友成純一『ホラー映画ベスト10殺人事件』(扶桑社)解説


   解説

大森 望  



 思えばあの日、神楽坂の本屋に並んでいた一冊の文庫本を手に取りさえしなければ、わたしの人生も、もうすこし平和なものだったかもしれない。
 あれは三年前の春。そう、まるで魅入られたように手にとってしまったその本は、タイトルを『獣儀式』といった。版元はマドンナ社。著者は友成純一。へえ、スプラッタ映画評論家の友成純一が小説書いたのか。あれっ、これがもう二冊目なんだな。そういや、SM雑誌で連載やってるとかって話聞いたっけ、おもしろそうだから暇つぶしに読んでみるか……となんの気なしにレジに持っていき、金を払い、そして、読みはじめてしまったのだ。無知というのは本当におそろしい。
 自分でいうのもなんだが、わたしはたいていのことには動じない性格だ。「アンダルシアの犬」の目を切るシーンに眉ひとつ動かさず、「遊星からの物体X」を見た直後にスパゲティーを平然とたいらげ、スプラッタ映画を見ては、豚の血使うなんざサビーニってのも悪趣味だねえとアクビまじりにうそぶき、キングを読んで恐いと思ったことがないと豪語する人間である。そのわたしが、生まれて初めて、本を読んでいる途中に、ページを閉じてしまいたくなった――『獣儀式』とは、つまりそういう種類の本であった。
 地獄の地殻変動で、鬼たちが地上にあふれだしてくる。やることがないものだから、鬼は亡者相手にやっていた責め苦を生きた人間相手にやりはじめる――どうもおかしい、ここの連中は内臓はみださせるとぴくぴく震えてそれっきり動かなくなってしまう、勝手がちがってやりにくいなあとつぶやきつつ。話はほとんどそれだけで、あとは解剖学的なまでに精密な描写がえんえんとつづく。小説を読んで驚くことなんてもう一生ないだろうなあ、というわたしの思い上がりは、この小説によってあっさり打ち砕かれてしまった。そのすさまじさは、わたしの力では筆舌につくしがたいので、じっさいに筆舌につくしてある現物をあたっていただくしかないが、これを読み終えた瞬間、わたしは友成純一という天才作家の出現を確信し、あちこちに電話してまわった。それほどにすごい小説だったのである(おまけみたいについていた、純真な子どもたちがスプラッタ映画のマネをして遊ぶ、「『死霊のはらわた』ごっこ」とか「『悪魔のいけにえ』ごっこ」とかのショートショートもえぐかった。思えばそれが本書の原型といえなくもない)。
 そして、わたしの直感の正しさは裏づけられた。その後、友成純一は、舞台を新書移し、矢継ぎ早に長編を発表しはじめる。その数、現在までになんと二十六冊、一年に八冊という驚異的なペース。しかも、はずれはほとんどない。『獣儀式』以来、その憑かれたような量産体勢につきあって、友成純一全作品読破を誇るこのわたしがいうのだからまちがいない。
 一般的に友成純一はエログロ・スプラッタ作家と思われている。それはそれで一向にかまわないのだが、しかし、どこにでもいるエログロ・スプラッタとはわけが違う。友成作品の根底には、徹底したヒューマニズム蔑視がある。つまり、人間性なるものに対する徹底的な不信が、人間をたんなる物体として扱う過激なまでのスプラッタイズムへと必然的に導かれているのである。
 それをもっとも先鋭的に描きだしたのが、わたしのお気に入り「宇宙船ヴァニスの歌」シリーズ(双葉社)。宇宙をさすらう売春宇宙船という設定もみごとだけれど、共産主義者の支配が確立した世界にしぶとく生き残る民主主義者=ヒューマニストたちが、時代遅れの革命を起こそうと、いろんな星の人間を殺して回って大迷惑、という発想のぶっとびかたにはたまげた。昨年ひとしきり話題になったサイバーパンクの過激さなど、このアナーキズムの前では可愛らしいお嬢さん芸でしかない。というわけで、SF評論家もやっているわたしが、某誌のアンケートに応えて、サイバーパンクに勝つための三冊として、大原まり子『処女少女マンガ家の念力』、鈴木いづみ『恋のサイケデリック!』と並んで挙げたのが、この〈ヴァニス〉シリーズだった。SF界ではほとんど黙殺されているが、これはSFファン必読の名著である。

 さて、友成純一には作家以外の顔もある。そもそもこの世界にデビューしたのは、いまは亡きミステリ雑誌「幻影城」の評論コンテスト。受賞したのはリラダン論で、そのころはセリーヌやらフーリエやらM・G・ルイスやらを読みふけっていたというから尋常ではない。やがてマイナー雑誌にホラー映画論を書くようになって、マニアのあいだで注目され、最近では、天下のキネマ旬報で「びっくり王国大作戦」という連載をもう二年以上にわたってつづけているりっぱな映画評論家でもある(しかも、その連載たるや、映画の話がほとんどなく、「うる星やつら」論をえんえんとぶったかと思えば、オペラ、歌舞伎の話が数か月にわたってつづく、といった傍若無人ぶりで、さすがは友成純一、と感心する日々である)。
 その人となりについては、自分で書くとあとでおそろしいので、竹本健治氏が雑誌「小説奇想天外」に連載中の小説「ウロボロスの偽書」の中の一節を引用しよう。さすがワセダミステリクラブ以来の長いつきあいだけあって、友成氏のキャラクターがみごとに描きだされている。
「彼は口汚い言葉や侮蔑の言葉が好きで、ボルテージがあがると無闇に威張りちらし、様ざまな人間の低能を並べたて、「くそ売女」「フータンぬるかァ」「アッタリマンコのチヂレッ毛よオ」などと連発する。しかもそういう言葉に全く悪意や邪気がないところが彼の最大の美点で、コマッタちゃんがプリプリとダダをこねるのに似ていて、これがなんとも愛くるしいのである」(中略)
「彼には独特のトモナリ・センス、トモナリ・セオリー、トモナリ・テーゼがあって、そのいくつかには僕もいろいろと感銘を受けた。「自分のことを異端と言っているような奴はバカだ」とか「ヒューマニズムはマヌケの思想だ」とか「変態は宇宙を救う」とかいうのは、なかなか傾聴すべき箴言だろう。」

 ここまで読んでくると、本書を読み終えられたかたは、ははーんと思うだろう。そう、本書の主人公、庄内良輔は、作者・友成純一の分身なのである。それだけではない。ホラー映画マニアなら兼松信夫のモデルにもすぐ見当がつくはずだ。色の薄いサングラスがトレードマーク、ファンタスティック映画祭では、ゲストとして壇上に上がりながら、これから上映する映画をけなしまくったりしたこともある、正義と真実の映画評論家といえばわかるとおり……いや、やはりこれは読者諸氏に推理していただくのがいちばんだ(だってあとがこわいもん)。そして、もうひとり主要登場人物の国重隆三も、知っている人が読めば一発でわかるモデルがいる。本人に確認したところでは、この小説に出てくる店にもいちいちモデルがあり、庄内が某底辺映画労働者にからまれる件もじっさいにあったエピソードがもとになっているとか。
 つまり、まさかと思うかもしれないが、この本に描かれていることの九割は本当の話なのである。映画関係の雑文をたまに書いている関係で、わたしも試写室には月に何度か顔を出す。ファンタスティック映画祭には毎年欠かさず通っている。評論家や編集者とのつきあいだってそれになりにある。そのわたしの見るかぎり、映画業界関係の描写は空恐ろしいまでに正確をきわめている。読者に真実を伝えるためには、自分の身はどうなってもかまわないという、見上げた作家魂である。わたしにはとても、ここまで書く勇気はない。尊敬する映画評論家の人々が、まさかあんな自堕落な生活を送っているわけはない、小説にありがちな誇張なのだ、と思う人もいるかもしれないが、この本に書いてあることはまぎれもない真実なのである。
 これまで、二十数冊の著書によって、魑魅魍魎の跋扈する地獄絵の世界を描きつづけてきた友成純一が、その筆を、みずからがじっさいに生きる世界に向けて、徹底したリアリズムで描きだしたのが本書『「ホラー映画ベスト10」殺人事件』なのである。板子一枚下は地獄、というけれど、ああ、あの、一見平和をむさぼっているかに見える映画業界に、このような地獄があったとは!
 それだけではない。本書は、「悪魔のいけにえ」「スキャナーズ」「2000人の狂人」「ハロウィン」「地獄のモーテル」などなどの傑作ホラー映画に対する鋭い分析を含んだエッセイでもあり、それらのホラー映画を下敷きにした連続見立て殺人という前代未聞の趣向を持つミステリーでもあり、抱腹絶倒のスラップスティック・コメディでもあり、正視に絶えない流血の残酷スプラッタ小説でもあるという、ほとんど天才・友成純一にして初めて可能な小説のアクロバットである。しかもページはきっちり二百ページ。これを奇跡といわずしてなんとしよう。
 あなたが題名にひかれて解説を読んでいるホラー映画おたくなら、まちがいなくこれはあなたのために書かれた本だ。また、ホラーはどうも苦手で、という人も、この本さえ読めばもうこの世にこわいものはない。気がついたときには、やめようと思ってもやめられない、友成ワールドの住人になっているはずだ。甘美なる世界にようこそ。





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