ルーディ・ラッカー『ハッカーと蟻』(ハヤカワ文庫SF)訳者あとがき(1996年8月)


   訳者あとがき


大森 望  



 米国SF界の鬼才ルーディ・ラッカーの(現時点での)最新長編、Hacker and the Antsの全訳をお届けする。原書は一九九四年にWilliam Morrow & Co.から刊行された著者九冊めの長編。前作が九〇年発表の『空洞地球』だから、久々の新作長編である。
 機械知性の誕生を扱っているという意味では、『ソフトウェア』『ウェットウェア』の前日譚といってもいい。ただし、今回の物語の舞台は「五分後の未来」。データグラヴとヘッドマウントディスプレイを使った仮想現実型のユーザー・インターフェースが一般化しているのをべつにすれば、ほとんど現在そのままの世界。TV放送がデジタル化されていたり、帯域幅が大きくなっていたり(情報スーパーハイウェイ構想的な光ファイバーケーブル網が実現している)、コンピュータの処理速度が向上していたりのマイナーチェンジはあるものの、近未来SF特有の大きな技術的ブレークスルーは仮定されていない。
 主人公は元数学教師のジャージー・ラグビー。大学を辞めてカリフォルニアに越してきて、いまは業界大手のゴーモーション社で遺伝的アルゴリズムを応用した家事ロボット組立キットのプログラムに携わる。妻のキャロルとは別居中、わびしいひとり住まいの無聊を慰めてくれる相手は開発中のロボットの試作機、スタッドリーだけ。ところがサイバースペースで一匹の蟻プログラムを見かけたことから、思いもよらぬ災難がふりかかってくる……。

 ラッカー・ファンなら見当がつくとおり、主人公ラグビーの経歴や家族構成は、著者自身のそれと重なる。子ども三人の名前(ソレル、トム、アイダ)は『セックス・スフィア』の主人公アルウィンの子どもたちとおなじ。ラッカー自身、作品を三系列に分けた中で、本書を「トランスリアル」系列に入れている。ラッカーの人生のどの時期が作中に反映されているかで順番に並べ直すと、『空を飛んだ少年』(63〜67)、Spacetime Donuts(67〜72)、『ホワイト・ライト』(72〜78)、『セックス・スフィア』(78〜80)、そして『ハッカーと蟻』(86〜92)となる(SFマガジン九四年五月号のラッカー・インタビュー参照)。この順番に読めば、ラッカー自伝のできあがり――だが、あくまでもトランスリアリズムの産物だから、当然、ある種超越的な(=ネジのぶっとんだ)変容が加えられている。
 本書の原体験だという八六年〜九二年は、ラッカーが、CADソフトウェアで知られる大手ソフトハウスのオートデスク社でプログラマとして働いていた時期に重なる。ラッカーが開発に関わったソフトウェアには、CA Lab: Rudy Rucker's Cellular Automata Laboratory(89年/現在は絶版だが、96年中にフリーウェア化する計画があるとか)、James Greick's Chaos: The Software(90年)、The Autodesk Cyberspace Developer's Kit(92年)、『人工生命実験室』(93年/邦訳アスキー刊:日暮雅通・山田和子訳、96年)がある。
 とくに、最後の『人工生命実験室』は、本書の姉妹篇ともいうべきノンフィクション+ソフトウェア(ソフトカバーの本にフロッピーディスクが付属)で、「バッパーズ」と呼ばれる人工生命をパソコン(Windows3.1、Windows95対応)上で飼育できる。本書に登場する蟻のもっと原始的なやつといえなくもない。本のほうは、半分がプログラムの取り扱い説明書だが、残り半分はラッカー流の人工生命解説書なので、ソフトに興味がない方にも一読の価値はある。
 本書の主人公ジャージー同様、基本的には在宅勤務で、たまに会議や打ち合わせのために出社するだけという会社員生活だったようだが、シリコンバレー人種とつきあって過ごした数年間の経験は、本書のディテールに鮮やかに生かされている。
 おなじロボット物でも、『ソフトウェア』『ウェットウェア』と違って、現実に密着した世界を舞台とする本書は、ラッカー流のマッドSFを期待する向きにはちょっとストレートすぎるかもしれない。しかし女性問題とコンピュータ・ウィルス問題が同等の重みを持つ主人公の性格設定や独特のハッカー倫理観にはラッカーらしさがあふれているし、シリコンバレー・インサイドストーリーな面白さもあって、興味はつきない。いままでのラッカーSFの超絶的な飛躍についていけなかった読者でも安心の、愉快な近未来ドタバタSFサスペンスである。
(なお、奇妙な偶然だが、本書がアメリカで出版されたのとほぼ同時期に『小説すばる』で連載がスタートした井上夢人のサスペンス『パワー・オフ』(集英社)は、遺伝的アルゴリズムによる人工生命プログラム開発とコンピュータウィルスの流出という、本書とまったくおなじテーマを扱っている。料理法の違いを読み比べてみるのも一興だろう。)

 著者の近況だが、『ソフトウェア』『ウェットウェア』の続篇にあたるLive Robotsシリーズ最新作のFreewareはすでに完成し、九七年五月にAvon Booksから刊行予定(内容についてはハヤカワ文庫SF既刊『時空の支配者』巻末の解説を参照)。またインターネット上には、ご本人が管理するRudy Rucker's Hompe Pageもオープンした(http://www.mathcs.sjsu.edu/faculty/rucker/)。トップページに貼ってあるラブリーな写真が目をひくほか、サンノゼ州立大学数学科のサイトということで、講義スケジュールが掲載されていたりするのがご愛嬌。小説/ノンフィクション/ソフトウェアの作品リストに加え、WIRED誌に発表したインタビューやエッセイへのポインタもある。ここから直接ファンメールも出せるので、興味がある方はどうぞ(ただし、仕事に関係ないメールについてはわりと筆無精らしいので返事は期待薄かも)。

 最後に、コンピュータ関係の記述について少々。最初に書いたとおり、本書に登場するコンピュータ・テクノロジーのほとんどは、技術的にはすでに実現している。現状で2Dのグラフィカルなユーザーインターフェイスが3Dに強化されている程度だから、インターネットの爆発的な普及と「ムーアの法則」(コンピュータの価格性能比は二年ごとに倍増する)からすれば、二、三年後には現実のものになっていてもおかしくない(たとえば現在でも、パイオニアから今年発売された標準価格88000円のヘッドマウント式ディスプレイ「グラストロン」をノートPCに接続してシースルー・モードで使用すれば、リスキーご自慢のサイバースペースデッキの「スタングラス・モード」に近い機能が簡単に実現できる)。WWWページの3D化も急速に進展しているから、「三越インターネットモールをぶらぶら歩いて買い物」の日も遠くない(ちなみに本書に登場するノードスロトムは実在の高級百貨店チェーンです)。
 また、本書で使われている「ハッカー」「ハッキング」という言葉の意味は、日本(に限った話ではない)で一般に了解されている意味とは若干のずれがある。ここでいうハッカーは、「プログラミングの達人」というニュアンスで、ネガティブなイメージはまったくない。「よそのコンピュータに無断で侵入して悪事を働く人」を「ハッカー」、その行為を「ハッキング」と呼ぶのは明らかな誤用で、それぞれ「クラッカー(cracker)」「クラッキング(cracking)」が正しい(米国では、cyberpunkという言葉が、crackerの意味で使われることもある)。
 その他、ハッカー用語に関しては最小限の訳注をつけたが、くわしくは、本書の翻訳にさいしてもたいへんお世話になったEric S. Raymond編『ハッカーズ大辞典』(福崎俊博訳/アスキー出版局)などを参照されたい。
 なお、コンピュータ関連の記述については、某大手企業社員プログラマの松永肇一氏、グラフィック系ハッカーのtokoyaさんこと高橋克敏氏にチェックしていただいた。記して感謝する。
また、人生の一大事業と平行しつつ本書の編集業務に邁進された早川書房編集二課の河野佐知嬢には、末筆ながら最大級の感謝を。遅れてごめんね。ご結婚おめでとう。

1996年8月 ohmori@st.rim.or.jp(http://www.sdw.com/m/ltokyo/ohmori/)   



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