昨年の8月初旬のこと、その日は海岸の埋立地にコアジサシの子育て終盤戦を観察しに出掛けた。太陽は朝からギラギラ照り付け、日を遮るものが何もない埋立地では陽炎がゆらゆらと揺らめき、海からの塩分を含んだ空気が全身にまとわりつくようであった。 一体、何を好き好んで俺はこんな所でじっと鳥を見ているのだろうか、イライラ、もっと他にやることはないのか、イライライラ、ほら汗もすぐ塩に変わってしまうじゃないか、イライライラ、暑くて暑くてコアジサシも口を開けてあえいでいるじゃないか、イライライラ、日射病になったらどうするのだ、イライライライラ…というようなイライラ心をシャッター音でごまかしつつ2時間程粘っただろうか、どこからか漂ってきた雲に太陽が姿を隠し、かすかに風が吹いた。ほっとした一瞬、目の前のコアジサシの親子がキーキー鳴き始めた。 子「お母ちゃん怖いよお。背中に変なものがくっついたよお。」 母「もお、うるさい子ねえ。ただのトンボよ、静かにしなさい。」 子「でも、怖いよお。助けてえ。」 ファインダーの中で展開されたその光景から確かにそんな言葉が聞こえてきた。「ふふ、俺もついに鳥の言葉が理解できるようになったぞ、ふふふ。」日射病寸前の錯乱状態で不気味な満足感を覚えた昨年8月のことであった。 …今年は帽子をかぶっていこう。 (紀の国 1993.8) |
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