◎て ら さ ん は 名 探 偵    
【現在からの注 ザッタ掲載時に一部関係者から絶賛をいただいた。「てらさんは名探偵」はもともと、物理屋菊池誠先生による連作集で、跳梁跋扈して悪事をなす、オオモリアーティのトリックを名探偵てらさんが解明するという骨法である。
 なお、M・HとかA・Hとかに対応する人が実際にいるかどうかは、書いた当人も忘れてしまったことにしておく。】


 眠りの中には真実(マコト)がある。
 激闘二十数時間、『文明の曙〈シヴィライゼーション〉』の敗残者となり、泥のように眠りこけていたまこっちゃんの脳裏でなにかがふるえた。がばととび起き、まこっちゃんはてらさん探偵事務所に走った。
「てらさん! わかった! 大森望の正体がついにわかった!」
「ふむ、言ってみたまえ」てらさんは、まこっちゃんの興奮にもすこしも動じず、かれがとびこんできたときとおなじ姿勢でさきをうながした。
「いいですか。ぼくらは大森望というのが怪人であるという前提で調査をしていました。それがまちがいだったのです。大森望というのは人間ではなかったのです。
 証拠はぼくらの目の前にあったのです。OOMORINOZOMI。ぼくらはOを〈オ〉であるものとばかり思っていました。そうではなくて、Oとは〈〇〉、つまり彼の真の名の、欠落した部分だったのです。そうわかれば、あとは簡単でした。彼の真の正体はちゃんとそこにあったのです。大森望の真の姿はKOMORINEZUMI、つまり、かものはしの仲間だったのです」
 てらさんは、コントローラーから手をはなした。まこっちゃんの方にゆっくりとふりかえる。
「だがなぜ、名前の一部が欠落していたのかね。そして、なぜ、子守ネズミが人間のふりをしていたのかね。それにかものはしの仲間はフクロネズミと言わなかったかね」
「そ、それは」まこっちゃんは絶句し、そして無残にしおれこんだ。
 てらさんはにっこり笑った。
「恥じることはない。君の推理は大もとではまちがったものではないのだから。たぶんここまで真理に近づいた人間は、世界でもわたしをのぞけば君だけだろう。
 だが、きみの犯した過ちは、欠落が意味することをあまりに軽く考えすぎたことだ。それが、こもりねずみという結論に安易にとびつく結果になってしまったのだ」
「すると、てらさん、欠落は真の名前を隠す意図ではなかったと」
「そう。欠落は、彼が彼の真なるものの、不完全な模像であるとを意味しているのだ」
「模像! では大森望はなにものかのクローンなのですか」
「これこれ、すぐそういう思考に走るのがSFファンの困ったところじゃ。結論を急ぐでない。
 自分であって、自分でない、自分の模像が生じるところ。それはすなわち、夢の中だと。そういうふうには思わんかね」
 まこっちゃんは黙り込んだ。徐々にてらさんの言ってることの重い意味が頭の中にしみこんできた。まこっちゃんはふるえる声でてらさんに聞いた。
「じゃあ、てらさん。てらさんは、ぼくもてらさんも、みんなその、大森望を夢に見ている存在が、大森望の周囲に作り出しただけのものだというわけですか」
「夢世界というものがどういう構造を持っているかはなんともいえない。ひとりの夢がひとつの世界をつくるのか。多数の夢が、次元の底でつながってひとつの世界を形成するのか。だが、いま、君が言った可能性もまたなきにしもあらず」
「そんなことがあるはずがない。いったいなにを証拠に」
てらさんは笑った。
「君がいま言ったではないか。〇〇M〇RIN〇Z〇MIの〇というのは欠落なのだと。大森望を夢見ている存在は、NEMURINEZUMIという生き物だ」
「ねむりねずみ、と言うと、
 あの、アリスの? マッド・ティー・パーティーの?」
「さよう。あのいつも寝ているねむりねずみを思い起こせば、きゃつの反対自我として、大森望がかくも精力的に活動するのも納得がいくと思わぬか」
「しかし、あれは物語の世界‥‥」
「夢に見られる国のなかでは、物語のなかにこそ、まことの世界の影がある」
「しかし、証拠が」
「マッド・ハッターを覚えておろう。ねむりねずみといつも一緒にいた‥
 あれのイニシャルはM・Hでなかったかな。かれらのやることなすこと、まるで例のお茶会みたいにみえないかな。かれらが西葛西という地域に集中しているのをどう考えるかね。気違いお茶会(偽茶会)と西葛西という地名とは、どこか模像を思わす共通性が感じられないかな。
 おそらく、あの地域で、夢の世界とまことの世界はもっとも近接しているのだろう」
 まこっちゃんの顔は蒼白になった。かくもつぎつぎ証拠をつきつけられることになるとは思ってもいなかったようだった。自分が崩壊してしまう恐怖におびえ、まっこっちゃんは必死で反論を試みる。
「だけど、お茶会には、ほかにもメンバーがいました。アリスだとか、三月うさぎだとか‥」 てらさんの目線が同情になごんだ。
「三月うさぎこそマッド・ティー・パーティーの最大の主役だよ。そしてねむりねずみもマッド・ハッターも西葛西在住の翻訳家。ザッタの名簿をよくみてごらん。西葛西には茶会と名のつく翻訳家がちゃんといる。ごていねいにも三月うさぎの頭文字は〈さ〉ときている。
 それからね、かれらにふりまわされるアリスだが、彼女のモデルとなった少女はアリス・ハーグレイヴス。三人が三人ともSFがらみの翻訳家であることからすれば、答えはおのずから顕れる。A・Hというのは、SF翻訳界の大御所のイニシャルにほかならない」
 よろめきながら、まこっちゃんは座を辞した。
 その日から、まこっちゃんの姿は見ることができなくなった。
 てらさんは、きょうもコントローラーをにぎりしめ、画面に見入る毎日である。