■大森なんでも伝言板'99 投稿するHOMEに戻る

1300//三枝さんへ (1999/04/07 23:02:36)
MAIL::
下でもあるとおり、私の関心は徹頭徹尾メタなレベルにあるので、それで皆様に関心のない議論をしてしまったかもしれません。
#1294
梅原氏の構想や、本が売れる事、業界での交渉などについては、一読者が賛成したり反対したりするものではありません。私だけでなく、そんなことに反対する人もいないでしょうし、それは前にもいろいろなところで同意されていたと思います。

本が売れるのがすべてというのだって、すでに今ある事実なわけだし。

彼が批判した対象のこともどうでもいいのですね。すでに述べたように私がそれで困る可能性はないのだから。

単に私は、思想的(笑)に反対の立場であるというだけで、成功失敗には全然関係ないレベルのことです。というより、実現したらますます嫌うだろうな、と。

で、私にはスタイルこそがすべて、何をするかは関心がないわけですが、梅原氏のスタイルが無意識に前提としているいくつかの概念がいやだ、というだけのことです。排除を可能にしているいくつかの、前提、というますか。きわめて個人的に、SF外の親オタクぐらいのところから。
そこを追求してもいいのですが、いなばさんもまた参加されるでしょうし、あちこち私ばかりが話を広げてはもうしわけないので、ちょっとお休みさせていただき、どんな芽がでてくるか、一日後ぐらいに覗かせていただきます。その時必要なことはレスさせていただきます。

あああ、疲れた。これが趣味系の掲示板初参戦なんて、身の程しらずでしたね。

1299//れす いなばさま (1999/04/07 22:39:55)
MAIL::
いなばさん以外の方には、ジャーゴン頻発になるかと思われたらお詫びいたします。とくに家主さまには申し訳ない。他人を排除するつもりはないし、そんな能力もないのですが、なりゆきということでお許しください。

>>いなばさん

お返事恐縮です。建設的に議論できるかわからないですが、胸をお借りいたします。

いなばさんと私の、理論的スタンスは、私の未熟さを除けば、かなり似てるのではないか、と推測します。

あと、文章についてもまことにおっしゃるとおりです。(1)とにかく文章がへた(2)英文ウィンドウズ上で、IEのグローバルIMEというので書いてて、これがめちゃめちゃ不安定。別の日本語ワープロソフトからコピーができない。だから、日本語ウィンドウズという思想を深く憎んでいる(笑)などの事情があります。

まず質問から片づけます。
(1)
>>
>いなばさんもおっしゃってるとおり、ほんとに人権とかの外部の基準がって、ここで反映されるべきかは、括弧
>いりでしょう。

で、「いなばさんもおっしゃってるとおり」はどこにかかるのでしょうか? >>

あ、すみませんでした。うかつでした。

つまりいなばさんは、一応あくまで”自分”の提示する論として(1)人権という外部のルールの根拠を論証し、(2)それをこの掲示板に当てはめるべきだから、三枝氏の人権感覚を批判するという労をとられた。しかしそれについては、異議を受け付けるというスタンス>>括弧いりという私の言葉>をわざわざ明快にされた、と思ったので、そこを理解していることを示したつもりです。この理解がまちがっていなければいい、と思います。

つまり「人権」ということは一般に絶対化されやすいということは、いなば氏も繰り返していると思います。たとえば私も、

#1193から、とくにオーストラリアのことをいわれたり、
#1274で>>それから、三枝さんは(略)世間的にかなり一般的な常識、少なくともよくいうpolitical correctnessとして広く流通している程度のものなんですよ。(後略)>>いなば氏
を読んだとき、時として、
「あれあれ、世界(オーストラリア)ではこれが常識だ、とか、人権という錦の御旗をふってるのか?らしくないなあ。おかしいなあ」と疑問に思い、しかし
#1267で全部経過を整理されてたことも含め、、丁寧にレベルを明らかにされ、その上で人権によってたつということそれ自体を、論議の対象にすることも可能だ。
たとえば
>>蛇足ながら、先の「現代社会の基本的なルール」への疑念はそれとしてもちろんありうる。しかし「それはきれいごとで現実とは違う」と指摘するだけでは(以下略)

のように人権思想という「比喩・指標」も相対的な対象だと、確認されたと、納得したわけで、その再確認です。

量がとにかく多いので、適切な引用をしてないかもしれませんが、このへん、それほど意見が別れるとは思われません。

その上で、私が、人権思想にだって、堂々と異議なんか唱えますし、そんなの珍しくもなんともない。人権を持ち出すならその使い方は、このばあいどういう効果を「他人に対して」狙ってるんだろう?大きな道具をつかえば、厳しく他人を区分けできる。だったら、どこまでを切り取ろうとしているんだろう?と尋ねていく、自分の立場の前提をここでつけた、ということです。

(2)

>>#1174>>日本人は「外部から見ると一つである」って、どういうことでしょ? 日本語話して、日本風の生活様式してるから? 違いますね。在日外国人の人たちはどうなるんでしょうか? それとも何ですか、「血」ですか? 日本人特有の遺伝子でもあるんですか? ばかばかしい。さがしゃあるかもしれませんがね、それを見つけたところで何か意味ありますか? 結局日本人の同一性を保証するものって、日本国籍以外にないでしょう? で
>>いなば

のあたりが対象です。

なぜ反発するかは、あくまで自分の事情によります。
たとえば私が近いうち難民援助の現場に行ったとします。具体的な可能性としてあり得ます。日本がらみは予算を持ってると思う外国人が多いから、私が「日本人にとって、帰属の絶対的な指標は国籍であり、異なる状況を理解させるのは難しい」という考え方を振りまくことも可能でしょう。事実そうなんだし。結果として、それに準ずるプロポーザルが出てくる。どんな馬鹿なこともありえるから。実際「書類をもってる人」を優先するようなプロジェクトを高く評価することもありうる。そういうのがぱっと頭に浮かぶだけです。むろん妄想的展開です。でも、そういう結果もありうるということです。

「**人、とは国家システムが与えた国籍を持っている人だ」というのは、世界の多くの場所でつよく機能している考え方です。statismとしましょうか。しかしそれは「あたりまえの国家」なるものがある考え方ですよね。このカテゴリー化は、ある局面では、コソボのアルバニア人からパスポートを取り上げてから、国外に追い出すという戦略として具体化することもあるわけです。

当然、リベラルな人権主義(人権の守り手としての国家を求める)国家中心・国際主義というのも有り得ます。上例のようなのはrougue stateだから、まともな国家じゃないとする考え。それは一つの選択です。

でも、「自分は特定のカテゴリーを特権化しない」という前提を含んだ主張(この時点において、そう読めたのですが違うでしょうか)の、「例」として上記#1174発言をされると、結局どこかのレベルで特権化してるんじゃないの?とつっこみたくなってしまう。

しかしすでに申し上げたとおり、そこを追求したりはしません。「いま」「ここ」のことではないというルールが成立してると考えるから、です。

私は、三枝さんの、日本人ステレオタイプの流通に自分から好き好んで反発する人、を呼び起こす形容については、ぜんぜんかまわないと思っています。むしろ秀逸な罠(私の主観)と思うくらいで。そのへん皆様の多くの人とは、意見が一致しないのはしかたないと思ってます。

(3)
>>だが、そういう奴に対して気にくわないと反発して責めることは当然許されると思います。これは権利問題でしょう。それに、そういう「カタハメ」を行わない、必ずしも好意的にではなくても、あくまでも具体的に状況と個人を見据えてくる他人もいるはずで、そういう他人とだけつきあいたい、という希望もそれとして許されると思います。 >>いなば氏

この点については、海法氏がすでにレスして下さったことと一致していると思われます。おっしゃる通りと思います。だから私からの「そんなこといっても、ほんとにほんとの意地悪な他人といやでもつきあっていかなければならなかったらどうするのよ?」というつっこみは、余計なお世話です。それがこの場だけのことだとか、三枝氏なり私なりがどういう種類の他人か確定してかたがつくなら、それはめでたいことだと思います。私も、いなば氏のいう意味での、個人主義者ですから。

全部一致することをいうために、あれだけ書き込んだかと言われると、なんか馬鹿みたいですけれど。

>>最近は「戦略的本質主義」という言葉をことにPCな人たちはよく使うと思うんですが(中略)「本当はそうじゃないとわかってるんだけど、とりあえず」ってことでしょう? 私はそこんところが気にくわないので「個人主義」の方にコミットしているんだけど(略)>>いなばさん

これも一致だなあ。

ただ、これは疑問なんですが、

「戦略的本質主義」それはよくわかります。私は当然、恣意的に個人主義を選んでいるものです。でも私は不勉強なんで、「戦略・・・」という使い方を日本の雑誌でしか読んでません。そのせいか、かなり日本的な言い訳に感じる。嘘臭さが気になるというのもそういうことなんだと思います。
実際に先住民運動の関係者とか、第三世界のナショナリスティックな人権運動家や、そのポストコロニアルな擁護者に会ったとき、個人主義者としてのこちらが好意的に、そのナショナリズムって戦略的なんだよね?と追求していくと(これでずいぶんもめたんです)、相手は怒るということがありますね。はいそうです、戦略ですという人はいない。明快に引用することはできませんが、私にはややこしいポストコロニアル思想も、そう言わないために工夫してる、という印象があるのです。で、あっというまにこちらも、どこかに帰属させられてしまう。

>>戦略的個人主義」をやると共同体主義的確信犯的SFファンを敵に回す危険もあるのかもしれないが>>

SFファンなんか(ごめんなさい)敵にまわしても命にかかわらないですけど、でも、ほんとに世界で君のは「戦略本質主義」だよね、って近づいて、もめることだってあるだろうから、PC的ルールだって支持するにはそれなりの覚悟がいるんじゃないかな。それを前提としてない場所で、例としてあげていいのだろうか?なんてことです。

自分の集団が傷つけられた、ということが核になっているような人に、メタな理論を言うと、怒り出すということがあるものね。

民族闘争なんて、主体から他人の側に押し出されちゃった相手に対して、「公平な人である」理由もなくなっちゃう陣取りゲームですし。

SFファンを差別しても人権侵害じゃないと解っていても、三枝さんの資質を批判することは意味がある、という展開かもしれません。(是非は判断できません)しかしSFファンをめぐる交渉で、人権にまでさかのぼるような大きな言説・メタ言説を差し出してして、自分・他人の区別をする努力をしてしまう、それはなんだ?その戦略性は?というところからの好奇心です。

そもそも最初に、梅原氏の議論の仕方を見て、どうしてあの程度の事を論じるのにああもパラノ的(死語?)に「大きな物語」(死後硬直?)を使いまくって、オタク・左翼批判や、「日本」という指標の乱暴な使い方とか、無理な構築をしなくちゃならないんだ、と思いフォローしてきたから。反論するほうも似たところにはまったのでは・・・という純然たるおせっかい、です。

梅原氏の固有の資質なのかもしれないですが、ああいう形で積極的「市場」を構想されるのがいや。で、あの才能が、ああいうバイアスのかかりかたをして、日本という身近な環境から立ち上がる「科学的」想像力を追求するというのも、なんだか悲劇だなあ、と思うだけです。

1298//訂正しようとして(1296訂正) (1999/04/07 19:54:14)
MAIL::三枝
》差別じゃないのかもしれないが、ファシズムというものではありませんが。


「差別じゃないのかもしれないが、ファシズムというものではありませんか。」
が、正解でした。
んで、訂正しようとして送信ミスをやったのが1297です。
ごめんなさい。



1297//あ、ごめん() (1999/04/07 19:52:25)
MAIL::三枝
差別じゃないのかもしれないが、ファシズムというものではありませんが。

1296//これは言っておかなくては (1999/04/07 19:44:02)
MAIL::三枝
「性同一性認識障害者」は、「自分が自分を見ているのと同じように、他人も自分を見てくれるべきた」と言っているわけでして。それはやっぱりまずいんでないですか? 大森さん。
んで、海法さんやいなばさんたちも、「自分が自分について考えているのと同じように、他人も自分を考えてくれなくちゃだめ」とおっしゃっているわけでして。
他人である相手の感想までコントロールしようとするのは、ちょっと止めて欲しいなあ。それは、やっぱり。
差別じゃないのかもしれないが、ファシズムというものではありませんが。

1295//しかしながら、私が梅原さんを支持するのは、 (1999/04/07 18:46:59)
MAIL::三枝
確かに私だとて、梅原さんの表現に問題があることは知っているのです。しかし彼の物言いを批判しようとしないのは、彼が私の何百倍もSF関係者とつきあって、話しあって、その結果に言っていることだろうと思うからなのです。充分現場を知っている人に、いったい私がなにか言って、意味などあるでしょうか。
しかしなによりも、それ以上に。
私は、鈴さんがおっしゃっているような「梅原さんを支持する人は少ないだろう」という意見に対しては、まったく逆の考えを持っています。
梅原さんと同意見の人はたくさんいるはずだと思うのです。
梅原さんは要するに、「売れている本を、売れているだけ評価しましょうよ」と、本を評価する役割の人、すなわち文学賞の選考委員の人や、書評家、また、本の評判を左右するような意見を出す可能性のある有名作家や出版社の人に対して、言っているだけなのですから。
「今売れないような本こそ良い本である」的なものの考え方をする人よりも、「売れ線の本が好き」な人の方が、現実社会にはたくさんいるのです。というより、そういった作品を好きな人がたくさんいるような種類の本のことをこそ、売れ線の本と言うのです。
市場は売れ線の本を、売り上げという形で正直に評価しています。なのになぜ、本を評価する側の人達の判断基準がそれとずれているのかと、たぶん梅原さんは歯がゆいのだろうなと、私は思います。
前に青山智樹さんの掲示板にも書いたことがあります。
一所懸命に書いた本が、売れないというだけで評価されなければ、もちろん作家さんは悔しいでしょう。しかし、一所懸命に書いた本が売れたのに評価されなければ、作家さんは悔しいどころではない、そのジャンル、その業界に、絶望すらするでしょう。
そんな状況ではいけないのではないかと、私は思います。

1294//梅原さんの言い方で (1999/04/07 16:24:46)
MAIL::三枝
梅原さんの言い方の問題は、「あれを排除する、それはだめ、あれはいけない」という、だめな作品を弾く方角の発言が頻出することですね。それが一部の人に、ヒステリカルな反応を引き起こした。
私も、商売としての「メタフィクション」なんて、どうにもならんだろうにと思うのですが、だからってだめなものを数え上げるよりも、シンプルに、「もっと売れ線の本を評価しようよお」と言えば、それで十分通じたんじゃないの?と、思う部分もあります。
(個人的には、売れていても「グィン・サーガ」は、もうダメでしょうとか思っちゃうのですが。しかし、自分の好みと作品の良し悪しとをごっちゃにするのは、感心しない行動だと、思っちゃうんですね、私は。)

1293//溝口さん、ありがとお☆ (1999/04/07 16:17:42)
MAIL::三枝
東京創元社がアドレス移したのか、あちこちリンク切れで出会えませんが、別のページで、出版予定の確認ができました。
もちろん買いましょう。人にもらうのは、手に入らない本か、買おうか買うまいが迷った本。欲しい本で、新刊があるのなら、買うのが筋というものでしょうとも。
うれしい。

1292//レス (1999/04/07 14:31:04)
MAIL::
>>海法さん
はい、納得しました。対話についてのローカルな問題、ということと基本的には認識しています。
ただ、特殊SF周辺的状況から、たぶんこんなことはしょちゅうだろうな、と自分に引き換えて思ったので、よけいな口出しをついしてしまった、という事です。(それにしちゃ長いけど)偏見についての議論、いちいち引用しませんが、その辺のところで私はだいたい承知してます。でも、商業的にはもっと、ひどい他人にもどんどんぶつかることもあると思いますし、誤解するひとは次々に出てくると思うので、この辺の誤解は可能だとという例ぐらいにとってください。それを踏まえて、したたかに頑張ってください。(本気ですよ)

>>三枝さん

どうも勝手に口出しして、脚を引っ張る味方(部分的)なんてスタンスをとって、かえって申し訳なかったです。

現代思想(?)ジャーゴンの乱打についてはおっしゃる通りです。

勝手に私の方で敷延すれば、これでひいちゃうひとはいますよね。いつもこういうことやってるわけではありません。今回は、いなばさんと海法さんを両方意識していたので、こういうことになりました。責任をかぶせるわけではないですけれど。

頭ははっきり悪いので、こういうまどろっこしい文章になります。ホント。あと、「仮想敵」を想定していろいろ位置づけるという、予防線をひく文章になってきたのは、つまり年寄りなんです。

胸をはっていえますが、「こういうポスト構造主義を通過した」言い方を相手を見ないですると、一般社会でも(米国でも)どこでも、はっきり嫌われ者になります。で、同じ言葉をしゃべる人とよりあつまるようになります。でも「科学の人」「実証主義の人」よりずっと少数派で、いやがられます。いいことないです。

こういうことやってて、今度はこういう現代思想系(違うんですけど)が、メタフィクションSFを支持したために(してないけど)、「一般」をしりごませた、なんて梅原氏あたりに言われたら(もう言われてるのか?)ほんとにもうしわけないです。内輪で遊びと思ってても、表に出れば、他人はそう取らないという、よい例をつくってしまいますよね。

ただ、反梅原(三枝さん、にではない)的にいえば、メタフィクションなるものは個人的に、SFとは別の部屋にはいってるので、それでSFをそこなったということは(神林氏だって一つしか読んでないので)ないと思います。ある、ない、という議論は、梅原ページがでてきたら、みんなで騒ぐことになるんでしょうか。むなしいというかおかしいというか。
梅原氏は、メタフィクション作品が嫌いなんじゃなく、こういう言葉に自分がさらされるのがいや、だからああいう反発をした、のも理由の一つ、と個人的には感じていますが(だから、ナショナルなことなんか持ち出したわけですが)、別に梅原氏に限らずそういうことは、日本の知的な状況としてもこれから増えると思います。根性がないよね。

では、ほんとにながながおじゃまいたしました。

1291// (1999/04/07 14:20:09)
MAIL::いなば
鈴さん
ご丁寧に痛み入ります。しかし、失礼なことを申し上げれば、射程が広く面白そうなお話だけに、ところどころそれこそ「てにをは」レベルで(少なくとも私にとっては)意味不明な個所がいくつかあるのが痛しかゆしです。そこのところを推測して補って読むこともできますが、誤読した上で批判することになるのは避けたいので、いくつか質問させていただいてから、レスを返すということでよろしいでしょうか?
一応その前に、「他人」についてだけ、少し思うところを書かせていただきます。他人というのはそういうものだ、というのはおおむねおっしゃるとおりです。ただその「他人」にもまたいろいろいるのだろうな、とも思います。他人の中には、それこそこちらをステレオタイプでくくって型にはめてくるような奴もいる。それは事実問題であって、泣いても騒いでもしょうがない。だが、そういう奴に対して気にくわないと反発して責めることは当然許されると思います。これは権利問題でしょう。それに、そういう「カタハメ」を行わない、必ずしも好意的にではなくても、あくまでも具体的に状況と個人を見据えてくる他人もいるはずで、そういう他人とだけつきあいたい、という希望もそれとして許されると思います。
ただし、そこでそのような「カタハメ」に反発するためには、それこそステレオタイプを逆手に取って、「おお、たしかにあんたのいうとおりの集団かもしれん俺たちは。でもそれのどこがわるい?」と攻める「本質主義」もあれば、「あんたが想定しているのはただの幻想、錯覚だ。俺は俺だ」と拒絶する「個人主義」もある。ただ鈴さんもおそらくご存じの通り、最近は「戦略的本質主義」という言葉をことにPCな人たちはよく使うと思うんですが、それには一理あって、「本質主義」は「原理主義」と紙一重なわけです。だから「戦略的」という形容詞をつけるんだけど、これって結局ぶっちゃけて言えば「本当はそうじゃないとわかってるんだけど、とりあえず」ってことでしょう? 私はそこんところが気にくわないので「個人主義」の方にコミットしているんだけど、これだって一皮むくと別のレベルで、しかし構造的には全く同じような意味で「戦略的」なのかもしれないよな、とは思います。
具体的には、鈴さんの自己紹介を読むと、SFとの関わり方は自分とほとんどかわらないなあ、という気が私はします。で、鈴さんが私同様「SFファン」を名乗らないのは当然だと思います。ただ、これは前にも書きましたけど、鈴さんの言う「他人」の中には、鈴さんや私も「SFファン」にくくる奴も当然いるんだろうな、と思うわけです。そういう決めつけに対抗するためには、とりあえず自分を「SFファン」の外におくだけでなく、「「SFファン」ってくくりは幻想だ!」と言った方がいいかな、と。ただこの「戦略的個人主義」をやると共同体主義的確信犯的SFファンを敵に回す危険もあるのかもしれないが。(だから共同体主義の利害得失を明示しようとする大森さんのスタンスはありがたい。)
「人権」については本意を伺ってから改めて、としますが、私も別に人権至上主義者じゃないですよ。人権という思想・制度が現実の人権(によって守られるべきとされていたもの)を踏みにじることもあるでしょうしね。

で、質問ですが、

>いなばさんもおっしゃってるとおり、ほんとに人権とかの外部の基準がって、ここで反映されるべきかは、括弧
>いりでしょう。

で、「いなばさんもおっしゃってるとおり」はどこにかかるのでしょうか?

それから、

>たとえばイナバさんが、対抗的な比喩として「日本人とは日本国籍
をもつ人」といってメンバーシップを規
>定する国家の権能を特権化しただけで、瞬間的にむかっときます

のはなぜでしょうか? 何についてどのように「むかっときます」か?
職業柄、細かいことが気になりますがお許し下さい。

1290//科学考証好きのファン、その他 (1999/04/07 13:36:48)
MAIL::
(2)一般読者的に、科学考証主義
(3)ナショナルなSF(蛇足なので、ご興味のある方だけどうぞ)

はじめに
次を書いている間にレスがあったので、それを後でアップいたします。

海法さんの視点はよく解りました。理解できます。
下記がしつこかったり、ダブりがあるのは意図したのでなく追いつけないだけですので(書き込みほとんど初めてなんです)お許しを。

もうここまで書いて勢いがついちゃったので、ご迷惑無礼承知ですが、連続書き込みさせていただきます。経験を示したほうが、かえって誠実だろうと思われるので。あと接続が時々きれるので、アップできるときにしてしまいたいので、要領の悪さにはおわびします。

(2)これまでいろいろ言っておいて非常になんですが、結論からいうと、三枝さんの、科学考証好きのSFファンが、非SFファン(単なる本好き・購読層)を引かせたか、という点に関して、
a)人間つきあいとしては、そういうことはけっこうある。よくある。たぶん。b)だが、それが本の売り上げに影響したかは、ニュートラルで、論証も不可能ではないか、というのが、私の個人的感想です。

これは大森先生、溝口さん、などがすでに認められてる”ファン”の側からも共通認識のようなので、新しい知見とは言えないと思いますが。

a)80年代半ば頃、文系学生でしたが、クレメント、ニーブン、ホーガンといったところを含め主要な作家は全部読んでたけれど、自分は科学技術系じゃないので、SFファンに混ざることはない、と思ってました。わりとはっきりと。(中部N市本山。確かに文系が特にせこい学校だったからなあ)世界のなりたちみたいなのが好きなのに、リングワールドが技術的に可能か、とか(面白いですけど)話されても、応答できなかったら困るというか、スタータイド・ライジングSFじゃないよ、とか言われたら、いやとか。でも、それは100パーセント偏見で、こちらのコンプレックス。最初にあうSFファンAが、そういう人だと決まった訳じゃないのに勝手にそう思ってひいちゃうわけですから。今ふてぶてしいおばんになって思い返すと自分がそんなやわな神経で生きてたとは信じられない。
そう、思った根拠はいろんな解説(読者が最初に会う、”評”じゃないでしょうか)、雑誌の立ち読みとか、一般誌でのコメント、サークル活動の伝聞、のどれかでしょうね。他にソースはないから。
ミステリもトリックにこだわるけれど(ミステリも好きです)、そりゃ専門性の程度はもうぜんぜんに比べ物にならないと、思います。
20冊の名作ハードSFのアイデアを、いまそらで思い出して、超文系人間の私は言葉で再現できませんが、20冊のミステリのプロット、トリックはできるから、今、新保先生がお話してくれるよ、って言ったら飛んでいくけれど、誰かが、ハードSFについてお話ししてくれるよって言っても、行かない。元の本が同じぐらい好きでも。という程度のことでしょう。

それに対し、当時のアニパロや、漫画はお付き合い的にはなんでもありでいろんなニッチあって流動的、って印象でしたね。旧い話だなあ。

b)でも、結局欧米翻訳SFに関しては、読めるだけのものは読んできたんだから、SFファンと思おうと思うまいと購読者として関係はなかった、ということですね。

ただ、ジャンル外の読者に、結果として面白い指標を提示してくれ、という三枝氏の意見は、尊重されるべきのように思われます。無論結果に責任をもつのは無理なんだけど、「SFの側に立つ」と仮に言った人が結果なんか知らないよ、っていったら、より遠い人はなおさら結果に責任を持とうなどと思わない、というような理不尽が、あるんでは。

b)補遺 もう単なる、ご参考まで。

80年代後半以降の日本産SF(ヤングアダルト以外)は、大原、野阿氏だけまとめて読んでて、あとは行き当たりばったりなので、論ずる資格がないようです。

ただ、その二作家をそれぞれ女性小説、耽美(古典的な意味)マジックリアリズムと個人的に考えていて、SFと関係ないところからたどりついたので、梅原氏の論難にはある意味で驚きました。
だから、SFプロパーじゃないところに書かれる書評はそれなりに意味があるのではないでしょうか。まあ、小説JUNEのレヴューでファンタジーとヤングアダルト(柔らかいSFも、ですね。E・ハンドとか)を再発見したような偏向した読者なので、参考になるかわからないのですが。

(3)日本の想像力とSF,というか、辺境でSFは可能か、とか。

えっと、いつか一段落したら、「科学」とは日本人に(そう限定はされなかったけれど)とって、最近どうなのか、などという問いにも識見のある方にうかがいたい、です。

アリアドネさんの>>「科学的な」ものの「考え方」に価値を見いだしています。これは科学的正確さとはちょっと違う、

のような発言がいつか展開していってくれたらなあ、と希望するのですが。

個人的に米国で、ある程度SFというジャンル幻想が、相対的に生き延びてるとしたら、意識的で知的な操作やアイデア(言語操作)を挿入して、社会が変わる可能性、がリアルに感じられるからではないかな、と。それこそPCとか、ゲイ・マリッジのこととかね。私はこの社会がヴァーリー的でいいじゃん、と思うのですが、保守にはハインライン(リバイバルだけど)的にそれを防衛しなくちゃならない、という。で、どちらも冗談事ではないし、メタ理論と、本質主義の戦いも顕在化してる、というか。

あ、SFが生きてるかどうかすごく異論はあると思いますが、去年「モダンライブラリの重要な英語小説100冊」選定後の騒ぎ(というのがあったです)をウェブでフォローしていて思いました。

でもそれは合衆国が自前の知的な操作を生産してる「中心」だからできるんじゃないかな、と。

逆に、クライムノベルじゃない、米国で名探偵なぞ解き(パズラーとまではいかないけど)小説という形式が壊滅したのは周知ですが、そういうのアメリカ人が書いてアメリカで十分売れても、英国を舞台にするほうが落ち着く。やっぱ、スコットランドヤードよね、と。
なぜ辺境でミステリなのか、なんてわからないけれどどこかに論考ありそうですね。ソウヤーのスタイルの異様な安定感みたいなのもあって考えたのですけれど。

b)日本に関する限り、一読者としては、基本的に、翻訳SFのしかるべきものが(新作を含め)文庫本価格で多様に提供されていてくれればいい、そうでなければ困ると思っております。日本産SFはあってもなくてもかまいません。
それぞれ好きな作家さんが、「幻想」でもヤングアダルトでも伝奇でも出てきてくれれば。

c)梅原氏書簡とあと「ソリトン」を半分ぐらい読んだ立場で、梅原氏が想定している(と私が推測する)ナショナル・マーケットというのが、私の個人的な好みとして嫌い、というか彼が望むような形で意識されるといやだなあと思ったのが、いろいろディスカッションをフォローしてた理由である、ということも付け加えておきます。これはここから発展させる議論ではない、と思うので単なる感想ですが。
梅原さんに賛成する方は少ないと思うので、問題はないと思うのですけれど。(そして三枝さんの修正意見は、現実を肯定していてるという意味で私には恐いのですが、これは無論こちらの問題です)

d)ただ、日本でSFが可能か、とか伝奇に回収されていいのか、なんて30年前に論じられてるんだろうと思うのですよね。直接知らないけれど、小松SFはまさしくそういう視点をカバーしてるし、論理的に当然出てくる筈だから。それを思えば、単にファンには周知の話題を蒸し返してしまったのかも。



長々おじゃまして失礼いたしまいた。
皆様のサイト、ご著作など楽しみに拝見しております。
では

1289//認識責任は、ないと思う (1999/04/07 12:27:43)
MAIL::海法 紀光
>意味があるのはSFファンが、そして本が売れたという事実が起こす効果であり、
>働きであり指標であって、意図や本の価値という実体の問題ではない、という態度で
>あると、ずっと読んでいましたし。

それは非常に理解しやすい立場で、その時々で、「SFファン」というのが何を指しているのかをはっきりさせてくれれば私は構わないわけです。そして、ある意味でのSFファン…SFファンと自称する人とか、SF大会の参加者及びその人脈で規定される集団とかに対し、あるいはもっと他の基準に照らして、鈴さんが外部だと認識されるのはこれまた当然だし、全く何の問題もないと思います。

>他人の側が一般的に集団の内実を認識し論証する責任を負うでしょうか?

一般的にはないです。SFを読まない人がSFファン(いかなる意味であれ)の内実について知らないのは当然だし、別に知る必要もないでしょう。知らないものに対して抱いているイメージは偏見と呼ばれますが、別に偏見を持っていたっていい。で、その偏見が人を傷つけた場合は? という話がありますが、今回はそれ以前かと。

SFファンの実体と本の売れ方の因果関係について論証しようという場合、それに関する事実を知らないと、単に意味のある結論が導き出せないでしょう。SFファンという曖昧な集団に対して「事実」と言えるほどのことは存在しないかもしれませんが、少なくとも定義を明確にし、事実を調べようとしなければ議論はできないでしょう。
だから、自分から論議をする場合は知ろうとする努力がほしいです。これはあらゆる論議において当然のことかと。
俺はこのことは、SFファン/非SFファンだとかなんとかに関わらず、一般的な指向だと認識していますが、いかがでしょう?

>三枝さんなり私なりが、正確な内実を認識する義務がある、というのはより外部の
>基準(人権、とか礼儀、とか)を引き込まなければ論証できないのではないで
>しょうか。

繰り返しますが、内実を認識する義務はありません。…が、偏見を元に議論を積み重ねる場合、それが偏見である、という指摘は可能ですし、します。議論の元になる事実を持っていない場合や、元になる概念を分析しようとする指向を無視する場合には指摘します。
ですから流通している偏見を正すってな目的はありません(そりゃ俺寄りに「正されて」ほしくないとは思いませんが)。

今回、私が反発をしたのは、議論に必要な定義を曖昧にし、議論に必要な事実を持っていないことを認めた上で、同じ主張を繰り返すという姿勢についてです。

あと俺が
>同時に、そういうSF小説「しか」存在しなくなるのも困りますが。

…と書いたのは、三枝さんから「SFファンはSFが閉鎖的なもので
いいと思っているのか?」と言われたので、そうじゃないと応えたまでです。
俺にはそういう利害があるというだけで、「だから俺達は/おまえ達はこうするべきだ」という主張には至ってません。

1288//6月まで待たれたら? (1999/04/07 12:17:29)
http://www.tsogen.co.jp MAIL::T.Mizoguchi
本筋とはずれてすみません、溝口@書物の帝国です。

#1285の三枝さん>
今年合本で復刊しますよ。東京創元社のページはチェックされました?
6月まで待てば手に入りますよ。値段は合本だから高いみたいですけ
れど、けちけちしないで購入するのが吉です。(ぼくも買いますけど)
ちなみに去年の神保町のワゴンセールにありましたよ。
ぼくも入手には苦労したんで、頑張ってください。っていうか、
三枝さんのファン(笑)なら提供するかも。

1287//(自然)科学をやる人は頭が良い (1999/04/07 12:17:04)
MAIL::三枝
鈴さんの文章を下まで読んだあげく、これに反応するってのは、なんなんですが。
理系、文系と人を分けるのが妥当かどうかはともかく、いわゆる理系の私は、文系の連中は頭が良いよなと、文系の学者が話しているのを聞くつど思ってしまいます。論旨がしっかりしていて、議論が巧い。ついでに、難しい言葉を知っている!
これとは逆に、文系の連中がこちらのことを頭がよいと思う誤解も、常に発生しているのだと思います。
日本ではどうやら理系と文系の数では、文系の方が多いようでして。結果、理系の方が頭が良いと思い込んでいる人間の方が、文系の方が頭が良いと思い込んでいる人間より多くなる、ってだけのことでしょう。
あと、知的コンプレックスは世代や環境にもよるようでして。知性とは哲学者の名前をずらずら並べられることだと思っているおじさん、純文学のタイトルを並べることだと思っているおにいさん、英語をやたらつかうことだと思っているぼうやなどなど、とりどりです。
私はだから、「科学的に正しいことを、高く評価する」などというのは、そういった知的コンプレックスの所産にすぎないと考えているのです。

1286//自称SFファンが、どれくらい他人と共闘したいのか (1999/04/07 11:36:08)
MAIL::
わりきってるのか、他人から見てよくわからないというところはあるのではないでしょうか?

特にウェブ的な状況があるので、冷たい他人は追ってもでてくると思うので・・・

はじめまして、
実は三枝さんと似たような感覚を一般的にも、SFにも持ってたものなので、ご迷惑は承知で書き込みます。
オリュンポスの饗宴に、人の子がとびいるようで恐縮ですが、おじゃまさせてください。超ノーボディなんですけれど。

ーー-ああ、一生懸命書いても書いても書いてもどんどん先に話が進んでいく・・・遅れているところはお許し下さい。#1260以降、追いきれなくて合意をくりかえしちゃったところもあるけれど、ひどいフォントで半日つぶしてるのでそれに免じてお許しを。

(1)SFファンと他人(他者、非SF者、大文字の一般)
御怒りを買いそうですが、三枝さんと同じ程度に、SFファンと自らを呼ぶ人がいる、と長い間認識していて、自分をそれに対しては他者、と規定してきた人間です。

三枝氏と、むろん梅原氏に、最終結論としてはそれぞれ異なる理由で反対ですが、三枝氏の、SFファンという集合アイデンティティを扱うやりかたは、青山掲示板からずっと一貫して、それなりに公平だったと私は思っていました。私でもそうする、というぐらい。意味があるのはSFファンが、そして本が売れたという事実が起こす効果であり、働きであり指標であって、意図や本の価値という実体の問題ではない、という態度であると、ずっと読んでいましたし。

またまた整理ですが、
原則として、ある個人に、”あなたがSFファンであるゆえにこういう資質をもってる筈だ”と告げて、それが当人の自己申告と違っていたら、言ったほうに責任が生じるでしょう。個人的局地的に。一般に「SFファンは」と言ったとき、その内実の正確さには、だれも完全な責任をとれるわけではありませんよね。これも合意が成立してるようなので、各発言はあげません。個人主義、というところで。

一般的に、個人の資質判定のレベルで誠実であって、あとは自分が迷惑を受ける偏見と戦うぐらいが普通だと思います。共闘できるかは状況しだい、でしょう。だから、三枝、海法、いなば氏の間で、ローカルルールが成立して、それが問題ならそれは私には関知し得ないことですが。ただ、常に他人はいる、と思います。

>>堺様、1225、海法様、1226以降、あと前のも、>>

その他で、さんざん指摘されてるように。

自分から、個人の資質以上の、ジャンルとしてのSFファンとしてと名乗る人ヽがいるなら(いると言っていいでしょう?共同体を戦略的に持つ事のメリットも含め)、他人の側が一般的に集団の内実を認識し論証する責任を負うでしょうか?

だいたい、他人というのはそもそもそういう共同主観性(?自信ないけど)に対して誤解なり偏見なりを持っており、しかもそれを正すためのより大きい基準を共有してない存在のことではないでしょうか?
種としての「SFファンは」と外から(必然的に偏見を含めて)言う他人を居るものとするか、そんなものはいないものとするかは自分で決めることでしょうが、ウェブという状況ではまたそれがいちいち要求されて目立つ。

で、そんな共同体はない、からお互いのすることに責任などもてない、というのが本当でしょう。SFファンの人が、外の目という鏡を想像して「自分」を作ったとしても、その「他人」は三枝さんではあり得ないわけなんだし。

この辺べつに認識はかけ離れてないのですが、結局その認識から、
三枝さんなり私なりが、正確な内実を認識する義務がある、というのはより外部の基準(人権、とか礼儀、とか)を引き込まなければ論証できないのではないでしょうか。

人権思想について、>>稲葉さん各発言
いなばさんもおっしゃってるとおり、ほんとに人権とかの外部の基準がって、ここで反映されるべきかは、括弧いりでしょう。
そりゃ、「世界」というなら、公共で言っていいことといけないことはある、「**人は怠け者だ」とかーー考えたほうが、安全、というくらいでしょう。(これいなばさんへ、後述。簡単にいえば私は一貫した人権擁護主義者ではありません)

一般とか、他人、のスタンスでものを言うのは卑怯だ、という考え方はあるでしょう。

この場合、わざわざやってきて「他人としての発言」をするほうが迷惑なんで、そんな他者はいらない、という考え方は当然あり得ます。正当です。冷酷なようですが、他人というのは戦う少数民族のところに自分の都合で勝手に寄ってくる、人権擁護主義者や理論家のようなもので、妥協点をみつけて利用するか、固有の記憶を共有してないやつに勝手なことを言われてたまるか、と蹴り出すかどちらかではないでしょうか。

そう、言ってるのかな?>>野尻さん、菊池さん。それなら口をだしたほうが、悪い、のでしょうが。

でも他人はいやでもつぎからつぎへ出てくると思う。(で、そっからなんとか金を落としてってくれよ、と思う人も)
私が、三枝さんに共感することで、”他人の側”を実体化していることはありうる。でも、この状況はSFにかぎらず、かなり普遍性があると思います。これはすでに大森先生が指摘されたとおり、すべての幻想の共同体とかかわる人間に働いている問題でしょう。(#1278)でてくるなといっても無理で、それをどうあつかうかは括弧入りの「共同体」の問題です。

>>同時に、そういうSF小説「しか」存在しなくなるのも困りますが。>海法氏

のように、自分たちの主体的な利益を主張するばあい、それでいいのか、それとも戦術的に(これ嫌いな人はいると思いますけど)、うろうろ鼻をつっこむ他人と交渉、共闘しようと思うのか。それをどこで選別するのか。他人とは、あなたが困るといっても、私は困らない、という人のことでしょう。で、他人にあんたの金は欲しいけど、お友達にはなりたくない。商品あるよ、面白いよ、これでなんぼ?って交渉するような状況。

>>偏見は増殖する・・・その前後の発言。海法様、いなば様。

流通している偏見を正す、とか一般的責任を想定するのは、かなりあきらかな(敵対すべき)マスター・ディスコースが成立していて、他人を他人でなくせる戦略がある時、有効なのではないでしょうか。でも、SFの場合、明らかな敵は居ないから。
それを探したら、梅原氏になっちゃうわけで。

科学にこだわるSF批評がある(あって当然だし、自由な感想を持つ権利はあるし、内部で多様である権利も当然ある)ーーーそれが外部で偏見として流通する(そりゃ偏見でしょう)、という構造が、成立してるよ、と”他人”のポジションから言われりゃそれは不愉快で言いがかりでしょう。でもそれを規制するメタルールは有り得ない、と思います。

仮定として、誰かが「科学考証云々(メタ言語SF)のファンに悪印象を持った」と、他人が「偏見」(区別はつかないとします)を持った、とき、それを一般化させない、という戦略は今の段階で有効なんでしょうか?それとも偏見を結果として受入れ、騙しかえす(というのも変ですが、実体がないんだから)というという方向でしょうか?いや、個人のチョイスって解ってるんだけど、やっぱり「内」としてやってる会議がコンスタントに外に見えちゃうので、つっこみたくなるんでしょうね。

このへんしつこくいうのは、梅原書簡での、ありえる筈のない十全なアイデンティティへの執着が、実にまったく理解できないので、読んでてものすごく不思議に思ったせいもあります。三枝さんの修正意見のほうが、マーケットに関してどちらかというと反実体主義で、それに抗議すると、(メタ的には)梅原氏に似てきちゃうというループにはまるという、ことがないでしょうか。

本当に老婆心ですが、私は
(1)SFMをほとんど読んだことはないし、ファンダムにもSFファンにも直接付き合いはない。自分をSFファンだとは思わなかった。(理由は後述)
(2)マニアックな本好きで、翻訳SFのかなりを読んでおり、20年それなりにフォローしている。日本SFは、小松、光瀬、山田、半村の80年代前半までといくつかの例外。
ところで、今、ウィリスのTo say nothing of・・・を読みはじめたとこ。爆笑ですよ。長いとかいわず大森先生が訳されるべきだとおもうなあ。

(3)半年前に、ウェブの日本語SF系サイトを巡回しはじめ、なんだ結構自分と近い人たちじゃん、と「SFファン」を人として認識しはじめた
(4)品切れ問題などのことに認識を新にし、それではすごくすごく困ると思いはじめた。でもこちらや、あちこちの論争を読むと、過剰にアイデンティティを引き受けるのはやばいのではないか、とも思う。
という程度の人間です。

で、ウェブのせいで、そういう他人はまた増えると思われます。ご迷惑でも。

で、三枝さん的なつっこみに、あまり反発が大きかったり挙証責任を要求されると、正直戸惑うわけです。
ただ、三枝さんは物好き(失礼!)でこういうのをゲームにできると思われますが、もっと遠い他人の場合、SFファンの内実を正確に見分けることを要求されるのなら、関わらないでおこう、と思う場合は当然ありますよね。それでいいのかもしれませんけれど。

ああああ、しかしこれがこれまでとてもとても楽しく読んできたSF系サイトの元締めへの初書き込みとは・・・(泣)なんか、皆様に喧嘩売ったことになるんでしょうかねえ。人生こんなもの?ご不快があったらお許しを


蛇足ですが、関心のある方にだけ>>いなば様、と細田様

>いなば様、ログは拾いませんが全部読んでおります。

いなば様の、洗練された知見にはいたみいります。しろうとで生分かりですが面白いです。

たまたま今、ハワイに居るんですけど、たとえば、アジア移民と先住民は、結構な活動家タイプでも、互いの間で、理論を互いに突き詰めようとしない、メタレベルでの一貫性を求めない、というようなところがあると思います(あくまで個人の観察ですよ)たとえ矛盾があきらか、でもです。白人の言説を批判するのは、言い放題ですけど。で、私がローカルな歴史性と、普遍的主張の線をあんたたちが一貫させてくれよ、と言えばきついことになる。(できないことこそ辺境性でしょう)でも、彼らがいやでも、私の冷たい視線はもうそこにあるわけで、私が彼らになることはできないし、それを求められているわけではない。いちいちこっちが踏み絵を踏まされるなら、ぎりぎりまで近づかない。でもそうすると、最後に関わるときにはだいたい抜き難い対決になるんじゃないか、ということ。

間接情報ですが、黒人が本土からハワイにくると各民族間のエスニックステレオタイプやジョークが多いので驚くそうなのです。で、反応すると、お互いさまだ、ということになる。(いろいろもめてかわりつつあります。政治的に正しく)ここではマイノリティ同士が融和しているという言説が、一番抑圧的だったりして。

私が比喩として発話した瞬間私だって言説を維持する当事者だ、という考え方、わかります。でも、そこまで責任を取れないというのが本意で、シニカルな他者を気取る時確かに私は人権尊重論者ではありません。(三枝さんは知りませんよ、無論)人権のレベルで一貫性を求めるのと、自分の行動を一貫させることはできませんので。
私はこのことじゃ、けっこう人の感情も傷つけてるんで、別に人権軽視でも全然構わないし、それは、私からすると別になんの批判にならないのですね。つきつめればinsensitive to their pains・・・という態度問題になるのでしょう。けれど、そこから先の展開がないなら、なにかをわざわざ主張したり、「われわれは」なんて、いわなくていいのに、と思ってるのです。
日本人についてもそう思ってます。日本人というブランドを守るという罠にはめられるくらいなら、偏見の流通など意図的にほっておきます。(暗黙の)同意をもとめられたときだけ、それはあなたの考え方ですね、と自分一人を守ればそれでいい。私的には。

流通してる言説に、どれだけ責任をとらなけりゃならないか、ということなんですけれど、

たとえば、これは絶対にためにする非難ではないのですが、私は難民問題にちょっとしたかかわりがあり、キャンプでけっこう長く働いたことも有るので、たとえばイナバさんが、対抗的な比喩として「日本人とは日本国籍をもつ人」と(もうログが消えてる!なんというスピード。違ったらごめんなさい)いってメンバーシップを規定する国家の権能を特権化しただけで、瞬間的にむかっときますが、別に責任を問おうとは思いません。とりようがないし、そういう場ではないというのが先にあるからです。人権なんてその程度の限定的なものだ、と私は思ってます。人権って言ったとたん、強い国家のシステムを呼ぶような状況だってあるわけだし。もし私が人権を尊重するなら、それは自分の都合で、それがルールだから従うわけではありません。説得は相手を見てします。

>>細田さん。

こんな下まで読んでらっしゃるか、どうかわかりませんが、

私は結構クールなことを言いましたが、たとえば、栗本・榊原系のjune(やおい、なんでもいいけど)の草創期の歴史的記憶(笑)をそれなりに共有してる人として、最近のボーイズラブとかに、たとえば活字SFのファンが、ヤングアダルトやアニメなどに抱くのとちょっと似た気持ちも持っているかもしれません。オタク的蕩尽と、冥い欠落感なしに、本来不可能で無理なジャンルの志向性を維持して、中堅作者の物語性を追求する緊張感を維持できるかい!!なんてね。
でも、それは所詮内輪の話でしょう。で、そんなことを新しい人に、言っても意味がない。会うときはみんな他人なんだから。

SFが実体じゃない程度には、やおいだって実体じゃないので、所詮はネガティブなアイデンティティなんだし(それを購買層が自分である程度知ってるという意味で)、そこに居る・読む人が守りにはいれば、滅びるときには滅びるし求めるものがあれば残る。それでいいはずです。やおい的なものは、どこにだってあるわけで、その遊びかたがいきのびれば御の字で。だいたいジャンルの再生産を意識するなんて、やおいというか、オタク(と私が感じるもの)的なものの正反対のような。

評論の遊びとしては、そりゃ女性のコントロールするセクシュアリティを憎む社会とか、いくらだってやおいから見た敵とするマスター・ディスコースの批判は可能ですけれど、それは批評家の遊びとしてとっておけばいいので(私も批評家体質ですが)、一般には関係ないし。

それを押し付けたら、自分はフェミニストじゃない、という女性を、あなたは(女性差別を感じるかぎり、とかなんとか)フェミニストなのよ、と説得しようとするフェミニストのような引き合わない立場に立っちゃう。

思うに、SFは近代主義にあげ底された科学的思考(で科学やる人は頭がいい、とか>大森先生)を上げ底として持ってるので、理不尽な反動をくらうって、こともあるかも知れませんね。凡庸な感想ですみませんが。
あ、マスターディスコースが想定できないから、いま、すくなくともハードSFには外部の評論家にとっての利用価値が大きくないのかもしれませんね。「フェミニズム」SFにはあるけど、はっきり営業妨害でしょうねえ。(ウィリスなんか損害賠償要求すべき?)SFが批判対象にできるのは、トンデモくらいか。

1285//「火星のプリンセス」欲しい…… (1999/04/07 11:10:51)
MAIL::三枝貴代
なんでこんなことを書いているかと言うと、前に手塚のネオ・ファウストが欲しいと書いたら、くれた人がいたからです。

1284//差別なあ (1999/04/07 09:55:03)
MAIL::三枝
いなばさん、

差別というものがどういったものかという考えは、数々の異論があるわけです。
一つの説のみを、「自分のオリジナルの説ではないから」ということで、これが一番正しいと、他者に押しつける、その態度が私にはわかりません。
私は、「ノッポにもチビにも同じサイズのベッド」ではなく、「ノッポには長いベッド、チビには短いベッド」(笑・これ、ある程度以上の年齢の女性は皆知っているたとえだとうなあ)が差別でないと考えています。

1283//大森さん、 (1999/04/07 09:50:04)
MAIL::三枝
》まあ、三枝さんにも、「SFファンはいろいろいる」という単純な事実はわかっていただけたことでしょうが。

いや、そういうのは、普通、会話をする前に、誰でもわかっているでしょう。
やるまえにわかっていない人間がいると思いこんで、いきなり反発して来るいなばさんや海法さんが変なわけでして。

》SFファンに固有の現象というより、三枝さんの議論スタイルに起因する現象でしょう。

いや(笑)、こっちの論法を真に受けないで下さい。「偏見がある」という思い込みを海法さんが押しつけて来るから、「偏見が本当にあるのなら、こういう返事が返ってくるんだよ」ってのを、実演してみせたんですが。
私の観測問題ではありませんよ。だって、他のボード「科学や歴史、ミステリ」で、こういうわけのわからない応答が起こったことはありませんから。

1282//re:1275 (1999/04/07 09:44:45)
MAIL::いなば
大森さん
ええ、おっしゃるとおりというか筋の通ったご意見だと思います。>共同体主義のメリット
明らかに「SFファン」と自己ラベリングする人々はいて、それ自体は悪いことではない、というよりSFというジャンルというか文化の存続と活性化にとってメリットがあることは私も否定しません。で、三枝さんがいうように、それにデメリットがあることも否定しません。あとは状況を見て具体的に考えるしかないっすね。

1281//TAなら (1999/04/07 08:29:42)
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/madoka/ MAIL::ヒラノマドカ
ケーブルテレビ接続にしたので、うちでNECのAtermIT45dsuが余っているんですけど〜。いりませんか?2年以上前のだから古すぎ?(^^;
1280//色々と… (1999/04/07 01:09:57)
MAIL::海法 紀光
>いなばさん
まとめてくださって、ありがとうございます。
三枝さんの論点それ自体は非常に意味があると考えているので、#1257と#1263では、論点の反論よりも、論点の説明を…私の考える三枝さんの論点の擁護を中心にまとめてみました。
#1265を読むと、それでも通じていないようなので、これ以上議論を続けることの展望はありません。

ここまで来る間には、まぁ誤解のおきやすい問題なので、説明を始めた以上、なるべくわかりやすく説明していこう、という意図がありましたが、それと同じくらい感情的になっているという部分もありました。長々と続いたのでご不快を感じた方にはご迷惑をおかけしました。おわびします。

1279//プログレ (1999/04/06 22:40:22)
MAIL::きくちまこと
KAZUTOさま

いやいや、たしかにかつてのプログレファンときたらうるさがたでしたが、しかしELPのようにプログレ肉体派のバンドやピンクフロイドのようにプログレテクなし派のバンドもそれなりの支持を集めていたわけです。
うるさがたといえば、フールズメイトの読者くらいでしょうか(^^)。大変建設的なかたがたでした。北村昌史はキングクリムゾン本のみならず、PKディック本にまで記事を書いてましたねえ。ライブハウスで北村の演奏を2回見ましたが、かっこいいんですわ、これが。

USAはCD化されるはずですね。それより、四人囃子のBOXセットが出るという噂はどうなったのかなあ。

いや、常軌を逸したファンはどこのジャンルにもいるわけで、それだけ見て判断された日にはたまりませんね。でも、本当にそのせいでジャンルが衰退するなら、たしかにその程度のジャンルだったのでしょう。
しかし、去年読んだ女性雑誌には、今が空前のSFブームだと書いてありましたが(^^)

というわけなので、KAZUTOさま、またプログレの話をしましょう。

1278//観測問題(笑) (1999/04/06 21:18:03)
http://www.ltokyo.com/ohmori/ MAIL::大森 望
#1265 三枝様

>SFファンは、非SFファンが「SFファンは……」と言い出した途端、「SFファン
>とひとまとめに言うな」「SFファンの定義は色々だ」「おまえはSFファンに偏見を
>持っている」と、叫び出すということが骨身にしみてわかりました。
>やっぱり、SF者のいる場所でなにかを口に出すと、ろくなことがないっすね。やでや
>で。

これってむしろ観測問題では。
三枝さんが観測した場合にかぎっては、上の文章の「SFファン」は、「やおいファン」にも「性同一障害を持つ人」にも交換可能ではないかという印象があります。
SFファンに固有の現象というより、三枝さんの議論スタイルに起因する現象でしょう。
「非SFファン」の部分を「三枝貴代」に置き換えれば、たしかに一面の真実ではあろうかと思いますが。


1277//メタレベルから (1999/04/06 21:16:13)
http://www.ltokyo.com/ohmori/ MAIL::大森 望
#1233 きくちまこと様

>いかに論争好きの家主大森氏といえども、これはもう飽きてきたのでは?

細田旧掲示板を毎日読んでる身としては、この程度ではまだまだだと思ってますが。やっぱり一日50発言ぐらいで堂々めぐりしないと。

このぐらいでスクロールが速いと嘆いていては論争ウォッチはできません>野尻様。
あ、1101〜1200のログはhttp://www.ltokyo.com/ohmori/dengon1200.htmlに格納しておきました。


1276//自明の事柄について (1999/04/06 21:14:23)
http://www.ltokyo.com/ohmori/ MAIL::大森 望
>>#1216 堺様

>というか、「おれもやっちゃうときがあるが」とか、あれ以降の大森発言は、言ってる
>ことがさらに矛盾してて、大森望としてどういう立場をとっているのか、さっぱり見え
>てこないんですけど。せめて自分の主張は首尾一貫させて、例外をあまり作らないでも
>らわないと、話ができまへん。ちゅーか、自分はこことここで矛盾してます、って言っ
>て、話を次に持っていくのも、単に自分の場合の免責条件を印象づけてるだけとしか思
>えない。ずるいよね。

「この小説は科学的にまちがっているからSFではない」(科学的に正しいものしかSFと認めない)と言うのは好ましくない。それがわたしの立場で、最初から首尾一貫してるはずですが。
ただし、好ましくないとわかってることをついやってしまうことは誰にでもある。駐車違反とかね。
理想と現実はかならずしも完璧に一致しないが、「科学的にまちがっているからSFではない」という言い方は、思想的には断固反対であると。

>それと、「ラファティはSFでしょ」ってのも、すごいですよね。こっちゃ、「論理の
>すり替え」という詭弁法じゃないすか。

ラファティを持ち出したのは、詭弁法じゃなくて背理法。
1「科学的に間違っているものはSFではない」が真であると仮定する。
2 ラファティの作品は科学的に間違っている。
3 したがって、ラファティの作品はSFではない。
3の結論は明らかにおかしいので、1の命題は正しくない、と。相手は《レンズマン》でも「スター・ウォーズ」でも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でもかまいませんが。
3が真であるとあなたが主張するつもりだとは思えなかったので、「ラファティはSFでしょ」と書いたわけです。
どこが「「論理のすり替え」という詭弁法」なのか説明してください。

>ついでにいや、そりゃ逆命題であって対偶とれてないでしょ。「『レッド・マーズな
>んて科学的にはすごいらしいけど、小説としておもしろくないからダメ』などという
>ストーリーテリング至上主義者に対して、科学派が怒りをおぼえて良い」ってんなら、
>話は双方とも五分になるけどさ。

10回以上読み直しても、あいかわらず論点は理解されていないようですね。
この場合、ストーリーテリング至上主義者の主張は、
「『レッド・マーズなんて科学的にはすごいらしいけど、小説としておもしろくないからSFじゃない』
となります。そんな人がもしいたら、当然、わたしも反論します。そんなひとに会ったことはありませんが。

#1138には、「SFとしてのおもしろさに科学的な正確さを直結させる価値観の何が問題なのか」とありますが、それは三枝さんの論点であって、わたしの論点ではありません。

ここであらためて確認したいんですが、堺さんは、「科学的にまちがっているものはSFではない」という定義に賛同するんですか?
いやもちろん、それならそれでいいんですが。

ついでに、前にも質問しましたが、回答がなかったようなので、改めて。

#1131
>っていうか、大森さんのは典型的なハードSF嫌いのハードSFファン排斥的な
>発言でしかないような。

#1138
>ハードSFのハードな部分にこだわるファンをスケープゴートにして「他の人はハ
>ードSFが好きな人だって、そんなことないんですよ」と懐柔策を弄するようなこ
>とは勘弁していただきたい。

これが具体的に大森のこのボードにおける発言のどの部分を指すのかについて教えてください。

1275//まぼろしの共同体 (1999/04/06 21:10:51)
http://www.ltokyo.com/ohmori/ MAIL::大森 望
>>#1194 いなばさん

>このボードでの三枝さんへの反発は、おおむね個人主義の立場から来てますね。
>私はそれを「SFファンという「想像の共同体」を内側からでっち上げるのは
>なんか気持ち悪いな」というかなり健全な感性の現れではないかと思います。

その昔、Nova Monthlyというコピー誌を出してたころ、柳下毅一郎とやった「内輪」論争がまさにこの問題でした。柳下はいなばさんと同様「気持ち悪い」派。
大森は積極的に、SFファンの共同体幻想を維持・構築する立場でした。
「自分はSFファンだ」と思って義務的にSFを買いつづけるひとのおかげで商売がなりたってるんだから、コミュニティ意識はあったほうがいいというのがその理由。

気持ち悪いと思うのは当然ですが(僕だって『天使墜落』まで行くと気持ち悪いと思うもん)、「SFファン」が実体的に語られるにはそれなりの歴史的経緯があり、
「だいたいSF者は……」とか「昔からSFファンは……」とか、SFファンを自称するひとたちは(少なくとも僕は)日常的に口にしてるわけで。
「ふつう××だよね」とか「みんな○○でしょ」っていうのもそれと同じ。

だからって、「眼鏡で出っ歯でぺこぺこ」の日本人像を例に出すのは適切じゃないと思いますが。

ぼくが気になるのは、「SFファンは科学にうるさい」とかより、「SFファンは論理的」とか「SFファンは頭がいい」とかいうSFファン像。そりゃ統計的にはそうかもしれないけど、それを個人にあてはめても無意味なのはいなばさんがおっしゃるとおりで。
まあ、三枝さんにも、「SFファンはいろいろいる」という単純な事実はわかっていただけたことでしょうが。


1274//蛇足 (1999/04/06 18:52:02)
MAIL::いなば
それから、三枝さんは「あなた(つまりいなばの)の人権思想」っておっしゃっているけど、残念ながら、そして恥ずかしながら(?)、これって私のオリジナルなものじゃ全然なくて、世間的にかなり一般的な常識、少なくともよくいうpolitical correctnessとして広く流通している程度のものなんですよ。もちろん、それを鵜呑みにするんじゃなくて、「自分なりにどうしてそういうことを言ってよいか?」を咀嚼した上で言ってるけど。
だから、三枝さんがもし「あなたの人権思想は幼児的で、当たり前の立派な大人の考え方としてはおかしい」とおっしゃりたいのであれば、三枝さんはいなば一人にではなく、まさに広い世間に喧嘩売ってるわけです。もしそのことを自覚しておられて、きちんとpolitical correctnessを批判しようというなら、それは結果はどうあれとても野心的で勇気のあることで、賛成はしませんけど意気に感ず、ってもんでそれなりに尊敬します。
でも、三枝さんのこれまでのレトリックは、たとえば自分を「非SFファン」という安全圏において外側から議論しようとする際にも明らかなんだけど、つまり相手を「個別」「特殊」の立場に擬して、対する自分には「一般」の側から議論をしようとしている姿勢が疑われる。つまり世間の(絶対多数ではないがかなり有力な)常識的差別理解・人権思想に堂々と喧嘩を売っているのではなく、単にそれをいなば個人の幼児的・病的なそれと誤解して、自分は世間の常識的な大人の立場からそれを批判できる、と勘違いなさっておられるのではないか、と推測するものであります。

1273//考えたのですが (1999/04/06 18:44:24)
MAIL::溝口@書物の帝国
こんにちは、溝口@書物の帝国です。

読書人一般に通じることかもしれませんけれど……
あるジャンルを読みつづけていくと、読書しているかしていないかで、
会話が成立しなくなることがあるのではないかと。つまり、「○○という
お話は読書人としては押さえなければならない基本だよねー。」という
プレッシャーを与えられることが多いのではないかと思います。言葉に
表すのが難しいですけれど、「○○という作品は××という作品がベー
スなんだよねぇ。」と切り出されたとき、「××」という作品を読んでいな
い人とは「××」という作品の知識がないために会話が成立しない、と
いうことです。このことはどんなジャンルでもいえることですが、幻想・
SF系に関しては特にそれが顕著になりやすいのかもしれません。

SFファンはミステリファンと違って群れる傾向があるので、特に他の
人との知識の差を顕著に見せ付けられる可能性が高いのではない
かと思います。「これこれは基本だよね。」「やっぱり、○○は押えて
おかないと」という知識の差から感じる疎外感というのが三枝さんの
SFファンに対する感覚なのではないかと思いました。(#1258より)

そういう態度を問題にするのであれば、確かに見えないプレッシャー
によって一般の人を遠ざけている可能性もありますね。つまり、
SFって閾値が高いんですよ、ある意味。一度その閾値を超えれば、
かなり楽しいジャンルではあるんですけれど。その閾値を超える
までの過程で運が悪い人は「疎外感」を感じてしまって、SFを
敬遠してしまうのではないかと思いました。そうなると、もう一つ
の可能性(#1254)と併せて考えると仮説としては充分考証
の価値があるように思えます。

間違っていたらすみません。では。

1272//ね、海法さん、みなさん (1999/04/06 18:41:07)
MAIL::いなば
ご覧の通りでしょう? この三枝さんという方、私のいう「第二の点」がわかっておられない(ふりをしているんでしょうかねそれとも)。自分にそのつもりがなければそれでよし、だと思っておられる。意図はどうあれ結果が問題で、そんなの具体的な差別になるかどうかはケースバイケースだ(たとえば「SFファン」ならならないだろうけど、人種が絡めばなることが多い、とか、)って、私の書き込み読んだ人の多くはわかりますよ。
まあ私のものに限らず、人権思想ってたしかに幼児的なところがあります。道徳や人権のお題目で他人の頭を叩くのは、どうしても「虎の威を借る」的なところがあって、あんまり品のよいことじゃない。自分の腕力で叩き伏せた方が、かっこいいし気持ちいいかもしれない。それくらいはわかってるつもりですがね。でも我々の社会は、下品だけどそういうのもアリ、なのよね。それに本当の幼児には人権って切実に必要なんですよ。

1271//相手の欠点を指摘することは差別か? (1999/04/06 18:12:55)
MAIL::三枝
いなばさん、ちょっとあなたは考えた方が良いです。

「違いを指摘すること」は差別ですか?
「相手の欠点を指摘すること」は差別ですか?
「集団の特性を考えること」は差別ですか?

どうもあなたの人権思想って、子供が集団行動できなくなった原因を見るみたいで、不気味です。

1270//SF (1999/04/06 18:09:12)
MAIL::三枝
SFファンと自称する人達は、SF低迷(しているとして)の原因がなんであれ、「自分たちに原因はない」という結論さえ出れば、それが論理的であろうがなかろうが、どうでも良いのでしょうねえ。

と、思ったんですよ。

けなすなら反発されて当たり前、という意見がいくつも出ていますが、「Aが悪い場合には、Aが集まっている場所では決してその原因はみつからない」という解釈で宜しいでしょうか?
それなら、ここで、「SFの低迷はファンのせいではない」という結論が出たところで、それはSFファンの集まりの場であるからということになって、何の説得力もないということになりますが。


1269//ちょっと失礼します (1999/04/06 17:28:43)
MAIL::サモク
今までロムしていたのですが、これはちょっと…。
三枝さんの1265の発言なのですが、そりゃあSFファンの多く集まる掲示板で
SFファンではなくSFファンの知りあいもいないという人間が、SF低迷の原因
はSFファンのせいである、と攻撃的な口調で発言すれば反論をくらうのは当然で
はないでしょうか。それすらもSFファンの問題点だとするのならば議論のしよう
がありません。ただの煽りに近いですよ、これは。

1268//ちょっと傍観者を離れて (1999/04/06 17:07:22)
http://www.bekkoame.ne.jp/~smatsu/ MAIL::松浦晋也

>>明らかな認識不足だ。発言はやめなさいと、掲示板の管理者でもないのに言
>>う、ってのもあります。
>>しかし、私の印象では、しきりたがりやは「SFファン」というより「おじ>>さん、おばさん体質」かもしれないのですが。

割り込む気もなかったのですが、あまりにあまりなので一言。

三枝さん、それはあなたが世界に向けて開かれた公開の場である掲示板で、理
屈にもならぬ破綻した屁理屈を振り回して、読んだ人が不愉快になるような書き
込みをえんえんと続けていたからですよ。海法さん他と、建設的な議論をつなげ
ていくこともせずに、ひたすらフレーミングに徹していたからですよ。
議論を望むなら、まず議論のプロトコルを身につけないといけません。

路上でマナー不足の者が、見知らぬ他人から注意されるようなものです。

もう恥ずかしい真似はおやめなさい。ネットは広大ですから、あなたの悪名が
あなたの思いもよらぬところにまで伝わって、いつか貴方に返っていきますよ。

松浦

1267// (1999/04/06 16:57:33)
MAIL::いなば
えっと、まずいきさつの確認を。

--------------------------------
1208//文脈 (1999/04/02 22:26:09)
MAIL::海法 紀光
つまり、三枝さんのSFファンの定義は
1.SFの生産/購買に関わる層
2.科学考証にうるさい人
3.非SFファン(と思っている人間)が、SFファンなる集合に抱いているイメージ(より正確には抱いてい
ると三枝さんが期待するイメージ)。
…の3点をごっちゃにしており、そこに通常の意味でのSFファン…
4.自分のことをSFファンと呼ぶ人間の集団
がまじって、それらが互いにすべて矛盾をきたしているのです。

1210//多様なのは当たり前 (1999/04/03 06:31:56)
MAIL::三枝
》1.SFの生産/購買に関わる層
》2.科学考証にうるさい人
》3.非SFファンが、SFファンなる集合に抱いているイメージ
》4.自分のことをSFファンと呼ぶ人間の集団
いや、だからそのそれぞれがどういう関係でSFの衰退と絡んでいるのかについて解析したいのです。
で、「1つに見える」というのは「非SFファン」に以上4つの「SFファン」の区切りがつけられるのかとい
うと、つけられないだろうという話をしていたのですが。

1211// (1999/04/03 06:49:54)
MAIL::いなば
ほんじゃ、以後はきちんと区別を付けて話をする、ということで。
なおかつ、非SFファンからは通常その区別は付けられない、というけど、今後はそういう区別があることをで
きるだけ世間に理解してもらう方向で努力する、ということで。
そうすれば、非SFファンの人も、たとえある特定のSFファンの個人について、「この人はこのカテゴリー」
と見分けることができなくても、少なくとも「SFファン」というだけではその人がどのように振る舞うかを判
断する材料としては不十分であることを理解し、レッテル張りに慎重になってくれるはずでしょう?

1212//そうですね (1999/04/03 07:20:06)
MAIL::三枝貴代
もしかしたら、一部?、それとも多くの?SFファンは、「SFマインド」とか「SFファンとしては」とか、
「SFのわかる人」とか、「SFとして」という言葉を、言いすぎてきたのかもしれません。
それゆえに「SFファン特有のものの考え方」というものが、どこかにあるのだろうと、少なくとも私には思わ
せたのでしょう。
--------------------------------

以上のいきさつによって、「一口にSFファンといってもいろいろである。もちろんその区別は、特に外部(これがなにかはさておいて)からみると非常に困難だが、それでも、「そういう区別があるらしいからじゅっぱひとからげは避けるべきだ」との準則を一般化した方がよい。」という点について海法、いなば、三枝の間では同意ができたように見えます。ところが、

--------------------------------
1246//「SFファン」は「SF購読層」か? (1999/04/05 22:07:10)
MAIL::三枝貴代
一般の人から見ての定義なら、「SFファン」とは、「僕はSFファンだから」と口に出すタイプの人間でしょ
う。でなくては、非SFファンには、相手が「SFファンか、ファンでないのか」、判断する手がかりがないで
すから。

1248//SFファンの定義 (1999/04/05 22:50:49)
MAIL::海法 紀光
>一般の人から見ての定義なら、「SFファン」とは、「僕はSFファンだから」と口に>>出すタイプの人間でし
ょう。でなくては、非SFファンには、相手が「SFファンか、
>ファンでないのか」、判断する手がかりがないですから。
SF購買層とSFファンが一緒じゃないことくらいわかってます。まさにそれを#1208で書きました。
それについて語るなら「この場合のSFファンというのは、一般人が抱いているSFファンのイメージだ」とは
っきり明示してください。そういう場合のSFファンについても#1208で書いたわけですし、三枝さんも分けて
書くことに同意なさったのではなかったのですか?

1253//RE:1248 (1999/04/06 00:26:33)
MAIL::三枝
》三枝さんも分けて書くことに同意なさったのではなかったのですか?
分けて書こうにも、私にはその違いはわかりません。
--------------------------------

と蒸し返されて、議論がループしているように見える。この辺が海法さんにとって三枝さんの言動が不可解に映る理由の一つでありましょう。
では私見を述べます。
三枝さんに同情的に解釈するならば、非SFファンの一般人としては、「SFファンにもいろいろいるから、区別して議論した方がいい」との同意に1212で三枝さんもいたってはいるのだが、いかんせんどのように区別したらいいのかがまだわからないので素直に1253で「分けて書こうにも、私にはその違いはわかりません。」と述べている、ということになろう。では、これで三枝さんのこの蒸し返し(?)を十分に正当化できるか? 難しいと私は思う。なぜなら、先の合意には「たとえその区別が自分にはできなくとも、わからなくとも、そんな区別はなくて全部一緒だ、ということにはならないのだから、謙虚に、控えめに議論を展開すべきである」くらいのことは含意されているはずであり、にもかかわらず三枝さんは「自分には違いがわからないからやっぱりじゅっぱひとからげはやめない」と居直って、これに抵触しているからである。すなわち、三枝さんは先の合意を踏みにじった、と思われても仕方がないであろう。
ここから踏み込んで三枝さんにより厳しい解釈を加えて行くならば、たとえばこうなる。先に私は「三枝さんは人権感覚が鈍い」と述べたが、ここにもそれが現れている。より正確に言えば、「三枝さんは人権感覚の弱さにつながる可能性が高い思考様式にはまっている」わけである。
すでに私は三枝さんの「わかっていないところ」をいくつか指摘した。
第一に、人間(にせよ何にせよ)集団の線引きは多くの場合それ自体程度問題であり、かつ一つにくくられた集団の中でも個人毎にいろいろな違いがある。だから、集団間の差異、と一口に言われるものの多くは統計的なものに過ぎず、それゆえ個人がどの集団に属しているか、という情報だけから、その個人がどのような人間か、を判断するのには限界がある。
そもそも現代社会の基本的なルールとして、人はどこかの集団に属しているとか、ある属性を備えているからというのではなしに、一個の個人であるがゆえに尊重されなければならない、という人権の制度があるのだから、個人を処遇するときには、その所属集団とかその属性とかはせいぜい二義的なものにしかしてはならない。
そして第二に、差別的振る舞い(に限らず加害行為一般)においては、主体が何をどのように意図したか、よりも、まずその受け手が何をどのように感じたか、を規準に判断がなされねばならない。つまり結果責任の倫理。
三枝さんはまず第一の点について理解が足りないので批判を受けるに値するが、更にその批判に「自分にはそういうつもりはなかった」で応じたつもりになっていることから、第二の点についても理解が不十分であると推測される。更に、上に引用された蒸し返し(?)は、一度自分の落ち度を了解したような言動がみられたにもかかわらず、結局そこでまさに落ち度とされた不適切な思考パターンにまた陥っていることを示しており、海法さんに、学習能力の極端な欠如ないし言動の極端な非一貫性ないし不誠実を疑われているわけであり、私もその点は正直疑いを持っている。この手の結果責任への無頓着というのは、学習の拒否、居直りの自己肯定に際限なくつながりかねない。無知は罪ではないがその上への居直りはそうとも限らない。
もちろん、ここで私は三枝さんの言動の背後にある態度、思考様式に疑念を呈しているのであって、具体的に三枝さんが差別発言をした、とは言っていない。SFファンに対しての決めつけや暴言については、他の方には異論もあろうが、「人権問題」扱いするのは大人げなかろう、と私は考える。ただし、このような振る舞い方は別の文脈においては(たとえば人種、エスニシティ、宗教が話題とされる場合には)十分に差別的振る舞いになりうることは指摘しておきたい。
(蛇足ながら、先の「現代社会の基本的なルール」への疑念はそれとしてもちろんありうる。しかし「それはきれいごとで現実とは違う」と指摘するだけではその批判にはまったくならない。それは単なる現状への居直りであり、「現状がそうではないからこそこのきれいごとを掲げ、それに向けて努力するのだ」という反論ですぐひっくり返される。だからたとえば「そういうきれいごとを振り回すことでかえって醜い現実が押し隠される」とか「そういうきれいごとを振り回すことで、そのきれいごとが本来目指していたはずの理想がかえって裏切られる」といった、もうちょっとひねくった批判でなければ意味がない。)

ところで海法さん。もし三枝さんが先の私の推測通り(ことに第二点について)の人なら、いくら言っても無駄ということになります。ゾンビみたいに、いくら急所を撃ち抜いてもやられたという自覚なしにまた立ち上がってくるだけ。そして延々自分の正当性を言い募る「勝ち組」をやり続けるわけです。もちろんそうなれば(というかもうそうなっている?)事実上海法さんの「勝ち」で、訳の分かったことを言ってるのは海法さんの方だと多くの人が認め、この話題に関する三枝さんの発言に目を留める人なんかほとんどいなくなるでしょう。(せっかくまともなことも言っているというのに、もったいない。)
しかしもしそうなら、いったい三枝さんに「まいった」と言わせる必要がどこにあるんでしょうか? 海法さん(とか私とか、三枝さんをうっとおしいと思っている人々)のカタルシスのため? そんなのつまんないですよね。
私の推測が当たっていたとしたら、もはや議論がここまで来たこの段階では、三枝さんは滅多なことでは「まいった」とは言わないでしょう。そして、仮に「まいった」をしたとしても、それが十分反省して二度と同じことをやらないようにすることにつながる保証はないんです。でもそうでなかったら、「まいった」してもらうことのメリットなんかほとんどないですよ。
もし三枝さんが、表面上反省の意を表しても、内心では懲りずに、また他のところで同じことを繰り返したら? あるいは「恥をかかされた」と逆恨みされて、よけいひどいことにつながったら?(もちろん三枝さんは既に十分その言動そのもので客観的には恥をかいているわけで、ここは逆にあっさり自分の落ち度はある程度でも認めた方が俄然評価が上がるわけですが、その自覚が十分にあったらここまで続けていないでしょう。)
逆にここでは「まいった」の一言も口にせずに「勝ち組」をやっても、将来二度と同じようなことを繰り返さずにいてくれれば、その方がずっといいわけですよね。でも、そういう風に三枝さんにはたらきかける方法も私にはわからない。
それとも、海法さんには他の展望があって三枝さんを追いつめているのでしょうか? 先に示唆したように、謝った方が三枝さんの名誉回復になる、という「思いやり」? それとも……?
私の場合は、そりゃ、三枝さんに反省してほしい、というのが動機なんだけど、このやり方が有効でもなさそうなので、これで打ち止めにしようかな、と。

ついでながら一つ思ったことを。「SFファンではないSF読者」の存在の指摘は重要ではありましょう。私も多分自分はそこに入るんじゃないか、と思ったりしますし。(繰り返しますが、私は大学入学以降系統的にSF小説を読むのをやめており、80年代以降のジャンルSFの展開についてはかなり不案内です。『ニューロマンサー』さえまともに読んでない。ちなみに「あるジャンルに属する作品群を、自分なりの自覚的な方針を持って読んでいく」のはSFに限らずファンの条件の一つでしょう。)だがそのような人々の多くもまた、その更に「外側」、SFに関心がなく読みもしない人、からすれば「SFファン」にくくられるんじゃないかな、と思うわけです。で、そこからすれば、「「SFファン」はその無思慮でSFを滅ぼしつつあり、それによって被害を受けるのは「SFファンではないSF読者」である」ともとれる三枝さんの物言いも、ただの「SFファンの内ゲバ」にしか見えないでしょうね。
そこのところに無自覚にこの手の発言を繰り返すのは滑稽というか、「自分はSFファンじゃないよ」と言い募って自己正当化するのは正直言って醜悪だと思います。これは自戒でもありますが。
「一般人」という究極の「想像の共同体」に頼るのはやめた方がよい。いつかそれに足下すくわれますよ。

1266//あto、もうひとつ。 (1999/04/06 14:49:39)
MAIL::三枝
明らかな認識不足だ。発言はやめなさいと、掲示板の管理者でもないのに言う、ってのもあります。
しかし、私の印象では、しきりたがりやは「SFファン」というより「おじさん、おばさん体質」かもしれないのですが。

1265//他の方のご指摘にもありましたように (1999/04/06 14:47:39)
MAIL::三枝
》そう思うんでこの機会に何度も長々と書かせていただきました。どん
なもんでしょ?

はい、かえって、偏見が深まりました。
SFファンは、非SFファンが「SFファンは……」と言い出した途端、「SFファンとひとまとめに言うな」「SFファンの定義は色々だ」「おまえはSFファンに偏見を持っている」と、叫び出すということが骨身にしみてわかりました。
やっぱり、SF者のいる場所でなにかを口に出すと、ろくなことがないっすね。やでやで。

1264//あぁそうそう… (1999/04/06 12:47:34)
MAIL::海法 紀光
>それ、解決した方が良くないの?
そう思うんでこの機会に何度も長々と書かせていただきました。どんなもんでしょ?

1263//そろそろ最後に (1999/04/06 12:45:57)
MAIL::海法 紀光
>三枝さん
>海法さんが「偏見だ」と思うような「SFファンの印象」が、
>「SFを衰退させた可能性はないのですか?」と、こちらは訊ねているわけでして。

そりゃあるでしょう。どこまで大きな原因かは知りませんが、原因の一端ではあるでしょう。何度もそう言ったつもりですが?

>「SFファンは、古典的な話の面白さを素直に評価せずに、目新しい設定や、
>科学的正確さ、文学的に冒険した作品の方を高く評価する」とか
>「SFファンは科学設定にうるさい」とか、「SFファンは、
>あれはSFではない、あれはSFとしてダメ、とか、すぐ言いたがる」って、感想、本当に、私以外はもっていないでしょうかね。

あなた以外にもたくさんの人が持ってますよ。そのことも否定したつもりはありませんが?
で、それらはすべて、一面の真実ではある。古典的な話の面白さ…だけ…では、SFファンはSFとしては評価しません。それ以外に何もなければ「SFとしては」つまらんともいえるわけですから。時には、キャラ描写や小説作法が下手でも、SFアイディアが面白ければ評価することもある。科学設定にはうるさいし、「あれはSFではない」と、言いたがりますよ。
…ただ私がこれまで書いた通り、それは「SFとしての…話のある一側面としての評価」もしくは「個人的な評価」であることをわきまえており、それを他の人にとっての小説としての一般的価値そのものとごっちゃにしているわけではない、という場合がほとんどなのです。
で、それは非常に誤解されやすいし、通じにくい。だから、偏見を持つ人もいるだろうし、実際偏見に当てはまるSFファンもいるから、なおさら。

何がその偏見を作り上げたか、というのは私の分析ではそんなとこですが、できればそれは三枝さん、あなたに聞きたいです。あなたはどのようにして、過去一度もSFファンとつきあったこともないのに、そのようなイメージを持つに至ったのか? それを分析すればもっと何かが見えるのではないかと。

1262//オフラインで書いていたら (1999/04/06 11:42:21)
http://www2.gol.com/users/hisaeda/ MAIL::アリアドネ
話題が違う方向に行っていました。筋違い、失礼
1261//こんにちは、三枝さん (1999/04/06 11:40:50)
http://www2.gol.com/users/hisaeda/ MAIL::アリアドネ
おお、常に科学的正確さに拘るというファンのサンプルになってしまいましたので、ちょっとびっくりしました。どちらかというと、すでにSFのメインストリームからは離れてしまった人間だったので…

そういった人間でも科学的な「考え方」の入門編としてのハードSFに価値を見いだしているし、そのような科学的な考え方を喧伝するためには科学的正確さが必要でしょう。というのが私の見方です。 私には他分野の論文を読んで理解できるほどの能力はありません。しかし、そこをうまく導入してくれるSFに知的な愉しみを感じます。その際に、根本となる原理なんかに重大なミスを犯されたら、それはちょっと困ったことになりますよね。(本当はハードSFにはハードSFのもつ純粋な価値があるということも理解しているつもりですが…実はそこまでのハードSFのファンでもありません)

海法さんが繰り返しおっしゃってるように科学的正確さが売りであるハードSFでは、科学的に不正確なことを書けばそれは重大な欠陥になりえます。(ならない場合もこれまたありますが)しかし、「すべてのSF小説が」…「どのような場合でも」…「科学的に『正確』」でなければならない、なんて風には誰も考えておられない。(それはSF=科学ドキュウメンタリーとは見ていない。)
私も、そう思ってます。

また、私の場合はSFの中にある「科学的な」ものの「考え方」に価値を見いだしています。これは科学的正確さとはちょっと違うものだと思います。枝葉末節の考証だけにこだわっているのではないのです。三枝さんは理科系の研究者さんとのことですから、このような考え方には同意していただけるのではないでしょうか?

それと、すべてのひとがそのような読書を愉しむのではない、統計的には、とおっしゃられるかもしれませんが、現在、その科学的正確さを売りにするものがマーケ的(統計的)にダメだったとしても、将来を考えればその状況が続くとも考えられないでしょう。現在何かががブームだとしても、流行というものは咀嚼され、廃棄されるのが運命なので…(だんご三兄弟もすでに在庫がちらほら…の熱しやすく冷めやすい国民性もあるし…)

あ、それから。私も小野不由美さんの「屍鬼」はSFとして愉しみましたよ。たいへん面白かったです。

1260//何が (1999/04/06 11:31:10)
MAIL::三枝
その、偏見をつくりあげたんだろうね?
それ、解決した方が良くないの?

1259//それは (1999/04/06 11:27:26)
MAIL::通りすがり
偏見は不特定多数の人間が共有するからではないですか・
1258//偏見だ、偏見だ、とおっしゃられても。 (1999/04/06 11:00:55)
MAIL::三枝
海法さんが「偏見だ」と思うような「SFファンの印象」が、「SFを衰退させた可能性はないのですか?」と、こちらは訊ねているわけでして。
「SFファンは、古典的な話の面白さを素直に評価せずに、目新しい設定や、科学的正確さ、文学的に冒険した作品の方を高く評価する」とか「SFファンは科学設定にうるさい」とか、「SFファンは、あれはSFではない、あれはSFとしてダメ、とか、すぐ言いたがる」って、感想、本当に、私以外はもっていないでしょうかね。
おかしいなあ。なのにどうして、SF者に対する感想が、非SF者の間で妙に一致したりするかなあ。

1257// (1999/04/06 01:25:16)
MAIL::海法 紀光
>しかし、問題は、どちらか一方のみすぐれた作品がいくつかあった場合、えてして、
>科学的正確さや、珍しさを、古典的な面白さより優先するような人がいるということ
>で、それを私は批判しているわけでしすよ。

優先するのは勝手でしょ。何に面白さを感じるかは人それぞれなんだから。
古典的な面白さを評価する気になれず、科学的な面白さが欠けてるから「つまらん」と感じる場合はあるわけで。違いますか?

で、そういう評価を後先考えずに押しつける人であれば、私も批判します。

そこで私が批判してるのは、そういう人を安易に「SFファン」とか「DAICON参加者」とかと結びつけて語る、あなたなんですよ。結びつけて語る場合には、どう結びつくのかを説明してほしいな、と。

>》じゃ、そんなSFファンは「ほとんどいません」。
>野尻さんや、海法さん、堺さん、アリアドネさんの、「科学的記述は正確である
>べきだ」という強い信念と、その辺りはどういったバランスをとっているの
>でしょうか?

俺は「科学的記述は常に正確であるべきだ」などという信念は持っていません。多分、野尻さん、堺さん、アリアドネさんもそうかと。

科学考証をきっちりとしたことによって面白くなる小説があり、そういう小説の、きっちりとした科学考証を楽しむ、というだけです。話を面白くするために、科学考証を破るのは歓迎ですし、厳密に科学的考証をしたにも関わらずいくつかの矛盾が出る場合は「作者と読者の智恵比べゲーム」として楽しみ、それによって批判することはしません。
ただあまりに基本的な考証が間違っていたりする場合は、つまらないと感じることもある。そういう時に小説の種類を見定めた上で、批判する「こともある」ってレベルです。

>もう一つは、「SFファンを自認する一部の特殊な人々、目につく人々の要望に、作家
>と編集者が応えることに手一杯になり、本来の購読層である単なる本好き
>のことを忘れてしまっているのではないか」ですね。

非常に意味のある仮説だと思いますし、私も実際、そういう部分もあると思います。
それはわかったので、その先を続けたいのなら、個々の事例が聞きたいわけです。
例えば、三枝さんが前におっしゃった「SFMの記事」とかはその1例だと思うのですが、例を挙げて説明していただけませんか? そこで説明しないから、偏見と決めつけだ、と思われるわけで。

>》「SFファンに対するいやな思い出」とはどういうことなのでしょうか?
>うーん、これに素直に答えるとまた、「それは偏見です。偏見は増殖するのです!」
>とか、海法さんに言われるのがおちですね。

あなたの答えが筋が通っていて客観性と一般性を考慮していれば、俺は偏見だとは言いませんし、仮に俺が偏見だと強弁したところで、「海法の言ってることはおかしい」という人はいくらでも出てくるかと。
そうでないと自分で認めるなら、そりゃ偏見なんでしょう。自分の主張してる根拠が単なるが偏見である言い訳に俺を持ち出さんでください。
それ以前に溝口さんの聞かれていることと大幅にずれているとは思いますが。

で、「偏見は増殖する」ですが、私が言いたいのは…

まず、「平均的SFファン」と、「平均的SFファンのイメージ」は、定義、はかり方が違う以上、同じものではない。それに加え、「偏見が増殖する」という場合があるので、大きく違ってくることもありうる。だから、まずこの二つが違うということを認識したうえで、議論をしようじゃないか。…ということです。
で、そのうえで俺は、「科学考証至上主義を押しつけるSFファンは1%であり、事実上両者はほとんど一致しない」説を唱えますが、「いーやそーじゃない。99%がそうであり、事実上両者は一致する」という反論は当然、受け付けますよ。

>》あらゆる小説があらゆる読者にわかりやすい、なんてのは幻想でしょ。
>といったような気持ちで、多くの読者など要らない、と、わりきってしまう人ならば、
>最初から、SFの読者が減っていく、減っていることなどは、どうでも良いこと
>なのでしょうが。

そういうSF小説もあるってだけの話です。あらゆるジャンルにあると思いますが。
そういうSF小説をすべて排除するのは私は反対です。同時に、そういうSF小説「しか」存在しなくなるのも困りますが。

1256//一部のプログレファンがプログレを衰退させた (1999/04/06 01:14:42)
MAIL::KAZUTO
ってネタやんない?(笑)>きくちせんせ

一部の常軌を逸したファンのせいで、どうにかなるようなジャンルなら、
それはその程度のものでしかなかったってだけの話。

まあ、なんだかんだ云っても、クリムゾンがバカバカとオフィシャルの
ライヴ盤出してくれるのは、それはそれでありがたいんだけどさぁ、個
人的にはそろそろ「USA」をCD化して欲しいんですけどね。


1255//自称以外の何もないので() (1999/04/06 00:38:45)
MAIL::三枝
》なお、DASACON参加者の中には、「自分のようなSF度もさほど濃くなければSFファンと名乗るほどでもない者でもこういうイベントに参加していいのかいな」的なスタンスの方も結構いたと思いますよ。だから、SFファンであることを自称する人、という人々の典型例をDASACON参加者に求めるのは難があるかもしれません。

いや、だからこそ、今や「SFファン」といったものは、「自称」で判断するしかないのだろうなと、アレを見ての私の感想だったのですが。

1254//もう一つの可能性 (1999/04/06 00:36:04)
MAIL::三枝貴代
》一部の人の印象の悪さによって、SFの購読層がその人たちのせいで離れていってしまっている。」っていうことですよね?

言葉足らずでした。
そういう可能性が一つです。
もう一つは、「SFファンを自認する一部の特殊な人々、目につく人々の要望に、作家と編集者が応えることに手一杯になり、本来の購読層である単なる本好きのことを忘れてしまっているのではないか」ですね。

》「SFファンに対するいやな思い出」とはどういうことなのでしょうか?

うーん、これに素直に答えるとまた、「それは偏見です。偏見は増殖するのです!」とか、海法さんに言われるのがおちですね。
なんだか私も、ここ数日の野尻さんや海法さんの口調で、「SFファンにまつわる嫌な思い出」をたっぷりつくらさせていただいたんですが。

1253//RE:1248 (1999/04/06 00:26:33)
MAIL::三枝
》三枝さんも分けて書くことに同意なさったのではなかったのですか?

分けて書こうにも、私にはその違いはわかりません。

》じゃ、そんなSFファンは「ほとんどいません」。

野尻さんや、海法さん、堺さん、アリアドネさんの、「科学的記述は正確であるべきだ」という強い信念と、その辺りはどういったバランスをとっているのでしょうか?
どうも不思議です。

1252//すべてが完璧な小説は、もちろん良い。(RE:1247 海法さん) (1999/04/06 00:18:00)
MAIL::三枝貴代
》でも、たまたまそういう人に出会えば、出会った人のイメージは、
》「あ、SFファンってのはそういうものなんだな」と固定されてしまうでしょう。それが全体の1%であっても、与える印象は100倍になる。

ええ、その話をしているのです。おわかりではないですか。

細かい部分が正確であると、小説はより面白くなるという話ですが、それはもちろんそうでしてね、全部が完璧な話であれば良いに決まっている。しかし、問題は、どちらか一方のみすぐれた作品がいくつかあった場合、えてして、科学的正確さや、珍しさを、古典的な面白さより優先するような人がいるということで、それを私は批判しているわけでしすよ。
その部分は、メタ言語的作品を批判している梅原さんも同じなのではないでしょうか。

》あらゆる小説があらゆる読者にわかりやすい、なんてのは幻想でしょ。

といったような気持ちで、多くの読者など要らない、と、わりきってしまう人ならば、最初から、SFの読者が減っていく、減っていることなどは、どうでも良いことなのでしょうが。


1251//SFファンの実体・DASACON (1999/04/05 23:40:53)
MAIL::たかはし
三枝さん:
>私には「SFファン」が、私たち外部の目で作られたものだとはどうしても思えません。

あ、これは私の書き方もあまりよくありませんでしたね。失礼しました。

いなばさんが言わんとしていたのは、「外部の目」ではなく「SFファンという実体がある、と仮定している人の目」がSFファンを作る、ということじゃないかと。
「実体がある」という言い方が分かりにくければ、「SFファンはみんな何らかの共通性を持っていて、それがSFというジャンルと本質的に関係がある」、と言い換えてもいいかも。

で、逆に、そういう実体はない、つまりSFを読んでる人には大して共通性がない、あってもそれは他のジャンルの読者についても言えるような一般的なことくらいだけじゃないか、という人もいます。そういう人には、「SFファン」という括り方は、SF読みの集団の中から何か恣意的な条件を満たす人のみを「SFファン」と呼んでいるように見えたりするわけです。

私はいなばさんの意見をこういう風に理解したので、納得したのでした。

>DASACON?も、「SF系サイト」という名前を作りだしたようですし、

これはちょっと事実誤認でしょう。「SF系サイト」という括り方は別にめずらしいものじゃないかですから。


なお、DASACON参加者の中には、「自分のようなSF度もさほど濃くなければSFファンと名乗るほどでもない者でもこういうイベントに参加していいのかいな」的なスタンスの方も結構いたと思いますよ。だから、SFファンであることを自称する人、という人々の典型例をDASACON参加者に求めるのは難があるかもしれません。事実、他のコンベンションなどに参加したことのない人も結構いましたし。

(ちなみにこの辺りの認識は私個人のもので、別の見解を持っているスタッフや参加者の方もいると思います。あしからず)

1250//訂正 (1999/04/05 23:36:28)
MAIL::溝口@書物の帝国
すみません、溝口@書物の帝国です。

#1249での自分の発言ですが、文章がへたれているので訂正します。
>SFというジャンルをこよなく愛する人たちで、「SFファン」と名乗る人たちと定義する
>し、「読書が好きな人たち」=「SFの購読層」と定義しましょう。



「SFファン」を自称できるほどSFというジャンルが好きな人たちを「SFファン」と
定義し、「読書が好きな人たち」を「SFの購読層」と定義すればいいのでしょうか?
以下そうであるとして、議論を展開します。

に直します。


1249//ああ、なるほど (1999/04/05 23:06:20)
MAIL::溝口@書物の帝国
溝口@書物の帝国です。

三枝さま>
#1246までの発言を読んでみてやっとわかりました。多少整理します。
SFというジャンルをこよなく愛する人たちで、「SFファン」と名乗る人たちと定義する
し、「読書が好きな人たち」=「SFの購読層」と定義しましょう。
もちろん、SFファンはSFの購読層の集合の部分集合であるは大半の場合容認
されると思いますけど。ここまでは、きちんと理解できました。

その後の論理展開についてなのですが
>今のSFの低迷は、「SFファン」に対するいやな思い出が、「SFの重要な購買層」
>である「ただたんに読書が好きな人たち」に、SFというジャンルを敬遠させたせい
>ではないのか、という可能性を、つまり私は考えているわけです。

というのの今まで検証されてきたとは思うのですが、まずお伺いしたいのは
「SFファンに対するいやな思い出」とはどういうことなのでしょうか?それが
いままでの議論の中で海法さんが#1151でおっしゃられているような「
堺さんのおっしゃる「実践空手的、偏屈SFファン」は、「科学考証等に大きく
こだわって評価する人」であって、大森さんの言う「1%のSFファン」は、「そ
うした評価を、TPO、スタンス、好みの違いを無視して、周りに押しつけまく
る人(あるいは不本意にそういう印象を与えてしまった人)」の意味と考えま
す。 」だけに帰着するのか、それともDASACON参加者のようなSFファンが
何か「SFの購読層」にいやな思い出を与えてしまったために、SFというジャ
ンルの売り上げに響いてしまったからなのでしょうか?そうであるのならば、
根拠とか示して欲しいです。

もしかすると読み間違えをしているかもしれませんが、いままでの議論は
「SFファンは多様で、一部の人の印象の悪さによって、SFの購読層が
その人たちのせいで離れていってしまっている。」っていうことですよね?
でもって、海法さんや堺さん、いなばさん、大森せんせ他がSFファンのス
テレオタイプを分類・比較検討していたのではないかと思いますけど。

これを踏まえた上でご質問なのですが、
>「SF購買層」は「SFファン」とは違うので、「SFファン」を嫌だと思うと、SFも嫌だと思っ
>て、SFというジャンルから去って行く可能性もあったのではありませんか?

根拠が今まで下で議論されていたようなSFファンな人たちのせいであるとすれば、
ぼくも嫌だと思いますし、自分もそうはなりたくはないです。でも、「SFファン」をダサ
コンやSF大会に行く人たち、SFMを毎月買っている人たち、特に「SFファン」と自称し
ている人たちと三枝さんの定義では、まるでこれらの人たちが「SF」というジャンル
から「読書が好きな人たち」を遠ざけたように読めます。そうなんですか?だとすれ
ば、ぼくのページなんかはSFというジャンルを貶めていることになるんでしょうね。

1248//SFファンの定義 (1999/04/05 22:50:49)
MAIL::海法 紀光
>一般の人から見ての定義なら、「SFファン」とは、「僕はSFファンだから」と口に>>出すタイプの人間でしょう。でなくては、非SFファンには、相手が「SFファンか、
>ファンでないのか」、判断する手がかりがないですから。

SF購買層とSFファンが一緒じゃないことくらいわかってます。まさにそれを#1208で書きました。
それについて語るなら「この場合のSFファンというのは、一般人が抱いているSFファンのイメージだ」とはっきり明示してください。そういう場合のSFファンについても#1208で書いたわけですし、三枝さんも分けて書くことに同意なさったのではなかったのですか?

>「科学的にこだわる」というのは、SF小説をまず「面白さ」で判断するのではなく、
>「科学的正確さ」で語る人たちと、お考えいただいて結構です。

じゃ、そんなSFファンは「ほとんどいません」。

>つうより、私はそれらをこそ、「SFファン」だと考えています。

「自称SFファン」という集合と、一般人がいだく「自称SFファンのイメージ」とは完璧には重なりません。前回の投稿で書いた通り、「偏見は増幅される」のです。
それをまず理解してください。

さて。これ以下の部分はすべて#1204で応えました。

>あなたの言うのが、統計的事実とかそーゆーのとは関係無しに、SFファンは
>科学考証に無意味にうるさい、という印象が一般に広まっており、それがSF離れ
>の要因の一つではないか、という説なら納得できる点はありますけど。

それ以上のことを言いたいなら、新しい根拠を持ってきてください。

1247//再説明 (1999/04/05 22:48:58)
MAIL::海法 紀光
>「偏見だから」とおっしゃるのなら、どの辺りが「偏見」なのでしょうか? お答え下さい。

自分の文章と私の文章を読み返してください。私が偏見だと言っているのは「そうである(科学的正確さにこだわった上で押しつける)ファンがたくさんいる」の部分です。
自称SFファンがいたとして、その人は普通、SFの薦め方の難しさを心得ています。まして、周りの人間に「この小説は科学的に間違ってる!」とか断言したりしません。
でも、たまたまそういう人に出会えば、出会った人のイメージは、「あ、SFファンってのはそういうものなんだな」と固定されてしまうでしょう。それが全体の1%であっても、与える印象は100倍になる。それが偏見は増幅される、という意味です。
それは、私自身の経験によるものであり「過去SFファンと一度もつきあったことがない」三枝さんよりは、なんぼか正確だと自負しています。

>(野尻さんの)
>こういった態度について、どうお考えなのか、伺っております。

はぁ、私も野尻さんと同感ですが、どうかしましたか? あらゆる小説があらゆる読者にわかりやすい、なんてのは幻想でしょ。三枝さんが小説としての面白さをそこにおいてるなら反対ですな。

>では、どういった本が「科学的であることを魅力、あるいは重要な部分とする小説(1>>230)」なのでしょうか? 専門の科学者が書いてさえ、科学的に正確な話
>が書けないというのに、そのような本を普通の小説家が書けるものなのでしょうか?

前段と後段はかなり関係ありません。なぜって、SFファンは、「専門家レベルであらゆる面に科学的に完璧な話」を求めていませんから。科学的であることが魅力ってのは、科学的なところから発したアイディア、ものの見方が面白いって意味です。だいたい前に書いた通り、ハードなSFにおいて、科学的レベルでいくつか矛盾が残るのは、「楽しむ対象」であって、「けなす対象」ではありません。
ただ、やっぱ科学の基本レベルで間違いがあったらダメでしょ。月にロケットで行く話をリアリティたっぷりに書く話なら、脱出速度を間違えてたり、慣性質量と重力質量を混同してたら、読む気がなくなるわけですよ。

>すみません。同業者の間では、その「間違いがある」という話をして、もりあがってし>>まいました。念のため、怪物が出るからダメとかいう話ではなく、ごく普通の
実験手順とかです。
>けれどしかし、それは小説だし、面白いので良いのではないかという結論には至ったの>>です。

さて、私は研究者じゃないんで、どこまで問題があるのかは知りません。ですんで、以降は仮定の話になりますが。
些細な矛盾で、気にならないなら、前回書いた通り「楽しむ対象」であって、「けなす対象」にはならんでしょう。
そうじゃなくて気になる場合。ある実験手順が間違いであり、そこを書き直すことによって全体に全く影響がないのに単に間違えているっていう場合、そこが間違えていないほうが、間違えている場合より評価は高くなる、と言えることもあるでしょう。
小説で、面白ければ別にいい、というのは当然ですが、そこを間違えなければより面白くなっていた、という議論はできます。だから、瑕瑾なのです。また、その手の欠点が積み重なればよりつまらなくもなるでしょう。

>嘘で話が面白くなるのなら、嘘であることで話がつま>らなくなることはないでしょう。城があろうがなかろうが、小説の瑕疵になる
>とは、私にはとうてい思えないのです。

全く違います。
ウソであることを際だたせるために、リアリティを積み重ねるってのがSFに限らず、色々な小説の基本的手法です。この場合、リアリティの積み重ねの部分でミスると小説全体の魅力が失せます。
まぁ、そういう認識がないなら、私とあなたとは小説の読み方が全く違うということですな。俺は、俺の読み方が十分に一般的なものだと主張しますがね。

》小説の種類によっては十分致命的な欠点になりうるし、また、積み重なることで大きな欠点になることもあります。
>それは、どういった小説でしょうかか? 小説はノンフィクションではないのです。何よ>りも話として面白いことが第一で、科学的事実や、歴史上の事実に正確か
>どうかは、二の次、三の次、小説の第一の価値ではないのではないでしょうか?

面白さは第一であって、他のことは二の次、三の次です。
だ・か・ら。それゆえにこそ!
小説として面白くするために、科学的事実や歴史上の事実を使いこなす、という小説があるのですよ。なんのために歴史小説家が大量の史料を漁るとお思いですか。そして、科学的事実や歴史上の事実の取り扱いを失敗して、つまらなくなることがあるのですよ。

>科学的事実や、歴史的事実にこだわるあまり、話のおもしろに欠ける物語ができるのな>>ら、その「事実へのこだわり」は、十分ジャンルを滅ぼすのではないで
>しょうか。

事実にこだわることによって、話を面白くする、という手法について話しているのです。ここにおいてこだわるというのは「完璧を目指す」という意味じゃないってのは何度も書いた通り。事実とウソをうまく散りばめることで面白い作品を目指すわけです。そこにおいて、事実の部分で間違えていたらつまらなくなる作品、もある。
また中には、科学的事実、歴史的事実にこだわっただけのつまらん作品ができあがることはあるでしょうが、誰もそんなものは求めていません。

1246//「SFファン」は「SF購読層」か? (1999/04/05 22:07:10)
MAIL::三枝貴代
RE:1242 溝口さん、

》他に何かあるんでしょうか?

はい、その意見が「間違っている」「認識が足りない」と、おっしゃられる方が大変多くいらっしゃるので、「正解はなんのか?」「どう認識するのが正しいのか」伺っている最中です。

RE:1244 海法さん、

》偏見は増幅されやすいので、

それがわからないのです。「どこが偏見なのか?」と訊ねて、「偏見だから」という返事が返って来ては、納得する人間はいないでしょう。「偏見だから」とおっしゃるのなら、どの辺りが「偏見」なのでしょうか? お答え下さい。

》心当たりがありません。何の話題について、どんな意味でしているというのですか?

はい、野尻さん自身、

》私はハードSFを科学的に吟味する楽しみを捨てるつもりはありません。
》これを偏狭だとか難しいとか「SFはこわい」なんて言う人は、いつでも繁栄している文系帝国に引き返せばいいでしょう。 (1152)

などと、書かれています。
こういった態度について、どうお考えなのか、伺っております。

》パラサイト・イヴの面白さが科学的正確さじゃない、という点については私もそう思います。

では、どういった本が「科学的であることを魅力、あるいは重要な部分とする小説(1230)」なのでしょうか? 専門の科学者が書いてさえ、科学的に正確な話が書けないというのに、そのような本を普通の小説家が書けるものなのでしょうか?

》研究者の方が読むと醒める…とかゆーのだったら、これは指摘するに足る欠点でしょう。

すみません。同業者の間では、その「間違いがある」という話をして、もりあがってしまいました。念のため、怪物が出るからダメとかいう話ではなく、ごく普通の実験手順とかです。
けれどしかし、それは小説だし、面白いので良いのではないかという結論には至ったのです。
私は、その話をしていたのですが。

》私が言ってるのは例えば「この時代にはこの城はできてない」とか「この時代には、この武将は死んでる」とかそーゆーレベルの話です。

そういうはなしと、

》記録に存在しないことをでっちあげること、嘘をついて面白くするのは当然です。

とは、どこが違うのでしょうか? 嘘で話が面白くなるのなら、嘘であることで話がつまらなくなることはないでしょう。城があろうがなかろうが、小説の瑕疵になるとは、私にはとうてい思えないのです。

》小説の種類によっては十分致命的な欠点になりうるし、また、積み重なることで大きな欠点になることもあります。

それは、どういった小説でしょうかか? 小説はノンフィクションではないのです。何よりも話として面白いことが第一で、科学的事実や、歴史上の事実に正確かどうかは、二の次、三の次、小説の第一の価値ではないのではないでしょうか?
科学的事実や、歴史的事実にこだわるあまり、話のおもしろに欠ける物語ができるのなら、その「事実へのこだわり」は、十分ジャンルを滅ぼすのではないでしょうか。

RE:1245 海法さん、

》だから、それを言うためには「科学的にこだわる」の意味と、「SFファン」の意味をはっきりさせる必要があるんですよ。

一般の人から見ての定義なら、「SFファン」とは、「僕はSFファンだから」と口に出すタイプの人間でしょう。でなくては、非SFファンには、相手が「SFファンか、ファンでないのか」、判断する手がかりがないですから。
「科学的にこだわる」というのは、SF小説をまず「面白さ」で判断するのではなく、「科学的正確さ」で語る人たちと、お考えいただいて結構です。

》DASACONに参加する人とか、SF大会に行くメンツはそりゃ自称してるでしょう。文脈によっては、それらを「代表的SFファン」とか呼べる場合もあるかもしれない。

つうより、私はそれらをこそ、「SFファン」だと考えています。

》今議論しているのは「三枝さんの定義するSFファン」の話でしょう?

ええ、ですから「SF大会」なんかに行って、SFMを毎号買ってしまうような人。何よりも自分のことを「SFファンだ」と、自称してしまう人ですね。

》「SFの購買層、読者層」の意味で使うべきじゃないんですか?

いや、その先入観が、海法さんの誤解を呼んでいるようです。
「SFファン」でなくても、SFを買う人達はたくさんいます。むしろ購買層は、「SFファン」とは違う層なのではないでしょうか?
つまり、この世の本の大部分は、単なる「読書が好きな人たち」に買われているのです。そして、「読書が好きな人たち」は、特にどれか特定のジャンルのファンではないのではないでしょうか。
今のSFの低迷は、「SFファン」に対するいやな思い出が、「SFの重要な購買層」である「ただたんに読書が好きな人たち」に、SFというジャンルを敬遠させたせいではないのか、という可能性を、つまり私は考えているわけです。

》それが、DASACONのメンツにぴったりと重なるってのはどう考えてもおかしいでしょう。

そうです。「SF購買層」は,「DASACONの参加者」とは、重ならない。「SF大会出席者」とも重ならないのです。

だからこそ、「SFファン」が、SFを低迷させた、という理論も成り立ち得るのです。
「SFの購買層」がぴったり「SFファン」と重なるのなら、「SFファン」がどんなに嫌なことをやろうとも「SF購買層」がSFから去るということはありえないのです。自分自身を嫌って、自分から去ることはできません。
しかし「SF購買層」は「SFファン」とは違うので、「SFファン」を嫌だと思うと、SFも嫌だと思って、SFというジャンルから去って行く可能性もあったのではありませんか?
そういう話をしていたのです。

1245//SFファンとは? (1999/04/05 20:50:36)
MAIL::海法 紀光
>「SFファンは、科学設定にこだわ人間ばかりではない」と言いたいのか
(以下略)

だから、それを言うためには「科学的にこだわる」の意味と、「SFファン」の意味をはっきりさせる必要があるんですよ。
そのレベルの定義すら理解してくれない人に、何を言ったって誤解の種になるだけでしょ。あらゆる角度以前の問題です。

>私には「SFファン」が、私たち外部の目で作られたものだとはどうしても思えません。
>むしろ「SFファン」と自称する人達によって作り出された集団という気がします。

ほらまた、ムチャクチャ言ってる。DASACONに参加する人とか、SF大会に行くメンツはそりゃ自称してるでしょう。文脈によっては、それらを「代表的SFファン」とか呼べる場合もあるかもしれない。

ただ、今議論しているのは「三枝さんの定義するSFファン」の話でしょう?
#1208で書いた通り、SFの興亡の話をしている以上、「SFファン」ってのは「SFの購買層、読者層」の意味で使うべきじゃないんですか?
それが、DASACONのメンツにぴったりと重なるってのはどう考えてもおかしいでしょう。
自分が何について書いているのかをはっきりさせてください。

で、一応書くと、

・SFファン=SFの購買に影響する層とした場合。

・SFファンに科学考証至上主義を押しつけまくる人は少ない。
・科学考証に全くこだわらない人間は少ないだろうけれど、ハードな科学考証を第一に置く人は割合的には少数派(かな)。とはいえたいていの人は、話ごとに楽しむわけで、キャラの面白さもアイディアの面白さもハードな科学考証も個々に評価するし、排他的なわけじゃないです。ハードな科学考証が好きだからって、そうじゃないSFを評価しなかったり楽しめなかったりするわけじゃない。
・科学考証至上主義を他人に見境無く押しつけまくったら、そりゃSFの発展には良くないでしょ。
・科学設定にこだわって読むこと自体はSFの楽しみであり、それは別にSFを滅ぼすことにはならんでしょ。

…となります。既に書いたことばかりだと思いますが。

1244//ウソのつきかた (1999/04/05 20:49:48)
MAIL::海法 紀光
>その反証が、私には反証になっていると思えないんです。特に、「そうではないファンもいる」という言い方は、「そうであるファンがたくさんいる」場合には、何の意味もないのではないか、と。

それについちゃ、私は大森さんの1%説に同意します。偏見は増幅されやすいので、印象としては大きいかもしれませんが、そうであるSFファンは少ないです。私の経験と見聞の範囲ではね。

>野尻さんのボードなんかでは、もっと別の意味でやられていますよね? ああいったものについては、どうお考えですか?

心当たりがありません。何の話題について、どんな意味でしているというのですか?

>いや。「パラサイト・イヴ」にさえ、科学的な間違い、作劇上の都合による改変があります。でも、それは悪いことだとは私には思えない。あの話の魅了が科学的正確さだとは、私には思えないですよ。

当たり前です。誰がそんなこと言ってるんですか?
パラサイト・イヴの面白さが科学的正確さじゃない、という点については私もそう思います。もし「ミトコンドリアが火を噴くのは科学的におかしいからダメ!」的なケチをつける人がいたとしたら、俺は大反対しますし、それが普通のSFファンの認識かと。

#パラサイト・イヴは別にSFと名乗っているわけじゃないし、私はあの話はホラーだと認識していますけど。

一般論として、SFの面白さの一つに大ウソをつく、ということがあります。この場合、科学的にほんとに完璧に厳密であろうとすれば、なかなか大嘘はつけなくなるんで、「うまいことごまかして煙に巻く」的手法は頻繁に使われるし、そこんところのホラの吹きかたこそがSFの醍醐味の一つです。
ただパラサイト・イヴで、もし前半の実験室での実験とかに、明らかに間違った描写とかが山積みで(道具の使い方がおかしいとか、名前が間違ってるとか)、研究者の方が読むと醒める…とかゆーのだったら、これは指摘するに足る欠点でしょう。そういうところは、科学的にウソがないように書くことで、小説を面白くできる。

SFってのはウソをつかないと成立しないジャンルですから、SFファンはそのウソのつきかたには拘ります。拘るってのは、「科学的にちょっとでもおかしいものをうけつけない」ってことではなく、場合に応じて判断するってことです。

》小説の歴史考証が完璧である義務は全くないですが、硬派な歴史小説なら考証が間違ってたら問題なこともあるでしょ。
>そうでしょうか? 私は、あまり問題がない、というより、通常の歴史研究の及ばない部分、考証のできない部分を埋めるのが、小説の魅力だと考えています。

記録に存在しないことをでっちあげること、嘘をついて面白くするのは当然です。天草四郎が蘇ったり、徳川家康が影武者だったりすること自体には何ら問題は、ない。その大嘘をつくために必要があって多少の事実を曲げるも、もちろんオッケー。
私が言ってるのは例えば「この時代にはこの城はできてない」とか「この時代には、この武将は死んでる」とかそーゆーレベルの話です。しかも、話を面白くするために敢えてそうした、というのではなく、単に勘違い/調査不足によるものって時です。

》それに、無駄、無意味に歴史考証が間違ってるのは決してプラスにはならんでしょうし。
>それはそうです。しかし、決定的な欠点と言うようなものではないんじゃないですか?

小説の種類によっては十分致命的な欠点になりうるし、また、積み重なることで大きな欠点になることもあります。

1243//中学の時間違えて似た名前の雑誌を買いそうになったことあります (1999/04/05 19:11:41)
MAIL::akaosug
なんか槍玉に挙げられてるSFMですが、内容的にはもの凄く間口が広い雑誌ですよね。
僕はSFMのレビューを見てTVのロボットアニメ(ガンダム)なぞ観るようになったクチなんで、余計そう感じるのかもしれませんが。
でもコアSFのファン以外が手に取り易いとは言い難い雰囲気もちょっとありますね。巻頭に橋本淳一郎さんとかいると、僕もちょっとビビルかも。色々工夫してらっしゃるのでしょうけど。
表紙を女性作家とかガメラの写真にして、コピーで雑誌名が隠れるくらいにする”激白!前田愛ちゃんの撮影秘話”とか、そーゆーやつで。

1242//相互作用 (1999/04/05 18:29:03)
MAIL::T.Mizoguchi
溝口@書物の帝国です。

遅れましたけど……
高橋さま>
どうも、馬鹿SFについて教えていただきありがとうございます。なるほど、
今度読んでみます>三浦俊彦

三枝さま>
定義なのではないかと思いますけど>SFファンと自称する人
たちが集まってSFファンになる。
どんなジャンルでも愛好家の人たちが集まって、共同体を形成
しているのではないかとぼくは思いますけど。そしてそのファン
の集団が認知される、というのは外部の働きがなくてはだめな
のではないかと思います。「SFファン」と自称する人たちが、「
SFファン」になることに問題があるのでしょうか?
ダサコンのページにも書かれているように、「SF系
ネット者の有志が運営・開催するささやかなコンベ
ンジョンみたいなもの」と述べているわけですから、
当然ですね。

それはそうと、一連の議論興味深く読ませていただいて
おります。「SFファンのSFを滅ぼそうとする可能性のある
行動を批判している」という点はいいつくしているように
思えるのですが?(#1151番の海法さんの分類とか)
他に何かあるんでしょうか?

1241//「SFファン」は外部の目で作られるのか? (1999/04/05 16:21:51)
MAIL::三枝貴代
たかはしさん。
私には「SFファン」が、私たち外部の目で作られたものだとはどうしても思えません。むしろ「SFファン」と自称する人達によって作り出された集団という気がします。
たとえば、DASACON?も、「SF系サイト」という名前を作りだしたようですし、その枠組みは自分達で決めたのではありませんか? 外部の私らは口を出していない、というか、放っておいた自信がありますけど、私。

1240//ミステリ読みのこだわり (1999/04/05 13:46:07)
MAIL::たかはし
>細田さん

ミステリの場合、ネタの前例にこだわったり(城平京「名探偵に薔薇を」の選評とか)、トリックの実現可能性にこだわったり(岡嶋二人「あした天気にしておくれ」の選評とか)することはありますよね。
#↑記憶で書いてます。ちょっと怪しいかも。
#もちろん前例があれば全てダメとかいう話ではありません。

賞の選評で述べられるんだからよっぽど影響力がありそうな気がしますが、なぜかSFの方が声が大きいことになってしまうのはなぜなんでしょう。

1239//いなばさんへ (1999/04/05 13:39:06)
MAIL::たかはし
はじめまして、だと思います。高橋と申します。

いなばさんの『三枝さん的言説が「SFファン」という集団を作る』という主張はわかるんですが、でも三枝さん的言説の土俵に載っている人にはそれが理解しにくいんじゃないかと思います。で、分からないだけならともかく、むしろ逆に、「良く分からない意見を言われる」→「枝葉末節にこだわって、SFの現状を理解しようとしていない」(やや飛躍)と、三枝さん的言説を強化させてしまうんじゃないか、と。それは好ましくないと思うのです。

#こういう見方をする人にはいなばさんと他のSFファンの区別が
#つかないはず、という偏見が入ってます :-)

余談:
>ところで、大庭健さんこそは、これぞ大森荘蔵と廣松渉の弟子、ってかんじの人だと私は思う。
がびーん。そうだったんですか。
「はじめての分析哲学」は読んでましたけど全然気づかなかったです。っていうか「物象化」(というか廣松渉そのもの)が良く分かってないらしい>自分

1238//野尻さん、 (1999/04/05 11:55:21)
MAIL::三枝
私には、いなばさんの唐突な「人権論」の方がゴミに読めましたけど。
本題からずれていて。

野尻さんご自身は、「科学的考証にこだわってSFが滅びるなら、SFが滅びてもかまわない、それがSFというものの楽しみなのだから」というお考えのようですね。これは認識不足でしょうか? それとも、「科学考証にこだわることによって、SFはより良くなるので、科学考証にはこだわるべきだ」というお考えなのでしょうか?

1237//ログが…… (1999/04/05 10:46:08)
MAIL::野尻抱介
私としては堺さんと大森さんの議論に興味があるので、過去の発言を再読しようとしたのだけど、もう押し出されてる(;_;)。
てゆうか三枝さんて人、いいかげんゴミまくのやめてくれないかなあ。見るからに認識不足なんだから、しばらく発言するのやめて、自分でいろいろ調べてみては?

1236//つまりですね (1999/04/05 10:21:17)
MAIL::三枝
あらゆる方角から、反証できる場所をみつけて反証するという戦術的な論法ではなくってですね、自分の主張は何なのかという、展望のある話にしていただけると、こちらも頭の整理がしやすいんですよお。

1235//どうどうめぐりをするのは、 (1999/04/05 10:03:52)
MAIL::三枝
いなばさん、海法さん、堺さんが、

「SFファンは、科学設定にこだわ人間ばかりではない」と言いたいのか、
「科学設定にこだわるSFファンは少数派だ」と言いたいのか、
「SFファンが科学設定にこだわってもSFはほろびない」と言いたいのか、
「SFを滅ぼすことになったとしても、それこそがSFの楽しみなので、科学設定にはこだわりたい」と言いたいのか、

そのどれを主張しているのか、私にはさっぱりわからないからですよ。きくちさん。

1234//ちょっと整理したい部分だけ:海法さんへ (1999/04/05 09:57:34)
MAIL::三枝
》分類/説明/反証は私はさんざんしてるし、

その反証が、私には反証になっていると思えないんです。特に、「そうではないファンもいる」という言い方は、「そうであるファンがたくさんいる」場合には、何の意味もないのではないか、と。

》科学考証ネタで盛り上がることの意味についちゃ、私は一番最初#1151で書いたことです。

あの説明通りの理由なら良いのですが。
野尻さんのボードなんかでは、もっと別の意味でやられていますよね? ああいったものについては、どうお考えですか?

》科学的であることを魅力、あるいは重要な部分とする小説はSFに限らずいくらでも存在するんすよ!

いや。「パラサイト・イヴ」にさえ、科学的な間違い、作劇上の都合による改変があります。でも、それは悪いことだとは私には思えない。あの話の魅了が科学的正確さだとは、私には思えないですよ。
もちろん、科学関連のノンフィクションは正確でないと問題だとは思いますよ。しかしそれだって、専門家向き程度にまで正確である必要はないでしょう。

》小説の歴史考証が完璧である義務は全くないですが、硬派な歴史小説なら考証が間違ってたら問題なこともあるでしょ。

そうでしょうか? 私は、あまり問題がない、というより、通常の歴史研究の及ばない部分、考証のできない部分を埋めるのが、小説の魅力だと考えています。

》それに、無駄、無意味に歴史考証が間違ってるのは決してプラスにはならんでしょうし。

それはそうです。しかし、決定的な欠点と言うようなものではないんじゃないですか?

1233//研究者なわけだし (1999/04/05 09:53:59)
MAIL::きくちまこと
フォーラムの発言はともかく(むろん可能だけど)、”SFMの内容”についてはきちんと実例を挙げらたらいいんではないかな。
ハードSF特集での菊池の原稿は科学至上主義の典型だ、とかさ。
気分で語るフェーズをどれほど続けたって、ドードー巡りでしょう。
千日手は投了と決まっているので、続けたければ、三枝さんが実証してみせるしかないでしょうね。

きちんと相手をしておられる海法さんといなばさんには頭が下がりますが、今のところ暖簾に腕押しとしか思えない。

いかに論争好きの家主大森氏といえども、これはもう飽きてきたのでは?

と、メタレベルの話をすると嫌われるのかも(^^)

1232//梅原さんのリアクション (1999/04/05 09:38:40)
http://www2c.biglobe.ne.jp/~hosoda/ MAIL::細田
どうも、青山さんのページに公開されている書簡その他を見ると、日本SF大賞を自分ではなくて神林長平氏が受賞したことが起因じゃないかと。でもって、憎んでいるのはSFファンというよりも日本SF作家クラブ。いやぁ、オレ、人間として梅原さんの気持ちは実によく分かります。私怨を公憤を装って展開する、なんて部分も含めて。

ところで、三枝さんの過去の論法を真似ると「設定にこだわる奴はSFファン以外にもいる」が真か偽か、なんですが、どうもミステリーとかやおいファンにはいないか、SFファンより少ないような気がします(他のジャンルは詳しくないので、語れませんが)。そこらへんはいかがなんでしょうか。

1231//話の腰を折るが (1999/04/05 09:08:41)
MAIL::いなば
堺様、皆様
今回の『SFオンライン』のジュヴナイル特集はありがたいですねえ。翻訳編もほしい。

1230//はぁ〜 (1999/04/05 08:27:30)
MAIL::海法 紀光
>三枝さん
>それは、あり得るでしょう。当然。
>だって、小説が科学的に正しくある義務なんて、ないんですもん。
>その考証がいかに科学的に正しかろうと、小説と無関係なことで小説の瑕疵として大きく語られたりしたら、ただの因縁つけと思われてもしかたないでしょう。

そりゃ小説によるでしょ。
科学的であることが、十分関係ある小説ってのはあるわけですよ。
小説一般に科学的である義務なんてな全くないですよ。けど、科学的であることを魅力、あるいは重要な部分とする小説はSFに限らずいくらでも存在するんすよ!

すべての小説の歴史考証が完璧である義務は全くないですが、硬派な歴史小説なら考証が間違ってたら問題なこともあるでしょ。それに、無駄、無意味に歴史考証が間違ってるのは決してプラスにはならんでしょうし。

俺が「公平に」と言っているのは、そういう小説の方向性を意識し、考慮し、その根拠を十分述べ、意見/反論を受け付ける姿勢を十分示した上で、批判する、と言うことです。#1151でそのへんは詳しく書きました。
それがただの「因縁つけ」ですか?

1229//フォーラムとかSFMとか (1999/04/05 08:18:12)
MAIL::海法 紀光
>だから、SFファンを批判しているのではない。SFファンのSFを滅ぼそうとする可能性のある行動を批判していると、お考え下さい。

まぁ、そういう仮説が成立することは何度も書いた通り納得してるんですが、仮説が現実かどうかはケース・バイ・ケースかと。で、各ケースの分類/説明/反証は私はさんざんしてるし、それについては一度も三枝さんから返答をもらってません。
主張を続けるのなら、それを踏まえた議論をしてください。そうでない限りは、三枝さんは一方的に決めつけている、と私は主張します。

>科学にうるさいというのは、フォーラムでの会話やSFMの内容とか、どう見てもこれはやりすぎだよなあと思えるってことですね。

例えば、SFファンがフォーラムで科学考証ネタで盛り上がることの意味についちゃ、私は一番最初に#1151で書いたことです。無視して同じ主張を繰り返すのは勝手ではありますが、少なくとも「決めつけ」とは呼ばせていただきますよ。
SFMの記事ってのも、具体的にどの記事とか、どんな記事とか書いてほしいし、書かないのなら、「個人的な印象にすぎないこと」を明示してください。

1228//それは「不幸なこと」というより、「普通のこと」では? (1999/04/05 08:10:28)
MAIL::三枝
》「ある人が科学的考証について、非常に公平に語っており、内容自体は全く批判していない場合であっても、周りから「またSFファンが文句つけてる」と受け取られてしまうことはあります。

それは、あり得るでしょう。当然。
だって、小説が科学的に正しくある義務なんて、ないんですもん。
その考証がいかに科学的に正しかろうと、小説と無関係なことで小説の瑕疵として大きく語られたりしたら、ただの因縁つけと思われてもしかたないでしょう。

1227//SFMもフォーラムも (1999/04/05 08:03:59)
MAIL::三枝
》私は、三枝さんが「過去SFファンと一度もつきあったことがない」にも関わらず、

》1.SFファンが科学にうるさい、ということを「事実」として指摘した。
》2.そういうSFファンがSFの首を絞めている、と主張している。

ええ、個人的に付き合ったことがないので、梅原さんのように、恨みを持ったりする、つまり「人として」SFファンを批判する理由なんかないんですよ。
批判すべきは「その態度」で、正確にはそれによる「SFを滅ぼすかもしれないこと」のみですね。
だから、SFファンを批判しているのではない。SFファンのSFを滅ぼそうとする可能性のある行動を批判していると、お考え下さい。

科学にうるさいというのは、フォーラムでの会話やSFMの内容とか、どう見てもこれはやりすぎだよなあと思えるってことですね。

1226//線が無いと言ってしまうと… (1999/04/05 04:36:42)
MAIL::海法 紀光
私から見て、問題のある押しつけ方をする人間というのはいるわけで、それについて言及しないと、逆に「SFファンは科学考証に関して、自分の間違いを認めない」という言質&免責を取られると思うわけでして。

心が狭いと思われがちだからこそ、「問題もある」というのをアピールしとかなきゃというか、相手の言い分を認めつつ、そうじゃない場合があることを示すのが無用な誤解を解くことだと思います。
良識のある人だったら、心にとめておいてくれるだろうし、ない人はまぁ、どう言ってもしょうがないでしょう。

そうしておいたほうが、実際の作品についての個々の議論もやりやすいでしょう。そういう時は、私は誤解を解き、スタンスを示すべく努力します。その場合に線引きをするのは、両者の議論の結果ですな。

これは当然、「個人の趣味&こだわりの違い」とか「なるほど。君の言うことはわかった。でもまぁ僕は面白い/つまらないと思うのは変わらないよ」で済む状況の話です。そういう状況であれば、私の経験からしてこういうアプローチが有効だと考えています。

もし、堺さんのおっしゃっていることが、実際のアニメ設定現場とかで、どこまでSF的設定にこだわることの意味を相手に理解させるか? …ということでしたら、話は変わりますが、その場合も含めてでしょうか?

1225//線引きは誰がするのか? (1999/04/04 22:21:59)
MAIL::堺三保
「ある人が科学的考証について、非常に公平に語っており、内容自体は全く批判していない場合であっても、周りから「またSFファンが文句つけてる」と受け取られてしまうことはあります。 」

私が問題にしたいのは、まさにこういう不幸な場合のことです>海法さん

だって、その人の発言が「科学にうるさいSFファンによる押しつけ」かどうかを判断するのは、SFファンじゃない人たちなんですよ。
その場合、海法さんが言うところの「正しい指摘」と「しつこい押しつけ」のあいだの差なんて、ありはしないのです。これは、ここ数年、アニメのSF設定やった上での実感です。

それに対して、こちらから線引きをしてみせても、非SFファンにとっては、「線が引かれている」という事実だけが残ってしまうんですよ。

相手に免責を与えてるだけなんですね、それじゃ。

1224//補足: (1999/04/04 21:49:29)
MAIL::海法 紀光
>三枝さんへ

もし#1222で三枝さんのおっしゃりたいことが、「私はSFファンがSFを滅ぼしているというSFファンにとっての問題点を指摘しているのである。ただ私自身はSFがどうなっても構わないので、特に「批判」しているわけではない」という意味なら、#1221での私の論点とは筋違いです。

私は、三枝さんが「過去SFファンと一度もつきあったことがない」にも関わらず、

1.SFファンが科学にうるさい、ということを「事実」として指摘した。
2.そういうSFファンがSFの首を絞めている、と主張している。

…と言っている2点を問題にしているのです。
過去、それほどSFファンと縁がなかったのなら、1が事実かどうかはあやふやなはずだし、そのあやふやな前提を元にした2が成立しているかどうかもあやふやでしょう。

あやふやなことをわきまえたうえで「こういう(あやふや)^2の仮説が成り立つけどどうか?」と言うのなら議論の余地はありますが、三枝さんの文章は、あやふやどころか非常に強く主張しているので、私から見て「決めつけている」ように思えます。

1223//被害妄想のつもりはありません。 (1999/04/04 21:04:20)
MAIL::海法 紀光
>三枝さんへ
>「SFファンは科学にうるさくて批判すべきである」なんて、私は言っていませんよ。

以下の2つから、そのように判断しました。

#1163より
>「オレはあんたの話をしているのじゃない。どういったタイプが多いかの話をしているのだ
>だって多いんですよ。科学設定にこだわる奴。
(中略)
>だからその事実を認めて、考えて欲しいんだけど。
>あるものを「無い」と言うのは止めて、さ。

#1140より
>私が批判しているSFファンは、メタ言語小説を持ち上げるSFファンや、科学的正確さにうるさいSFファンだけではありません。

…この二つから、「三枝さんは、SFファンには科学考証にうるさい人間が多いと認識しており、それを批判している」と受け取りました。

>私は梅原さんと違って「SFファン」とつきあったことがないので、SFファンを批判する理由はありません。

上に上げた引用との矛盾点をご説明願います。

>しかしどうも少し、被害妄想ぎみではないかと、ここ数日の書き込みを読んで思います。一部の方のようですが。

ご自分の文章がどのように読めるかをご理解いただいたうえで、ご再考願います。

1222//海法さん、 (1999/04/04 19:29:24)
MAIL::三枝貴代
》「SFファンは科学にうるさくて批判すべきである」と言ってるのは、

「SFファンは科学にうるさくて批判すべきである」なんて、私は言っていませんよ。
「SFファンは科学にうるさくて、自分の首を絞めているのではないか」と言っているのです。

私は梅原さんと違って「SFファン」とつきあったことがないので、SFファンを批判する理由はありません。
しかしどうも少し、被害妄想ぎみではないかと、ここ数日の書き込みを読んで思います。一部の方のようですが。
被害妄想的な方は、誰に対してもそうなのでしょうか。それとも梅原さん関連になると唐突にそうなるのでしょうか。いずれでしょうか。

1221//押しつけ (1999/04/04 18:38:24)
MAIL::海法 紀光
>三枝さん
過去にSFファンと一度もつきあったことがないにも関わらず、「SFファンは科学にうるさくて批判すべきである」と言ってるのは、俺からみて「結論ありき」に思えます。
SFファンに関し、「梅原さんが抱いているSFファンのイメージは…」という前提がつけばともかく、あまりついていなかったと思うのですが。

>堺さん

「評価をTPO、スタンス、好みの違いを無視して、周りに押しつけまくる人/こと」…に関しては、押しつけられる人にとって迷惑/悪印象であろうし、SFファンの悪印象が増すことは、俺にとって気分が良くないことなわけです。
んですんで、俺が快適に生きるためには、それらは「してほしくないこと」です。
そう考えるのが俺だけなら単に俺の身勝手というものですが、それが迷惑なのは比較的一般性があると考えるんで、「すべきでないこと」と主張し、その価値観を押しつけます。

そして、非SFファン(と主張する人)に対して、SFの科学的こだわりの問題を説明する場合は、相手の立場からわかりやすいように書きますから、なおさら「押しつけまくる人は迷惑だよね」的書き方はします。
最初に書いた通り、それは俺の立場とも同じですから矛盾は生じません。私はそれが迷惑でないと書くことはできませんし、そういう人が存在しないということもできません。
前回書きませんでしたがSFファンの立場から強調するなら、これは誤解が生じやすい問題なので、ある人が科学的考証について、非常に公平に語っており、内容自体は全く批判していない場合であっても、周りから「またSFファンが文句つけてる」と受け取られてしまうことはあります。
SFに限らず、話に非常に満足しているが瑕瑾もある、というのに対し、「おまえは、俺の好きなこの作品を否定しているんだな!」的な受け取り方をする人はいますわな。
その瑕瑾がキャラの動きや伏線の処理とかでなく、自分に全く思い入れのない理由(科学考証)だと、誤解も増えやすいってものでしょう。

まぁそうゆう不幸な事態は別として、積極的に誤解を増やす人の場合。
一SFファンとしてSFの面白さは、別のところで喧伝しますが、SFファンの集合に含まれるある程度以上迷惑な人間は切り捨てますし、それは相手におもねることとは思いません。

1220//SFとは? (1999/04/04 17:23:51)
MAIL::スローターハウス
SFとは何か……という問いは過去、何度もなされてきましたが、私の知る限りでは、はっきりとした答えは出ていないと思います。

私は、SFとは人間のもつ全ての知的能力を用いた至高の芸術であり究極の文学だと考えています。また、私自身はかつて ”理性と感性の両面から未だ現れていない「真実」に鋭くせまろうと試みた作品は全てSFである” ということを言ったことがあったと記憶しております。

ただ、話を「いわゆるSFファン」のほうに戻しますと、エンターティーメント系、ライトノベル系、コアSF系とかの派閥に分かれていてそれぞれに排他的な要素を持っている、といいますか、交流がないという気がしております。……残念なことではありますが、パソコン通信の専門フォーラムなどにおいてもそういったSFを広くとらえてお互いの認識を広げようと言う意識は希薄であるように思います。……これは、残念といいますよりは、私にとっては絶望に近いものでしたが。

スローターハウス(ORONGO) CYE06166(CYE06166@nifty.ne.jp)

1219//SFは売れていないか? (1999/04/04 16:04:55)
MAIL::三枝貴代
菊池秀行、夢枕獏、田中芳樹、小野不由美、それと電撃文庫や富士見の作家たち(敬称略)を全部、「SF作家」ということにしておけば、SFは今でも、ミステリの次に儲かるジャンルということになるのですが。
1218//うーん、それは(笑) (1999/04/04 16:01:03)
MAIL::三枝貴代
》三枝さんは「こーゆーSFファンがいてイヤだ>それがSFをダメにした」とゆー結論ありきでしゃべっているので、何を言ってもわかりあ
えないでしょう。

という、「結論ありき」でしゃべらないで下さいよ。堺さん。
あたしゃ、SFファンとつきあったことなんか、過去に一度もないんだから。学生実験中に「スタートレック」読んでいて、助手やっていた先生にずりずりすり寄られたのが一回あるきりで。(つまり、その当時すでに「SFファン」というのは珍しかったのだろうか。)
最近会った、自称SFファンなんて、仲村明子だけ(笑)とか。(私は「フェミニズムとSFとが関連あるという説はダサイのではないか」という話をした。)

んーと、あたしゃね、なんであんなに梅原さんがSFファンに憎悪を燃やすのかという理由が知りたいだけなんっすけどね。
だって、ああいう天才型の作家って、努力でなれるようなものではないでしょう。興味があるんですよ。

1217//SFって (1999/04/04 12:48:34)
MAIL::ZERO
元々そんなに売れていなかったと思うんだけどなあ。
特定の作家が売れていただけではない?
市場に対して、作家が増えただけじゃないかなあ。

昔だって、オタクっ気のない友人に「好きな作家はアシモフ」とか
言うと「誰、それ?」って顔されたし、日本人作家なんて数名のビ
ッグネーム以外全然わかってもらえなかったもの。

1216//戦え戦え>SF派vsアンチSF派 (1999/04/04 11:43:42)
MAIL::堺三保
話題はすでに三枝さんの「SFファンが嫌い」「イヤなSFファンがSFを衰退させた」対海法さんたちの「SFファンとくくることがおかしい」の戦いになっていて、わたしにはいよいよ入る余地はないのですが。

つーか、三枝さんは「こーゆーSFファンがいてイヤだ>それがSFをダメにした」とゆー結論ありきでしゃべっているので、何を言ってもわかりあえないでしょう。

そのわかりあえない人を相手に、海法さんは自分のスタンスで議論をしようとしているわけだけど、大森さんはなんかいろいろ矛盾したことを言い続けて説得しようとしてるとしかオレには見えないから「やめれば」と思うわけですな。

いや、オレの頭が悪いせいか、「自明だ」とか「よく読めよ」とか言われて、10回以上読み直したんだけど、何がどう自明なのか、さっぱり理解できませんでしたわ>大森さん

というか、「おれもやっちゃうときがあるが」とか、あれ以降の大森発言は、言ってることがさらに矛盾してて、大森望としてどういう立場をとっているのか、さっぱり見えてこないんですけど。せめて自分の主張は首尾一貫させて、例外をあまり作らないでもらわないと、話ができまへん。ちゅーか、自分はこことここで矛盾してます、って言って、話を次に持っていくのも、単に自分の場合の免責条件を印象づけてるだけとしか思えない。ずるいよね。

だいたい、「自明だ」とかって論法って「証明の放棄」っていう、すごくわかりやすい強弁法なのが、気に障ってしかたないんですけど。

それと、「ラファティはSFでしょ」ってのも、すごいですよね。こっちゃ、「論理のすり替え」という詭弁法じゃないすか。

#1128の大森発言というのは、三枝さんの一般論に、一般論で返して「一部にイヤなSFファンがいるのも事実だが、大方のSFファンはそうじゃないんですよ」と言ってるだけで、その一部のイヤなSFファンの定義がきちんとしてないから気持ち悪いんであって、その前の方の発言で「オレはラファティが好き」って書いてあっても、そりゃ何にも関係がないじゃん。

ついでにいや、そりゃ逆命題であって対偶とれてないでしょ。「『レッド・マーズなんて科学的にはすごいらしいけど、小説としておもしろくないからダメ』などというストーリーテリング至上主義者に対して、科学派が怒りをおぼえて良い」ってんなら、話は双方とも五分になるけどさ。

だいたい、わざわざそういう二項対立に話を落とし込むこと自体が、「二分法」っていう詭弁じゃん。

これは海法さんにも言いたいけど、
「堺さんのおっしゃる「実践空手的、偏屈SFファン」は、「科学考証等に大きくこだわって評価する人」であって、大森さんの言う「1%のSFファン」は、「そうした評価を、TPO、スタンス、好みの違いを無視して、周りに押しつけまくる人(あるいは不本意にそういう印象を与えてしまった人)」の意味と考えます。」
の部分の 大森意見っていうのは、「そういう押しつけをする人はいけない」という価値観の、これまた「押しつけ」なんじゃないのってこと。
柳下さんのいうとおり、そこには「価値観の相違」ってもんがあるわけだから、それを他人に押しつけないで欲しいわけだ。

とかもろもろ言いたいことはありますが、それ以前に、反論どころか返事するのもイヤ、みたいな高圧的なレスをつけられると、
「ああ、この人は、オレとはケンカすらしたくないのね」
って気になっちゃって、いやーんな気持ちだけが強いですが。


1215//おわびーーーっ (1999/04/04 08:33:02)
MAIL::あっぱっぱ
下の記事で実相寺氏の名前が違ってました。「昭雄」ですね。
ところで某誌でも宣伝してる「となりの宇宙人」って何故坂田靖子氏が
ポスターイラストかいてんでしょ。まさか某ハヤカワが仲介してるとか・・
。でもメチャクチャおもしろそうっすね。

1214//『狂っていくシンちゃん』(←オイッ??) (1999/04/04 08:28:12)
MAIL::あっぱっぱ
最近(3/28)新国立劇場の小劇場で東京室内歌劇場のオペラ『狂っていく
レンツ』を観ました。演出が特撮系にはおなじみの某実相寺昭夫氏が担当
してましたがこれがスゴイ!。この人オペラの演出はかなりこなしている
んですけど映画に比べて成功してるとはいえないものがおおかったのですが
今回はぴったりこんこん。なんだか「人類補完計画」的空間の中で映画版
ラスト以降の錨シンジ君みたいな主人公がどんどん現実と妄想の区別が付か
なくなっていく(シンちゃんには失礼だが)様が描かれて行きます。音楽もい
わゆる「ゲンタイオンガク」ですけど威容な物語とマッチしていました。
ちなみにこの公園の批評が写真付で4/1の朝日新聞夕刊(p9)に掲載されてます。
興味のある方はこちらも見てみてくださいな。

1213//はじめまして「SFファン」です (1999/04/03 17:35:13)
MAIL::スローターハウス
はじめまして。「SFファン」のスローターハウスと申します。
パソコン通信ではSFフォーラムに参加するなどしてきましたが、インターネットのほう
は全くの初心者です。

ところで、ですが私は「SFが売れない」=「SFが面白くない」というわけではないよ
うな気がしております。実際に私は多くのSFを楽しみのために読んできましたし、たとえ
ば、「ハイペリオン」や「火星夜想曲」とか「時間旅行者は緑の海に漂う」、「V」なども
十分に娯楽作品として楽しめるのではないかと考えています。(本当に)

ただ、私はパソ通を始めるまでは孤独なSFファンだったのでよく知らなかったのですが
たしかにSFファンの中には排他的な要素をもつ人もいるように思います。

では、今後ともよろしく。

スローターハウス CYE06166

P.S パソコン通信といいますのは具体的にニフティなのですが、そこで三枝さんとも
コメントのつけあいはあったと記憶していますが、残念なことにSF絡みの話題
はあまりしなかったように思います。

1212//そうですね (1999/04/03 07:20:06)
MAIL::三枝貴代
もしかしたら、一部?、それとも多くの?SFファンは、「SFマインド」とか「SFファンとしては」とか、「SFのわかる人」とか、「SFとして」という言葉を、言いすぎてきたのかもしれません。
それゆえに「SFファン特有のものの考え方」というものが、どこかにあるのだろうと、少なくとも私には思わせたのでしょう。

いずれにせよ、私はSFファンのイメージとして「区別がつかない部分」「共通点に見えるところ」にこそ、SF衰退の原因があるのではないかと、思っているのですが。

1211// (1999/04/03 06:49:54)
MAIL::いなば
ほんじゃ、以後はきちんと区別を付けて話をする、ということで。
なおかつ、非SFファンからは通常その区別は付けられない、というけど、今後はそういう区別があることをできるだけ世間に理解してもらう方向で努力する、ということで。
そうすれば、非SFファンの人も、たとえある特定のSFファンの個人について、「この人はこのカテゴリー」と見分けることができなくても、少なくとも「SFファン」というだけではその人がどのように振る舞うかを判断する材料としては不十分であることを理解し、レッテル張りに慎重になってくれるはずでしょう?

1210//多様なのは当たり前 (1999/04/03 06:31:56)
MAIL::三枝
》1.SFの生産/購買に関わる層
》2.科学考証にうるさい人
》3.非SFファンが、SFファンなる集合に抱いているイメージ
》4.自分のことをSFファンと呼ぶ人間の集団

いや、だからそのそれぞれがどういう関係でSFの衰退と絡んでいるのかについて解析したいのです。
で、「1つに見える」というのは「非SFファン」に以上4つの「SFファン」の区切りがつけられるのかというと、つけられないだろうという話をしていたのですが。

だから、「SFファンは多様」と言われても、「そんな当然のことを言われても困るよ」としか答えようがないんですよ。
「犬はそれぞれに多様」ですし「猫も一匹一匹違い」ます。しかしだからといって「犬という生き物は」とか「猫という生き物は」と言うこと自体が間違いということはないのではないかということなんですが。

1209//わっちりんくす引っ越し (1999/04/02 22:59:30)
MAIL::♪きむらかずし
大森さんに幸あれとバナー広告をクリックしてみました(私、既婚です)。
さて、わっちりんく(す) がこっそり引っ越したのをタレ込みます。

わっちりんくす http://sharl.haun.org/d/wl.html
厳選! SF つながり http://sharl.haun.org/d/scifi.html

1208//文脈 (1999/04/02 22:26:09)
MAIL::海法 紀光
>「SFファンは一つ」というより、「一つとして見たSFファン」について語らなくては、この命題に対する答えは出ないのです。

SF読者/作者/書評家に、SF衰退の原因があるかどうか調べるのはもちろん問題ないでしょう。で、その集合を便宜上「一つ」に数えるのも理解できます。

ただ、その場合は「SFの、購買/生産に影響する層」とか呼んだほうがより正確でしょうね。SFファンと呼んだ時点で、SF好きでSF買ってるけどファンを名乗らない人とかが入らなくなるわけで。

んで、そういう集団を「SFファン」と定義したところで、その「SFファン」の中にはどういう人間/集団がいて、どのような習性があるのか?ってのが第二段階でしょう。

例えば、日本社会の仕組みを語ろうとする。その原因の一端として、日本人の国民性というものについて議論するとする。
その場合、「日本人はみんな眼鏡で出っ歯でお辞儀」ってレベルの認識で議論するのは無意味でしょう。
よくありますけど、「日本人はみんな眼鏡で出っ歯でお辞儀だから、こういう社会なんだ!」とかいう外国人の日本人論って、つまらんし有害だし、差別かと。
最低限、日本人の中に、眼鏡や出っ歯やお辞儀がそれぞれ何パーセントいるとか、日本人の人種分布や文化分布やその他色々な要因がどうなってるかという事実をクリアにして、はじめてそれらと日本文化の相関について語る準備ができるわけでしょう。
日本人と外国人の違いを見定めるってことは、日本人、外国人を単一の属性に還元するこっちゃありません。色々な日本人がいるし、色々な外国人がいるなかで、色々違うってのを、一つ一つ明らかにせにゃ意味がないわけで。

同様に、「SFファンは科学考証にうるさい」なんて荒っぽいくくりじゃ、SF衰退の原因を求めたところで、無意味だと言ってるのです。私は三枝さんに、せめて「うるさい人間がどれだけいるのか?」「うるさいといってもどのようにうるさいのか?」をクリアーにするよう求めているわけです。…というか、そのレベルの議論をしようとしたのに、三枝さんが「SFファンは一つだ」とか「外部から見れば同じだ」とか言い出したわけですよ。「SFファン」という集団を分析する上で、「外部から見れば一つ」ってのは無意味です。

SF読者を非SF読者から分離する意味で、一つの集合として、とりあえず語るのは手順として理解できますが、次に来るのは、その集団の分析のはず。その時点で、SFファンは一つじゃなくて、じゃなくて、たくさん、色々になるわけです。

つまり、三枝さんのSFファンの定義は

1.SFの生産/購買に関わる層
2.科学考証にうるさい人
3.非SFファン(と思っている人間)が、SFファンなる集合に抱いているイメージ(より正確には抱いていると三枝さんが期待するイメージ)。

…の3点をごっちゃにしており、そこに通常の意味でのSFファン…

4.自分のことをSFファンと呼ぶ人間の集団

がまじって、それらが互いにすべて矛盾をきたしているのです。

1207//たかはしさん (1999/04/02 21:43:04)
MAIL::いなば
まあすでに私の議論はご指摘の通りメタレベルに移動しているので。宮崎さんが言ったレベルで話をしている訳ね。
本来のレベルでの議論は三枝さんや浅暮さんの突っ込みに大森さん(もちろん望さんね)が対応、というやりとりでわりとよく見えてくるかな、と。
私の理解では本来のレベルというのが「SFファンは云々」なるステレオタイプの現実妥当性だとしたら、あたしが関心を移動させたメタのレベルというのは宮崎さんの言うそのステレオタイプ自体の社会学的なはたらき、ですかね。
三枝さんは実体としての「SFファン」という集団の実在を前提して、その振る舞いに興味があるみたいだけど、私とかはその前提を共有しないわけで。むしろ三枝さん的な言説が「SFファン」という集団、「SFファン」のステレオタイプを自己規定として引き受ける人々の集団を立ち上げるのだと考えています。
だから三枝さん流のやり方は、研究主体と対象との間に共振を起こしちゃっているわけで、客観的な研究にはならないんじゃないかな、とか思うのだ。たとえば対象としてのSFファンをサンプリングすること自体、すでに「呼びかけ」として対象に働きかけ、そのありように干渉することでしょう?

ところで、大庭健さんこそは、これぞ大森荘蔵と廣松渉の弟子、ってかんじの人だと私は思う。初めの内は青年ヘーゲル派、ヘーゲル左派をやってて、それから分析哲学系の科学哲学の倫理学的含意の検討に転じている。優れた入門書『はじめての分析哲学』は「物象化論でクワインを読む」てな感じの本ですよ。

1206//SFに衰退してもらっては困ります (1999/04/02 20:19:54)
http://www2.gol.com/users/hisaeda/ MAIL::アリアドネ
はじめまして。時代遅れのSFファンです。
ですが、いろいろここでされている議論を読んでいると「SFの浸透と拡散」という言葉がさかんに言われていた時を思い出します。
この言葉、筒井康隆氏が言ったのでしたっけ?あいまいな記憶です。

さて、ここまでの議論を読んでいくにあたって、「科学的緻密さ」にこだわるハードSFにも、言語で実験をするメタ言語SFにも衰退してもらっちゃー困るなあ。という思いを強くしてます。
本当に。
何故ならSFは科学的思考を学ぶ第一歩となりえるからです。メタ言語もあるルールで論理というものに拘るものであり、そこに私は科学的な態度というものを見いだします。だからそれがSFだと私は思っております。

近年の「理科系ばなれ」とSFという「言葉」の衰退とが無関係とはどうしても思えません。
ロケットに乗りたい。ロボットを作りたい。という衝動を植え付けたのはSFであり。
エゴセントリシティ(自分中心主義)の愚かさを教えたのもSFです。
科学的といわれる態度…論理を重んじ、その正確さを尊ぶという態度も、みんなSFがくれたもののような気がします。そういった思考法の流布にSFは一役買っていました。

それだけ、ではないにしろ、そういった役割をSFが担っていたのは確かだと思います。

#まあ、SFでないにしろ、私は「地球を考える」という小松左京氏の対談集を読んで進路を決めたクチですし
#HONDAの二足歩行のロボットにそういったSFの魂を感じますしね。

科学的正確さにこだわり、それをゲームとして遊ぶことができなくなってしまえば、理科系を志望する人間が大幅に減ってしまうと思います。私は。そうすれば優秀な人材が理科系から離れ…ますますSFは衰退し…ああ、悪循環。

だから、SFファンひとまとめにして「科学的考証にこだわるのは罪だ」なんて言ってる場合じゃないです。問題はもっと構造的なもののような感じがします。
#ここに当然ながら、教育問題も絡んできますけどね。もう少し理科系科目重視してほしいです。

がんばって、誰もが面白いと思えるとんでもないハードSF書いて貰って、「科学的考証」にみんなで楽しく拘れるようにしてくれないと困るんです。(ああ、理科系の得手勝手な考えかもしれないですが、少なくとも現在の経済的繁栄は技術が支えている国なんですから、理科系に優秀な人材が来てくれないと困るでしょ。実際問題。)
そして、さらに文化系理科系なんてアホらしい縄張りあらそいなんてやめて、すべてのひとが、そういった科学的思考の面白さを知ってもらわないと困るんです。
現在抱えている各種の問題を科学的思考なしに解決できんでしょう。
政治家にこそ、きちっとSF読んでほしいです。科学的な思考を身につけてほしいです。

がんばってください。いろんな意味での「面白い小説」読ませて下さい。>関係者各位

1205//それは見当違いの意見だなあ。() (1999/04/02 17:43:57)
MAIL::三枝
》別に、日本人だって「一つ」じゃありません。SFファンだって「一つ」じゃありません。

私は、「なぜSFが衰退したかのように見えるのか?」という問いに答えるために考えていたはずです。
SF衰退(本当に衰退しているのかどうかはともかく、衰退しているとして)の原因としては、「作家が悪い」「編集が悪い」「社会が悪い」「時代が悪い」「運が悪い」「読者が悪い」などなど、色々な可能性が考えられるでしょう。で、その可能性を一つ一つあたって原因を捜し出してみようと思っていたのです。

まず、「読者が悪いのかどうか?」という疑問に答えるためには、「SFのファン」というものが、他のジャンルのファンと「どこが違っているのか」考える必要があるでしょう。
「SFファンは一つ」というより、「一つとして見たSFファン」について語らなくては、この命題に対する答えは出ないのです。

ですから、

》それらを全部ひっくるめて、あなたの言う「SFファンは」ってのは、言うこと自体が差別なんじゃないか、と言ってるわけです。

という意見には「見当違いのご意見」としか、お答えのしようがありません。

》それに至るあらゆる文脈を無視するあなたが無茶ですってば。

ですから、私の方もあなたやいなばさんに、そう言いたいと思います。

1204//それは… (1999/04/02 17:17:39)
http://www.amecomi.com/ MAIL::海法 紀光
>「SFファンは」と、言うこと自体を差別だと、唐突に言い出したいなばさんの方が無茶だな。

…それに至るあらゆる文脈を無視するあなたが無茶ですってば。
まず、いなばさんは、あなたの「日本人が眼鏡出っ歯おじぎ」というところにまず反対してるんです。日本国籍を持つ人間の中で、多国籍人に比べ、それが統計的な事実であることを認めたにせよ、外国人が無意味にそう言ってきたら、そりゃ単なる差別です。(#1174)

で、あなたは「SFファンが外部から見ると一つであり、SFファンが科学考証に拘ることを否定するのは、日本人が出っ歯眼鏡お辞儀なのを否定するのと同じだ」…とまで言った。

別に、日本人だって「一つ」じゃありません。SFファンだって「一つ」じゃありません。前者は様々な人種の人間で、たまたま日本国籍を持っている者、後者はたまたまそう自称しているだけの多種多様な趣味と嗜好を持つ人間に他なりません。

それを「外部から見れば一つ」ってのは、普通、偏見と言います。知識不足による偏見は偏見としてあるとして、自分で偏見と認識してるなら、それをそのまま表に出さないとか、改善する努力をすべきでしょう。
それは、「統計的事実としてある集団にこういうことが言える」ってのとは全く別のことです。それを、三枝さんが同列に並べているところに私は問題を感じるわけですし、それを同列に並べた三枝さんの意図にも不審感をいだきます。

・それが統計的事実だというのはどのレベルか?(SFファンに接する人間がそう感じることについての議論は、大森さんの1%説がありますけど、たった1%についての話なのか? そうじゃないなら、それを越える根拠を。)
・それが統計的事実だ、というのを、「外部から見ればSFファンは一つ」という偏見に結びつけることにどういう意味があるのか?

そんでもって、私は私で、あなたの言う「科学的正確さにうるさいSFファン」という意味が、様々な意味を含んでいて不明瞭だ、と#1165で抗議してるわけです。

それらを全部ひっくるめて、あなたの言う「SFファンは」ってのは、言うこと自体が差別なんじゃないか、と言ってるわけです。

あなたの言うのが、統計的事実とかそーゆーのとは関係無しに、SFファンは科学考証に無意味にうるさい、という印象が一般に広まっており、それがSF離れの要因の一つではないか、という説なら納得できる点はありますけど。

1203//ああ、じゃあ、 (1999/04/02 16:27:28)
MAIL::三枝貴代
「SFファンは」と、言うこと自体を差別だと、唐突に言い出したいなばさんの方が無茶だな。
1202//なるでしょ、そりゃ。 (1999/04/02 16:18:49)
MAIL::海法 紀光
>「黒人は白人より肌の色が黒い」と言うと、黒人差別ってことになるのだろうな。いなばさんとたかはしさんには。

無意味に黒人のそばに言って、大声でそう言ってみなさいって。少なくとも相手はあんまいい気持ちしないでしょうから。私だって、いきなり白人が近づいてきて、「日本人は背が低くて肌が黄色い!」とか言われたら、「何者だ、こいつ!?」とか思いますし。

発言する、ということは、そこに自分の意図を読みとられるものであるのは当然。事実として正しかろうが、意図を示さず変な文脈でそういうことを言えば、その裏に意図を取られるのは当たり前。
「人種による肌の違い」を客観的に論じている現場とかだったら、文句を言う方が問題のこともありますが、そうでなかったら、言ったほうに問題はある。

そこにおいて、三枝さんが言った日本人&SFファンに関する文脈が、意図を誤解されてもしょうがないものであったか、そうでなかったかが、三枝さんの反論の焦点となるべきか、と。

1201//うーん(笑) (1999/04/02 15:15:06)
MAIL::三枝貴代
「黒人は白人より肌の色が黒い」と言うと、黒人差別ってことになるのだろうな。いなばさんとたかはしさんには。
一方、例の(「あの」でもイイっす)ボードでは、「マイケル・ジャクソンを白人と認めてあげないのは差別なのか?」という命題が、提示されました(はぁと)。