バリントン・J・ベイリー『ロボットの魂』(創元SF文庫)訳者あとがき(1993年8月)


   訳者あとがき


大森 望  



 創元SF文庫四冊目のバリントン・ベイリー、The Soul of the Robotをお届けする。一九七四年にダブルデイから刊行された本書は、『時間帝国の崩壊』と『カエアンの聖衣』のあいだに位置する、ベイリーにとって六番めの長編ということになる。古今東西のSF書籍無慮千点をぜんぶ一列に並べて採点するデイヴィッド・プリングルの大馬鹿ガイドブックThe Ultimate Guide to Science Fictionでは、『時間衝突』、Star Winds(創元SF文庫刊行予定)、短篇集『シティ5からの脱出』と並んで、ベイリーの単行本中もっとも高い評価を与えられているから、代表作のひとつといっていいだろう。
 さてその内容は――といえば、タイトルから先刻ご承知のとおり、意表をついてロボット物。
 ロボットSFといえばアイザック・アシモフというのがSFの世界の常識で、アシモフに真っ向から挑戦するようなロボットSF長編を書いている作家というのは、じつはあんまり多くない。SF作家といえども巨匠に対する遠慮があるのか、長幼の序を尊ぶ人が多いのか、ぱっと思いつくロボット物の現代SFは、ウォルター・テヴィスの『モッキンバード』(早川書房海外SFノヴェルズ)、タニス・リー『銀色の恋人』(ハヤカワ文庫SF)、フリッツ・ライバー Egg Head、ジェイムズ・P・ホーガン『造物主の掟』(創元SF文庫)、あとはスタニスワフ・レムの『宇宙創世記ロボットの旅』『ロボット物語』の連作くらい。中にはアシモフに魂を売りわたし、〈アイザック・アジモフズ・ロボット・シティ〉の看板の下で細々とロボット物の長編を書いている情けない中堅作家たちまでいる状況である(邦訳タイトル〈電脳惑星〉。角川文庫Fシリーズで第一期全六巻のうち四巻目まで刊行ずみ)。
 そういう中にあって、ロボットSF長編を複数発表している現代作家が三人いる。さてだれでしょう――とクイズにするほどむずかしい問題じゃなくて、『ソフトウェア』『ウェットウェア』(ハヤカワ文庫SF)のルーディ・ラッカーに、ロデリック二部作(Roderick/Roderick at Random)とTik-Tokのジョン・スラデック、そして本書『ロボットの魂』とその続篇Rod of Lightのバリントン・ベイリーである。ラッカー、スラデック、ベイリー……SF作家の異端児トリオがそろってロボットSF二部作を発表しているというこの事実には、隠れた重大な秘密があるのではないかという気がしないでもないが(ロボット工学三原則に真っ向からたてつく蛮勇の持ち主がほかにいないというだけのことだったりして)、三人三様のひと癖もふた癖もあるロボットSFの中でさらに異彩を放っているあたり、さすがベイリーなのである。
 なにしろタイトルが『ロボットの魂』で、内容はといえば、ひたすらロボットに魂はありうるのかという問題をつきつめるだけ。そのワンテーマで長編一冊書き通して、それでも書き足りないと十年後に続篇を発表しているのだから、ベイリーにとってはよほど愛着のある主題なのだろう。
 舞台は、人類文明がいったん崩壊したあとのはるかな未来。各地でほそぼそと文明が再興しつつある世界に生をうけたわれらがロボット主人公ジャスペロダスは、みずからのアイデンティティを求めて遍歴の旅に出る……。
 といってもそこはベイリーのこと、凡庸な成長物語のロボット版を語るような芸のない真似はしない。この世界に目覚めたジャスペロダスは、五秒フラットで生みの親の老ロボット職人夫婦を捨て、たちまち殺人をおかし、おまけに盗賊団に身を投じるんだから、アシモフ的なロボット観にはのっけからきつーい一発。その後の展開もほとんどピカレスク・ロマンの趣きで、権謀術数渦巻く宮廷を舞台に、ジャスペロダスはもって生まれた頭脳だけを武器にロボットの身で出世の階段をのしあがっていくのである。
その過程でくりひろげられるロボットの意識≠ノ関する徹底的な議論については、訳者ごときの出る幕ではないので、東京女子大学文理学部哲学科助教授、黒崎政男氏の解説をご参照いただきたい。黒崎さんといえば、月刊アスキーに連載された『哲学者クロサキのMS−DOSは思考の道具だ』で文系コンピュータ・ユーザーのアイドルになった気鋭のカント学者だけれど、もうひとつのご専門が人工知能。『哲学者はアンドロイドの夢を見たか――人工知能の哲学』(哲学書房)の著書もある方だけに、本書の解説者としては最高の人材。ご多忙中、無理なお願いを入れて畑違いの仕事を快く引き受け、電光石火の早業で達意の文章を寄せてくださった黒崎さんには、この場を借りてあらためてお礼をもうしあげたい。
 ……と、これだけで幕をひくのもいささか無責任なので、黒崎さんの解説を補強するかたちで、ベイリーと並ぶイギリス奇想SF界の鬼才イアン・ワトスンの言葉をひいておこう。ワトスンいわく、
「『ロボットの魂』は、探求の旅の過程で、存在論的サイバネティクスというレム的な主題を追究するが、そのクライマックスには(アイロニカルではあるものの)むしろ非レム的な超越が顔をのぞかせる。それはパルプSFの修辞に対する忠実さの証であると同時に、ベイリーの華麗でメタフィジカルな遊び心の反映なのである」
             (20th Century Science-Fiction Writers第二版より)

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 ところで、どうでもいいような話だが、本書の原題には、確認できた範囲で三種類の原題が流通している。すなわち、The Soul of the Robot と、Soul of the Robot と、The Soul of a Robotである。そんなの現物を見て確認すればいいじゃんと思うのが素人のあさはかさで、ぼくが翻訳に使用したオービット版のペーパーバックでは、カバーの表記がSoul of the Robot、著作権表示がThe Soul of the Robotになっているといういいかげんさ(笑)。前出の『20世紀SF作家事典』でも、第二版と第三版で表記が違っていたりするのだからわけがわからない。日本版では、いまのところ最新の資料であるピーター・ニコルズの『SFエンサイクロペディア』新版の表記にしたがって、The Soul of the Robotを採用した。万一、「あたしの持ってる原書とタイトルがちがーう!」という読者の方がいらっしゃっても、何分そういう事情なのでご寛恕いただきたい。

 さて、英米では十年の空白を置いて刊行された続篇、Rod of Lightだが、日本では本書にすぐつづけておなじく創元SF文庫から刊行の予定(なんかこれって、ラッカーの『ソフトウェア』『ウェットウェア』とおんなじパターンだな)。本書の結末でようやく魂の平安を得たジャスペロダスが、こんどは人類の支配をたくらむロボットたちのおそるべき陰謀の渦中に巻き込まれ、思ってもいなかった役割をはたすことになる……。
 なお、八五年のThe Forest of Peldain以降は、雑誌インターゾーンなどにぽつぽつ短編を発表するくらいでずっと沈黙していたベイリーだが、そのインターゾーン最新号に、ベイリーのエージェントのガンマ社からの信頼すべき情報として近況が載っていた。それによると、現在ベイリーは、「ロボットのセックスを扱った新作を執筆中」(!)とのこと。なんでもロボットが子どもを持つ話らしいのだが、それってもしかしてジャスペロダスの子どもなんだろうか。いずれにしても待望の新作だけに、刮目して待ちたい。

1993年10月 大森 望   




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