子供を亡くした親の為に

子どもを喪った親の悲しみのあまりの深さ

中原 憬(Kei Nakahara)

この世で最もつらい体験


私はこのサイトを通じて10年以上、多くの人の死別の悲しみに接してきました。
そして、その中に、際立って深い悲しみを抱えた二つの遺族のグループがあることに気づきました。

一つは、自殺で残された遺族たち。そして、もう一つは、子どもを失った親たちです。

これらの遺族たちは、この世で最もつらい体験を味わっているといっても過言ではないでしょう。

*   *   *


とりわけ、子どもを失った母親の悲嘆は、あまりに深く、痛ましいものです。愛する我が子を失った悲しみの凄まじさは、常人の想像を絶するものがあります。

何年も、涙を流し続ける人もいます。悲しみの果てなどないかのように、来る日も、来る日も、子どもの名前を呼びながら泣き続けるのです。

体調を崩して、病気になったり、食欲を失って痩せ細ってしまったりする人もいます。体重が10キロ減った、20キロ減ったという話を聞くこともあります。文字どおり我が身を削るような苦しみなのでしょう。

また、心のバランスを崩し、うつ状態に陥って寝込んでしまうこともあります。すべての希望を失って、死ぬことばかりを夢見ている人もいます。

その子のいない、この世に生きていることが、もはや苦痛としか感じられないといいます。息をすることさえ、苦しいと。

ある日を境に、人生というものが悪夢に変わってしまったのです。
大地がガラガラと崩れ、光の射さない世界に閉ざされてしまったのです。


自分の命より大切な存在


我が子は、二人の愛の結晶です。懐妊がわかった時、喜びと戸惑いの中で、自分たちがこの命をしっかりと育てないと、と心に誓ったことと思います。

その時以来、その子は、いつも親の心の真ん中にいたことでしょう。その子の存在はどれだけ心を癒してくれたことでしょう。

やがて、その子は立派に成長して、その子自身の夢を見つけ、それを実現していく人生を送るはずでした。

やがて、その子は伴侶を見つけ、孫をつくり、自分たちを爺婆(じじばば)にしてくれるはずでした。

そして、いつの日か、私たちを涙ながらに見送ってくれるはずでした。

その日まで、もっとたくさん家族で笑いあって、楽しく過ごすはずだったのです。
その日まで、もっとたくさん家族で助けあって、幸せに過ごすはずだったのです。

ずっと先まで続いているはずだった幸せな人生が−−−その子の人生と、その子と過ごすはずだった私たちの人生が、突然に崩れ去ってしまったのです。夢と希望の灯が消えてしまったのです。

その子を失う人生なんて有り得なかったはずでした・・・。
その子は、無限の可能性、自分の未来そのものだったのです。

これまで子どもを育んできた苦労は何だったのでしょうか。すべて無駄になってしまったのでしょうか。

*   *   *


親にとって、我が子は命より大切な存在であり、その喪失は言葉に尽くせないほどの絶望と悲嘆をもたらします。

特に、母親の場合、生活のすべてを子どもへの愛に向けて生きていることが多く、我が子の喪失によって心に深い傷を負ってしまうのです。








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