●ヒルベルト空間便り――ラッカーの数学SFをめぐる座談会

(SFマガジン1994年5月号ラッカー特集掲載)

 


出席者:菊池  志村弘之 大森 

於:1993年11月7日 京都市左京区・いづもホール
(京都大学SF研究会主催・京都SFフェスティバル'93より)

大森 今日は数学のえらい人と物理のえらい人をお迎えして、ラッカーのすべてが一時間でわかるハードSFな企画(笑)をお送りしたいと思います。志村弘之さんは京都大学数学科博士課程在籍中で、無限が専門。菊池誠さんは大阪大学理学部物理学科助教授のかたわら、P・K・ディック『ニックとグリマング』など翻訳者としても活躍中です。ええっと、ではまず志村さんから。ラッカーはどのへんがすごいんでしょう?
志村 それはやっぱり、数学をSFにした最初で最後の作家という……。
大森 ノーマン・ケイガンはだめ?(笑)
志村 まあ許そう(笑)。
大森 しょせん短篇ふたつですからね。その点、長篇を書いたラッカーはえらいと。
志村 ベストは『ホワイト・ライト』です。
大森 八〇年に発表されてまったく売れなかった処女長篇ですね。五千部くらいしか出てないとか。アメリカにはだれもわかる人がいなかったようで。しかし、日本にはひとりだけわかった人がいた(笑)。世界でただ唯一『ホワイト・ライト』を理解した……。
菊池 なんでただひとりかというと、ゲーデルが死んじゃったからなんだよね(笑)。ゲーデルが生きてたら理解してたはずなのに。
大森 ゲーデル亡きあと『ホワイト・ライト』がわかるのは志村弘之だけ(笑)。
 

●ゲーデルと不完全性定理


志村 いや、ゲーデルが死んだからこそラッカーは『ホワイト・ライト』を書いたといっても過言じゃないでしょう。ラッカーが数学者になった理由のひとつにゲーデルの不完全性定理があるのはまちがいない。
 というのは、『無限と心』という科学啓蒙書――のようなもの(笑)――があるんですが、その第四章で、ゲーデルにインタビュウした記録をものすごく力強い筆致でつづっている。インタビュウというより、「あのゲーデル先生に会えた!」という感動の記録なわけです。ラッカーの自慢はゲーデルと話ができたことで、『ソフトウェア』や『ウェットウェア』もそこから生まれてきた。
 ではここで、ゲーデルの不完全性定理についてちょっと説明しておきましょう。不完全性定理というのは、「数学の体系は不完全である」という定理です(笑)。
 もうちょっとくわしくいうと、ゲーデルは、数学の体系の中ではけっして証明できない命題があるということを証明した。世界には正しいこととまちがっていることしかないという大前提で話をするのが数学者の希望だったのに、その前提が成立がしないことを証明しちゃったんですね。数学者にかぎらず、論理を思考の基盤に置くかぎり、そのよってたつ基盤そのものが、もはや盤石ではなくなった。
 ゲーデル自身、数学が完全であることを証明したくて考えはじめのに、その反対が証明されて、それにショックを受けてあとはもう隠居同然の身になってしまったわけです。
 この不完全性定理がラッカーのSFとどう関係するかというと、たとえば『ソフトウェア』の中でロボットが知性を持つ、その証明に使っているのが不完全性定理。
菊池 人間は有限の知性しか持ってないから、人間の知性そのものを複製することはできない。『ソフトウェア』が画期的なのは、人間は人間とおなじようなソフトウェアをつくることはできないけど、かわりに遺伝的アルゴリズムを使って、ランダムネスを入れてみたり生殖を入れてみたり……。
大森 J・P・ホーガンの『造物主の掟』も遺伝的アルゴリズムじゃない?
志村 そうだけど、あれはただ物語として語られるだけだから、だったらおなじホーガンでも『未来の二つの顔』のほうがいい。
大森 ラッカーの場合はどうちがうの?
志村 ロボットが機械知性を得ることではおなじなんですけど、人間にはロボットに魂を入れることはできないという根拠に、伝的アルゴリズムではなく不完全性定理が……。
大森 魂じゃなくて知性じゃないの?
志村 知性ですけど、要するに魂です(笑)。
大森 じゅうぶんに複雑な構造を持つものには自然に魂が宿るというのがラッカー説らしいですけどね。宇宙に魂は満ちてて、容れ物さえあればそこに宿る。
菊池 それがラッカーの思想で、絶対無限を理解する一者が存在する。反射の原理というのがあって、どんなものを持ってきてもその一者の一部になる。たとえば人間の意識も一者の一部を共有しているにすぎない。だったら人間じゃなくても、じゅうぶん複雑なハードウェアがあればそこに意識が宿っていいんじゃないかという。
大森 そのへんがわりと東洋的なんですね。
志村 で、人間には、魂が宿れるほど複雑な知性をつくることができないという証明に、不完全性定理を使っている。
大森 その結果できちゃうのがアレだというのがまた……。
菊池 そこがないとつまんないですよね。やっぱりパンクにならないと。
志村 ラッカーが数学啓蒙家ではなくてSF作家だったという幸福。
 

●カントールのロケットパンチの秘密


大森 ゲーデルはそのくらいにして、つぎはカントールに行きますか(笑)。
志村 無限の話はもっとむずかしいので……。
大森 でも、会場でわかりませんという人はまだいないんですよ(笑)。
志村 しかしですね、『ホワイト・ライト』でも、可算無限のヒルベルト・ホテルの話なんかはみんな『泰平ヨン』とかで親しんでるからいいけど、カントールがロケットパンチを出して先に連続無限をつかんじゃうのを読んで、そうだよな、なるほどカントールだったらやりそうなことだよなって思える人がここにどれだけいますか(笑)。
大森 菊池さん、ちょっと通訳を(笑)。
菊池 いや、その話は前に志村さんから聞いたとき、なんで「なるほど」なのかぼくにはまったく理解できなかった(笑)。
志村 ええっとですね(笑)。カントールは無限を最初に定義した哲学者といっていいと思います。カントールがなにをいってるのか、まわりの数学者はまったくわからなかった。カントールがひとりで無限という概念に到達し、無限という概念を育て上げた。
菊池 無限がひとつじゃないということを発見したのもカントールなんですか?
志村 そもそも数学の中で無限を扱っていいんじゃないかと最初にいったのがカントールで、無限がひとつじゃないというのはそこからすぐ出てくる。カントールは有限の頭しかないにもかかわらず、生まれつき無限が頭の中に存在していたような人物であると、数学の世界では考えられているわけで、そういう人がひとりだけ「お先に」といって無限に到達してしまう……。
大森 つまり楽屋オチ(笑)。
志村 まあそうです(笑)。主人公たちは一歩一歩無限に向かって進んでいかなくちゃいけないんだけど、それではなかなか高次の無限には到達できない。ところがカントールは、歩いていくんじゃなくて、手だけ先に無限に到達して、本体はあとからそこに出現する。その意味でぼくはロケットパンチを評価する。
会場 わかりませーん(笑)。
志村 そもそも無限がたくさんあることもあんまり知られてないからなあ(嘆息)。
大森 アレフ0とか1とか2とかってやつですよね。いくつあるんですか?(笑)
志村 アレフの無限番個くらいある(笑)。じっさいアレフのωだってあるわけで……。
会場 質問! ωってなんですか?
志村 ωというのは最初の可算順序数です(笑)。えーっと、1番2番と数えていって最初に無限大番めになった番号がω。ではω番めまで何人いましたか、っていって出てくる答えがアレフ0。むずかしいのは、ではω+1番めまで列があるとして何人いましたか、っていっても答えはやっぱりアレフ0に帰ってきてしまう。
大森 それが無限ホテルの話ですよね。
志村 そうです。ともかくアレフωっていうのがあるし、はなはだしくは、そうやってアレフの下に順序数をつけても無限の度合いが大きくならない最初の無限大というのがあって、それをθっていうんです。最初の大きな基数です。
会場 θのあたりからわかんなくなるんですけど。
志村 でしょうね(笑)。アレフなんとかっていって無限を大きくしていっても、無限の度合いがそれ以上大きくならないことというのが、なくてもいいけどあってもいい。もしあった場合に困るから、その場合の最初の無限基数をθと決めている。もちろんこの過程は無限にくりかえせるわけで、θのつぎにはマアロー基数ρとかまだたくさんあるんでしょうが、ぼくはよく知りません。
菊池 それをくりかえしていっていちばん最後に出てくるのが例の大きいΩですか?
志村 そうやって、もう人間の言葉では語れないというのが大きいΩです。
大森 でも、それ以上大きいものがない無限はないわけでしょ?
志村 ええ。
大森 じゃあもうそれ以上いってもしょうがないからとりあえずΩって決めるわけですね。無限後退していく無限の果てしなき流れの果てというか……(笑)。
志村 『ホワイトライト』は、そのΩにたどりつこうとしてだめだった話なんです。
菊池 その大きいΩというのが、Ωとしてあるのか、単に大きいものの極限としてしか見えないのかというのが、One is many, many is one(「ひとつはすべて、すべてはひとつ」)という話なんですよね。
大森 ラッカーの根本テーマ。
菊池 だから……どうしていいのかわからない(笑)。
志村 このΩが存在するかどうかというのは、数学者のあいだでも信じる人は信じる、信じない人は信じないというレベルの問題で。
菊池 しかし、すくなくともラッカーの小説では、『空を飛んだ少年』にいたるまで、それがテーマになっている。
志村 『ホワイトライト』の世界というのは、たしか縦線一本くらいで書いてあって、こっちにゼロがあると同時にこっちにΩがある。これがたぶん「ひとつはすべて」ってことなんでしょうけど、Ωをめざしてたはずなのにどうして最後でゼロを指向しちゃうのかはぼくにもよくわからない。最後に帰ってくるためなんでしょうかね(笑)。
大森 「すべてはひとつ」っていうのはラッカー教というか、『時空の支配者』に出てくるアルウィン・ビターの……科学的神秘主義教会でしたっけ。
菊池 教義自体が「すべてはひとつ、ひとつはすべて」という。
志村 わかりませんねえ(笑)。Ωはひとつだっていうのがいちばんあたりまえの解釈だけど、ラッカーがほんとにそう考えてるとしたら、あんなに執着するはずないし。菊池さんはどう考えてるんですか?
菊池 それがひとつに解釈できなくて困ったんですけど。「ひとつはすべて」の話は『無限と心』の最後でかなり長く扱われてるんですが、翻訳が悪くてよくわからないという難点がある(笑)。まずひとつには、ラッカーはoneというのをΩを理解できる絶対者としての存在をさして使っている。
大森 oneは一でもあり、人というか、一者の意味でもあるわけですね。
菊池 ええ、絶対者としての存在ですね。人間は有限の頭しかないから有限のことしか理解できないけど、そういう絶対者がいればさっきの大きいΩを理解できる。
大森 それがΩ個いたりはしないんですね?(笑)
菊池 えーっと、それは反射原理があるから、ひとついればじゅうぶんなんですよ。
大森 ああ、なるほど。
菊池 ひとつはそれなんですが、どうもそれだけではないらしい。もうひとつは『セックス・スフィア』に出てくるヒルベルト空間のほうに関係してまして……。
 

●無限次元の彼方から


大森 前から疑問に思ってたんですけど、物理でヒルベルト空間、無限次元空間というときの無限っていうのは、Ωの無限なんですか? それともアレフ0くらい?
菊池 ええっと、物理でいうときは……Cですね。
志村 Cです。
大森 みなさん、Cだそうです。じつにわかりやすいですね(笑)。
菊池 Cというのは連続無限です。アレフ0は可算無限で、Cはその上の連続無限。
大森 アレフの位でいうと?
菊池 だから、そのCがアレフ1かどうかっていうのがカントールの連続体問題。
大森 あ、はいはいはい(笑)。なるほど、そういう関係だったのか(笑)。物事のつながりがなんとなく見えてきたような。
志村 とにかくアレフ0よりすこし大きな無限程度の次元のヒルベルト空間が、物理では扱われている。数学の世界では可算次元のヒルベルト空間をずっと扱ってきてたんですが、ここ十数年かは、それよりもっと大きな無限次元を扱っていいことになってる。でも、じっさいに扱っている人はすくない。かぞえ方によるけど日本に三人くらい(笑)。でもその人たちはΩまで考えた無限次元の空間を扱ってますけどね。
菊池 ラッカーがいってるのはおそらく量子力学のヒルベルト空間だと思います。だからそこでは可能な可能性すべてが存在している。シュレディンガーの猫でいえば、こっちでは猫が死んでて、こっちでは猫が生きてる。ヒルベルト空間では同時にその両方が存在してるだよ、と。
大森 次元の話は『四次元の冒険』に書いてありますが、文系のSFファンが考える初歩的な次元っていうのは、縦と横と高さで三次元、時間を入れて四次元。あとはせいぜい五次元世界で冒険したり、七次元から使者が来たり、大川隆法が十七次元あたりにいたり(笑)。無限次元の次元とは次元がちがうんじゃないかと。
志村 次元という言葉使いはおなじなんですけど、そうやってじっさいに手にとれる七次元(笑)とかではないところにヒルベルト空間が実在してて、そこは無限次元ですから、たとえば四次元空間がとてもたくさんある。そのすべてがそこでは実現しているとラッカーは考えている――かどうかは知らないけどそう小説の中で書いている。
大森 その場合、次元が増えるというのはなにが増えるんですか?
菊池 ラッカーは、次元の拡張のしかたはかならずしもひととおりではないと考えている。ひとつはさっきの、時間を四次元に持ってくる相対論的な方法。もうひとつのアイデアは、たとえばSpacetime Donutsに出てくる「尺度」の次元。空間の三次元とはまったく独立に、「大きさ」という次元があって、どんどん小さくなっていくという進みかたができると仮定している。で、もうひとつがヒルベルト空間。時空は四次元ですよね。その可能な時空すべてを無限に並べたものを考えて時空を拡張しましょうというのが、『セックス・スフィア』に出てくるヒルベルト空間です。
大森 パラレルワールドをぜんぶ合わせたやつですか?
菊池 量子力学の多世界解釈でいうとそのとおりですね。エベレットの多世界解釈では、猫を観測するたびに、猫が生きてる世界と死んでる世界に分岐していくという……ふつうはだれも信じてないんだけど、ラッカーは割とそれに好意的で。
大森 だれも信じてないんですか? ブルーバックスによく出てきますけど(笑)。
菊池 それは不可知論にはいってしまうので。
大森 つまり気の持ちようなんですね。
菊池 ええ、だから信じてもいいんだけど、それだと余分なことを信じることになる(笑)。余分なことはなるべく信じないというのがいまの科学の立場ですから。オッカムの剃刀ってやつ。
大森 なるほど。じゃあまあ幸福の科学を信じるような人は信じればいいと。
菊池 ええ、そういう人はなにを信じてもいいです。関係ないけど『太陽の法』はおもしろいですね(笑)。ただまあ、多世界解釈は信じてもあまり御利益がない(笑)。
志村 つまり次元の拡張には、空間を広げていく方法もあるし、量子論的な多世界をつくるというヒルベルト空間の方法もあって、ラッカーは両方やってる。
大森 ヒルベルト空間だと、中間段階なしでいきなり無限次元に行っちゃうんですか?
志村 そうです。ヒルベルト空間が出てきたのはたぶん、ラッカーが最初に量子論に触れたとき、代表的な空間がヒルベルト空間だったからだと思いますね。じっさい、いま物理で出てくる空間はほとんどがヒルベルト空間です。(ひとりごとのように)もっと魅力的な空間はたくさんあるのに物理の人はぜんぜん使ってくれないんだから……。
大森 リーマン空間とかってやつ?
志村 リーマンは物理の人も使う。でもバナッハ空間はあんまり使わない。一般の局所凸線形空間にいたってはまったく。#*空間とか@¥空間なんか全然……。
菊池 ぼくにもついていけないおたくな会話になってきた……(笑)。
大森 会話じゃなくてひとりごと(笑)。
菊池 だから、ラッカーの多世界解釈によるヒルベルト空間の話がどういうことになるかというと、そこには時空がすべて存在している。時間が流れてくんじゃなくて、時空としてはじまりから終わりまですでにそこにある。だから人間は生まれてから死ぬんじゃなくて、生まれてから死ぬまでの状態はすでにぜんぶヒルベルト空間に存在している。そう考えると気が楽になるという話があって、たしか小説にも出てくるんだけど……。
大森 『セックス・スフィア』の結末がそうですよね。
菊池 ええ。で、それがじつはラッカーがゲーデルと交わした会話なんだよね。ゲーデルがいうことには、「時間は経過するんじゃない、時空というものがあって……」
志村 一点一点を旅してるだけで、通過したといってもなくなるわけじゃない。
菊池 つまり、『セックス・スフィア』自体がゲーデルとの会話を強く反映した小説である、と。
大森 でもヒルベルト空間ってなんかずるい感じがするんですけど(笑)。
志村 それなりに筋は通ってますよ(笑)。
菊池 まあ、めちゃくちゃです(笑)。
志村 そんなはずはないしだれも信じないけど、そういう話をするんだったらバカ話として喜んで聞いてやろうと、ぼくなんかは思うわけです。
 

●カントールの連続体仮説とはなにか


会場 可算次元と連続次元についてもう一度説明してください。
志村 0から1までのあいだに点はいくつありますか、っていうのが連続無限。1、2、3と数えられるのが可算無限。このふたつが違うっていうのは、『ホワイト・ライト』にも出てきた対角線論法によって簡単に証明できる。連続無限が可算無限よりほんとに大きいというのもわりと簡単に証明できるんだけど、可算無限のつぎが連続無限なのかどうかということは証明できない。独立であるってことが証明されてる。あーなにをいってるんだおれは(笑)。独立であるっていうのは、アレフ0の次、アレフ1が連続無限だとしてもいいし、しなくてもかまわないということ。どっちを信じても被害はない。好きなほうを信じなさいってことで、ええっと、あれ? ぼくはどっちを信じてるんだっけ? あ、ぼくはそれにはニュートラルな立場なんだ。(笑)。
菊池 『ホワイト・ライト』はどっちでもないんですか?
志村 ゴキブリくんはアレフ1に飛んでいって、主人公は連続無限に飛んでいく。おなじ場所かどうかっていうのは書いてないから、うん、ニュートラルな立場ですね。あ、でも最後に連続体仮説を否定しちゃうから……。
大森 で、問題の連続体仮説というのは?
志村 アレフ1=Cっていうのが連続体仮説です。
菊池 「カントールの連続体問題とはなにか」というのが『ホワイト・ライト』の副題ですからね。この話はちゃんとしとかなくちゃいけない。じつはこれ、もともとはゲーデルの論文のタイトルなんですよ。だからその論文とおなじことが書いてあるんじゃないかと思ってるんですが、どうなんでしょう?
大森 なんだ、ノベライゼーションだったのか(笑)。
菊池 じゃないかという気がするんですけど、ぼくはそのゲーデルの論文なるものを見たくもないので(笑)。
志村 ぼくも粗筋紹介みたいなやつしか読んでない(笑)。
大森 だれも見てない映画のノベライズ(爆笑)。
志村 カントールのころにはまだ世界は数学と物理がいまほど分離してませんでしたから、物理的に連続体仮説を証明する実験を提唱した論文のようです。
菊池 『ホワイト・ライト』の最後のプルーグを集めてくる実験がそれなわけですね。
志村 そうそう、それでその実験が成功して、連続体仮説が否定されてしまうわけです。ああ、この人はやはりゲーデルの影から逃れられない。全然関係ないけど、『時空の支配者』でいえば、ちっちゃい主人公がいっぱいでてきて無限級数が収束してしまうところがぼくはとっても好き(笑)。
菊池 物質とエーテルの二種類なら連続無限はアレフ1ということになって連続体仮説が成り立つんだけど、最後でプルーグという物質を集めてくることができた。
志村 空間は連続体でべったりしている。その中で、ふつうのモノは可算個あるにちがいない。ほかにもう一種類なにかあるとすれば、空間に存在しているからには空間よりもちいさくて、ふつうの物質よりは大きい。で、プルーグはバナッハ=タルスキ分解ができるからアレフ1なんだ。うんうん。その結果、連続無限はアレフ1よりほんとに大きいということがわかったので、アレフ2以上だ、と。
大森 とりあえずひとつわかったことは、『ホワイト・ライト』の結論は、Cはアレフ2以上である、と。みなさん覚えて帰ってくださいね(笑)。『ホワイト・ライト』ってどんな話? と聞かれたら、「あれはね、連続無限はアレフ1よりでかいって話だよ。くわしく知りたかったら『無限と心』を読みな」とかいっておけばいい(笑)。そこまでわかってる人はほとんどいないわけでしょ?
志村 最後の実験の話は、ここに書いてあるだけでわかる人は少ないでしょうね。
大森 どうして最後に書いておかないんでしょうね、C≧アレフ2って(笑)。
菊池 いちばん不思議なのは小説だけ読んで分からない本をなぜ書いたか。
大森 もっと不思議なのは、なぜその小説がエースから出版されたか(笑)。
菊池 なにを考えてたんでしょうね(笑)。まあわからない人のためには『無限と心』があるわけですね。このへんまではみんな解説書とセットになっている。解説書を売るための戦略でしょうかね(笑)。
大森 将来はエキスパンドブックとかでハイパーテキスト化するとグッドですね。えーっと、いままでのところで質問は……ないようですね。みんなわかったみたいです。ま、2以上くらいのことはわかりますよね。
志村 (ひとりごとのように)しかし1よりほんとに大きかったら2くらいで止まるわけないんだけどなあ。でもそんな細かいことはいいや。
大森 でも2以上だからいいんでは。
志村 1よりほんとに大きければ、アレフωより大きくても、アレフθより大きくても……。
大森 1のつぎはもうωまでいっちゃうんですか。極端な世界ですね。
志村 みんなだってそうでしょ、0、1、2、たくさん。
大森 ぼくはまだ、3、4、5、6あたりは大事にしたいですけど(笑)。
志村 だから数学者でも三次元やってる人がいちばんえらいんですよ。ヒルベルト空間やってる人がいちばんバカですね。
大森 あまり数が数えられない(笑)。
志村 無限次元の人は1、2、・・・で五文字でおさまるんだけど、三次元だとX1,Y1,X2,Y2,X3,Y3と六つも数字を扱う。彼らのほうが頭がいいんですよ。
大森 だそうです(笑)。
 

●ハードSF作家ラッカー


菊池 えーっと、ハードSFの話をするんじゃなかったっけ?
大森 いままでの話はまだハードじゃないんですか?(笑)。
菊池 いままでだとただ異常な作家だというだけで(笑)、ハードSFの枠組みではとらえられていないような……。
大森 むずかしい理屈があることはわかったと思うんですが。
菊池 とにかく、初期の作品についてはすべてゲーデルの影響下にあるわけです。『ホワイト・ライト』は一九七八年から八〇年にハイデルベルクに滞在しているあいだに書かれた小説ということになってるんですが、ゲーデルが死んだのが一九八〇年の一月。関係があるかどうか知りませんけど、関係があると思うとおもしろい。
大森 ゲーデルの魂が乗り移ったとか(笑)。
菊池 じっさい『ホワイト・ライト』の話はほとんどゲーデルとの会話に関係してる。
志村 そのへんの話はみんな『無限と心』に出てくるんだけど、ちゃんとSFにしたのがえらい。
菊池 おなじ話をまじめに書いたのが『無限と心』で、でたらめに書いたのが『ホワイト・ライト』。でたらめにするとこがこの人の特徴で、そこがすばらしい。
志村 ノンフィクションがハードで、小説がSFで、合わせてハードSF(笑)。
菊池 おもしろいのは、まじめな解説書とSFとのあいだに対応がつくんですよ。『ホワイト・ライト』 Spacetime Donuts 『ソフトウェア』の三冊がまちがいなく『無限と心』と対応してて、『セックス・スフィア』が『四次元の冒険』とがワンセット。あとはちょっと違うかな。『時空の支配者』あたりですぱっと切れてる気がする。
大森 『時空の支配者』はもっと物理寄りですよね。クォークとかプランク定数とか。
菊池 SFとしては健全ですよね。
大森 ふつうのハードSFに近い……。
菊池 ええ、へんな思想をひきずってないという意味で。
志村 (ぽつりと)へんな思想じゃない。
菊池 あーその、偉大な思想をひきずっていないという意味で(笑)。もちろん、「すべてはひとつ」とか、関係あることは出てくるんですよ、キーワードですから。出てこないのは『空洞地球』くらいじゃないかな。
志村 『空洞地球』はラッカーだけどラッカーじゃない。
菊池 あれは非常に特殊な本で。
大森 ポウの霊が乗り移った(笑)。
菊池 『ウェットウェア』は続篇だし……これはまあサイバーパンクですね(笑)。
大森 ギブスンの霊が乗り移った(笑)。
菊池 ギブスンよりスターリングでしょう。ともかくそういうわけで、ラッカーは八〇年代のもっともな重要なハードSF作家だという結論をわたしは出したい(笑)。
大森 会場の大野万紀さん、いかがですか? ハードSF評論家の名誉にかけて、イエスかノーかで答えてください(笑)。
大野 数学SFはファンタジイですから、ハードSFじゃないです(爆笑)。



top | RR top | link | board | articles | other days