著者別あいうえお順 毎日新聞書評作品一覧 [90年6月〜92年3月]

いとうせいこう『ワールズ・エンド・ガーデン』
岩本隆雄『星虫』
大場惑『虜われの遊戯者たち』
大原まり子『エイリアン刑事』
大原まり子『ハイブリッド・チャイルド』
大原まり子『メンタル・フィーメール』
岡崎弘明『月のしずく100%ジュース』
梶尾真治『サラマンダー殲滅』
川又千秋ほか『奇妙劇場[1]』
神林長平『完璧な涙』
神林長平『親切がいっぱい』
小林一夫『サード・コンタクト』
椎名誠『武装島田倉庫』
水鏡子『乱れ殺法SF控え/SFという暴力』
巽孝之編『サイボーグ・フェミニズム』
中井紀夫『炎の海より生まれしもの』
野阿梓『バベルの薫り』
花輪莞爾『悪夢小劇場』
武良竜彦『三日月銀次郎が行く』
村田基『愛の衝撃』
山田正紀『機神兵団[1]』
夢枕獏『混沌(カオス)の城』



ピアズ・アンソニイ『タローの乙女』
ジョージ・アレック・エフィンジャー『太陽の炎』
アーサー・C・クラーク『グランド・バンクスの幻影』
ダルコ・スーヴィン『SFの変容』
ウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』
メリッサ・スコット『遥かなる賭け』
ブルース・スターリング『ネットの中の島々』
ジョン・E・スティス『レッドシフト・ランデヴー』
アルカジイ&ボリス・ストルガツキー『そろそろ登れカタツムリ』
フィリップ・K・ディック『ニックとグリマング』
フィリップ・K・ディック『暗闇のスキャナー』
トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『故郷から一〇〇〇〇光年』
J・G・バラード『クラッシュ』
ティム・パワーズ『幻影の航海』
バリントン・J・ベイリー『永劫回帰』
ロバート・マキャモン『スティンガー』
ルーディ・ラッカー『空洞地球』
マイク・レズニック『サンティアゴ』
マイク・レズニック『アイヴォリー/ある象牙の物語』




【毎日新聞書評欄SF時評 #01】90年06月執筆

 現在の日本を代表するSF作家はだれか。「日本SF」という枠組が限りなく希薄化している今、即答の難しい質問だが、その最有力候補が神林長平であることに疑問の余地はない。
 デビュー以来十年、一貫してSFの可能性を追求してきた神林長平は、日本のSF作家の中でも希有な存在だといっていい。ひたすらSFだけを書いてきたために、実力にふさわしいだけの一般的な知名度をまだ得ていないが、神林長平はは確実に、世界SFの最前線で新たな地平を切り開きつつある。
 その神林作品の魅力を余すところなく伝える長編が二冊、最近あいついで刊行されている。まず一冊、SFマガジンの連載をまとめた『完璧な涙』は、神林長平のこれまでの作品の集大成ともいうべき力のこもった本格SFである。
 舞台は、地球規模の大崩壊から数百年後の未来。すべての感情を欠落させた少年、本海宥現と、はるかな過去から甦った完璧な戦闘マシンとの死闘が、表面的には物語の縦軸をなす。
 無数の武器を搭載したコンピュータ制御の戦闘機械の詳細な描写はメカ・マニアを狂喜させずにはおかないし、追いつ追われつの活劇場面では冒険小説の興奮も満喫できる。人間に奉仕する銀色のヘルメット姿の妖精=銀妖子、死者が墓場に赴いて死者の妻を娶る街、右目と左目で違う光景を見る男など、魅惑的な小道具にもことかかない。
 しかし、本書の最大の魅力は、人間と機械の死闘がアクションのみに終らず、「過去」と「未来」の闘いという驚くべき壮大なビジョンへと集約されていく点にある。SF的想像力の限界に挑んで、まちがいなく今年の日本SFのベストに数えられる傑作である。
 もう一冊の書き下ろし長編、
『親切がいっぱい』は、うってかわって超変化球のほのぼのコメディ。SF的趣向はこらされているものの、基本的には「立ち退きを迫る地上げ屋に団結して対抗するアパート住民」という日常ドラマ。その騒ぎの渦中に、ひとりのエイリアンが出現し、なにもしないまま去ってゆく。
 SF的な謎も、その解決もなく、ここでは宇宙人さえもが強固なホーム・ドラマに回収されてしまう。既成のSFの文法を徹底的に踏みはずし、不可思議な魅力に満ちた非日常の日常のをみごとに描きだしたこの長編は、神林長平の新たな一面を見せてくれる。

【毎日新聞書評欄SF時評 #02】90年07月執筆

 今年は、日本SFのたいへんな当たり年かもしれない。椎名誠『アド・バード』、神林長平『帝王の殻』『完璧な涙』、大江健三郎『治療塔』など、例年ならベストワン級の作品がすでに続々と出版されているのにつづいて。今月もまた、それらに優るとも劣らない作品が登場した。デビュー十周年を迎える大原まり子の、
『ハイブリッド・チャイルド』(早川書房・一八〇〇円)―写真―である。
 はるかな未来、アディアプトロン機械帝国と人類とは、種の存亡を賭けた苛烈な戦いを銀河の各地で繰り広げている。人類を支配するのは、強大な超能力を持つ大シノハラが築き上げた情報管理組織シノハラ・コンツェルンと、血で結ばれたクローン・ファミリー。デビュー以来大原まり子が断続的に書きついできた〈未来史〉シリーズの、これが基本設定となる。
 本書の主役は、アディアプトロンとの戦いに生き残るため人類が開発した宇宙戦闘用生体メカ、サンプルB群、別名ハイブリッド・チャイルド。サンプルB群はサンプリングした生命体の遺伝情報をもとに、自由自在に姿かたちを変え、どんな環境にも適応することができる。だが、十三体つくられたうちの一体が軍から脱走、精神異常の母親に監禁され衰弱死した少女ヨナの記憶と人格を吸収して生まれ変わる……。
 男性的な本格宇宙SFそのままの設定でありながら、さまざまなレベルでの愛への渇仰が本書全体を貫き、通奏低音をなす。その意味でこれは、究極のラブ・ストーリーでもある。ジョン・アーヴィングの作品においてそうであるように、ここでもすべての人間/機械は愛を求めて傷つき、血を流し、死んでゆく。
 あまりにも多くのいたみ、あまりにも多くの死が、怜悧なタッチで容赦なく描きだされ、時に目をそむけたくなる。けれど、いたみをともなうことで愛が高処へと登りつめるように、このいたみの激しさが、結末にあらわれる救済のビジョンを限りなく美しく輝かせる。奇跡的な傑作。
 海外SFでは、P・K・ディック晩年の傑作として絶賛されながら、サンリオ文庫の廃刊により長く入手不可能だった『ヴァリス』(大瀧啓裕訳・七〇〇円)が、創元推理文庫から再刊されている。神秘体験を契機に結実したディック思想の集大成として、一種カルト的崇拝の対象となっている書物だが、これもまた、あまりにも痛切な、愛の物語として読むことができる。生涯〈救済〉を求めつづけたディックの、これは神にあてた最後のラブ・レターなのかもしれない。 (大森望)



【毎日新聞書評欄SF時評 #03】90年08月執筆

 若年層向け書き下ろしSF/ファンタジーはマーケットとしてすっかり定着したようだ。角川スニーカー文庫、富士見ファンタジア文庫、大陸ノベルズ他、書き下ろしSF/ファンタジー専門レーベルも増え、点数の上では、今やヤングアダルト向け書き下ろし本がSF出版の主力。古株の田中芳樹、藤川桂介に加え、羅門佑人、六道慧、竹河聖、吉岡平、ひかわ玲子など、新しいベストセラー作家も続々量産されている。
 その渦中、文庫出版の老舗、新潮文庫が、〈ファンタジーノベル・シリーズ〉と銘打つ新人書き下ろしの新レーベルをこの八月に発足させた。第一回日本ファンタジーノベル大賞受賞の酒見賢一『後宮小説』(新潮社)は三十万部の大ヒットに大化けしたが、今回文庫化された三冊は、いずれも同賞最終候補の五編に残った応募作である。
 ただし、実際に読んでみると、この三冊、流行の和製ファンタジーとはかなり趣が違う。武良竜彦
『三日月銀次郎が行く』(四四〇円)は、宮沢賢治の作品世界に賢治その人が迷いこむという趣向。主人公・銀次郎はしだれ柳と猫柳のあいだに生まれたエレキ柳猫……と、設定こそ破天荒だが、賢治文体にのせて語られる物語にはしっとりとした落ち着きがあり、むしろ大人向けかもしれない。
 岩本隆雄
『星虫』は、初期の新井素子を彷彿とさせる正統派学園SF。環境問題の扱いがやや生硬でバランスを崩しているが、キャラクターが生き生きしてあまり気にならない。本格SFに正面から挑む気概に好感がもてる。
『月のしずく100%ジュース』(四四〇円―写真―)は、先日決定した第二回日本ファンタジーノベル大賞で、鈴木光司『楽園』と優秀賞を分けあった『英雄ラファシ伝』の著者、岡崎弘明のデビュー作。高橋源一郎の解説にもあるとおり、きわめて人工的なつくりだが、難解な実験小説風のそれとは百八十度違う、軽やかで楽しいファンタジー・コメディ。できそこないのミュージカル・シナりオに飛び込んでしまうという設定が効いて、行き当たりばったりの展開や世界の不整合性そのものが物語のネタになってしまう周到さ。けれん味たっぷりの語り口には好き嫌いが分かれるだろうが、新しい才能の誕生はまちがいない。
 ジャンルSFでは、三十年以上にわたりSF出版の中核を担ってきたSFマガジンが通巻四百号に達し、八百五十ページの超特大号を出している。内容を詳述する紙幅はないが、二千五百円という定価に恥じない内容で、読書人必携の永久保存版。



【毎日新聞書評欄SF時評 #04】90年09月執筆

 トマス・M・ディッシュ。一九六〇年代後半のイギリスで、J・G・バラードを旗頭に、従来のSFの約束事を打ち破ろうとするニューウエーヴSFが勃興したとき、海をへだてたアメリカでこの運動をリードしたのが彼だった。『人類皆殺し』『334』『キャンプ・コンセントレーション』……ディッシュが生み出した傑作の数々は、保守的なアメリカSFに衝撃を与えた。ペシミスティックなトーン、該博な知識、重厚な文体、野心的なビジョン。七〇年代前半までの米SF界で、ディッシュはいわば知的エリートとして君臨していた。
 しかし、八〇年代後半のサイバーパンク運動を通過したいま、「アメリカン・ニューウエーヴの鬼才ディッシュ」は、大多数のSFファンにとって、遠い記憶の彼方だろう。むしろ、手すさびで書いた『いさましいちびのトースター』二部作が、日本では吾妻ひでおのイラスト入りで大人気を博し、ディッシュの名は、いまや愛すべきSF童話作家として知られている。
 だが、その作家としての名声が過去の栄光でないことは、久々に邦訳出版された八四年の新作長編
『ビジネスマン』(細美遥子訳/創元推理文庫円)―写真―が証明している。「波瀾万丈の幽霊小説」と帯にあるとおり、これは狭い意味でのSFではない。
 主人公のジゼルは、冒頭からすでに死んで、幽霊となっている。彼女を殺したのは、出世と金儲けしか頭にないビジネスマンの亭主。ジゼルとしては、いまさら亭主を呪い殺したいわけでもないのだが、なぜか亭主のそばを離れられずにいる。やがて、病死したジゼルの母親も、娘のことが心配で、これまた幽霊となって地上にもどってくる。
 幽霊にも幽霊なりの〈ゲームの規則〉に束縛されているという意味では、「素晴らしき哉人生」や「天国への階段」など、ハリウッド幽霊映画の伝統にも共通する古風なつくりでありながら、ホモの女役に走ってオネエ言葉でしゃべるジゼルの兄、自殺したために成仏できずにいる実在の詩人、幽霊の世話係を務める元アングラ女優など、いかにも現代風の奇々怪々な人物たちが入り乱れ、ついでに実在の人物名・商品名も乱舞して、皮肉たっぷりのユーモラスな語り口とともに現代の断面を鮮やかに切り取って、一風変わった味わいを残す。
 一見、いわゆるモダンホラーとは対極にある作品だが、原書に付された"ア・テイル・オブ・テラー"という副題が示すとおり、まさにこれは、言葉本来の意味での、秀逸な"現代の恐怖小説"なのである。(大森望)



【毎日新聞書評欄SF時評 #05】90年10月執筆

 現在の日本SFは、神林長平や大原まり子の諸作に代表される、SF専業読者には高く評価されるものの一般性の低い先鋭的現代SFと、娯楽中心の年少者向け量産型書き下ろしとに二極分解しているだからこそ、いとうせいこう『ノーライフ・キング』、椎名誠『アドバード』、大江健三郎『治療塔』など、非SF作家によるアプローチばかりが目立つのだともいえる。
 この現状を打開するには、かつての日本SFがそうであったような、一般読者にもアピールする力と、SFならではのエッセンスを兼ね備えた骨太な作品を書ける作家の登場を待つしかない。
 このほど、書き下ろし長編
『サード・コンタクト』(朝日ソノラマ・七五〇円)―写真―をひっさげて登場した新星・小林一夫は、まだ荒削りながらも、その資質を充分に感じさせる。
 本書は、ヤングアダルト向けSFの老舗・朝日ソノラマが新たに発足させた新書シリーズの第一弾。田中芳樹、菊地秀行、田中文雄のベテラン勢に伍して、新人のデビュー作が先陣をつとめたわけだから、版元の熱意が窺える。
 主人公は、不遇をかこつ天才的生物学者コンビ。ふたりは、二億年前の古代植物を発芽させることに成功。GOTTと名づけられたこの植物の葉緑体は、動物との共生が可能だった。やがて、謎を解く鍵は、葉緑体そのものではなく、その被膜にあることが判明する。それは、宿主のDNAをコピーして増殖、体形を変化させて環境に適応する能力を持つ未知のウィルスだったのだ。一方、民間のとある生物研究所では、肌に葉緑素を持ち、光合成を行なう奇跡の少女の研究が、秘密裏に進められていた……。
 膨大なデータを投入してウィルスの謎を解明してゆく前半は、初期の小松左京を思わせるタッチで読者を離さない。二億年周期で太陽系を通過する巨大隕石帯や、被子植物の誕生、人類進化の根幹にかかわる謎が、すべてこのウィルスへと収斂してゆく過程はスリリングそのもの、最近の日本SFではめったに味わえない種類の興奮を感じることができる。後半、ノベルス的読者サービスの過剰さがやや興をそぐものの、お決まりのハイテク国際謀略小説に堕したかに見えて、一転、人類絶滅後のビジョンまで予見させる結末はまさに圧巻。
 文章やプロットの練り方など、小説的完成度はまだまだ低く、欠点を数えあげればキリがないが、それを承知のうえで、強力な新人の出現に心から拍手を送りたい。小林一夫は、九〇年代日本SFの台風の目になるかもしれない。



【毎日新聞書評欄SF時評 #06】90年11月執筆

 ウィリアム・ギブスンと並ぶサイバーパンクの旗手、ブルース・スターリングは、『ミラーシェード』と題するサイバーパンク・アンソロジーを編むなど、運動の理論的指導者として知られるアメリカSF界随一のトリックスター
『ネットの中の島々』上下(ハヤカワ文庫SF各○○○円)―写真―は、待望ひさしくついに邦訳された、そのスターリングの最新長編である。 コンピュータ・ネットワークを通じ、地球の裏側とでも瞬時に情報をやりとりできる現在の社会状況を踏まえたうえで、スターリングは可能なかぎりリアルに、二一世紀の世界像を描きだす。
 二〇二三年、冷戦構造は終焉を迎え、各国はウィーン条約を締結して軍備の完全廃絶に成功。アフリカ諸国などで頻発するテロに対抗するため、ウィーン条約機構が設立され、対テロ専門の捜査官たちが世界各地で活動している。地球規模の情報ネットワークの発達によってボーダーレス化はさらに進行し、巨大多国籍企業が国家にかわる強大な力を持ちはじめている――というのが本書の背景設定。戦争のない平和と活力に満ちたこの世界の異端児は、データのハッキングなどの情報海賊行為によって巨利をむさぼる非合法集団。主人公ローラは、新しいタイプの経済民主主義企業の社員として、こうした非合法集団同士の和解工作にたずさわることになる。
 物語は、新しい形の国際紛争に否応なく巻き込まれてゆくローラを軸に、テキサス州からグレナダへ、シンガポールへ、さらには潜水艦での移動を経てサハラ砂漠へ……とめまぐるしく舞台を移し、ほとんど「レイダース」並みのテンポと速度で走りだす。
 いわゆるポリティカル・フィクションに分類されてもおかしくない、あくまでリアルな近未来政治小説にはちがいないし、かわぐちかいじ「沈黙の艦隊」や村上龍『愛と幻想のファシズム』を想起させる部分もあるのだが、ハイテクの浸透によって生じる生活レベルでの変化への目配りと、新しい世界に生きる登場人物たちの力強い造形とによって、本書は凡百の政治小説と確実に一線を画する。
 政治は最終的に個人の問題に帰着するのだし、あらゆる個人的問題も政治的であることを免れない以上、これこそが正しい政治小説のありかただといってもいい。
 本書はおそらく、ここ十年のあいだにSFが生み出した最良の近未来小説であると同時に、「SFは未来を描くものだ」というおなじみのテーゼに対する真正面からの回答でもある。SFファンのみならず、現代人必読の傑作。



【毎日新聞書評欄SF時評 #07】90年12月執筆

 本紙読書世論調査の結果を見ると、今年もまた、水野良『ロードス島戦記』、田中芳樹『創竜伝』など、SF/ファンタジー系の作品が軒並み、中高生の「最近読んだ本」の上位を占めている。ここから、「若い世代では夢のあるSFが根強い人気を誇っている」といった分析も出てくるのだが、宇宙冒険活劇の体裁をとりつつも本格SFとしてじゅうぶん通用する長編が大量生産されているアメリカとちがって、日本の娯楽SFにはSFのエッセンスを感じさせてくれるものがすくない。だからこそ、ヤングアダルト向けSFがこれだけ隆盛を誇っているにもかかわらず、日本SFが活況を呈しているとはいいにくない、皮肉な状況も生まれているわけだ。
 しかし、その隙き間を埋めるように、娯楽性を保ちながらなおかつ本格SFの結構を備えた力作がこのところあいついで刊行されている。
 一冊は、雑誌〈獅子王〉の連載をまとめた梶尾真治の大作
『サラマンダー殲滅』(朝日ソノラマ・二三〇〇円)―写真―。総計一四〇〇枚近い分量にもかかわらず、一気に通読できるスリリングな冒険SF。宇宙規模のテロリスト組織の爆弾テロに巻き込まれて夫と娘を失った平凡な主婦が、この巨大組織に復讐を挑む――と、設定だけ聞くとまるでアニメか安手のスペースオペラだが、緻密なディテールがSFとしてのリアリティをみごとに支え切り、現代的エンターテンメントSFの一級品として、どこに出しても恥ずかしくない出来。砂漠惑星に住む飛びナメなる生物がいっせいに孵化する驚天動地のシーンをはじめ、随所にちりばめられた魅力的なアイデアが、SFの醍醐味を満喫させてくれる。年少のSF初心者にもマニアにも楽しめる、極上の娯楽作である。
 もう一冊は、山田正紀の新書書き下ろしシリーズ第一弾、
『機神兵団[1]』(中央公論社・七三〇円)。舞台は一九三七年の中国大陸。日中戦争勃発直後の上海に突如エイリアンが来襲。迎え打つは、日本が誇る竜神、風神、雷神の三体の機神=巨大ロボット部隊……。つまり、現実の歴史を背景とした戦時下の中国大陸で、「機動戦士ガンダム」そこのけのロボット・バトルがくりひろげられるという趣向。これまた、設定だけとりだすとアニメのノベライズそこのけだが、正統派のSF作家である著者らしく、みっちりと細部を書き込んで、この大嘘にみごとな迫真性を与えることに成功している。
 こうした作品が続々登場するようになれば、日本SF黄金時代の復活も夢ではないかもしれない。



【毎日新聞書評欄SF時評 #08】91年01月執筆

 年末の
『武装島田倉庫』(新潮社一二〇〇円)―写真―で、椎名誠SF三部作が完結した。日本SF大賞受賞の『アドバード』(集英社)、『水域』(講談社)、そして本書からなるこの三部作は、昨年の日本SF界最大の"事件"だった。
 過去のSF短編で玄人筋から高く評価されていたとはいえ、一般的にはSF作家として認知されていなかった椎名誠が、殺人的スケジュールにもめげず、たてつづけに三冊のみごとな本格SFを上梓した事実だけでもじゅうぶん"事件"だが、それだけではない。
 やはりSF大賞を受賞した井上ひさしの『吉里吉里人』やいとうせいこう『ノーライフキング』など、非SF作家の書いたSFの秀作は枚挙にいとまがないが、椎名SF三部作はジャンルSF以外の何物でもなく、かつ老練なSF読者にさえある種の懐かしさを感じさせるという意味で、それらとは決定的に違う。かつて流行した表現を借りれば、"SFのフェロモン"を発散しているのだ。五、六〇年代の英米SFの最良の部分をきちんと消化した上で、手垢のついたSF用語は一切使わず、日本語独自の文章でリアリティあふれる未来世界を創出したこの三部作は、日本SFの歴史に残る金字塔である。
 三部作とはいいながら、文明後のおなじ世界を舞台にしているらしいことをのぞけば、それぞれまったく独立した作品だといっていい。ハイテク広告戦争の奇怪な遺物に満ちた都市で父親をさがす『アドバード』、水におおわれた世界での不思議に静かな航海記『水域』。そしてこの『武装島田倉庫』では、七つの独立したエピソードが有機的にからまりあい、背後に横たわる魅惑的な世界の姿がくっきりと浮かび上がってくる。
 架空世界のリアリティを支えるのがディテールである以上、これは想像力の強靭さがもっとも試される種類のSFなのだが、椎名誠はその試練に耐えて、手触りからにおいまで完璧に備えた、魅力的な世界をつくりあげることに成功した。SF読者ならずとも、この世界にどっぷりと身を委ねれば、至福の一時が味わえる。傑作。(大森望)



【毎日新聞書評欄SF時評 #09】91年02月執筆

 世の中には往々にして奇妙な偶然がある。中東に世界が注目するいま、はからずもイスラム文化をモチーフとするSFが二冊、あいついで出版された。
 一冊は、アメリカのSF作家ジョージ・アレック・エフィンジャーの
『太陽の炎』(浅倉久志訳/ハヤカワ文庫SF六六〇円)―写真―。SFファン、ミステリーファンの双方から高く評価された電脳ハードボイルドの傑作、『重力が衰えるとき』の続編にあたる。
 舞台はイスラム文化圏に属する近未来の大都市。頭蓋のソケットに差し込むことで、別人格を身にまとうことを可能にするチップが、ドラッグ同様に売買される世界。
 一匹狼だった主人公マリードは、町の大ボスに雇われて、心ならずも警察の禄を食む毎日を送っている。その彼が連続殺人事件の謎を追ううち、巨大な陰謀の存在が明らかになってくる……。
 この筋書き自体はしかし、この際どうでもいい。本書の最大の魅力は、性転換者やヤク中があふれ、アラビア語が飛びかう、猥雑なエネルギーに満ちた架空の街そのものにある。読みおわるとすぐに続きが欲しくなる、まさしく麻薬的な魅力を持つ小説である。
 対する日本の作品は、『ノーライフキング』につづくいとうせいこうの第二長編
『ワールズ・エンド・ガーデン』(新潮社一五〇〇円)。舞台はコーラン鳴り響くムスリム・トーキョー――といってもこれは、クラブをプロデュースする感覚で、イスラムのイメージをメインにつくりだされた、二年間だけの時限人工都市。いわば東京ルーフの都会版のような、滅びることをあらかじめ運命づけられたこのステージに、謎の中年男が預言者として登場したときから、町の演出者たちの描いていたシナリオが狂いはじめる。
 デゼール――"砂漠"と名づけられたこの小さな町で生じた内部抗争は、やがてコップの中の嵐ともいうべき絶望的な聖戦へと発展してゆく。
 砂漠の嵐。ここにもまた奇妙な暗号がある。しかし、世紀末日本の縮図として用意された舞台装置が、遠くペルシャ湾岸の情勢とみごとに重なりあってしまう偶然の皮肉もまた、この現未来SFにとってはふさわしいことなのかもしれない。強烈な暴力とイメージに満ちた、鋭利な刃物のような一冊。



【毎日新聞書評欄SF時評 #10】91年03月執筆

 賞金稼ぎといえば、マカロニウェスタンに欠かせないアイテムだが、ある種のSFも、その絶好の舞台装置となりうる。今月は、比較的珍しい、そんな"賞金稼ぎSF"の大長編を二題。
 一冊目は、昨年のSFマガジン読者賞で一位と三位を獲得するなど、現在人気急上昇中の中堅SF作家、マイク・レズニックの
『サンティアゴ』上下(内田昌之訳、創元推理文庫・各五三〇円)―写真。銀河帝国の勃興から数千年を経た未来。、人類は宇宙にあまねく首都高なみのお手軽さとなった超光速ドライブを駆って、腕に覚えの賞金稼ぎたちが、謎の男サンティアゴを目当てに銀河せましと駆けめぐる――とくれば、これはもう古きよきスペース・オペラの世界。吟遊詩人ブラック・オルフェウスの詩を随所にちりばめつつ、一癖も二癖もある銀河英雄群像が語られてゆく。
 ネタのためには手段を選ばない悪逆非道の美人ジャーナリスト、凄腕の賞金稼ぎ兼牧師、借金を踏み倒した賭博師を星から星へ追いかけてまわる巨漢――いずれ劣らぬ魅力的な登場人物たちが、やがてサンティアゴに向かって収束する……。
 レズニック一流のユーモアもたっぷり、おおらかにSFを楽しみたい人にうってつけの、一大宇宙冒険叙事詩である。
 もう一冊は、同じ賞金稼ぎモノとはいってもかなり趣がちがう。賞金のかかった逃亡エイリアンを追って地球にやってきた強力モンスターが、アメリカの田舎町をドーム型のバリアでおおい、暴虐のかぎりをつくす――と、これはロバート・R・マキャモンの
『スティンガー』上下(白石朗訳/扶桑社文庫・各六八〇円)。キング、クーンツにつづく第三の男、モダンホラー最強の秘密兵器として鳴り物入りで上陸作者の代表作である。
 多彩な登場人物の背景をじっくり書込みながら、ゆったりしたペースで幕を開けるものの、ローラーコースター・ノベルの名は伊達じゃない。善玉エイリアンの登場あたりからぐいぐい物語に引き込まれ、あとは結末まで一直線。わずか二十四時間の出来事を、上下あわせて九百ページの大長編に仕立てながら、退屈どころか息つくヒマなく読ませてしまう筆力には脱帽する。マキャモンは九〇年代最大のエンターテナーになるかもしれない。     



【毎日新聞書評欄SF時評 #11】91年04月執筆

 英米SFには、オリジナル・アンソロジーと呼ばれる出版形式がある。複数の著者から書き下ろしの中短篇を集めて一冊にする、いわば単行本形式の雑誌。アメリカでは一時大流行した形式だが、なぜか日本には根づかず、この種の試みはほとんどなされていない。
 その、事実上日本初に近い本格的SFオリジナル・アンソロジーが刊行された。フジテレビ「奇妙な出来事」のノベライゼーション・シリーズから発展した
『奇妙劇場[1]』(太田出版八〇〇円)―写真である。
 ノベライズのほうでも、優秀な新鋭SF作家を意欲的に起用して大成功をおさめていたが、本書では完全にテレビから離れ、日常に潜むささいな違和感をきっかけに登場人物が事件に巻き込まれていく……というモチーフだけを共通項として、総勢十一人のSF作家に競作させている。「巻き込まれ型」とも呼ばれるこのモチーフは、日本SFが中間小説誌へと浸透/拡散してゆく課程で伝統的に得意としてきたものだが、その伝統は今も立派に生きていたらしく、いずれも水準以上の秀作がずらり。しかも、大場惑、村田基、かんべむさし、高井信、草上仁、中原涼、横田順彌、川又千秋、中井紀夫、森下一仁、梶尾真治と並んだラインナップは壮観で、コアのSFを担う現役の書き手の半数以上が集合した感じ。こうした試みが成功するようなら、日本SFにも新たな可能性が開けるかもしれない。
 もう一冊、万人向けとはいかないが、SFにたんなる娯楽以上のものを求める方にはぜひご一読をお薦めしたいのが、SF批評界の大御所ダルコ・スーヴィンの大著
『SFの変容』(大橋洋一訳/国文社五六六五円)。サイエンス・フィクションを「認識異化の文学」と位置づけたうえで、はるか古代ギリシアから現代までを視野に入れ、モア、ラブレー、ルキアノス、ウエルズ、ロシアSFやチャペックの作品を綿密に検討していく。
 著者自身は新マルクス主義派の立場を標榜しているものの、その文章はきわめてエンターテイニングで茶目っ気もあり、硬直性とは無縁。古いSFには興味がないという向きも、現代SF理解に直結する第一部「SFの詩学」は必読。思わず時間がたつのを忘れて読みふけってしまう、知的興奮と刺激に満ち満ちた大冊である。 (大森望)



【毎日新聞書評欄SF時評12#】91年05月執筆

 日本のSF/ファンタジー市場はいまやシリーズ物の花盛り。ヤングアダルト向け書き下ろし文庫・ノベルズのほとんどが○部作を構成し、書店で石を投げればシリーズ物に当たるという勢い。この分野の最新事情に疎いと、平台の前で途方にくれてしまいかねない状況だが、その山に埋もれて読み捨てられるには惜しい傑作も、もちろん存在する。短篇集『山の上の交響楽』で絶賛を集めた中井紀夫の〈タルカス伝〉第二巻、
『炎の海より生まれしもの』(ハヤカワ文庫JA/五二〇円)―写真は、まちがいなく今年の日本SF最大の収穫のひとつ。SFファンのみならず、小説を愛する人すべてにぜひお薦めしたい傑作である。
「日本SF最大の収穫」とはいっても、このシリーズ、SFの枠におとなしくおさまってくれるような行儀のいい物語ではない。いつともしれない時代、どこともしれない世界を舞台にしているという意味ではファンタジーだが、いわゆる異世界ファンタジーの文法からも、この小説はかぎりなく逸脱していく。
 狂熱風雲王率いるグユ軍は、美しいガラスの都アムネシアを攻略、破壊のかぎりをつくしたあげく、美姫ユリアネを掠奪して凱旋。一方、辺境アポワクワの村に住む若者ガザンジは伝説の"爆砂"を求めて旅に出る……。しかし、こうした要約は、本書の魅力を伝えるにはあまりに無力だ。
 あとがきにいう"掟破りのおもしろさ"は、ジャンルの壁をあっさりと打ち砕き、セックスもバイオレンスも平然と飲み込んで、物語の暴走機関車と化してただひたすら驀進してゆく。
 しかも、構想十余巻という大長編〈タルカス伝〉はまだ幕をあけたばかり。とんでもない傑作の誕生に同時進行で立ち合っている予感と興奮に気分は高揚。つづきが読みたくてうずうずする、そんな気持ちを久しぶりに味わった。第一巻を未読の方もまだ遅くない。SFファンならずとも必読のシリーズである。
 海外では、これまた真の傑作の名に恥じない、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの第一短篇集
『故郷から一〇〇〇〇光年』(伊藤典夫訳/ハヤカワ文庫SF六六〇円)が出ている。アメリカSFの最良の成果というべき一五編を集めたぜいたくきわまる一冊。今年の海外SFベスト1はこれで決まり。(大森望)



【毎日新聞書評欄SF時評 #13】91年06月執筆

『アルジャーノンに花束を』のダニエル・キイスを筆頭に、本国以上に日本で人気の高い海外作家は何人かいるが、英国作家バリントン・J・ベイリーもその一人。アメリカではほとんど無名なのに、日本のSFファンが選ぶ星雲賞の海外長編部門を三作連続で受賞するという前人未到の偉業を達成した人物である。
 そのベイリーの邦訳最新長編
『永劫回帰』(坂井星之訳/創元推理文庫四八〇円)―写真は、その慎み深い薄さにもかかわらず、マッドSFの王者の名に恥じない、途方もないスケールの法螺話。なにしろ、誕生から死までを永遠にくりかえしつづけるこの宇宙そのものを相手に戦いを挑むのだから、とても常人の発想ではない。
 想像を絶する事故に遭いながら、異星人の手で宇宙船と一体化したボディを与えられ、奇跡の生還を遂げた主人公、ヨアヒム・ボアズ。彼は、事故で味わった恐るべき苦痛の体験を、永劫回帰の連鎖から断ち切るため、時間を支配できるという伝説の宝石を探して放浪の旅に出る……。
 波瀾万丈というより支離滅裂に近い展開は、この作家に不慣れな読者を唖然とさせるかもしれないが、ここには、SFだけが持つ原初的魅力がもっとも荒削りな形で封じこめられている。究極の快/怪作。
 先月につづいて、評論書の収穫が一冊。サイバーパンク以降、SF界で最も大きな議論を呼んでいるテーマはフェミニズムなのだが、そのシンボルともいうべきアイテムが、ダナ・ハラウェイの論文「サイボーグ宣言」。 このほど上梓された巽孝之編
『サイボーグ・フェミニズム』(トレヴィル二五七五円)は、この論文をメインに、それに啓発されて書かれた大御所ディレイニーの論考、性転換作家ジェシカ・アマンダ・サーモンスンのマキャフリー『歌う船』論と、編者自身の二つの論文を収録する。
 内容を詳述するスペースはないが、"サイボーグ・フェミニズム"なる視点が、ジャンル横断的な論争を可能にする希有な批評装置であることはまちがいなく、本書自身がそのスリリングな証明なのだといってもいい。たとえば、『永劫回帰』の宇宙船と主人公の関係を、この視点から『歌う船』のそれと比較することも可能だろう。知的興奮と刺激に満ちた異色のSF論集である。



【毎日新聞書評欄SF時評 #14】91年07月執筆

 時は一八五〇年代。バイロン首相率いる急進派が政権を握るブリテンでは、天才数学者チャールズ・バベッジ考案の蒸気コンピュータによる蒸気電脳網が全土を覆い、蒸気機関文明が頂点をきわめている……。
 この"もうひとつのヴィクトリア朝英国"が、ウィリアム・ギブスンとブルース・スターリングの合作長編、
『ディファレンス・エンジン』(黒丸尚訳/角川書店二七〇〇円)―写真―の舞台。 二段組五百ページの大長編ながら、筋立てそのものはさほど複雑ではない。現代的にパラフレーズするなら、コンピュータ・ネットワークを破壊するウィルス・プログラムをめぐる冒険活劇――つまりは劇場版『機動警察パトレイバー』のヴィクトリア朝版だという形容さえ可能だろう。
 しかし、本書の魅力は、当代最高のSF作家二人が幻視した架空世界そのもののディテールとリアリティにある。主役格のトマス・マロリー以下、キーツ、コールリッジ、ピンカートン、ナダール、ダーウィンから、森有礼、福沢諭吉まで、さまざまな分野の実在の人物たちが登場、この、ありえたかもしれないもうひとつの世界の空気を楽しげに呼吸している。
 ハイテクの浸透する近未来風俗を圧倒的リアリティで描いてみせたサイバーパンクの両雄が、それと同じ手つきで、蒸気文明社会の政治や風俗を鮮やかに創造する。サイバーパンク以後、ヴィクトリア朝を舞台に破天荒な物語を語るSFが同時多発的に出現、冗談まじりにスチームパンクのキャッチフレーズで呼ばれたりもしたのだが、構築された世界の魅力という意味では、やはり本書がずば抜けている。ディッケンズを思わせるゆったりした語りのリズムに身を委ね、架空世界のディテール一つ一つをじっくり味わいたい傑作。
 もう一冊、ソ連を代表するSF作家、ストルガツキー兄弟の
『そろそろ登れカタツムリ』(深見弾訳/群像社一八五四円)は、かつて当局から発禁処分を受けたいわくつきの作品。異様な生態系を持つ惑星で、登場人物たちがひたすら無目的な右往左往をくりひろげる、風変わりな哲学コメディ。奇妙奇天烈な読書体験が保証できる。



【毎日新聞書評欄SF時評 #15】91年08月執筆

 水鏡子。一見、女性と見まがう名前だが、これで「すいきょうし」と読む男性評論家。アメリカのSF作家、ウォルター・ミラー・ジュニアの名をもじってつけたペンネーム――といえば想像がつくとおり、筋金入りのSFマニアとしてSF界にその名を轟かせ、SFマガジンや故・奇想天外誌で健筆をふるった論客である。その水鏡子初の書き下ろしエッセイ集が、
『乱れ殺法SF控え/SFという暴力』(青心社六〇〇円)―写真。
 本書の堂々たる骨格からすれば、あるいは、SF評論書と呼ぶべきなのかもしれないが、「いいかげんであること」を旨とする著者の独特の語り口は、そういう堅苦しい呼び名にそぐわない。これは、二十五年間SFを読みつづけてきた著者の読書総決算であり、人生の九割をSFに捧げた男の自伝的エッセイであり、SFとは何かをめぐる格闘の報告書でもある。
 中学生のときヴァン・ヴォークトの『宇宙船ビーグル号の冒険』と出会ってSFに目覚め、乏しい小遣いをはたく値打ちのある一冊を選ぶため、必死に周辺情報を集めてマニアへの第一歩を記す――熱血少年SFファン時代の抱腹絶倒のエピソードに始まり、その『ビーグル号』の構造分析からSFのエッセンスを抽出、SFの進化と発展の過程で生じた問題点に鋭くメスを入れ、現代最高のSF作家ティプトリーついて書いてきた過去十七年間の文章のスクラップでしめくくる。
"SF論"というと、どうしても大所高所に立って冷静にメスをふるうイメージが強いのだが、本書の場合、社会学的な方法論を一部援用してはいても、死体解剖的手つきとはおよそ縁がない。生身のSFをなんとかねじふせようと格闘する著者の姿は、むしろリングのプロレスラーを思わせる。読者はそのセメント・マッチにつきあって、SFのダイナミズムをめぐる格闘のダイナミズムを存分に堪能できる。林達夫流にいえば、これはまさしく"野性のSF論"。
「SFとは、個人と世界との闘いである」という本書の基本的主張のひとつを援用するなら、本書は一SF読者とSFという世界との闘いの記録である、といってもいい。熱い思いに満ちた快著。



【毎日新聞書評欄SF時評 #16】91年09月執筆

 優れたSF作家には、子ども向けSFの分野でも名作を残している人が珍しくない。『レッド・プラネット』や『ラモックス』のハインラインを筆頭に、日本でも、筒井康隆の『三丁目が戦争です』『緑魔の町』、眉村卓『まぼろしのペンフレンド』、光瀬龍『暁はただ銀色』など、いまも懐かしく思い出す傑作は数知れず。その種の本をきっかけにSFファンになった人間も多く、SFと児童書とは切ってもきれない関係にある。
 しかし、あのフィリップ・K・ディックが児童向けSFを書いていた、と聞いたらびっくりする人が多いのではないか。先頃、筑摩書房からキュートな装丁で刊行された
『ニックとグリマング』(菊池誠訳/筑摩書房一六〇〇円)―写真―は、ディックの死後ようやく刊行なった、著者唯一の児童SF。しかも、大人の観賞にじゅうぶん耐える秀作である。
 人口過密のため、ペットを飼うことが禁止された未来の地球。ニック一家は、猫のホレースを守るため、辺境の植民惑星に移住する。しかし、その星では、奇妙な生物たちが二派に分かれて、熾烈な戦いをくりひろげている最中だった……。
 児童書の体裁こそとっているものの、設定といい会話のセンスといい、これはまさしく、おなじみのディック・ワールドそのまま。しかも、ディックの初期短篇に登場する奇妙奇天烈で魅力的な生物が次々にあらわれて、ファンの目を楽しませてくれる。六〇年代半ばのディック全盛期に執筆されただけあって、ディックのエッセンスを甘い糖衣でくるみこんだような味わいがある。ディック・ファンはもちろん、ふだんはSFなんか読まない女の子にもぜひお薦めしたい、不思議な魅力に満ちた一冊だ。
 もう一点、アメリカSFにその人ありと知られる奇才ルーディ・ラッカーの最新作
『空洞地球』(黒丸尚訳/ハヤカワ文庫SF六四〇円)は、文豪ポウを狂言回しに、南極から地球内部の空洞をめざす驚異の旅を描いた秘境冒険SF――といっても、そこはラッカーのこと、空洞到達後の破天荒きわまる奇想の展開にはひたすら唖然とするしかない。予想を裏切られる爽快感が満喫できる。



【毎日新聞書評欄SF時評 #17】91年10月執筆

 西暦二〇一二年、大規模な地殻変動によって現代文明は崩壊、人口は激減する。この異変から百年余。奇怪な生物が跋扈する日本では、戦国時代にも似た、群雄割拠の社会が誕生していた……。 以上の設定で幕をあけるのが、夢枕獏、畢生の大長編、
『混沌(カオス)の城』(光文社・上下各一四〇〇円)。
「新伝奇ロマン」と帯にあるとおり、オカルト・アクション的ムードが横溢するものの、本書の場合、むしろ伝奇小説の衣をまとった本格SFと呼びたい誘惑にかられる。 近未来小説と時代劇とのスリリングな異種配合というだけでなく、宇宙の成り立ちへの問いかけを物語の中核に置く姿勢は、サイエンス・フィクションならではのもの。 物語の核をなすのは、"螺力"=螺旋の力。これを手中すれば、天地を統べることも可能。かつて織田信長が追い求めた、螺力を秘める巨大オウムガイ、大螺王をめぐって、金沢藩城下で壮絶な戦いが始まる……。
 一見、荒唐無稽とも思えるこの筋書きを、魅力的な時間理論や独自の宇宙論が支えきり、SF的リアリティを失わない。読後感はまったく違うが、"螺旋"をめぐる本格SFという意味では、著者のSF大賞受賞作『上弦の月を食べる獅子』と表裏一体をなす作品といってもいいだろう。
 加えて、活劇小説としてのパワーとスピード感はすさまじく、ページを開いたが最後、本を置く暇もない。物語に没入する快楽を存分に味わわせてくれるこの傑作、唯一の欠点は未完であること。続編が待ち遠しい。
 海外では、新鋭ティム・パワーズの、
『幻影の航海』(中村融訳/早川書房六八〇円)が注目作。一八世紀のカリブの海賊の物語にブードゥーの呪術的世界観をまじえ、魔術的リアリズムで描く海洋冒険歴史幻想小説。実在の人物を多数配して、西洋史の裏面を圧倒的迫力で再構築する。
 反現代的といってもいいほど濃密なその文体には麻薬的効果さえあり、読み進むうちに、現実と幻想の境目を見失ってしまう。剣と魔法、竜とお姫さまの物語のみがファンタジーではないことを身をもって証明する、歯応えのある力作だ。        (大森望)



【毎日新聞書評欄SF時評 #18】91年10月執筆

 先月の夢枕獏『混沌の城』に続き、今年のベストを争う日本SFの大傑作が登場した。野阿梓の書き下ろし大長編
『バベルの薫り』(早川書房二八〇〇円)である。
 野阿梓、といってもご存じない読者が多いかもしれない。めったに入選作の出ないことで知られるSFマガジンコンテストの入選第一席「花狩人」で七九年にデビュー。以来十二年間で、発表した著書はわずかに五冊。しかも、本書が五年ぶりの新作長編となれば、回転の速い日本の出版界では、きわめて不利な立場にある。が、五年に一度の傑作だった前作、『凶天使』に勝るとも劣らない本書を前にすると、著者に限っては、この長い長いインターバルも必然だという気がしてくる。 本書の第一の特徴は、まず、絢爛豪華というほかない、濃密できらびやかなその文体にある。
 日中戦争勃発直前の中国大陸を、近未来の月コロニーに移し替え、おそらくギブスンの『ニューロマンサー』以来、もっとも力強く魅力的な近未来社会を描きだした第一部。そこから一転して、物語は学園超能力アクションへと、予想外の変貌をとげる。日本国家から軍事の全権を委譲され、作戦行動の指揮をとる美貌の超能力者・孤悲(こい)と、その宿敵たるアララギの首領、塔あけぼの。架空の学園都市を舞台に美男美女がひしめく壮絶なサイキック・アクションは、そのままアニメかマンガになってもおかしくない。サイバーパンクはだしのハイテク感覚と、『帝都物語』を超える超能力戦、耽美をきわめるベッドシーン、同性愛。コミケなどで爆発的人気を誇るアニメ系やおい系マンガ同人誌の必須アイテムすべてが、ここに盛り込まれている。 しかし、この様式美の神髄というべき過剰な物語の背後で、著者は天皇制というシステムの本質に鋭く迫る。その手つきは、まさにSFならではのもの。天皇制を軸に読みなおせば、登場人物の配置や派手なアクションにいたるまで、じつは周到に計算されたものであることが了解できる。
 華麗なる近未来SFの衣裳をまとった天皇論。このミスマッチ感覚がたまらない、空前絶後の超絶技巧小説である。
 

【毎日新聞書評欄SF時評 #19】91年12月執筆

 年末も近いというのに、このひと月どうもめぼしいSFの新刊がない。
 たとえば、光の速度が秒速十メートルという超空間宇宙船内を舞台にした、新鋭ジョン・E・スティスのSFサスペンス
『レッドシフト・ランデヴー』。ベテランの職人作家ピアズ・アンソニーのおおらかで楽しいスペース・オペラ『タローの乙女』(以上二点ハヤカワ文庫SF)。〈銀河英雄伝説〉を彷彿とさせる、若手女流作家メリッサ・スコットの絢爛豪華な宇宙版宮廷陰謀劇『遥かなる賭け』(創元SF文庫)。それなりに楽しめるものが出ていないわけではないし、むしろこうした作品がSFというジャンルを支えているのだが、いささか小粒な印象はまぬがれない。
 そんな中、話題の作品といえば、十年ぶりの新訳で登場した故フィリップ・K・ディックの代表作
『暗闇のスキャナー』(山形浩生訳/創元SF文庫六三〇円)―写真。サンリオSF文庫の廃刊で入手不能となり、再刊が待望されていた名作が、新装・創元SF文庫の新刊第一弾として、堂々の凱旋。
 妻に去られ、ドラッグに浸り、ジャンキーたちを自宅に招き入れて破滅的な生活を送っていた一九七〇年当時の思い出を近未来に投影し、友人たちの鎮魂のために書いたという、きわめて自伝的色彩の濃いSF長編。登場人物に感情移入させる技術では右に出る者のないディックだが、本書はその中でも極北をなす。 どうしようもなく愚かで、どうしようもなく破滅的で、それでいて愛さずにはいられない麻薬中毒患者たちの姿が、圧倒的なリアリティで描かれていく。涙なくしては読めない傑作である。
 日本SFでは、これまた再刊ながら、大原まり子の短編集
『メンタル・フィメール』(ハヤカワ文庫JA四六〇円)がおすすめ。大原まり子は、神林長平と並んで、(せまい意味での)日本SFというジャンルをどまんなかで支えている希有な存在だが、本書はその水準の高さをあますところなくつたえる傑作集。とくに、都市を支配するコンピュータ同士の恋物語を独特の文体で描きだした表題作は、日本が生んだ最高のサイバーパンクの名に恥じない。



【毎日新聞書評欄SF時評 #20】92年01月執筆

 クラークといえばSFの代名詞。七十歳を越えた今も現役というエネルギーには頭が下がる。とはいえ、作品の出来はまた別の問題。最近の、自作続編や合作長編群を見ていると、"晩節を汚す"という形容が頭にちらつかないでもない。
 だが、この
『グランド・バンクスの幻影』(山高昭訳/早川書房一七〇〇円)―写真―は、正真正銘、クラーク単独・単発オリジナルの新作。しかも、題材がタイタニック号引き揚げと聞けば、好奇心も倍加する。
 時は二一世紀。沈没百周年にあたる二〇一二年を目前に、日本企業と英国企業がそれぞれ持てる先端技術を駆使して、タイタニック引き揚げにしのぎを削っている……。 科学技術によって一歩一歩ゴールに近づいていく――その意味では、なるほどクラークにうってつけの素材だ。巨大プロジェクトに邁進する人々の姿が生き生きと、印象的に描かれていく。
 フラクタル理論の基礎をなすマンデルブロー集合をめぐる議論が、本筋と関係なくえんえんと続くのに辟易する人もいるだろうが、これはこれで楽しいおしゃべり。昨年人気を集めた日本の某大作ミステリを思えば、老いてなお旺盛なクラークの好奇心は、むしろほほえましい。(著者にとっては)小さなテーマにふさわしい、ユーモラスで愛すべき小品だ。
 一方、日本SFの収穫は、大原まり子の新作
『エイリアン刑事』(朝日ソノラマ上下各一五〇〇円)。タイトルと献辞が明示するとおり、これはハル・クレメント『20億の針』、映画「ヒドゥン」の本歌どり。地球人に憑依し、宿主をつぎつぎに変えてゆく宇宙人犯罪者を、宇宙人刑事が追う――この設定はなぜか日本でも人気があり、すでに川又千秋の〈星狩人〉四部作や中井紀夫『闇の迷路』が先行している。
 となれば、あとはこの枠の中でいかに華麗に遊んでみせるかが勝負。大原まり子は、彼女独特のキャラクターをたっぷりこの舞台に放りこみ、思いきり派手に暴れさせる。この奔放さはまさに彼女ならではのもの。入れ物のかたちが決まっている分、個性がきわだつというべきか。ハイブリッド感覚が満喫できる痛快近未来SFアクション。



【毎日新聞書評欄SF時評 #21】92年02月執筆

 自伝的長編『太陽の帝国』で世界の注目を集めた英国文学界の重鎮、J・G・バラード。が、今から四半世紀前、彼は世界のSFをリードする革命の英雄だった。後世にはかりしれない影響を残した"ニューウェーヴ運動"の理論的指導者として、バラードは外宇宙ならぬ内宇宙の探求を提唱、時代の最先端にあった。
 その時代のバラードの最長到達点であり、最高傑作に数えられるのが、一九七三年に発表された
『クラッシュ』(柳下毅一郎訳/ペヨトル工房二二〇〇円)―写真。性描写の過激さが災いしてか邦訳が見送られ、幻の名作として日本では名のみ高かった長編である。
 自動車事故にとり憑かれた男ヴォーンをメフィストフェレス役に、語り手のわたし=バラードは、テクノロジーと性が融合する世界に足を踏み入れる。せまい意味でのSFではないが、テクノロジーと人間の関係を見つめる透徹した視線は、SFを通過しない文学には不可能なものだろう。
 作者みずから、「世界最初のテクノロジーに基づいたポルノグラフィー」と語るとおり、その緻密な性描写・機械描写は圧倒的だが、二十年近い歳月でスキャンダラスな衣裳が削ぎ落とされた今、むしろここに描かれる"テクノロジーとのセックス"は、奇跡的なまでの美しさを放つ。その輝きはみじんも古さを感じさせず、あくまで現代の傑作として屹立する。
 それにしても、ポストモダン文学と称される最近の小説に、『クラッシュ』を越える現代性がろくに見当たらないことを考えると、現実の技術革新に比して、小説のテクノロジーの速度は絶望的なまでに遅い。
 国内では、変わり種が一冊。古手のSF読者のあいだではヴェルヌの翻訳者としてもおなじみの仏文学者、花輪莞爾の
『悪夢小劇場』(新潮文庫)は、いわゆる"奇妙な味"の短編集。最近でいえば、中島らも『人体模型の夜』や、中井紀夫『ブリーフ、シャツ、福神漬』などの系列に属する作風だが、大先輩格の作家だけあって、その筆力は圧倒的。ペーパードライバーの中年主婦がひたすら道に迷うだけの話を一大恐怖小説に仕立て上げた巻頭の「ちりぢごく」を一読するだけで、異界の気分が満喫できる。


【毎日新聞書評欄SF時評 #22】92年03月執筆

 一説によれば、SFファンは恐竜派と天文派に分類できるとか。たしかに、かぎりなく巨大なものへの憧れと、無限の大宇宙への切望が、SFの発展の両輪だったといえなくもない。そして、その両者をドッキングさせたのが、マイク・レズニックの
『アイヴォリー/ある象牙の物語』(内田昌之訳/ハヤカワ文庫SF六八〇円)―写真。
 地上最大の哺乳類、アフリカ象の王者、キリマンジャロ・エレファント。全長三メートルに及ぶその象牙が物語の主役。現在、英国自然史博物館に陳列されているこの象牙の途方もない大きさにふさわしい舞台を、レズニックはを用意した。
 時は銀河暦六三〇三年。〈調査局〉に勤めるロハスのもとを、最後のマサイ族だと名乗る男が訪れる。三千年にわたって行方不明になっているキリマンジャロ・エレファントの象牙を見つけてくれというのだ……。
 銀河規模のコンピュータ・ネットワークを駆使し、ロハスは安楽椅子探偵さながらに象牙の行方を追う。探求の過程でめぐりあう、象牙にまつわる数々のエピソード――数千年の歳月のあいだに象牙がたどった数奇な運命を短編形式ではさみつつ、物語は進行する。
 安心して読める職人肌の作家がめっきり少なくなったアメリカSF界だが、短い挿話を連ねて壮大なタペストリーを織り上げていくレズニックの手腕にはまさに芸術的。それぞれに印象的な物語群が、やがて一点に収束していく緊密なサスペンスには、まったく息をつく暇もない。SFならではのスケールと冒険小説の興奮、ミステリーのスリルを同時に満喫させてくれる、極上のエンターテインメントだ。
 日本SFでは、ハヤカワ文庫JAから、若手作家の好短編集が二冊。
『フェミニズムの帝国』で話題を巻いた村田基の
『愛の衝撃』(四六〇円)は、タイトルどおり、「愛」を隠しテーマにしたモダンホラーコレクション。日常にひそむ裂け目を題材に、著者十八番の切れ味鋭い恐怖が満喫できる。大場惑『虜われの遊戯者たち』(五〇〇円)は、パズル的興味も楽しめるトリッキーなアイデア・ストーリー集。"ゲーム"をキーワードに、黄金時代のアメリカSFを思わせる世界が展開される。