第23回講演会(平成8年4月13日)講演要旨

植物の分布由来の解析法

西川 恒彦


1.はじめに−植物の分布

「分布」というのは,種(種のグループ)が「ある」ということを地理的な範囲で示したもので,したがって,量的な表現ではない.あればその間は連続している(していた)とみなす.地理的広がりの極端な場合は,隔離分布として知られ,長い地質年代の地殻変動を経て,遠く離れた地に分布することになる.ケショウヤナギの様な本州の上高地と北海道というような場合である.これに対して,ある種が「ない(分布しない)」ということを対象地域くまなく調査し,「ない」ことを明らかにすることは大変な困難をともなうし,その成果もあまり報われない.ところが北海道になかったとされていた植物が見つかると,これまでの知見が否定されることになったりもする.日常的には,新しい植物が発見されると北海道では初めてという意義もあり,しばしば新聞紙上で報じられることとなる.
分布を広げている植物に帰化植物がある.帰化植物のハルシオンは北海道では道南から日高地方に分布するとされる.旭川で生活して20年が過ぎたが,昨年(1995年)初めて,市内でヒメシオンが咲いているのを観察した.厳しい冬を越せずに枯死したかと思ったが,予想に反して越年して,再び花を着けた.根茎で増えるため今後も旭川に定着するであろう.
ハルシオンの場合は帰化植物のため,新たに分布を広げたとわかるが,例えば,シベリアから北米の高緯度地方に分布し,日本では本州の高山にのみ知られている植物が,北海道の高山で発見されたら,どのように解釈したらよいのだろうか.もしかしたら,種子を播いた人がいるかもしれないし,偶然登山用具に種子が付着して運ばれてきたかもしれない.
上述の高山植物のような例は植物の分布を考える時,おこりうることである.したがって,分布を考える際には,新しい植物の発見ということで地図上に産地をただ単に記録することに終わらず,その植物のもつ「分布域」からその植物のたどった過去の歴史,すなわち分布方向や盛衰を,さらにはその植物の生育していたであろう過去の植生の変遷をも探る姿勢が望ましい.

2.分布境界線

植物の分布が環境要因に制限されていても,実際には,植物は環境に適応し,分布を広げる力をもっている.そのため現在の分布は,みかけ上ある地域で止っているようにみえるが,北,あるいは南へ広がろうとしている状態にある.それは,例えば川が流れて海に注ぐ時,川の水と海の水の境界はあるのか尋ねられたなら,その境界は,河口付近では川の下部には海水が,上部には真水があるように,楔形にみられ,垂直方向に真水と海水の境は存在しない.したがって,川の増水時あるいは渇水時に応じて,河口での真水の範囲の沖への拡大,縮小がみられることからも理解できる.植物も気候の変動に応じて,より北へ,あるいはより南へと良好な生育環境を求めて分布の変遷を繰り返しているので,明瞭な分布境界線を引くことは難しい.
ムラサキケマンは,北海道では道南から太平洋岸にかけて釧路まで分布する.最近研究材料として四国と青森県から採集した株を野外で鉢栽培したが全く問題なく生育し,鉢から逃げ出して雑草化している.旭川では我が家の他にも生育している場所がある.また羊歯植物のオニヤブソテツは,北海道での分布は道南地方とされ,道北には分布しない.我が家のものは,四国の山地で採集してきたもので,数年間は夏を除き室内で大事に育てたが,ある年の秋,室内に入れるのを忘れた.野外の寒さのために枯死したかと思ったが,翌春に再び葉を伸した.しかし葉を伸したが,胞子嚢群をつけずに終わった.その後も野外で栽培しているが,枯れずに生育している.もしある時,異常に平年よりも長期間秋の暖かい年があったとしたら胞子群を作り,胞子嚢から胞子を分散する可能性がある.胞子ができれば,さらに北へ分布が拡大する可能性もある.
しかしながら,実際にはそれぞれの植物種ごとの分布の境界が認められている.上述した2種の例は,本来の分布域からはずれている場所でも生育が可能なことを示したもので,環境要因に制限されていても,実際には,植物は環境に適応し,分布を広げる力をもっていることを示す例であろう.したがって,移動を妨げる障壁の存在が分布の境界とされ,北海道の場合,地質的に意味のある津軽海峡,黒松内低地帯,石狩低地帯が分布の境界となっている.これらの場所は,気候の温暖化の再には海水の上昇となり,南から分布を広げる植物にとっては障壁となるが,寒冷化の再には陸地化するので分布障壁とはなっていないのではないかと考えている.この結果が北海道の分布型であろう.

3.北海道での植物の分布型

植物の分布を制限する要因として気温と降水量があげられる.日本の場合は降水量が多く,分布を制限する要因として気温が問題になる.南北に長い日本の場合,北の北海道と南の沖縄を比較した時,その気温差は,まさに北海道の冬の外気温と室内のそれ程の違いである.そして,この分布を制限する要因としての気温も第4紀における氷期と温暖期の繰り返しがあり,気温の下降・上昇が知られているから,現在北海道に分布している植物も,気候変動に応じて北方へ,あるいは南方へと分布の変遷を繰り返したであろう移動の歴史の結果であることは理解できる.そして現在の個々の種の産地を地図上に記録すると,分布の広がりが一つのまとまり,型として認められる.北海道では,渡辺・大木(1960)の提唱した温帯要素の植物の分布型のブナ型,トチノキ型,ドクウツギ型,タニウツギ型,クリ型,アカシデ型と,伊藤(1983)が提唱した北方要素の分布型のコハマギク型,カラクサキンポウゲ型である.ここで使われている「要素」という言葉は,分布の起源を示しているかのように理解されがちであるが,分布のまとまりを示す概念であり,必ずしも由来や起源を?,u梹ヲすものではない.日本の北に位置する北海道に分布するからといって,北方に由来する植物とはいえない.このことは現在北海道に住んでいる人々のことを考えても,永年にわたって日本各地から移り住んだ人々から成りたっていることからも理解されるであろう.その意味で,北海道に分布する植物は長い時間を経て,分布してきた結果であるといえる.外観からは由来を知ることはできないであろう.植物側からの情報を得る努力をしなければならない.

4.北海道産植物の分布由来の解析の試み

針葉樹林帯域から温帯広葉樹林帯への移行帯である北海道の特徴は,現在の気候条件の下でのことであり,過去の気候変動の歴史的な結果であり,過程を示しているわけではない.この植物たちのたどった歴史を解明する手だての一つとして,細胞学上の知識が有効な手段としてあげられる.2倍体と倍数体の分布の仕方を比較してその広がりを推定する方法である.この例はフクジュソウ属植物の例を資料(北海道の自然と生物 No. 3:9−11)として提供した.今回紹介しようとする方法は,植物季節から分布の由来を探る試みである.
植物季節というのは,植物が季節の変化に応じて示す現象で,四季の見られる所ではその変化が季節性を示す.植物が生育する場所での季節性つまり,発芽,開花,開葉,紅葉,落葉などの開始や終わりが,過去の気象や気候の変遷を間接的に表しているとみることができるから,これら四季の現象の発現時期は,個々の植物が過去に出現し,生育していた環境あるいは,現在生育している環境に適応した結果を反映しているといえる.したがって,現在温帯から亜寒帯に移り変る地域である北海道に分布する植物の生活史を観察し,個々の種ごとの生活史を比較することからその分布変遷を探ろうとする試みである.

5.具体例

カシワ,ミズナラ,ブナ,エゾイタヤ,ハウチワカエデ,エゾヤマザクラ,トドマツ,他の例を紹介した.(図は省略)
ここではカシワ,ミズナラ,エゾイタヤ,エゾヤマザクラ,トドマツの例をあげる.(図は省略)
花粉が作られる時期には時間的な差が大きく,この時間的な差は,これまで生育してきた環境に対する適応の表れと考える.
カシワ,ミズナラ,エゾイタヤは野外での花粉形成日の年変異が7日以上と,扱った樹木の中では大きく,15度Cより20度Cの加温で花粉形成は加速された.
年変異が大きいのは,年ごとに野外の温度が違うため,暖かい年には花粉形成は早まり,寒い年には遅くなるように,温度に左右されるためだと考えられる.また,温度との関連は加温実験からも考えられ,温度を上げると花粉形成が加速されるのは低温に生育を制限されているものと推測する.したがって,カシワ,ミズナラ,エゾイタヤは,温度の影響を大きく受けており,もし,低温で花粉形成時期が遅くなると,その後の開花,結実時期が遅れ,充分に種子を形成することができなくなる可能性もある.そして,種子を形成できないことは,その植物が分布を広げることができないことを意味する.しかし,暖かい気候であれば,現在より北へ分布を広げることができる.これらの種は広く日本に分布していることから,南方に適した性質を持ったまま,北へと分布を広げてきた種と推測する.
エゾヤマザクラとトドマツは野外での花粉形成日の年変異が7日以上あるが,15度Cと20度Cの加温で花粉形成は加速されなかった.このことは,15度Cが花粉形成には充分な温度であることを示している.年変異は大きいが,花粉形成が15度C以下の低温で影響されていることから,現在より気温が低下した時,先に述べたカシワなどよりは低温に適応しやすいといえる.したがって,現在これらの分布は北方地域に偏っていることから,寒い気候に適応して南方から北方へ分布を広げてきた種と推測する.

6.おわりに

学会発表と違い,講演では日頃考えていることを自由に話せるよい機会と講演を引き受けた.
北海道に住んでいる私たちは,移り住んできた時間の長短にかかわらず,新しい土地での生活に適応し,表面的には同じ様な生活習慣を持っているようにみえる.しかしながら,同じようにみえても,生活習慣のうち季節の節目となる年中行事,例えば正月の過し方をみるなら,出身地に応じての違いが認められるだろう.このようなことから,今回は世代の長い樹木を対象に開花現象という表面的な現象を,加温による花粉形成の早さと比較し,分布の方向を推測した.未だ充分論理的な発想に基づいての話とはいえないが,論を立てて問題を解決しようと努めた.これは伊藤浩司先生が日頃話している,植物の側からの情報を得て分布を考えなければならない,との示唆に対する試みでもある.

ボタニカ13号

北海道植物友の会