僕の大好きなブリティッシュ・ロック
期待していたビーグルハット
とっても(下馬評呼んだら)楽しみにしてたのに
聴いても響かない、もどかしい
どーしよ(ハァ/ため息)どーしよ
パッキャラマドパッキャラマドパオパオパ
パッキャラマドパッキャラマドパオパオパ
(あまりの事に踊るしかない悲しい僕)
という替え歌が頭にパッと思いつきました。
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BEAGLE HAT/MAGICAL HAT
同じ様なバックボーンを持ち、同じ様な事をしていても力技とテクで押し引き出来ているローリーや永井ルイはOKなのですが、彼らビーグルハットは「愛するものを大切にした剽窃をそのまましちゃってる気のイイおじさん達バンド」にしか聴こえてきません。
最初聴いてるウチはいいのですが、各曲の頭から「またか…」という残念な気持ちで表現せざるを得ませんね。
別にどの時代を基本にし、それを演奏し、CDを出すのもOKだけど、今を生きるポップス好きとしてはその時代を再現しつつも消化してそれ以上の物を聴きたいのが人情。〜的が見え過ぎちゃってます。1曲目はKLATTUのパクリ曲だし、その後XTCやらマッカートニーやらがうじゃうじゃ。ニタリ、ニヤリと妙な笑顔を浮かべる人達の顔が見え隠れ。
同様の色を醸し出していると思われるXTCを例に出すと、彼らは最初に「THIS
IS POP」と言い切っちゃって好きな物の対象化がかなり客観的に出来ていて、「THE DISAPPOINTED」なんてタイトルの曲にビーチ・ボーイズ的コーラスをのっけちゃうと言う面白さや、THE DUKES OF STRATOSPHEARなる60年代サイケを完コピした変名バンドで過剰なほどにやり切ってしまう偏執さが垣間見れます。
JELLYFISHは日本よりもシビアな音楽業界の中でグランジ全盛の時代にあのような事をやった、空中分解してしまったが伝説になるほどのバンドカラー、良い意味での強引さ、力強さが伺える。
そこでこのビーグルハットである。70年代のポップという焦点の定まらない時代をバンドの焦点にし手しまったが故の雑多な、その中で出自が見え過ぎる音楽性。さらにそこからの強引な自分の世界を、もしくは70年代ポップの系譜をやりとげる訳でもない。彼らの優しい人柄は音楽では伝わってくるのですが…。
日本ではこのような音楽を優しく迎える土壌が一部好事家達によって出来上がってるし、マニア体質を持つ僕らの様なリスナーもいます。メジャーで出す事が出来るのもそのせい。どちらかと言えば恵まれてる環境なのだと思います。
そんな中で解説を読むと岩本調のマニアライクを持ち上げる事で現代の風潮を批判する狭量なJーPOP批判がなされてますが、その事で逆にリスナーを狭めている様に思います。ポップがポップでなくなる現象、ポップ本来の意味が一部の好事家達、原理主義者の物になってしまっているのはビーグルハットにとってマイナスなのではないか。本人達にどういう気があるのか知らないが。
(そんな人達向けで値段が¥3000なのかなぁ?洋楽を基本にしているのであれば¥2500にするべきだ。と、ここのとこだけ理屈不明)
歌詞にしても、所謂ラヴ・ソングの無さが妙に耳につく。この手のポップでラヴ・ソングが無いのは致命的だと個人的には感じます。情景描写もいいけど、もっと個人的な、普遍的な愛を歌うポップの役割がわかってると思うんだけどなぁ?
13曲目はラヴ・ソングではありませんが、しがない郵便配達夫シュヴァルが作り上げた理想宮(実在するもの)について描かれた曲。面白いテーマではありますが、このCD聴いてこのテーマどれだけ掘り下げる人がいるか疑問ですが。それにこのテーマだけでアルバム一枚出来ちゃいますけど。
Brianさんのおかげでワンクッションおけたのでガックリ度85%。もうちょっとがんばれの期待度15%。
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