな展開の可能性につながるだろうこと。
といったところでしょうか。

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