【1月5日(水)】


 さいとうよしこと市電で町に出る。バス停のほうが近いんだけど、やっぱりチンチン電車でしょ。最寄りの電停(旭町三丁目)までは徒歩5分ぐらい。実家のマンションのすぐ前は鏡川が流れてて、あらためて考えてみるとけっこういいロケーションかも。これが川岸に佇む大森@2000年の勇姿なり。
 旭町三丁目から高知城前までは市電で15分ぐらい。はりまや橋のひとつ手前の堀詰で下り、高知東宝で『ターザン』を見る。
 Politically Correctな、イマ風のターザン話になってるのが笑えますが、最近のディズニーアニメでは出色の出来。冒頭の10分ぐらいと、ジェーンを助け出す場面の作画は無敵。むしろミュージカル風に仕立てた部分がいまいちか。

 映画のあと、近くの喫茶店で'99本格ミステリベストのアンケートを書いてメール。しばらくぶらぶらしてから西澤夫妻との待ち合わせ場所へ。
 ワシントンホテル前の木立ちに群がる椋鳥の大群に茫然。これでもうちょっと大きい鳥だったらヒッチコックの世界。夕暮れの空の一画が真っ黒に塗りつぶされ、それが一糸乱れぬ統率で移動してくるんだからたいへんな迫力。ちなみに写真だとこんな感じ。いったいいつのまにこんなことになったのやら。野鳥ニュ−スNo.123によると、本来のねぐらは追手筋の椰子の木らしいが、数千羽はいるでしょう。いや驚いたな、まったく。

 その後は西澤日記既報のとおり、ワシントンホテルで西澤夫妻と合流し、廿代町に新規オープンしたイタリアンレストランへ。酢飯にドライフルーツが入ってたりする創作寿司がなかなか。近海の魚と高知の野菜にこだわった店で、各種料理、雰囲気ともに上々。

 食後は中央公園わきのカラオケボックス、ハロー・キティの部屋に入ってアニソン大会に突入。西澤さんの歌声は高音がのびる系なんで、むしろビジュアル系バンドの新曲とか歌うと合うかもしれないとちょっと思ったけど、ひたすらアニソンなんでした。奥様からアルコール摂取量を厳しくチェックされてる姿がほほえましい。
 しかし、これが最初で最後の新年会でよかったのか(笑)




【1月6日(木)】


 昼から町に出て、木曜市をぶらぶら冷やかしたあと、松竹ピカデリーで「御法度」。目のつけどころは悪くない。しかし松田龍平はいまどきの女の子にウケるタイプじゃない気が。二丁目では人気が出そうだけどよくわかりません。映画はかなりへんだったのでオッケー。トミーズ雅がすばらしい。
 ちなみに明後日には松田龍平の舞台挨拶があるらしい。全国各地をまわるとは立派な心がけだ。

 映画のあと、片桐ビル(じゃなくてPALMSビルか)の古本屋を覗く。いつのまにこんなところに古本屋が。品揃えはけっこう怪しいが値段はまともすぎ。オレが高校のときに竣工したビルで、昔は片桐書店が入ってて、店をまかされてる兄ちゃんと仲良くなって、SFのペーパーバックをたくさん入れてもらったりしたものである。と言っても懐しく反応するのは岩郷重力ぐらいだな(笑)。

 帯屋町経由でひろめ市場を覗く。出来たばかりの頃は半分ぐらいしか店が入ってなかったけど、いまやたいへんなにぎわいで仰天。ウツボの唐揚げとか鯛飯とかを夜食用に調達。

 四万十デジタルビレッジ・クリエーターズ・グランプリの打ち合わせで、電気ビルに入ってる高知県企画振興部情報企画課に立ち寄り、スケジュールの確認とか。高知のインターネット接続状況を聞く。もっとも県が考えている地域振興にはなかなか直結しないらしい。

 夕方からは、城西館の和食レストランで土佐懐石。ものすごいボリュウムでした。豪快というかなんというか。

 城西館前からタクシーに乗り、19:55のJALで東京に帰還。歩きまわったせいかめちゃめちゃ疲れたなり。




【1月7日(金)】


 正月休みの疲れがとれないので、家でぐだぐだ。ホラー大賞一次通過作品の原稿を読みつつ、《本の雑誌》用の新刊を消化。
 ファンタジーノベル大賞受賞作、宇月原晴明『信長 または戴冠せるアンドロギュノス』は、川又千秋と半村良が合作したみたいな戦国伝奇SF。アントナン・アルトーのパートがもっと長くてもよかった気がするが、まあアナイス・ニンも出てくるしね。二、三年に白水社から出たアルトーの伝記と併読するといいかも。いや、SFファンなら『天魔の羅刹兵』と併読すべきか。
 第一回ファミ通エンタテインメント大賞小説部門受賞作3冊は、いまいちインパクトがない。最優秀賞の荒井千明『アンダートラップ』はいちばんまとまってるけど、ヤングアダルトって言うよりノベルス系のコンピュータサスペンスでキャラ的にはいちばん弱いし。
 桜庭一樹『AD2015隔離都市』は設定がちょっと面白い。パワーがあるのは神野オキナ『闇色の戦天使』ですね。これはシリーズ化されそう。
 最近のヤングアダルト系の新人は、そつがなくてそこそこ楽しく読めるけど、読んだ端から忘れちゃう率が高い気が。自分が読んできた小説と同じようなものを書こうとしすぎているのでは。いや、それでもいいんだけど、それならもっとへんな小説を読んだほうが目立つと思う。『信長』だって、アルトーと信長のミスマッチが面白いわけで。ルイ・アラゴンやアンドレ・ブルトンが主人公のヤングアダルトとかどうですか。




【1月8日(土)】


 池袋でスタジオ雄主宰(?)の新年会。小黒雄一郎、小川びい、早川優、氷川竜介、大河内一楼など各氏が参加、アニメの国の人たちの話を拝聴する。いちばん感心したのはセル画コレクターの国の話。本物セルと偽物セル(なんか専門用語があったけど忘れた)の見分け方とか、すでに美術鑑定士の世界ですね。あと、アニメ劇伴の国の世界もめちゃめちゃ奥が深くて勉強になりました。
 最近のアニメの話題でも、中心的なネタになるのが「前々回放送のサザエさん」だったりするのがさすがと言えるでしょう。ってなにが。

 11時近くなってアニメ組から抜け出し、同じ池袋某所で開かれていた「命懸けで遊ぶのださんを見守る会(仮称)」に闖入。パセラに流れて、若い人々の歌を聴く。若者のあいだでは戸川純(含ヤプーズ)と筋肉少女帯が流行っているらしい(うそ)。でもゲルニカは流行ってない模様(笑)。
 2時間ぐらい歌ってから、途中で抜けてタクシー帰宅。正月休みの影響ですっかり朝型になっててすぐ眠くなるのだった。




【1月9日(日)〜10日(月)】


 ホラー大賞一次通過作の原稿読みと新刊未読消化がつづく。

 ホールドマン『終わりなき平和』もデイヴィッド・ウェーバー《紅の勇者》第二弾の『グレイソン攻防戦』も全然ダメだったので、口直しに(笑)秋山瑞人《E.G.コンバット》シリーズ既刊3冊を今さらながらまとめ読み。をを、めちゃめちゃ面白いぢゃん。いや、ここまでうまいとは思いませんでした。お見それしました。この設定とこのキャラから導かれる小説としてはほぼベストの出来でしょう。SF読者的には、おたく版エンダーのゲーム的な読み方もできる。三村美衣はあんまり評価してないらしいけど、男の子向けヤングアダルトでは最強じゃないの。完結編の4巻では大ネタも用意されてるみたいだし、期待は高い。でも原作って全然知らないんですけど(笑)。『鉄コミュニケーション』のノベライズも読んでみるかな。

 その秋山瑞人の初のオリジナル作品『猫の地球儀 焔の章』(電撃文庫)もなかなかいい。舞台は高度六千キロの衛星軌道に浮かぶコロニー。人間ははるか昔に消え去り、残された猫たちがロボットとともに生活している。猫社会を支配するのは、異端の科学研究を厳しく規制する一種の教会組織。だがそこに、世界の秘密を解き明かす野心に燃える一匹の猫がいた……。
 ってことで、これは猫版『占星師アフサンの遠見鏡』。『アドバード』な要素もあったりして、骨格は完全に本格SF。対戦格闘ってオカズがちょっと浮き気味なのが惜しい。

 ところで冬コミのとこで書くのを忘れてましたが、北尾トロ編集・発行『廃本研究』2号の特集が《バカ総攻撃》で、オールタイムバカSFベストテン+1ってのが載ってます。、1位が『コンピュータ・コネクション』、2位が『時間衝突』、以下、『タウ・ゼロ』、「関節話法」、『スターシップと俳句』、『火星人ゴーホーム』、『セックス・スフィア』、「九百人のお祖母さん」、『ザップ・ガン』、『私のすべてはひとりの男』(ボアロー&ナルスジャック)、番外で『第七の空母』……とつづく。筒井康隆なら「関節話法」より『虚構船団』か『残像に口紅』あたりだろうとか、『第七の空母』はバカ架空戦記じゃないかとか、オレ的バカSFから若干ずれる部分もありますが、とにかくこのバカSF歴代ベスト10作の中に、『時間衝突』『ザップ・ガン』『セックス・スフィア』と、大森訳書が3本ランクインしてたのが最近の主な自慢(笑)。バカSF大将と呼んでくれ。
 ちなみに90年代後半バカSFベストテンは、『宇宙消失』『カムナビ』『スノウ・クラッシュ』『ドラキュラ戦記』『レフトハンド』『スタープレックス』『虚船』『銃、ときどき音楽』『時間泥棒』『獣人探偵ノハール』だそうです。

 正月番組の録画チェック。『ヒトの旅、ヒトへの旅II』(だっけ?)はけっこう面白かった。民放としてはかなり大胆な内容あり。遺伝子操作の倫理面にいっさい踏み込まないポリシーが豪快。バイブルベルトでは放映不可でしょう(笑)。でも立花隆はちょっとうるさい。
 テレビ東京で始まった『ブギーポップ』の第一回は、世評にたがわずlainでした。判断はまだ保留。

 ところで「2000年のことをミレニアムと呼ぶ」っていうのは、どういう経緯で共通了解になったんでしょうか。最初は、「二番めの千年紀の最後の年」って意味かと思ってたら、今年から新千年紀だって説もあるらしい。世紀の分かれ目と千年紀の分かれ目がなぜずれるのか全然納得できないなり。新千年紀も新世紀も2001年からスタートするのは、西暦が1年からはじまる以上、当然だと思うんだけど。
 ……と思ってたら、柳下毅一郎も「今年から新千年紀」説を採用している模様(なんかそんなことが年賀状に書いてあった)。納得できる説明を求めていきたい。
 しかしこういう問題を一挙に解決する方法がひとつ。紀元前1年を西暦0年にしちゃえばいいのである。このへんなら一年ぐらいずれたって大して変わんないでしょ。


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