本書は1950年〜52年に、山口県徳山市において作られた藤園塾の教育実践の記録であり、池田諭の人生論的教育論が展開されている。運営費いっさいを理解者の協力でまかない、塾費がいらないのが特徴であった。今日、学校教育全体の現状に反対しそれを正常化しようとするものこそ、塾と呼ぶべきである。教育は革命であると言いきる。
<目 次>
序 章 人間革命の教育を!
第1章 教育の原点
1 現在の危機のはじまり
2 近代をこえ未来を目指す
3 まちがいだらけの学校教育
4 塾教育にかける夢
第2章 学枚教育に挑む
1 学校のガンをさぐる
2 改革への努力と敗北
3 差別された生徒とともに
4 〃生徒の家出〃という成果
第3章 人間の変革
1 問題児はつくられる
2 未来を創造する者
3 教育を正す条件
4 人間を変えるもの
第4章 理想と情熱
1 父兄の説得から
2 理解者、協力者づくり
3 理想の実現におののく
4 入塾の宴
第5章 藤園塾の人間像
1 広がってゆく塾活動
2 塾生と松陰門下の人びと
3 真実に生きる者たち
4 師とは何をするものか
第6章 塾教育が目指すもの
1 行動のために行動に学ぶ
2 松下村塾の教育とは何か
3 真の知識と人生観
4 生きる知識、死ぬ知識
第7章 藤園塾の学習と生活
1 労働しながら学習する
2 思想を創る読書と講演
3 志をかためる旅
4 自己発見に散歩と坐禅
第8章 塾の崩壊
1 戦後史の波にもまれて
2 警察の妨害と父兄の脱落
3 塾の閉鎖
4 塾の心は生きている
終 章 塾教育をかえりみて
(以下抜粋)
「私がここにまとめようとしているのは、人生論的教育論である。…宗教が政治、経済、社会、教育、歴史等の根本にある本質的、普遍的なものを示し、それらの総合的、統一的な考えをしめすものであるように、人生論とは決して、それらと並列するものでなく、それらを総合した結論としての行動知、実践知のことなのである」
「この塾教育の実践は、私の若き日、その全情熱をそそぎこんだものだが、今日も教育改革の道は、この路線の上を歩まねばならないと思っている。今の私の著述活動も、この路線の上を走っているにすぎない。」
「今こそ真理に生き、真理を実現しようと思う人間をつくろうとすべきであり、無限に真理を発展させようと心がけるべきである。」
「教育という作業が学生、生徒を革命し、新たなる人間をつくりだすものであることを考えれば、教師はまず革命家でなくてはならない。」
「教師というものは、単に学生、生徒を革命するのみでなく、その親を革命し、彼らの生きる社会を革命することを志すものでなくてはならない。」
「…私は、あくまで自我のめざめの時を生かして、人間そのものを新しい人間に変えることを目指していた。新しい人間、理想に生き、理想を追う人間をつくることによって、まったく新しい国家をつくるということであった。教育国家をつくるということであった。当時いわれた道義国家も文化国家も、その中にふくまれることであった。そして教育国家をつくることは、明治以後、常に教育が政治に従属し、戦後も同じく政治に隷属している状態をあらためることであった。
…教育国家とは、教育が政治から独立し、教育が自由に自立の道を歩む、歴史上に未だ存在しなかった国家のことであった。
…私の考えた教育国家とは理想を追う国家であり、産業国家、富国強兵の国家を否定する新しい国家であった。道義国家、文化国家を単なる建て前としない国家であった。
…これが私の教育立国案であった。」
「この理想を実現するためには、まず文部省を廃止しなければならない。そして、文教委員会ともいうべき、政治から独立した、自主的な民間機関が設立されるべきである。教育は、政治や経済に従属していてはならない。」
「最初、塾を私のつとめる私立学園に付設し、ついで塾長にふさわしい人を得たときは次々に他の私立学園にも付設して、将来は何十、何百の塾で真の教育とともに、真の教師をつくり、ついには教育界を改造し、教育国家をつくるというのが、私の夢であった。」「私は大学三年生の終りに、日本の教育の実状を考え、教育立国の夢をもち、そのために塾教育を始める以外にないと思ったのである。」
「最近は、書道塾、珠算塾、学習塾と、やたらに“塾”が多くなったが、私が塾の中でやろうとしたものは、もちろん、それとは違う。大学闘争の後、いくつか構想された塾に、私の構想する塾と相通ずる点があった。しかし、それにも決定的な相違があった。私の構想は、塾の建設費、維持費のいっさいは塾教育の理解者の浄財でまかなうということであった。それは大人たちの、未来の子どもに対する奉仕であり、義務であるという考えからきていた。塾生に対する期待と信頼からであった。理解者たちは塾生の協力者として、彼らの実践を助けなくても、最少限、邪魔をしない人びとにするというのが私のねらいであった。塾生の真の教育を助けているという誇りと自信だけで、十分なはずであった。
入塾したい者は自分の生活費を支払うだけで、だれでも入塾できるように構想した。生活費はどこにいてもいる。だれでも入塾でき、塾費がいらないのが特徴であった。あるのは、多くの人びとの期待と信頼であった。そうすることによって、社会環境、教育環境を徐々に変えるというのがねらいであった。」
「未来を創る者は現代の反逆児として、現代を否定する者である。だが反逆児といば、親も教師も動転する。したがって反逆者らしき者は問題児として否定し、彼らを真の反逆者として育てないのである。…実は、彼らのように反逆者らしき者を、真の反逆者に育てることが真の教育であり、教育によって人間を革命することであるのに。」
「教育が未来を創造し、未来に生きる者を真に教育して、それを社会が求めるようになったとき、はじめてその社会は民主主義的だといえる。反対に、今のように、“現状維持”に反逆する者を教育的にも社会的にも次々と疎外している社会は、真の意味で野蛮である。」
「私が藤園塾の塾生に求めたことは、…全存在をあげて行動するような知識をもった人、全心身で体得した知識をもつ人、転向するどころか常に発展してやまないような知識をもつ人、思想の発展のためには常に相互に学びあうような人、書物からでなく、書物をなかだちとして、常に現実から学んでゆくような人になることであった。
そのためには、塾生一人一人がじっくり、自分自身で学び、考え、生きて、学んだものを自分のものにしてゆく独学の姿勢こそたいせつであった。」
「封建体制下でもっとも権威があるとされ、その実は空疎な教育をしていた藩校の誤謬を訂正しようとして生まれたものが、本来の塾である。今日、大学教育をふくめた学校教育全体の現状に反対し、それを正常化しようとして生まれたものにこそ、塾という名を冠すべきである」
<1973、大和出版刊>
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1997 池田諭の会
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