カツラ

國兼 治徳

 野幌森林公園内の遊歩道のひとつに桂コースがある。大沢口から大沢園地に至る 1.7キロの道のりだが、コース名が示す通り途中結構大きなカツラの樹が道の両側に何本も聳えるように立っている。これらは多分開拓前から自然にあったのをそのまま残したと思われる。カツラの樹形は目につきやすい。枝の張りぐあいに特徴があり、一見ごつごつした感じで男性的である。また葉は樹肌の荒々しいのとは対照的に、小振りで心臓形をしており、新緑も美しいが黄葉は何とも云えない。そのせいか生け垣に使用されている。藤野自然公園の生け垣もカツラである。
 家内は数年前から紅葉した葉を押し葉にして白い雲流和紙に並べ、その上を透明なガラス板で覆って居間の座卓の片隅に飾っている。一輪押しとは違った風情があって面白い。押し葉は主にヤマモミジ・カツラ・イタヤカエデ・ミズナラなどと、シダ植物の幼形を採集して添えている。最近は我が家だけで飽き足らず、友人にも郵送して案外好評を博している。昨年(平成三年)は能登の輪島の旅館にも送った。実は、昨年秋家内と娘で金沢・能登の旅館に出かけた。紅葉の盛りをねらって綿密な計画を立て、かなり事前研究をして張り切って出発した。ところが北陸地方は大型九号台風の爪痕で、折角楽しみにしていた能登の秋は見る影もない無残な姿であったと云う。その時宿泊した輪島の新橋旅館の鍵を、娘は持ったまゝ出発してしまった。途中で気付いて連絡したが、家に戻ってから返却することになった。娘はお詫の手紙に家内の押し葉を添えて鍵を送り返した。旅館の女主人は押し葉を大変喜ばれ、遠見和紙に漉いてみたいとの返信がとどいた。そして今年三月、西洋紙大の遠見和紙が六枚送られて来た。押し葉が模様に漉かれていた。そのうちの一枚を額に入れ今も飾っている。押し葉が芸術の域に達した感じである。たまたま娘が鍵を返すのを忘れて持って来たことが切っ掛けで、輪島の方の心に触れることができた。この旅館を選んだのは娘だが、遠見和紙を展示してある旅館とガイドブックに出ていたので、直接予約したそうである。実際に壁や電気の傘にも和紙が利用されていたという。ここ当分新橋旅館とのつき合いは続きそうである。
 カツラは碁盤の材料である。一般にはカヤかカツラで作るようだが、その理由は碁石を打った時の響きや木目の美しさ、又永い年月の使用に耐える材質にあるらしい。碁盤材の第一はイチイ科のカヤである。ただ、この木は北海道に自生していない。又、材木には柾目と板目とがあるが、碁盤の場合も柾目は得がたく、値段は板目と天地の開きがある。私が現在愛用しているのはカツラ材である。
 昭和四十八年二月、推薦されて初段の免状をいただいてから急に碁盤が欲しくなった。それまで折りたたみ式の碁盤を持っていたが雰囲気が今一つもの足りなかった。立派な碁盤を持ったから強くなると云うものではないが、板と脚のある盤とでは碁石を打ち下ろした時の音からして違う。たまたま帯広にいる家内の妹宅を訪ねた時、立派な碁盤があり知り合いの方に作ってもらったとのことだった。私も早速お願いして一面作ってもらうことにした。それから二ヶ月位後だったろうか、手ごろな碁盤があるが、との連絡をうけた。そこで帯広まで見に行ったところ、カツラ材の約七寸という代物だった。ただ、盤面に人差し指の指紋大の節があり、そのため安くなっていた。俗に碁盤は一寸一万円と聞いていたから、節がなければ私に話はなかっただろう。同じカツラ材の蓋があり、私はすっかり気に入りその場で購入した。二万五千円だった。あとは碁がもっと強くなることだった。
 私の男兄弟五人はいずれも碁を打つ。下から二番目の弟が一・二目強いが、他は大体似たり寄ったりの棋力である。兄弟五人はそろって父から碁の手ほどきを受けた。私が高校二年の時だったと記憶している。父は子供達が夜遊びに出たりしないようにと考えて教えたらしい。当時父の棋力は四・五級程度だったと思う。兄弟は代わる代わる碁を打ち、大体同じ程度に上達した。小学二年の末弟と私は対等に打って少しもおかしくなかった。私は碁の不思議さを感じた。そのうち私は大学受験で遠のき、再び石を握ったのは教師になってからである。最初に勤務した浦幌高校に碁の好きな英語の先生がおられ、時々打ってもらった。下宿先のお寺の住職も碁を打ち、相手になってもらった。どちらも四・五級の方だった。浦幌時代は碁盤も碁石も自分のものはなかった。滝川高校に転勤し、結婚してから折り畳み式の碁盤と碁石を買った。この高校には有段者が何人もおられ、私は六級にランクされた。
 いつの間にか碁は私の趣味の一つに定着した。滝川に十一年在職した間に二級位になり、もう一息で初段になるという矢先、札幌の新設校北陵へ転勤し、碁をやる余裕は遠のいてしまった。札幌へ出て一年位たった頃、滝川高校のW先生から、「推薦するから初段の免状をとっては」
と耳よりな話があった。私は免状を持つとそれなりの棋力になるものだ、と云われた先生の言葉に期待をかけて推薦してもらった。戴いた免状には 

と墨書されている。
 丁度昭和四十八年四月から学習指導要領の第四次改訂が実施され、教育課程の中に必修クラブが位置づけられた。北陵ではその種目に一つに囲碁入門を開設し、私は大型碁盤を使って碁の基本を教えることになった。碁の手ほどきは難しい。私が張り切った割りに生徒はなかなか理解してもらえず、目を離すとすぐ五目並べに切り替える。父が我々兄弟に教えた時、どんな指導をしたのか全然記憶にないが、兄弟そろって碁が出来るようになったのは、最初の手ほどきが上手だったに違いない。それに引き換え、私は高校生を相手に悪戦苦闘している。教えるつぼに入っていないのではと考えこんだこともあった。
 又、免状を持つとそれなりの棋力がなければ恥と考え、詰め碁の本を読んだりテレビ碁を観戦したりするが、そのわりに上達しない。実戦を伴なわなければ、強くなれと云っても無理なのかも知れない。かれこれ二十年近く二段格で打っている。父に碁をならわなければ、趣味の一つを知らないで一生を終ったと思う。その意味でも父に感謝している。

 

ボタニカ9号

北海道植物友の会