にしおむねつぐ 西尾宗次 ?〜一六三五(?〜寛永十二)

(久作・仁左衛門)遠江牢人西尾氏の養子となり、関東において結城秀康に仕え、その鉄砲足軽となった。関ヶ原合戦後、結城家(越前松平家)が北庄に移封されると、これに従った。元和元年(一六一五)、二代目・松平忠直に従って大坂夏の陣に従軍し、十三の首級をあげた。中でも城方の真田幸村の首級をあげたことで家康の謁見を許されたという。戦後、千八百石を拝領した。

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