こわい話

山田 案山子

 5月9日、1993年第1回目の観察会は、藻岩山。運が良ければ7〜8種のスミレに出会えるはず。とりわけ小林峠付近のアカネスミレが主目的だということで、この日案内してくれたのはスミレ情報センターの五十嵐博氏だ。じっとしていると鼻水が垂れ、雪でも落ちてきそうな空模様にもかかわらず、子供も含め参加者35名の盛況。ロープウェイ駅の横の広場で開会の挨拶に続いてすぐ観察が始まる。イチリンソウ、エゾエンゴサクなどが、萌えだした緑の中に、あるいは枯れ葉を押し退けて花開いている。エゾイタヤ、アカイタヤ、シウリザクラなど、それぞれの色合いで芽生き、風に花房を揺らしているものもある。かと思うとミズナラやオニグルミなどは春が来たことに気付いていないという顔で、堅く殻を閉ざしたままだ。五十嵐氏の説明を頷きながらメモする人、伸び上がって木の花を撮る人、しゃがみ込んでルーペでなにやら見入っている人と様々だ。この後、ロープウェイで頂上へ行き、そこから小林峠へ向けて下った。道幅が狭いので隊列は長くならざるを得ない。白い花をつけ楚々とした佇いのヒメイチゲを見ながら、ゆっくり進む。九十九折りの山道に、株立ちの細い葉が垂れ下がって趣を添えている。鱗片に赤褐色の色があることからショウジョウスゲと言い、似ているがヒメカンスゲにはこの色が無く決定的な違いは苞の形によって見分けることを与那覇氏に教わる。日陰にはいると、風が身に浸みる。坂を昇って尾根筋に出たあたりで昼食を摂った。木々の間からは市街を望むことが出来て日当たりも良い。冬眠をむさぼった身には、たかが藻岩山とあなどれないものがあり、国兼氏の広げてくれた敷物の上に、どっとばかり腰を降ろす。五十嵐氏がアカネスミレの下見に走った。頬張った握り飯を熱いお茶で飲み込み、ソーセージを齧る。主菜からデザートまで色取り良く詰めて持って来ている人の弁当箱を横目で鑑賞していたら勧めてくれた。美味。出発しますの声を合図に再び歩き出す。分岐点を直進すると旭山方面だが、一同左折して小林峠に向けて進路を取る。日なたの斜面にミヤマスミレの花が群れている。さて、アカネスミレはどうか。昼食で座っていたのがいけなかったようで体が重い。こわいよ、どっこいしょ、こわいよ、どっこいしょ、と口の中で呪文のように唱えながら、最後部のあたりを従いていった。人だかりがしているのでやじ馬よろしくのぞいてみると、鮮やかな赤紫の花をつけてはいるが全体に小型でいかにも貧相なスミレだ。「これなに」と問われ「ミヤマスミレだと思うよ」と答えた。誰かが「ミヤマスミレはこんなに赤くないよ。花が赤いからきっとアカネスミレだよ」と言う。花はともかく、葉はあきらかにミヤマスミレだ。「ミヤマスミレだ」と繰り返したものの絶対的な自信があるわけではなかった。植物は成長過程でアクシデントがあると、全く他人のような姿形に育つことがあるという原松次先生の言葉を思い出しながらも、人に踏まれたか、動物の糞尿か何らかの作用で、コジクレミヤマスミレになったのであろうと推測する声は小さくなるばかり。案内役の五十嵐氏に尋ねようにも斥候に出たまま戻っていない。多分、先頭集団と一緒に歩いているのだろうと、帰りに見てもらうことにして、落ちている木の枝を立てて目印にした。沢沿いに曲りくねった道をどんどん行くと小林峠に至るはずだが、次々と同じような曲りが出てくるばかりで、なかなか着かない。しんがりを歩いていたはずの日野間氏が長い足をフル回転させて来て「もう時間ないので戻ります」という。多少残念だったが向きを変えて、戻ってきた人達と共に歩き出した時、帰る方向から地響きが近づいてきた。事件発生かと耳目をこらしていると、息遣いも荒く、汗びっしょり火の玉のような顔の五十嵐氏が韋駄天走りでやって来たではないか。現れる方向が反対なのでどうなっているのかとあやしんだが、事情を聞けば何のことはない。歩めど進めどスミレの小径、小林峠らしきところには到らず、変だと思ったところで道を間違えたことに気付き引き返したが、旭山へ向けてかなり行っていたので、気持ちは焦れど坂道のこと、いくら急いでも追い着かなかったと、汗をふきふきの釈明。よりによってこんな時に勘違いをするとは何たる不覚とばかり、くさり切ることしきり。まあまあ済んだことよと、残っていたお茶を差し出すと、一気に飲み干して喉がからからだったんだと、事の外喜ばれた。さもありなん、一杯のお茶もこうなると価千金か。帰路、先程の赤いスミレをみてもらったら、即答で「ミヤマスミレ」と、いつものぶっきら棒に戻っていた。あとで聞いたところによると、アカネスミレは花が咲くまでにこの日から約2週間を要したそうだから、小林峠に辿り着いても、花には逢えなかったことになる。今にして思えば、家庭菜園の17個結実したスイカが、1個の完熟も見なかったこととあわせて、これが冷夏の兆しだったかと納得している。1993年は野の花々の時期を狂わせて、人間も含めて、動物たちが右往左往した年だった。それにしても、道を誤るとあとがこわいものだ。

(編注)著者の笈田氏の御意向により著者名を仮名とさせていただきました。

 

ボタニカ10号

北海道植物友の会