「シオドア・スタージョンという古代のSF作家がいるんだが、わたしは彼の作品を読むたびにいつも胸が張り裂ける。彼は、わたしがかつて見たものすべて、窓に映る光の閃きやスクリーンドアに落ちる葉影すべてを見たことがあるように思える。彼は、わたしがかつてしたことすべてを――ギターを弾くことから、テキサス州のアランサス海峡で船のデッキに寝そべって二週間を過ごすことまで――したことがあるように思える。彼が書いていたのは小説のはずなのに。それも、今から四千年も前の話だよ。(中略)こういう作家はめったにいない」
――サミュエル・R・ディレイニー『エンパイア・スター』より  



《このミステリーがすごい!2006年版》第4位 《週刊文春ミステリーベスト10》第3位
ミステリチャンネル《闘うベストテン》第2位 《SFが読みたい》ベストSF2005第?位

河出書房新社《奇想コレクション》
大森望編、伊藤典夫・大森望・柳下毅一郎訳

シオドア・スタージョン『輝く断片』amazon | bk1 | 7&Y


雨降る夜に瀕死の女をひろった男。友達もいない孤独な男は決意する。「いままで書いた中でも最も力強い作品」と著者自ら語る表題作をはじめ、切ない感動に満ちた名作8編を収録した、再評価著しいスタージョン、異色ミステリ傑作選。











     『輝く断片』編者あとがき(抄)



 第一弾の『不思議のひと触れ』では、スタージョン短篇のさまざまな側面を一冊で概観できるよう、ジャンル小説的なバラエティと口当たりのよさに配慮して作品を集めたが、今回は思い切って、数あるスタージョン短篇の中でももっともスタージョンらしい(と僕が勝手に考える)小説を中心に、一種のコンセプトアルバムをつくることにした。
 その中核は、強烈なインパクトを持つ異色作「輝く断片」。SFでもファンタジーでもホラーでもないこの傑作を表題作にすると決めた時点で、残りの主な作品はひとりでに決まった。
 まず頭に浮かんだのが、「輝く断片」と表裏一体の関係にある犯罪なき犯罪小説「ルウェリンの犯罪」。この二作に共通するのは、いままで平凡に暮らしてきた男がふとしたきっかけで一線を踏み越える≠ニいうモチーフ。したがって、同じモチーフを別の角度から描いた「ニュースの時間です」も当然収録しなければならない。
 以上三作は、いずれも(とくに、発表当時の基準では)狭義のミステリの範疇には入らないかもしれないが、いまで言うなら一種の異常心理サスペンス。心の奥底に秘めた暗黒が噴出する瞬間を描く点で、スタージョン流のノワールとして読むこともできる。
 だとすれば、時代をはるかに先取りした、サイコサスペンスの早すぎた原点、「君微笑めば」をはずすわけにはいかない。
 ここまで来れば、この短篇集のイメージをかたちづくる基本コンセプトは、広義の犯罪小説だと見えてくる。だったら、スタージョン・ミステリの最高傑作にしてジャズ小説の金字塔、「マエストロを殺せ」は是が非でも収録したい……。
 というわけで、悩む余地もなく以上の五編が決定。こうして並べてみると、この五編が一冊の短篇集にまとまるのはほとんど必然。この本はこうなるしかなかったという気さえしてくる。
 ミステリ雑誌初出の「ルウェリンの犯罪」「マエストロを殺せ」はもちろん、短篇集 Caviar 用に書き下ろされた「輝く断片」、SF雑誌初出の「ニュースの時間です」「君微笑めば」も含めて、この五篇はスタージョン短篇群の中ではミステリ寄りの系列に属する。しかし、一九五〇年代のミステリ雑誌を賑わせていたような短篇とはまったく毛色が違う。あまりにも独特の発想と、驚くべき語り口。かつて、こんなにも切ない犯罪小説があっただろうか。いまから半世紀も前にこんな短篇群が書かれていたとは……。
「ニュースの時間です」のマクライル、「マエストロを殺せ」のフルーク、「ルウェリンの犯罪」のルウェリン、そして「輝く断片」のおれ。彼らはけっして悪人ではない。むしろ真面目すぎるがゆえに、正常と異常の境界線をどうしようもなく踏み越えてしまう。主人公たちの考え方≠ノ共感しながら読み進めば、読者はページをめくるたびに激しく心を揺さぶられる。
 これまでSFの文脈で語られることが多かったためか、スタージョンのこのタイプの作品は、さほど知名度が高くない。しかし、スタージョンの最良のSF短篇にも匹敵する(もしかしたらそれ以上の)衝撃力を持つ傑作であることは保証する。とくに、「スタージョンは嫌いじゃないけど、SFはどうも苦手で……」というミステリ読者にはぜひ読んでいただきたい。ミステリ作家シオドア・スタージョン≠フ特異な才能に度肝を抜かれるはずだ。

 以上の五篇があまりに高密度なので、残る三篇は、彩り豊かなオードブルとして、軽めの楽しい作品を選んでみた。初期の愉快な子育てファンタジー「取り替え子」、セックスをテーマにした奇妙な味の小品「ミドリザルとの情事」(別題「みどり猿との情事」)、いかにもスタージョンらしい発想のジャンルSF「旅する巌」。作品の格調はともかく、三つとも、個人的に偏愛する短篇なので、くつろいで楽しんでいただきたい。
 収録作八編のうち、「取り替え子」「旅する巌」「君微笑めば」の三篇が本邦初訳。邦訳単行本初収録が「ニュースの時間です」と「輝く断片」の二篇(どちらもポール・ウィリアムズ編のスタージョン短篇全集では表題作に選ばれている)。『一角獣・多角獣』からは「マエストロを殺せ」を、『奇妙な触れ合い』からは「ミドリザルとの情事」「ルウェリンの犯罪」を採り、三篇とも新訳で収録した。
 ロマンチックSF傑作選=i岡本俊弥氏)とも評された『不思議のひと触れ』にくらべると一転してハードな内容だが、質的には『不思議のひと触れ』に勝るとも劣らない作品が集められたと自負している。(後略)



●収録作一覧

取り替え子 Brat (Unknown Worlds 1941/12) 大森望訳 *本邦初訳
ミドリザルとの情事 Affair with a Green Monkey (Venture 1957/5) 大森望訳 *『奇妙な触合い』収録(「みどり猿との情事」の新訳)
旅する巌 The Travelling Crag (Fantastic Adventures 1951/7)大森望訳 *本邦初訳
君微笑めば When You're Smiling (Galaxy Science Fiction 1955/1) *本邦初訳
ニュースの時間です And Now the News... (F & SF 1956/12)  *邦訳単行本初収録・星雲賞受賞
マエストロを殺せ Die, Maestro, Die (Dime Detective 1949/5) 柳下毅一郎訳 *『一角獣・多角獣』収録(「死ね、名演奏家、死ね」の新訳)
ルウェリンの犯罪 A Crime for Llewellyn (Mike Shayne Mystery Magazine 1957/10) 柳下毅一郎訳 *『奇妙な触合い』収録(「リューエリン向きの犯罪」の新訳)
輝く断片 Bright Segment (Caviar 1955/10) 伊藤典夫訳 *邦訳単行本初収録

「取り替え子」はユーモア・ファンタジー、「ミドリザル」「旅する巌」はジャンルSF、「君微笑めば」は若干のSF要素を含むミステリ、あとの4編は非日常要素のない(広義の)ミステリ。各編の詳しい内容は、巻末解説の解題を参照してください。






■シオドア・スタージョンについて


 SFの世界には、神話的な輝きを帯びた名前がいくつかある。コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、レイフェル・アロイシャス・ラファティ。そしてシオドア・スタージョンの名も、そうした魔法の名前<潟Xトのトップにランクされる。
 英語でsturgeonと言えばチョウザメのこと(ただし後述の通り、この奇妙な名前はペンネームではなく、彼の本名)。そのため、スタージョンの作風はしばしばキャビアの味≠ニ評され、実際に Cavierというタイトルの短篇集も出ている。
 しかし、作家スタージョンは、硬骨魚なのに鮫と呼ばれるこの奇妙な魚以上に正体が知れない。代表作として一般に知られているのは(発表以来ずっと版を重ねているのは)、超能力SFの古典的名作『人間以上』。しかし、日本の作家たちにも強烈な影響を与えた『一角獣・多角獣』『奇妙な触合い』収録作に代表される幻想的な作品群は、狭義のSFの枠に収まらず、O・ヘンリーやモーパッサンとも比較される。米文学史上最高の短篇作家≠ニの評価もあるくらいだが、スタージョンの没後、前年の最優秀SF短篇に与えられる賞として、彼の名を冠したシオドア・スタージョン記念賞(一九八七年〜)が新設されたことを考えれば、少なくとも英米SF界随一の短篇の名手≠ニいう評価は確定しているようだ。
 では、玄人筋から絶大な評価を勝ち得た技巧派作家かと思えば、アーウィン・アレン監督のSF映画『地球の危機』やクラーク・ゲイブル主演映画『ながれ者』のノベライズを担当し、TV版《スタートレック》のシナリオも執筆(六本書いて四本売れ、十七話「おかしなおかしな遊園惑星」と三十四話「バルカン星人の秘密」の二話が実際に採用されている)。はては、深夜ラジオの冗談企画(この世に存在しない本をみんなで書店に注文してみよう!)から生まれた本のゴーストライターという思いきり色物の仕事にまで手を出している。
 本格ミステリファンのあいだではエラリー・クイーン『盤面の敵』の代作者として知られているし(フレデリック・ダネイの四十二ページにわたる詳細なプロットにもとづいてスタージョンが小説を書き、マンフレッド・リーが全面的に手を入れ、さらにダネイが加筆したとか)、ウェスタン小説の短篇集も一冊出ている。
 いやむしろ、いちばん有名なのは作家としてではなく、スタージョンの法則=i「あらゆるものの九割はクズである」。詳細は「閉所愛好症」解題を参照)の考案者としてかもしれない。また、カート・ヴォネガットが作中で創造した三文SF作家、キルゴア・トラウトのモデルという称号もある。
 船乗りやブルドーザー運転手の経歴を生かした男性的な語り口で人気を博す一方、アーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』と並び称せられるジェンダーSF長篇 Venus Plus X(国書刊行会近刊予定)や、おそらくジャンルSF史上で初めてホモセクシュアルを正面から扱った短篇「たとえ世界を失っても」で物議を醸す。
 ふつうなら器用な職人作家と見なされそうなビブリオグラフィにもかかわらず、強烈な作家性を有するワン・アンド・オンリーの小説家としての名声が衰えない。それどころか、本国アメリカでは、綿密な校訂をほどこしたうえでスタージョンの全短篇を執筆年代順に収録するという壮大なプロジェクト、The Complete Stories of Theodore Sturgeon 全十巻(以下、《短篇全集》と略)が、ポール・ウィリアムズの編集でノース・アトランティック・ブックスから刊行中。死後に短篇全集がまとめられるのは、おそらくフィリップ・K・ディック以来のこと。もちろんこれはひとえにウィリアムズの尽力の賜物だが、アメリカSF界では、いまやディックに匹敵する重要作家として遇されていると言ってもいい。(後略)

――『不思議のひと触れ』編者あとがきより抜粋



河出書房新社《奇想コレクション》
大森望編、大森望・白石朗訳

シオドア・スタージョン『不思議のひと触れ』bk1 | amazon






収録作品解題(編者あとがきより抜粋)
*収録順。訳題、原題に続く括弧内は初出を示す。数字は年/月/日


●高額保険 Heavy Insurance (Milwaukee Journal 1938/7/16)
 スタージョンの作家歴の記念すべき第一号。生まれて初めて書いた小説かどうかは不明だが、発表された作品はこれが最初。この「高額保険」を皮切りに、一九三八年七月から一九四〇年三月まで、スタージョンは同様のショートショート合計二十五篇をマクルーア・シンジケートに売り、いずれもミルウォーキー・ジャーナル紙に掲載されている。「今日のお話」みたいな常設紙面で、他にも大勢の貧乏作家たちが採用を目指して投稿していたらしい。なお、ボツになった十篇も、のちに《短篇全集》に収録されている。
「高額保険」自体は、(歴史的価値を別にすると)一見どうということのない作品だが、二十歳の素人がいきなり書いたとは思えないほどよくできている。この路線で本格ミステリ作家を目指していたらどうなっていたかと想像するのも楽しい。実行可能なメイントリック(?)の評価はともかく、注目は、一種の枠物語構造を採用している点。アイデアをどう語るかにスタージョンは最初から自覚的だった。梱包をほどく描写の細かさなど、手作業的なディテールへのこだわりものちの作品に通じる。

●もうひとりのシーリア The Other Celia (Galaxy 1957/3)
「もう一人のセリア」の訳題で『奇妙な触合い』に収録された名品。それ以前にも、「箱のなかのシリア」のタイトルで、伊藤典夫訳が『推理界』一九六九年一月号に掲載されている。
 さらにその前年、作家の都筑道夫は、ラヴクラフト「インスマウスの影」やレヴィン『ローズマリーの赤ちゃん』、円朝「乳房榎」などと並べて、この作品を怪奇小説のオールタイムベストに挙げている(「怪奇小説の三つの顔」、初出《創元推理コーナー》5号、光文社文庫『血のスープ』所収)。
 スタージョン版「屋根裏の散歩者」とも言うべき筋立てだが、主人公スリムの性格設定に独特の味がある。シーリアの正体についてはあえて説明せず、読者の想像に委ねているが、ちょっとだけ書かれている推測が印象に残る。書きすぎると馬脚をあらわしそうだが、この「ちょっとだけ匂わせる」うまさは天才的で、現象としてはホラーでありながらSF的な広がりを感じさせる。

●影よ、影よ、影の国 Shadow, Shadow, on the Wall(Imagination 1951/2)
『夢見る宝石』や『人間以上』でもわかる通り、スタージョンは少年を描くのを得意とした作家だが、これは少年もの短篇の代表作のひとつ。厳格な義父に育てられた幼少時の体験が反映しているという説もある。スタージョンを敬愛するブラッドベリの「草原」と読み比べてみるのも一興だろう。
 執筆時期はスランプの最中だったため、書きたいのに書けない¥態を無理やり編み出そうと、「一日に(ダブルスペースで)一ページしか書かない」という鉄の規律を自分に課し、文章の途中だろうと単語の途中だろうと、そのページの最後まで来たらその日は執筆を中断する方式を採用。こうして二十八日間で二十八ページ書き上げたのがこの作品だという。
 なお、本篇は「壁に影が……」のタイトルで矢野浩三郎訳がSFマガジン一九七〇年五月号に掲載、「影よ、影よ、影の国」のタイトルで村上実子訳がソノラマ文庫海外シリーズの同題短篇集に収められている。

●裏庭の神様 A God in a Garden (Unknown 1939/10)
 スタージョンの商業誌デビュー作は、本篇より一カ月早く《アスタウンディング》三九年九月号に掲載された"Ether Breather"だが、最初にキャンベルが買ってくれたのは「裏庭の神様」のほう。スタージョンにとっては、これが記念すべきファースト・セールとなった。スタージョンは、惜しまれながら短命に終わったファンタジー雑誌《アンノウン》を代表する作家のひとりとなり、全十七篇を発表しているが、これがその第一号。また、スタージョンにとって初めてアンソロジーに再録された作品でもある(The Other Worlds, 1941)。再録料はわずか十ドル。文無しのスタージョンは、その十ドルをもらおうと、喜びいさんで出版社まで出かけていくが、「支払いは掲載時になります」と言われてすごすご退散――というエピソードが泣かせる。
 話の骨格はうんざりするほどありふれたものだが、キャンベルが目をつけただけあって、愉快で楽しいファンタジーに仕上がっている。「どうしても女房にウソをついてしまう男」という主人公像が妙におかしい。SFマガジン一九九二年十二月号に訳載。

●不思議のひと触れ A Touch of Strange (Fantasy & Science Fiction 1958/1)
 ハヤカワSFシリーズ版の邦題奇妙な触合い≠ヘ、(原題との整合性はともかく)本篇の内容からすると言い得て妙かもしれない。ボーイ・ミーツ・ガール小説史上、これはおそらくもっとも奇妙な出会いのひとつだろう。
 登場人物の名前、John SmithとはJane Dowは、日本で言えば、「鈴木一郎」と「山田華子」ぐらいか。どこにでもいる思いきり平凡な人間の平凡さを描いているにもかかわらず、人間像が鮮やかにイメージできるのがスタージョンらしいところ。不思議のひと触れ≠フ意味を最後の最後で鮮やかに逆転させてみせるラスト一行も心憎い。
 高橋豊訳がハヤカワSFシリーズのスタージョン短篇集『奇妙な触合い』に収録。

●ぶわん・ばっ! Wham Bop!(Varsity 1948)
 音楽はスタージョン作品の重要なテーマのひとつだが、これは風変わりなジャズ小説。
 ミュージシャンで生計を立てた経験こそないが、スタージョンはギターが得意で、(ウィリアム・テンの回想によると)二十歳の頃から惚れた女のためにつくった曲を仲間内で披露したしていたらしい。テンが最初に出会ったときは、政治談義で長広舌をふるう兄ピーターのバックででテッドはずっとエアギター(存在しないギターを弾く振り)を弾いていた。「ギターは持ってないの?」と不思議に思って訊ねると、「持ってるんだけど、いま質に入れててさ。いま渡してある原稿をキャンベルが買ってくれたら出せるから、そしたら本物を聞かせてやるよ」とスタージョンは言い、二週間後に実演してくれたという(テンの記憶ではあまりぱっとしなかったらしい)。
 また、ハインラインの回想するところでは、スタージョンはあらゆる音を口で真似する芸の達人だったという。鳥の鳴き声、船のエンジン音、車や機関車の走る音はもちろん、お題を出すとなんでもそれを口を再現してくれたそうだから、先代の江戸屋猫八以上かもしれない。
 本篇では、ジャズの演奏を口ではなく文字で再現するという芸を披露している。訳者にはそういうセンスがまったく欠如しているため、このスキャット(?)の翻訳にあたっては、先頃CDデビューも果たしたジャズ・ミュージシャン(サックス奏者)で作家の田中啓文氏に助っ人をお願いした。タイトルにもなっている「ぶわん・ばっ・しっしゅ・しーば」など、本作の核心をなすオノマトペはすべて田中氏の翻訳である。記して感謝する。
 なお、《ミステリマガジン》二〇〇一年一月号掲載時には「ワム・バップ!」のタイトルになっていたが、本書収録にあたって改題した。

●タンディの物語 Tandy’s Story (Galaxy 1961/4)
 スタージョンは生涯で五人の女性(ドロシー、メアリー・メア、マリオン、ウィナ、ジェイン)と結婚し、七人の子供をもうけたが、本篇には、三人目の妻マリオンとのあいだに誕生した四人の子供、ロビン、タンディ、ノエル、ティモシーが登場する(この四人より前に生まれたのがパトリシアとシンシア、あとに生まれたのがアンドロス。ちなみに実在のノエル・スタージョンは、父親の著作管理者として《短篇全集》の出版にも協力している。)。
 四人の子供たちに囲まれた家庭生活の細部は子育て小説としても魅惑的な細部に満ち、一種の私小説と読むこともできるだろう。当初の予定では主人公を交替させてシリーズ化する(つまり「ノエルの物語」や「ロビンの物語」を書く)はずだったらしいが、性懲りもなく離婚したせいかどうか、結局この一本だけしか書かれていない。
 地球外知性が地球人に接触して影響を及ぼすというパターンは、長篇『コスミック・レイプ』と共通。ブラウニーのイメージは、『夢見る宝石』の人形のエコーも聞きとれる。SFとしては珍しくない発想だし、遭難した宇宙人が地球の子供に助けを求める話だと思えば、スピルバーグ監督の映画『E.T.』の原型といってもおかしくない。しかし、このアイデアをこんな小説に仕立てられるのはスタージョンだけだろう。冒頭で紹介されるレシピ≠フ材料が作品にどう使われるかも読みどころ。

●閉所愛好症 The Claustrophile (Galaxy 1956/8)
 いわゆるスタージョンの法則≠ヘ、「あらゆるものの九割はクズ」という部分だけが人口に膾炙しているが、もともとこれは一九五三年の世界SF大会(フィラデルフィア開催)でスタージョンが行ったスピーチの一節。客席にいたジェイムズ・ガンの証言によれば、問題の一節は以下のとおり。
「世間の人がミステリを語るときは『マルタの鷹』や『大いなる眠り』を引き合いに出すし、西部劇なら『大西部への道』や『シェーン』が例になる。ところがSFに限っては、『ああ、SFね。バック・ロジャーズみたいなやつ。だいたいSFの九割はクズだろ』と言うんです。その通り、SFの九十パーセントはクズです。しかし、それを言うならどんなものでもその九十パーセントはクズであって、クズではない残りの十パーセントが重要なのです。そして、SFのクズじゃない十パーセントは、他のどんなジャンルの小説のそれと比べてもひけをとりません」
 だったという。この文脈に置けば、べつだん鬼面人を驚かす発言でもない。
 一方、スタージョン自身が《ヴェンチャー・サイエンス・フィクション》誌一九五八年三月号に寄せたエッセイによると、これ(九割はクズ)はスタージョンの法則ではなく、「スタージョンの啓示」(Sturgeon's Revelation)と呼ぶべきものだという。
 では、本来のスタージョンの法則(Sturgeon's Law)とはなにか。
 答えは、'Nothing is always absolutely so'。 「どんなこともつねに無条件にそうだとは限らない」。
 本篇は、この哲学を小説の中で初めて(いささか唐突に)披露した作品である。
 主人公は、人付き合いの下手なコンピュータおたく。社交性に長けた外向的な弟にいつも振りまわされ、わりを食ってばかりの存在だったが……。
 スタージョンによれば、SFに出てくるスペースマンが蛮人コナンの末裔(プラス知性)みたいなタイプの筋肉男ばかりなのは論理的におかしいんじゃないか――という疑問がこの小説の出発点だったらしい。
 SFとしては相当に無理のある設定で、プロット的には明らかに失敗作だろう。にもかかわらず主人公のキャラクターと終盤の逆転劇は忘れがたい印象を残す。今なら、ひきこもりに夢と希望を与えるおたくの願望充足小説≠ニしても読める。

●雷と薔薇 Thunder and Roses (Astounding 1947/11)
 本書収録作の中ではもっともストレートな、核戦争後のアメリカを描く近未来SF。しかし、発表時期を考えれば、このストレートさこそが挑戦だったのかもしれない。ネビル・シュートの『渚にて』('57)などよりはるかに早く(事実上の)核の冬≠フビジョンを提示した、おそらく史上初のSFでもある。
 なお、この年の世界SF大会に、当時同棲中だった歌手のメアリー・メア(翌年に結婚)を連れてやってきたスタージョンは、彼女をスター・アンシムに見立て、作中の歌にみずから曲をつけたものを歌わせて、自分はギターで伴奏したという。ジョン・レノンかだれかをはるかに先取りしたようなエピソードだ。
 本篇は、小笠原豊樹訳が「雷鳴と薔薇」のタイトルで《SFマガジン》一九六二年三月号に掲載され、その後、『SFマガジン・ベストNO.3』(ハヤカワSFシリーズ)、『世界SF全集16』(早川書房)、福島正実編『破滅の日』(芳賀書店)にも収録されている。

●孤独の円盤  A Saucer of Loneliness (Galaxy 1953/2)
 本書を締めくくる一篇としてなにがふさわしいか長考した挙げ句、スタージョンらしさが凝縮されたこの短篇を選ぶことにした。
 文学的なテーマ(孤独)と、手垢にまみれたチープなSF的ガジェット(円盤)の結びつき。ぱっとしない外見の平凡な女性に訪れる不思議のひと触れ=Bハンディキャップを背負った人間に対する共感。気恥ずかしくなるほどシンプルなメッセージと、それに最大限の力を与えるために選ばれたスタイル。そして行間からほとばしる悲痛な叫び……(アルフレッド・ベスターはかつてそれを、無線の交信呼びかけ信号になぞらえて、「耐えがたいほど強く胸を揺さぶるCQ」と呼んだ)。
スタージョンはつねに愛について書きつづけた作家だという説があるけれど、「孤独の円盤」は、スタージョン的な愛をもっとも純粋なかたちで示している。なお、この作品は同じタイトルで小笠原豊樹訳が『一角獣・多角獣』に収録。また《短篇全集》では、第七巻の表題作に選ばれている。



オリオン書房立川ノルテ店《シオドア・スタージョン・フェア》(終了)


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