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【7月11日(水)〜12日(木)】
突発的な特急仕事を受注。2週間で1冊、みたいな。この3カ月ぐらいだらだらしてたので体がなまっててなかなかエンジンがかかりません。仕事復帰のリハビリとしてはむしろ好都合かも。というわけでとりあえずはスロー・スタート。
【7月13日(金)】
六本木GAGA試写室で、午前10時から『ファイナルファンタジー』全長版。感想は前回書いた通り。見れば見るほどFFっぽい。
つづいて新橋・徳間ホールで『千と千尋の神隠し』。これは傑作。すばらしい。予告編見て、なんかまたダメそうだなあと思ってたんですが、予想とはまったく違いました。
しかしハクが塔矢アキラそっくりなのはどうか。出てきた瞬間、思わず爆笑しそうになっちゃったよ。そりゃ、10歳ぐらいの女の子には、コナンよりずっとウケそうなキャラですが。
13日の金曜日なので、ENIXエンターテインメントホラー大賞授賞パーティ。場所は京王プラザホテルの44階。なんというか、メンバー的にはほとんどSFのパーティだった気が。
終了後、SF組でぞろぞろ歩いて落ち着き先を探すも、金曜の夜なのでどこも満員。結局、オープンスペースでだらだら。早起きで眠いのでとっとと帰宅。
【7月14日(土)〜16日(月)】
どんどん仕事。
【7月17(火)】
天神町のレストラン《イコブ》で、山之口洋氏の直木賞待機宴会。いや懐かしい。この《イコブ》は、オレが新入社員時代、毎日のように晩飯食いに通った店なんで、そこに新潮社の先輩編集者といっしょにすわってると、まったく昔みたい。15年ぶりぐらいなんだけど、内装は全然変わってないし、マスターのN村さんも全然変わってない。
神楽坂の駅を矢来口で降りて、早稲田通りを新宿方向にちょっと行って、細い路地を右に曲がったところにあるんだけど、場所が場所なので、2階はいつも新潮社の人間しかいなかったんだよな。
今日も新潮社の編集者が多数ですが、祥伝社のH坂さんなど他社編集者も数名参加。ていうか、編集者じゃないのはオレだけ? まあここにいると半分編集者みたいなもんですが。
直木賞候補作の『われはフランソワ』は、泥棒詩人ヴィヨンの半生記。バンカラ学生時代の話がめちゃめちゃ面白くて、横田順彌の明治物なんかに通じる感覚ですね。ほとんど天狗倶楽部。
山之口氏は他の候補作を揃えてほとんど読破して研究、徹底的にシミュレーションを重ねていた模様。さすが技術系(笑)。結果は残念でしたが、まだまだこれから宴会のチャンスはたくさんあるってことで。
【7月18日(水)】
丸の内シャンゼリゼで『Red Shadow 赤影』。ぜんぜん赤影じゃなかった。妖術も妖怪も出てこないふつうの忍者映画。しかしこのギャグにはちょっとついていけません。冒頭15分で死にそうになる。その後やや持ち直して、悪くないアクション・シーンも出てくるので、最低評価からはやや上昇。フミヤのファンならOKでしょう。麻生久美子ファンもOKか。奥菜恵も後半は一枚看板に近くなるんだけどなあ。セリフ回しがなあ。
カバエワの出番は一瞬だと思ってたので、二回目の登場には意表をつかれる。どうせなら、徹底的に映画じゃなくしちゃったほうがよかったかも。赤影ファンにはすすめません。
【7月19日(木)】
11:00、読売ホールでティム・バートン版『猿の惑星』。スニーカー文庫のノベライズを読んで期待値が最低にまで落ちていたおかげで、非常に楽しく見られました。しかしあれだけ悩んでこのオチかあ。
つぶれた有楽町そごうのあとに入ったビックカメラで、オリジナル版『猿の惑星』DVDを購入。いつつくったのかもよく覚えてないポイントカードがあったんで、レジで「ポイント使ってください」と言ったら、レジのお兄ちゃんが「26円ですね」。
なんだ、そんなちょっとしか貯まってないのかと思ったら、払う金額が26円(笑)。ポイントカード侮れず。
有楽町の喫茶店で仕事して、夕方から新宿。ニール・ゲイマン『ネバーウェア』の完成打ち上げ宴会。オレはべつに関係ないんですけど、なんで呼ばれたかよくわかりません。読んでる人間がよっぽど少ないのか(笑)。三連休前夜ってことで店はめちゃ込み。東京大飯店の入ってるビルの店なんですが、一階のエレベーターホールでは、
「東京大飯店にお越しのお客様、現在、一時間待ちとなっております」とかアナウンスしてました。
デザイナーの鶴丈二氏とはひさしぶり。『オルガスマシン』のデザインも鶴さんの担当。今年のSF/ファンタジー最優秀デザイナーかも。いや、『オルガスマシン』はインパクトが強すぎて買いにくいの声も。山之口さんは、家族の手前、家では本にカバーをかけて隠しているらしい(笑)。うちはエロマンガ・エロ雑誌がたくさんあるので平気ですが、ふつうの家庭には持ち帰りにくい本なのかも。
ソニー・マガジンズM山嬢もなぜか同席。『ブリジット・ジョーンズの日記』映画化に合わせて秋に文庫ラインを立ち上げるらしい。
唐沢なをき本の打ち上げで新宿にやってきたさいとうよしこも挨拶に顔を出し、オレはベビーシッターの人と交替すべく子守に帰宅。
【7月20日(金)〜23日(月)】
ひたすら仕事。お盆進行で月刊誌の締切もはやいのでたいへん。アニメージュのコラム、小説すばるの書評(戸梶圭太『なぎら☆ツイスター』『湾岸リベンジャー』)、月刊アスキーのコラム、それにキネ旬の原稿。
最後のやつは、『猿の惑星』特集のケツにつくやつで、
「1968年公開の『猿の惑星』『2001年宇宙の旅』と2001年公開の『A.I.』『猿の惑星』の4本を素材に、SF小説/映画について1200字で語る」
というところまで指定された原稿(笑)。この4本の関係について書くだけで1200字埋まります。
この原稿のために、こないだ買ったDVDでオリジナルの『猿』を25年ぶりに見直したんだけど、めちゃめちゃ面白いね、これ。猿が出てくるまでがすごく60年代っぽくて、ほとんど実験映画ノリ。原作の改変もうまくできてます。シナリオとしては、バートン版よりはるかに出来がいい。このシリーズ、やっぱり三作目までは歴史に残る傑作かも。それにくらべると、最近のシリーズ物はアタマ使ってないよなあ。CGI禁止令とか出したほうがいいのでは。
戸梶圭太の二冊はどっちも最高に面白いのでお見逃しなく。「走り屋=おたく」説が暴走する『湾岸リベンジャー』の勢いで、つい『頭文字D』まで読んじゃったよ。
【7月24日(火)】
五反田イマジカに新しくできたハイテク試写室で、『指輪物語』――じゃなくて、『ロード・オブ・ザ・リング』27分バージョンのフッテージ試写。今年のカンヌで上映して絶賛された1話のダイジェスト版なんですが、ピーター・ジャクスンの映画とは思えないぐらいストレートでスペクタクルな絵になってます。ゴクリは出てこないけど。しかし、原作の内容をほとんど忘れてるので、新版を買って読まなきゃなあ。
ちなみに映画は三部作で、アメリカではこの年末から3年連続でクリスマスシーズン公開予定。日本では1話(旅の仲間)が来春かな。
上映終了後、開場外のテントで清涼飲料水接待。柳下毅一郎とか渡辺麻紀とか、そのへんの人とちょっとだべってから神楽坂の喫茶店にまわり、新潮社の人々と謎の打ち合わせ。
【7月25日(水)】
あちこちでいろんな議論が勃発中。
野尻ボードは、
SFセミナーの
瀬名秀明講演関連。
「これはSFじゃない」問題に関しては、そりゃまあ言いたくなる気持ちはわかるけど、いまは(少なくとも小説に関しては)そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、ってのが大森の立場(映画に関しては多少事情が違うんだけどここでは省略)。
「SF作家は喰わねど高楊枝」的な立場を採用するのは勝手だし、「現に(レッテルにこだわらなければ)SFは売れているではないか」とか「傑作はどんどん出てきてるではないか」とか、そういう立場をとるのも勝手ですが、瀬名講演はあくまで「非SFファンから見た現実の出版状況」を前提にした現実的な提言なので(しかも編集者アンケートを通じて具体的なデータを出しているので)、夢とか理想とか語ってもすれ違うだけでしょう。
ただし、具体的な再生プランとして打ち出されている新聞広告キャンペーンに関してはちょっと疑問。むしろe-NOVELSとかSFオンラインとかと組んで短編のSF新人賞を創設するとか、本格ミステリ作家クラブを見習ってSFの年間ベスト的なアンソロジーを立ち上げるとかしたほうが、外から見て元気がありそうな気がするんじゃないかなあ。
とか言ってると、瀬名さんははやくも、
「SFから離れる」宣言。いらだちはよくわかるけど(「いつまでも夢を見てたいなら勝手にしてください」宣言?)、そりゃいくらなんでも短気すぎでしょう。せめてSF大会まで待てばいいのに。
2ちゃんねるSF板でも関連スレッドが立ってます。あとは
「ただよえるこえ」とか
「見下げ果てた日々の企て」とか参照。
【7/29追記】
雪樹さんのところに関連リンク集がありました。
瀬名秀明氏SFファンとのファーストコンタクト関連話題リンク集。
もう一個、それと並行してとつぜん始まったのが、
新・大森なんでも伝言板の小林泰三×山之口洋論争(きっかけは
この発言)。山之口さんの立場は、クズ論争時の高野史緒さんの立場にわりと近いかも。
現在の「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」は、70年代のSFの子孫ではなく、やはり、70年代の「(疑似)科学的設定を入れない普通の小説」の子孫なのです。
には異論あり。というか、このへんの区別をはじめると、SFブーム当時の「SFのフェロモンがない」みたいな話の蒸し返しになっちゃう気が。「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」がSFとして評価されるかどうかはむしろ技術的な問題。人間の感情を描くために理屈がないがしろにされると、SFとしての評価が低くなったり、「これはSFじゃない」とか言われたりすることになる。
逆にそこがきちんとしてれば、井上夢人とか奥泉光とか宮部みゆきとかの「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」はSFとしても高く評価される。
だいたい、SFであること自体を目的とするような小説は、70年代日本SFでは明らかに少数派だったので(小松左京の一部作品ぐらい)、それに日本SFを代表させるのは無理があるでしょう。
かつてはSFと呼ばれていた「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」が、いまはSFと呼ばれなくなったのはなぜか、どうすればそれがまたSFと呼ばれるようになるのか、ってことのほうが問題だと思う。それについては、「たんに呼び名の問題だからそんなのはどうでもいいよ」とか、「それは『SF』って言葉のイメージが悪くなりすぎたせいで、もうとりかえしがつかないんだから、いっそ新しい呼び名を考えよう」とか、いろんな考えかたがあるでしょうが。
映画だと単純にガジェットで分類されるから、「必要に応じて(疑似)科学的設定を入れた普通の映画」も、みんな「SF映画」になっちゃうんだけどさ(たとえば『A.I.』とか)。
ちなみに大森が考えるSFのマーカとしては、
1 (疑似)科学的論理を下敷きにしている。また、たとえ異星や異世界や超未来が舞台であっても、どこかで「現実」とつながっている(ホラー、ファンタジーとの区別)
2 現実の日常では起きないようなことが起きる(ミステリとの区別)。
3 読者の常識を壊すような独自の発想がある(センス・オブ・ワンダーもしくは認識的異化作用)。
4 既存の(疑似)科学的なガジェットまたはアイデア(宇宙人、宇宙船、ロボット、超能力、タイムトラベルなど)が作中に登場する(ジャンル的なお約束)。
の4つぐらいがあって(ハードSFのマーカを含んでいないことに注意)、全部満たせば本格SFだけど、1+2とか、4だけとかでもSFに分類してかまわないと思う。SFファンは3を問題にしがちだけど、じつはそれを満たすSF作品は少数派。逆に、非SFファンはいちばんわかりやすい4だけをマーカにしがちなので、4を含まない作品を積極的にSFと呼ぶことも重要。
作家の人は、たぶん、「(疑似)科学的設定を入れた普通の小説」を書くとき、「この小説はSFを書くことが目的じゃないので、この部分に関してはこれ以上深く突っ込まない」みたいな選択を日常的にやってるんでしょうが(『ルー=ガルー』でも『0番目の男』でもそうだと思う)、読者は勝手に判断するので、「SFを書いたつもりはない」とか言ってもあんまり意味はないのでは。
あともうひとつ、
風虎日記と
幻想四海も意見交換中。
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「ティーンズノベル・フェスティバル」公式サイトオープン。詳細はのちほど。