フィリップ・K・ディック『タイタンのゲームプレーヤー』(創元SF文庫)訳者あとがき


   訳者あとがき


大森 望  



 『去年を待ちながら』、『ザップ・ガン』、『死の迷路』につづく、創元推理文庫四冊目のフィリップ・K・ディック作品『タイタンのゲーム・プレーヤー』をお届けします。本書は、原題を The Game-players of Titan といい、一九六三年にエース・ブックスからペーパーバック・オリジナルで刊行された、ディックにとっては十冊目のSF長編です。

 舞台は例によって近未来のアメリカ。第三次世界大戦(らしい)で中国が使用した、出生率を低下させる兵器によって、地球の人口は激減。しかも、タイタンからやってきた不定形の異星生物ヴァグとの戦争に敗れた人類は、彼らのゆるやかな支配に甘んじている。老化除去手術の普及で死ぬことこそないものの、あいかわらず出生率は極端に低く、活力を失った人間たちは、ヴァグたちの発案になる、ポーカーとモノポリーをいっしょにしたようなゲームに興じる毎日。もっとも、この〈ゲーム〉に参加できるのは、バインドマンと呼ばれるごく一部のエリート階級だけ。彼らは地域ごとに〈ゲーム〉をプレイするグループをつくり、みずからが所有する土地の権利書を賭けて夜ごと〈ゲーム〉のテーブルにつく(この時代、妊娠は〈運{ラツク}〉と呼ばれる最大の慶事で、バインドマンたちはできるだけ多くの組み合せをためすため、毎週のように配偶者=〈ゲーム〉のパートナーをチェンジしている――という設定が背景にあります)。
 主人公のピート・ガーデンはそうしたバインドマンのひとり。その彼が、ある晩、自分の住んでいる街バークレーの契約書を〈ゲーム〉ですってしまったところから物語は幕をあけます。そして、やがて起こる奇怪な殺人事件……。

 ディック作品の多くに共通する特徴のひとつに、ミステリー的な要素があります。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』しかり、『ユービック』しかり、『流れよわが涙、と警官は言った』しかり、『暗闇のスキャナー』しかり。SFミステリーというと、舞台を異星や未来社会に移しただけで中身は平凡な探偵小説だったりするのが多いなかで、本文庫から先頃刊行された『死の迷路』など、外界から隔絶された世界で起きる連続殺人という本格ミステリー的な設定にSFならでは決着をつけてみせた、SFミステリーのお手本のようなスタイルといってもいいでしょう。
 本書もまた、人口の激減した世界で起きた殺人事件が導入となっています。しかも、容疑者のうち、主人公を含む六人は、原因不明の記憶喪失で事件当時のことをまるで覚えていない……。謎が謎を呼ぶ前半の盛り上がりは、ディック十八番のスリリングなSFミステリーそのもの。ところが後半にはいると、一転、すさまじいどんでん返しの連続で、読者はいったいなにを信じたらいいのかわからなくなってしまう。ぽっかり口をあけたおなじみのディック・ワールドに足をすくわれて、なにがなんだかわからないままクライマックスに突入、さらに待ち受ける驚愕のどんでん返し!
 というわけで、本格ミステリーはどこかに飛び去って、読者はいつのまにやら、悪夢のような世界に迷いこんでしまうのです。ま、ディックの作品ということで、ある程度の覚悟はできているからいいようなものの、ミステリーと信じて読んでいた小説がこうなってしまったら、読者は文字どおり現実崩壊感覚を味わうことになるでしょう(こういうのがミステリーのほうででてきたらミステリー・ファンは仰天するだろうなあと思っていたら、昨年暮れに出た岡嶋二人最後の作品『クラインの壷』がまさにそれで、ミステリーの側から書いたディック・タイプのゲーム小説だったのには驚きました)。
 もっとも、本書の魅力はそれだけではなく、SF的な趣向も随所に凝らされています。訳していて楽しかったのが、機械がやたらに口をきく〈ラシュモア効果〉という設定。エレベーターやケトルのセリフには妙に愛敬があって、ふだん人間のセリフばかり訳している翻訳者としては、たいへん新鮮な感動がありました。とくにジョー・シリングのおんぼろ車マックスなど、登場シーンが少ないのがもったいないくらい。(文字どおり)性格の悪い車というのはなかなか秀逸なアイデアではないでしょうか。
 超能力者同士の対決や、ドラッグを駆使して戦う、異星人との天下分け目の大決戦、愛憎渦巻く三角関係などなど、ディックお得意の見せ場も山盛りで、ディック・ファンのみなさまにはきっと楽しんでいただけることと思います。願わくは、訳者が翻訳中に見出したのとおなじだけの喜びを、この本をお読みになる方々が味わわれんことを。

 末筆ながら、いつもすばらしいイラストとデザインでディック作品のカバーを飾ってくださる松林富久治氏と、忙しいなか解説を引き受けていただいた牧眞司氏、そして毎度おなじみ東京創元社編集部の小浜徹也氏に、この場を借りて感謝をささげます。

                           一九九〇年一月 大森望
 『去年を待ちながら』、『ザップ・ガン』、『死の迷路』につづく、創元推理文庫四冊目のフィリップ・K・ディック作品『タイタンのゲーム・プレーヤー』をお届けします。本書は、原題を The Game-players of Titan といい、一九六三年にエース・ブックスからペーパーバック・オリジナルで刊行された、ディックにとっては十冊目のSF長編です。

 舞台は例によって近未来のアメリカ。第三次世界大戦(らしい)で中国が使用した、出生率を低下させる兵器によって、地球の人口は激減。しかも、タイタンからやってきた不定形の異星生物ヴァグとの戦争に敗れた人類は、彼らのゆるやかな支配に甘んじている。老化除去手術の普及で死ぬことこそないものの、あいかわらず出生率は極端に低く、活力を失った人間たちは、ヴァグたちの発案になる、ポーカーとモノポリーをいっしょにしたようなゲームに興じる毎日。もっとも、この〈ゲーム〉に参加できるのは、バインドマンと呼ばれるごく一部のエリート階級だけ。彼らは地域ごとに〈ゲーム〉をプレイするグループをつくり、みずからが所有する土地の権利書を賭けて夜ごと〈ゲーム〉のテーブルにつく(この時代、妊娠は〈運{ラツク}〉と呼ばれる最大の慶事で、バインドマンたちはできるだけ多くの組み合せをためすため、毎週のように配偶者=〈ゲーム〉のパートナーをチェンジしている――という設定が背景にあります)。
 主人公のピート・ガーデンはそうしたバインドマンのひとり。その彼が、ある晩、自分の住んでいる街バークレーの契約書を〈ゲーム〉ですってしまったところから物語は幕をあけます。そして、やがて起こる奇怪な殺人事件……。

 ディック作品の多くに共通する特徴のひとつに、ミステリー的な要素があります。『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』しかり、『ユービック』しかり、『流れよわが涙、と警官は言った』しかり、『暗闇のスキャナー』しかり。SFミステリーというと、舞台を異星や未来社会に移しただけで中身は平凡な探偵小説だったりするのが多いなかで、本文庫から先頃刊行された『死の迷路』など、外界から隔絶された世界で起きる連続殺人という本格ミステリー的な設定にSFならでは決着をつけてみせた、SFミステリーのお手本のようなスタイルといってもいいでしょう。
 本書もまた、人口の激減した世界で起きた殺人事件が導入となっています。しかも、容疑者のうち、主人公を含む六人は、原因不明の記憶喪失で事件当時のことをまるで覚えていない……。謎が謎を呼ぶ前半の盛り上がりは、ディック十八番のスリリングなSFミステリーそのもの。ところが後半にはいると、一転、すさまじいどんでん返しの連続で、読者はいったいなにを信じたらいいのかわからなくなってしまう。ぽっかり口をあけたおなじみのディック・ワールドに足をすくわれて、なにがなんだかわからないままクライマックスに突入、さらに待ち受ける驚愕のどんでん返し!
 というわけで、本格ミステリーはどこかに飛び去って、読者はいつのまにやら、悪夢のような世界に迷いこんでしまうのです。ま、ディックの作品ということで、ある程度の覚悟はできているからいいようなものの、ミステリーと信じて読んでいた小説がこうなってしまったら、読者は文字どおり現実崩壊感覚を味わうことになるでしょう(こういうのがミステリーのほうででてきたらミステリー・ファンは仰天するだろうなあと思っていたら、昨年暮れに出た岡嶋二人最後の作品『クラインの壷』がまさにそれで、ミステリーの側から書いたディック・タイプのゲーム小説だったのには驚きました)。
 もっとも、本書の魅力はそれだけではなく、SF的な趣向も随所に凝らされています。訳していて楽しかったのが、機械がやたらに口をきく〈ラシュモア効果〉という設定。エレベーターやケトルのセリフには妙に愛敬があって、ふだん人間のセリフばかり訳している翻訳者としては、たいへん新鮮な感動がありました。とくにジョー・シリングのおんぼろ車マックスなど、登場シーンが少ないのがもったいないくらい。(文字どおり)性格の悪い車というのはなかなか秀逸なアイデアではないでしょうか。
 超能力者同士の対決や、ドラッグを駆使して戦う、異星人との天下分け目の大決戦、愛憎渦巻く三角関係などなど、ディックお得意の見せ場も山盛りで、ディック・ファンのみなさまにはきっと楽しんでいただけることと思います。願わくは、訳者が翻訳中に見出したのとおなじだけの喜びを、この本をお読みになる方々が味わわれんことを。

 末筆ながら、いつもすばらしいイラストとデザインでディック作品のカバーを飾ってくださる松林富久治氏と、忙しいなか解説を引き受けていただいた牧眞司氏、そして毎度おなじみ東京創元社編集部の小浜徹也氏に、この場を借りて感謝をささげます。

1990年1月 大森 望   





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