●RRインタビュー《SFマガジン》バージョン(1994年)
/大森 望



 以下のインタビュウは二回に分けておこなわれた。一回目は昨年(1993年)八月、東京国際美術館で開催された「人工生命の美学」展にゲスト・スピーカーとして招かれて来日したとき。滞在先の品川東武ホテルを訪ねて、雑誌『ED』の仕事で三〇分ほどTVゲーム文化についてインタビュウしたあと、次の講演先の梅屋敷にあるアートスペース、レントゲン研究所へと向かうタクシーの車中でしばらくSF関連の話をきくことができた。
 後半部分は、NIFTY-Serve経由で電子メールの質問状をインターネットのラッカーのアドレスに送り、電子メールで回答してもらったもの。リアルタイムのインタビュウではないため、前半とはかなりトーンがちがっている。なお、前半部分に関しては、話の進行上、一部、『ED』二号掲載のインタビュウと重複することをお断りしておく。(大森望)



――今回の来日の主目的は、オートデスク社の新作ソフト Artficial Life Labのデモということですが、このプログラムや、今回も展示されているCA Labは、ご自分ではどういうふうに位置づけてるんでしょうか?

 なにかをよりよく理解したり考えたりするための道具――化学実験セットみたいなものかな。もうひとつは一種のインタラクティブ・アート。ユーザーが美しいパターンを生み出すことのできる双方向のアートだと思う。すくなくともぼくに関するかぎり、この種のソフトウェアは世界の見方に大きな影響を与えてくれる。セルラー・オートマタやカオス、人工生命のつくりだす模様をじっと見つめていると、ものの見方が変化してくるのがわかる。

――ゲーム的な側面はありませんか?

 ゴールがないという意味でいわゆるゲームとはちがう。もちろん、人工生命やセルラー・オートマタを利用したパズル的なゲームをつくることも可能だけど。個人的にはTVゲームってのはあんまり好きじゃない。貧弱でお粗末だし、リアリティのレベルが非常に低い。いつもおなじドラゴンがおなじ洞窟から出てくるんじゃね(笑)。

――でもラッカーさんは「パックマン」(本号訳載)という爆笑の短篇も書いてますし、 昔はTVゲーム・フリークだったのでは(笑)。

 TVゲームが出たばかりのことは面白いと思ったよ。パックマンには三カ月くらいハマって、一週間であの短篇を書いた。でも、TVゲームはそれ以来変わってない。ぼくは変わった(笑)。そういうこと。

――TVゲームが現代において一種の文化的ドラッグとして機能しているという考えかたもありますが。

 ドラッグは、周囲の世界の本質に、あるいは自分自身の精神の働きに、注意を向けさせる効果がある。TVゲームはある特定のプログラムに対してだけ、注意を要求する。つまり、ドラッグは人間を自由にするが、TVゲームは人間を牢獄に閉じこめる(笑)。
 ま、TVゲームにドラッグみたいな中毒性があるのはたしかだね。うちの子どもを見てても、何日も何日もずーっと「スーパーマリオ」をやりつづけてたから(笑)。それを見てて気がついたんだ、TVゲームってのはじつに退屈なもんだって(笑)。

――父親になったせいでTVゲームが嫌いになったのかも(笑)。

 うん、かもしれない(笑)。もっとも、ネットワークを使うゲームが増えれば面白くなる可能性はある。カリフォルニアのフライトシミュレーション・ゲームはワークステーションを使ってて、全国各地のいろんな相手とゲームが楽しめる。

――コンピュータ・ネットワークの未来についてはどうですか?

 電子的なコミュニケーションの手段として、コンピュータ・ネットワークはきわめて有効だと思う。とくに電子メールは、会ったことのない相手とでも気後れしないで気軽にコミュニケートできるし、肉体的なレベルでの障害がなにもない。手紙よりはるかにタイムラグがすくなくて、電話ほどおしつけがましくなく、理想的なコミュニケーション手段だね。じっさいぼくは、去年(一九九二年)一年、ほとんど家から出なくて、もっぱら電子メールでしか他人と話をしてしない。ただ欠点は、酔っ払って侮辱メールを出しちゃうととりかえしがつかないこと(笑)。電話みたいに気軽にコミュニケートできるのに、一年たってもちゃんと記録が残るのが癌だな。

――フォーラムやSIGについてはいかがですか?<BR>
 最近インターネットにアクセスしてあちこち見て回ってるんだけど、SIGの数の多さにはほんとにびっくりするね。いまは、セルラー・オートマタ関連のグループと人工生命のグループに出入りしてる。専門家ばかりだから、とても刺激になるよ。

――ちょっと話がもどりますが、デモで見せていただいたArtificial Life LabのプログラムのひとつがBig Bopperという名前でしたね。ラッカーさんにとってのロボットは、やはり人工生命が機械の体をまとったというイメージなんでしょうか?

 もともとコンピュータには、ふたつの大きな夢がある。ひとつは人工生命で、これは知的ロボットの誕生につながる。もうひとつはinterconnectedness――人間を相互に接続することだ。サイバーパンク黎明期に、ぼくは知的ロボットの可能性には注目していたけれど、後者、つまりサイバースペースの可能性には気づいていなかった。インターコネクトなマトリクスというイメージは重要だと思う。

――ロボットSFについて最近ちょっと調べてたんですが、現代SFでロボットを扱っているものというのはすごく少ない。みんなアシモフに遠慮してるんでしょうか(笑)。

 かもしれない(笑)。ぼくの場合は、もともと数理論理学を経て、コンピュータや人工知能に興味があったから、知的ロボットにたどりつくのは必然的だったけど。

――アシモフの三原則には否定的ですよね

 じつは前にアシモフを怒らせたことがあるんだ。チャールズ・プラットのインタビュウで、アシモフの小説の登場人物はみんなおんなじだといったら、だれかがそれをアシモフに見せたらしくて。アイザック・アジモフ誌のエディトリアルで、「ラッカーとかいうやつがわたしの悪口をいっている」とか書かれて。

――それでどうしたんですか(笑)?

 謝罪の手紙を書いたよ(笑)。そうしたら、「わたしは謝罪を受け入れなかったことはないし、気持ちはよくわかった」という返事が来て。これはいいチャンスだと思って、『思考の道具箱』を出したときに推薦文を書いてもらった(爆笑)。

――転んでもただでは起きない(笑)。ところで、ロボットの意識という問題については
どうお考えですか? ロボットは魂を持ちうるでしょうか?

 魂というのは宇宙に遍在するもので、じゅうぶん複雑な構造さえあれば、魂は自動的にそこに宿るというのがぼくの考えだ。

――人間とロボットの未来についてですが、多摩ミュージアムの講演会のあとの質疑応答では、ロボットとの平和的共存というビジョンを語ってらっしゃいましたよね。むしろアシモフ的なロボット観ではという気がしたんですが(笑)。

 まあ、とくに戦争しなきゃいけない理由もないからね(笑)。『ソフトウェア』や『ウェットウェア』の中ではちがうけど。

――小説にくらべると、じっさいの発言はずいぶん穏健な感じですね。

 小説で発散しているせいかな。ぼくのSFだけ読んで、ものすごい変人じゃないかと思っている人がよくいるけど、実生活では常識人だよ(笑)。

――SFを書くのとプログラムを書くのとどっちが面白いですか?

 最近やってないことのほうが面白いな(笑)。全然種類のちがう作業だから。しばらく小説ばっかり書いてるとプログラムがやりたくなるし。ま、プログラミングのほうがいわゆる労働に近いかな。一般的にはやっぱり小説書いてるほうが楽しいよ。
(一九九三年八月十三日)
 
――まもなくAVONOVAから刊行予定の新作、The Hacker and the Antsについてうかがいたいんですが。

 ぼくの九冊の長篇は、三つのグループに分類できる。〈生きているロボット〉と〈トランスリアル〉と〈その他〉(リスト参照)。The Hacker and the Antsは『空を飛んだ少年』、Spacetime Donuts、『ホワイト・ライト』につづく、〈トランスリアル〉グループの最新作ということになる。

『空を飛んだ少年』は高校・大学時代のぼくが主人公。当時のぼくはビートニクの変人パンク少年だった。それに関して、本に出てくる客観的な相関性は、ぼくが現実に空飛ぶ円盤の落とし子だと発見する点だね(笑)。ぼくが書いたはじめての長篇SFSpacetime Donutsは、ニュージャージー州ニューブランズウィックのラトガーズ大学の院生時代の話。ヴァーナー・マクスウェルがしょっちゅう図書館にこもっている点に注目してほしい。『ホワイト・ライト』はニューヨーク州ジェネセオのSUCASジェネセオで数学教授をしていた当時の話。物語が描いている時系列とおなじ順番でそれぞれの長篇を執筆したわけじゃないので、念のため。

「作家は、もっとも貴重な資源であるみずからの記憶を使いはたしてしまう」という意味のことをアップダイクが書いている。ヴァージニア州リンチバーグ時代に取材したTwinksというタイトルの長篇をずいぶん前から書きかけているんだけど、憎悪が強すぎるのと、性的に濃密すぎるのとで、いつまでたっても完成させられずにいる。ある意味では、『空洞地球』がリンチバーグ、別名キルヴィル(lynch=kill)についての物語だといってもいいな。

 
【長篇分類表】
〈生きているロボット〉
『ソフトウェア』
『ウェットウェア』コッブ・アンダスンとステイ=ハイ
(Freeware)
〈トランスリアル〉
『空を飛んだ少年』
 コンラッド・バーガー   63-67
Spacetime Donuts
 ヴァーナー・マクスウェル 67-72
『ホワイト・ライト』
 フィーリクス・レイマン  72-78
『セックス・スフィア』
 アルウィン・ビター    78-80
The Hacker and the Ants
 ジャージー・ラグビー   86-92
〈その他〉
『時空の支配者』ジョー・フレッチャーとハリイ・ガーバー
『空洞地球』メイスン・レナルズ


――一九九〇年の来日時に、『ソフトウェア』『ウェットウェア』の続篇で、「ハードウェア」もしくは「リンプウェア」という仮題の長篇の構想があるとおっしゃっていましたが?

『ソフトウェア』『ウェットウェア』の続篇にあたるFreewareという長篇をいま書いているところ。『ソフトウェア』『ウェットウェア』は、もうすぐLive Robotsというタイトルの合本になって、エイヴォン・ブックスから刊行される。Freewareは、二〇六三年のカリフォルニア州サンタクルーズで幕をあける。その時代、アメリカの東西両岸にはモールディーズと呼ばれる新市民がおおぜいいる。埋め込み素子を中に入れた明滅被覆だ。埋め込みチップのいくつかは幻覚誘発作用があって、モールディーとつきあってるとすごくハイになれる。モールディーはセックスにもすごく効果的なんだけど、ひとつ問題があって、人間の鼻に触手をのばして、目の近くの弱い部分を突き破り、頭の中に思考冠≠植えつけるんだ。モールディーたちがいかにして市民権を得たかというと、これはスタンリー・ヒラリー・ムーニイ上院議員(カリフォルニア州選出)の努力の賜物。

――いままでに発表された科学ノンフィクションとSF長篇とのあいだには強い対応関係があるように思えるんですが。『無限と心』と『ホワイト・ライト』、『四次元の冒険』と『セックス・スフィア』というふうに。

 ノンフィクションとSFのカップリングについては、つい最近もやったばかり。Hacker and the Antsは、ぼくがArtificial Life Labを書くためにおこなったリサーチの小説版なんだ。ぼくがSFを好きなのは、ロックンロールっぽい<B>感じ</B>、パワーコード、ファンクだ。もっとも、アカデミック方面からつつかれれば、SFは思考実験をおこなう研究室だって手垢のついた決まり文句で答えるけどね。ぼくのエージェントのスーザン・プロッターは、毎晩、寝る前に、ぼくがまたノンフィクションを書いてくれますようにとお祈りするんだって(笑)。ぼくの本で現実に金を稼いでるのはノンフィクションのほうだからね。

『無限と心』、『四次元の世界』、『思考の道具箱』では、長年にわたってぼくがとりつかれてきたそれぞれの分野に関する膨大な量の知識を吐き出してきた。数学的論理、高次の次元、情報理論的観点から見た数学分野。長生きできれば、最終的には、コンピュータの果たす役割、カオス理論、それにgnarl(「(木の)ふしこぶ」の意味。人工生命ソフトウェアにおけるラッカーのキーコンセプトで、現実の生命の持つ複雑さを指す。『人工生命の美学』収録のエッセイ参照)までふくめた巨大なワンダーブックを排出/吐出することになるだろう。Freewareが完成したら、それにとりかかるつもりだ。

 でも、年をとるにつれて書くのが遅くなってるから、たぶんFreewareに二年はかかる。つまり、完成は一九九六年の春。そのコンピュータ本を書くのにもう二年かかるから、予定通りに進んでも、完成は一九九八年。コンピュータに関しては、メディアの誇大宣伝のおかげで、流行のサイクルがものすごくはやい――ぼく自身、Mondo2000 User's Guideの編集でその誇大宣伝に加担してるわけだけど。しかし、この分野にも動かしようのない確たる真実はあるし、ぼくも情報の海の中でころげまわっているんだから、たっぷりインプットをためこんだら、じっさいに自分の作品に仕上げるつもりだ。

――ワールドコンでお目にかかったとき、日本での体験をもとにした小説を書くつもりだとおっしゃってましたけど、なにか進展はありましたか?

 きいてくれてよかった。日本に関連した小説を書くっていう向こう見ずな約束のことはすっかり忘れてたから(笑)。じっさい、Freewareの中に、日本体験をある程度盛り込もうかと思ってはいるんだけどね。ギブスンが小説の中でずいぶんたくさん日本のことを書いてるから、日本を舞台にした章をもうけるというのは、なんだか安っぽくていんちきな人まねみたいな感じがする。それで抵抗を覚えてるんだけど、すごくいい素材はいくつかあるから、できればその不安を克服して、新しい角度から日本を書いてみたいと思っている。とくに書きたいと思っているのは、京都の有名な石庭で見たトカゲのこと。日本一有名な禅寺の庭の石の下で暮らしているトカゲ。きっと悟りをひらいているのか、それとも? このトカゲにリンプウェアのモールディー構造物を持たせて、ペイパーヴューの視聴者を住まわせようと考えている。

――ワールドコンで見せていただいたスターリングとの合作の"Big Jelly"をはじめ、ずいぶんいろんな作家と合作してますけど、いつもどういうやりかたをしてるんですか?

 おなじ相手との合作でも、一作一作ぜんぶやりかたがちがう。ぼくの理想的な合作方式は、ぼくがなにか書いてディスクにセーブし、プリントアウトとフロッピーを相手に送り、相手がぼくの書いた部分はあんまりいじらずに加筆して、新しいプリントアウトとフロッピーを送ってくる――というやりかた。現実には、相手はぼくの、ぼくは相手のテキストをいじりまわす傾向が強くて、ここは手を触れるなとか、あそこをもとどおりにしろとか、怒りの手紙をたがいに書きあうことになる(笑)。ふつう小説を書くというのは極端に孤独な作業だから、こういうやりかたも楽しいもんだよ。

 ところでブルースとぼくはいまだにBig Jellyの売れ口を見つけられずにいる。友人の作家と共作する方法のひとつに、それぞれが作者自身のトランスリアルな反映であるようなキャラクターを登場させて、その人物については自分が責任を持つというやりかたがある。"Big Jelly"では、ぼくの持ちキャラを、明確な思想のもとにカムアウトして、ホモであることを公言した人物に設定したらおもしろいんじゃないかと思ってそうしたんだけど(もっとも現実のぼく自身は百%ストレート。女性読者のみなさん、これはほんとです)サイバーパンク・ホモ小説だっていうのが、出版社がいい顔をしない原因になっているかもしれない(笑)。

――子どもの頃はどんなSFを読んでいたんですか?

 子ども時代のお気に入りの作家はロバート・シェクリイだった。十五歳のとき、漕いでたぶらんこの鎖が切れて、脾臓が破裂して入院したんだ。そのとき、母がシェクリイの『人間の手がまだ触れない』を病院に持ってきてくれた。ナボコフがどこかで、「歳月という廊下をボールが転がりはじめることになった最初の一押し」について書いているけれど、ぼくにとってはその一押しがシェクリイの本だったわけ。いままで読んだ中で最高にクールな本だと思ったし、心の奥底で、自分にできる最高にクールなことはSF作家になることだとさとったんだ。

――ではいま、SF作家と呼ばれるのがうれしいですか? 化学ノンフィクション作家とか、コンピュータ・プログラマーとか、カルチュラル・ヒーローとか、いろんな肩書きで呼ばれると思いますけど、いちばんのお気に入りは?

 そりゃもちろん、「カルチュラル・ヒーロー」がベストだね(笑)。新作の書籍/ソフトウェアのArtificial Life Labには、「作家、科学者、カルトヒーローたるルーディ・ラッカーは、この世紀の幕切れに生まれたサイバーパンク・カルチャーのキーパースンとして登場した」と書いてある。これだよ(笑)。





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