【4月1日(土)】


 有珠山噴火で飛んだ『∀ガンダム』最終回がまさか未明から臨時放送されるとわ。やるなあフジテレビ。しかも最終回だけOPが違う!

 ……みたいなNIFTY-Serveサンライズステーション∀会議室の4月1日スレッドはけっこうよくできてると思った。実物見てなきゃ信じるところだにょ。信じないか。

 というわけでDASACON3である(レポートリンクはここ。東京発のひかりで新大阪到着は6時半。御堂筋線で心斎橋まで出て、これからホテルをさがすさいとうよしこと別れ、道頓堀方面に南下。ピンサロの客引きお兄ちゃんたちをかいくぐり、宗右衛門町をぶらぶら。まさかコンベンションでこんなところを歩くとは思いませんでした。まあ日本橋から来れば歓楽街は通らないのか。しかし東京から来たらふつう心斎橋か難波から歩くでしょ。なんば駅から千日前の商店街を通るのがインパクト的にはいちばんかも。本郷で合宿イベントやるのとはずいぶん違いますね。東京も、新大久保か歌舞伎町あたりの日本旅館で合宿するのはどうか。

 定刻の7時ちょい過ぎに到着すると、大広間ではちょうどオープニングがはじまるところ。人数的には京フェスよりちょっと少ないぐらい?
 合宿企画が大広間しかないっていうのは、まあ善し悪しですね。まあ一回目の京フェスはこんな感じだったわけですが、全体企画からの逃げ場がないのはちょっとつらい。

 いや、今回はきちんと部屋割りがあって、それぞれ鍵をわたされたらしいのだが、大森が自分の部屋を知ったのは午前7時なのでほとんど意味なし(笑)。

 というわけでオープニングからそのまま昭和37年企画に突入する。分科会的な企画としては問題ないんだけど、大広間企画としてはどうかと思った。周囲から突っ込みを入れにくい状況でアレをやってると、ただの年寄りおたく昔話だもんな。大広間でやるにしても、真ん中に四人並べて、車座システムを採用したほうがよかった。
 ま、わたしは昭和36年生まれなので、昭和37年生まれの人たちが考えることはよくわかりませんが。37年生まれの作家が(統計的・相対的に)少ないのは、やはり小説を書くかわり犯罪者になる率が高いからか(笑)
 しかし途中で我孫子武丸がいきなり「世の中まちごうてる」と演説をぶちはじめ、人生幸朗モードに突入したあたりは抜群の呼吸で、河内さんがいなかったのが残念です。4コマ一本描けたのに。

 企画終了後、山尾悠子様にご挨拶。1978年だかに高松で開催された四国SF振興会主催のローカルコン、《SETOCON》でサインをもらって以来なので、22年ぶり。大森は当時高校生だったわけですが、山尾様におかれましては当時とまったくお変わりなく、人魚の肉ででも食べたか八百比丘尼。出たな妖怪。ってそうじゃなくて、ほとんどSF界の吉永小百合でした。無理やり写真撮影させていただいたんですが、公開は絶対不許可ってことなので門外不出なのである。
「月蝕」誕生秘話とかも聞けてラッキーでしたが、いちばんウケたのは東雅夫氏に対する鋭いひと言。しかしこのひと言も公開不許可と釘を刺されてしまったので墓場まで持っていくしか。とか書いていると東さんがすごく気にするだろうと思われるので思う壺、みたいな。

 腹が減ったので、タニグチリウイチを誘って夜の道頓堀に食事に出る。わかりやすい場所ってことで、とりあえず千房でお好み焼き。
 PHSで連絡とって、アメリカ村の《ホテル・カリフォルニア》(笑)に投宿したさいとうよしこも千房に合流。
 宗右衛門町の旅館に泊まりながら、なにが悲しくて千房で夕食――というご意見もあるでしょうが、明石駅の駅ビルで明石焼きを食べたんだからしょうがない。非・大阪人としてはこれが基本なのである。

 コンビニに寄って宿にもどり、「○○と××ぐらい違う」コンテストを見物。みかじめ料とメカジキ漁は優秀でしたね。ただし、システム的には、「アナウンサー+解説者」にしたほうがよかった気が。「いかがですか、解説の冬樹さん」みたいな。





【4月2日(日)】



 深夜零時、心斎橋にホテルをとっている山尾悠子様がお帰りになるというのでお見送り。タクシーに乗りますからとおっしゃるのに対し、歩いてもすぐですからと無理やり心斎橋まで送ってゆく。「真夜中の宗右衛門町を山尾悠子と歩く」という誘惑には抵抗できないでしょう、ふつう。
 残念ながらふたりきりではなくフク氏もいっしょでしたが。しかし緊張のあまり、気のきいた話もできなかったり。いやほんとに。いきなり思春期の少年状態(笑)。

 ホテルまで見送ったあと、さいとうよしこが投宿している《ホテル・カリフォルニア》をちらっと覗いてから、合宿所にUターン。すでに門限を過ぎ、玄関には鍵がかかってたので、前から宿に電話。パジャマ姿のおっさんが思いきり不機嫌な顔で起きてきて、鍵を開けてくれました。

 あとは大広間でうだうだ。ホラーカルタに挑戦するも、まったくダメ。読んだはずのホラー作品も、内容をまったく覚えていないことに気づく。カバー裏の内容紹介読まれても全然まったくぴんと来ないのはなぜ。kasibaさんが意外と強かったですね。さすが、関西人の例外と言われるだけのことはある(謎)。

 しかし合宿でもっとも鮮烈だったのは、京大SF研が誇る鬼才、しおしお嬢。そうですか、山岸真が51歳で梅原克文が53歳。そりゃおやじだわ。小松左京に対する発言など、大胆すぎてとても書けません。

 朝になったので、鍵をもらって初めて客室に足を踏み入れ、タオルを調達して最上階の朝風呂。道頓堀を見下ろして入る朝湯は格別。
 風呂上がりにロビーでスポーツ新聞読んでると、宿のおやじ(ゆうべパジャマ姿で鍵をあけてくれたおっさん)が声をかけてくる。
「あんたらずっと起きとったんか。いつ寝るんかいな思うてたけど、なんかいつまでもしゃべっとったなあ。それでこれはなんの集まり? ださこんゆうのはなんやの? なんやへんなことしてるのとちがうの?」
「いやまあ、本が好きな人の集まりですわ」
「本の話を夜じゅうずうっとしとるわけ? どういう関係?」
「いやその、インターネットで知り合うた人間の集まりで」
「インターネットか!」やっとわかったという顔になり、「ごっつうはやっとるなあ、インターネット。うちみたいなとこにも、よう来よるんや、インターネットやれやれゆうて。あんな機械何十万も入れてどないすんねん。うっとこなんかあんなもんいらんわ。ほんまにしょむない。ファックスだけあったらそれでええねん」
「いやしかし、インターネット予約とか……」
「いらんいらん。そんなもん」
「はあ。まあそうでしょうなあ」
 などなど。とりあえず『インターネット関係』と説明しておくのは、あらゆる局面で有効な戦略のようである。

 エンディング終了後、牧野修の先導で道頓堀をぞろぞろ歩き、くいだおれの向かいの喫茶店、青山におちつく。大ダコの屋台がすでにオープンしてたので、我孫子武丸を誘ってモーニングがわりにタコ焼き。行列ができるだけあって、タコの味はなかなか。でかいだけじゃないね。青山の前ではイカ焼きも売ってるんだけど、あとでいいやと思ったらものすごい行列になってて食べられず。なんでこんなに並ぶのか。やっぱり50円だから?

 喫茶店で二時間ばかりうだうだしたあと、我孫子武丸隊長の強力なリーダーシップにより、《神座》(かむくら、と読むらしい)道頓堀店でラーメン。ここも行列です。大阪のひとは並ぶのが好きなのか。
 意外と体の弱い田中哲弥は、「気持ち悪い。吐きそうですわ」などと弱音を吐いてリタイア。徹夜明けでラーメンを食べさせられたのは、牧野修、小林泰三、北野勇作、ホテルから合流したさいとうよしこ。しかし我孫子隊長が執着するだけあってラーメンはうまい。見た目はそうとうこってりな感じなんですが、味はあっさり。チャーシューも絶妙。徹夜明けでも平気なラーメン。

 ラーメンのあとは、地元民の牧野修に隊長がふたたび交代し、道頓堀でも由緒ある喫茶店へ。牧野さんはここから徒歩2分ぐらいのところで生まれ育ったらしい。それはぜひ「牧野修生誕の地」を見学し、ついでに写真を撮り、ご両親のサインをもらって帰ろうと思ったが、牧野さんは場所を教えてくれませんでした。ケチ。やっぱり小林泰三がいたせいだろうか。いや、オレだって小林さんには実家の場所を教えたくない気がするけど。いやなんとなく。

 このあたりで眠けがピークに突入したので、ホテル・カリフォルニアにチェックイン。大阪のネット友達と遊ぶらしいさいとうよしこと別れて死んだように寝る。

 夕方起き出してアメ村を歩き、日本橋のつるとんたんで夕食。牧野さんが高校時代にバイとしていたという、これまた由緒正しい喫茶店、丸福でコーヒー。思い切り濃い。しかし周辺は風俗店の山だったり。ふたたび宿にもどり爆睡。




【4月3日(月)】


 11時にチェックアウトして、ホテルのティールームでお茶飲んでから、南船場方面に出撃。えびすジーンズで服買って、大阪的な活気に満ちたイタ飯屋でランチ。しばらく町を歩き、ホテル近くのひなびた喫茶店でしばらく仕事。さいとうよしこは買い物。夕方の新幹線で東京にもどる。




【4月4日(火)】


 梅原克文氏からひさしぶりに手紙が届く。珍しく薄いと思ったら、『SFが読みたい 2000年版』(原文では「このSFがよみたい。2000年」)収録の座談会で、梅原克文を『「SF作家」呼ばわり』したことに対する抗議文でした。
『カムナビ』をSF呼ばわりしてるのは事実だけど、梅原克文を「SF作家」とは呼んでません。まあ立ち読みしただけだそうなので、細かいところまでは記憶してないのかも。
 内容的には、青山ページに掲載されている大多和伴彦氏宛の抗議文とほぼ同じで、
「今後も私をSF作家呼ばわりをするのなら、名誉毀損や営業妨害などの名目で訴訟も辞さない」みたいな一節もありました。
 鏡明、香山二三郎両氏にも伝えておいてほしいということなので、忘れないようにここに書いておきます。香山さんはわかりましたか。鏡さんにはだれかついでのときに伝えておいてください。
 訴訟になったらぜひ傍聴してみたいものである。




【4月5日(水)】


 中断していたディック翻訳を再開。"What Will We Do With Ragland Park?"を仕上げる。いやもうじつにディックらしくでたらめな話。即興で歌った歌が現実になるというフォークシンガー(ていうかバラッド歌い)が登場するので、後半は脚韻を踏んだ歌の山。日本語で意味を合わせつつ韻を踏んで訳そうとすると、どうしても体言止めが増えて、おまえはDragon AshかDa Pumpか、みたいな調子になってしまうのが困りもの。ううむ。


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