(完全復刻)前田慶次道中日記(山形県米沢市)
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最初に、『前田慶次道中日記』についてふれておかなければならないだろう。 前田慶次については、ことさら詳しく述べる必要もあるまい。前田利家の甥、滝川益氏の子ともいわれ、織田信長の一言がなければ、前田家の当主となっていたであろう。その屈折した思いを奔放な奇行に反映させて、「かぶきもの」「天性のいたずらもの」と呼ばれた快男児だ。叔父利家と反りがあわず、前田家を出奔、上杉景勝・直江兼続らの知遇を得、関ヶ原合戦の東北版「最上攻め」では、困難な退却戦の最中、敵味方に賞賛される戦功をあらわした豪傑である。上杉家の米沢移封後は他の大名家からの誘いも断り、風雅のみちを楽しみつつ生涯をおえたと伝えられている。 この日記は慶長六年、前田慶次(日記では啓二郎と記述)が京都伏見から米沢へ下向する道中を、さまざまな風俗や文芸志向を折り込んで筆記したもの、といわれている。 道中日記というものは、中世以来、ポピュラーな表現方法であったわけで、慶次と同時代の人々でも、蒲生氏郷、細川幽斎などが筆記している。だが、慶次が書いた道中日記ほど熱狂的に迎えられた例はほかにないだろう。 史料が少ない慶次のこと、ファンにとっては、まさにバイブル的存在なのかもしれない。 だが、実は『前田慶次道中日記』は現在までに活字化されたものが数種類存在する。いずれも全集や叢書の中に収録されているもので、詳細な解説がほどこされているものもある。劇画人気で若い人々にもひろく知られるようになったとはいえ、果たして後発での発行がどれほどインパクトがあるものだろうか。正直不安だったのだが、届いた内容の構成を見てそれは杞憂に終った。それどころか、後発の強みというのだろうか、新鮮な衝撃を与えてくれたことを告白しなければならないだろう。 最初にはっきり言っておこう。このセットが手許に届いた瞬間、本棚の中で妙に浮いてしまう、という体験をする方も多いのではないかと予想する。文庫本か新書、あるいは四六版の単行本しか知らない方にとっては、未知の「お客様」である。そういう体験もまた必要なことではないかと思う。 まず、白い箱に、何やらミミズがのたくったような文字。ははあ、「前田慶次道中日記」と書いてあるんだな、と大方は察しがつくだろう。だが、何というそっけなさ。本屋で目にするお菓子のような新刊本とは違うなあ、と感じる方も多いだろう。これが『前田慶次道中日記』一式がおさめられているパッケージなのだ。 まずは、装丁・本文ともに、原本に忠実に再現された和綴じ・影印本『前田慶次道中日記』。これは原本に添えられた朱書きまでが二色刷りで再現されている。この影印本が出たことによって、国語学的にも国文学的にも書誌学的にも大きな余慶をもたらすはずだ。国文学を専攻している学生ならばともかく、影印本は不馴れという方も多いだろう。そういう方には次に述べる資料編で徹底的に本文を叩き込んだ後に、ぜひとも原文にトライしてもらいたい。通勤電車の中でこれを開いて読んでいれば、洋書以上の衝撃を周囲に与えること疑いなし!。 次に、並装のテクスト。資料編『前田慶次道中日記』である。カラー口絵に慶次所用の甲冑と亀岡文珠百首の慶次自筆短冊を写真で紹介。本文は資料の解読文(見開き右に写真版、左に活字、上部に注釈という贅沢な構成)にはじまり、現代語訳、史料の価値について記した「米沢善本と道中日記」、前田慶次の生涯について、著名エピソード一覧、米沢に残る遺蹟・遺品解説という豊富な内容だ。日記中の慶次の詩歌の解説や、慶次の博学ぶりをうかがわせる引用文献の紹介などもうれしい。まさに、前田慶次・初の本格的評伝といった貫禄を備えている。 さらに付録として、二丁の折り込み。ひとつは米沢市内の慶次関係史跡を案内したMAP、もうひとつは伏見から米沢へいたる道中日記行程図である。ともに略図ながら、ぜひとも視覚的に読者へアピールしたいという制作サイドの意気込みを感じてしまう。
劇画「花の慶次」のヒット以来、市立米沢図書館へは、本物の慶次を知りたいと問い合わせも多くなったらしい。また、慶次が余生を送った堂森への訪問者も増えたという。そんな中で、『道中日記』の原資料へのファンの希求も高まっていった。しかし、一般の人々が原資料にふれられる機会はおいそれとはない。そこで、このようなスタイルで史料をひろく提供していこうとする米沢市、とりわけ図書館の姿勢を高く評価したい。 |
定価2100円。米沢市内の書店で販売中。地方発送の場合は送料別。 市立米沢図書館の HPはこちらです。扱っている書店の連絡先もこちらに表記されているので注文の際は参考にしてください。 このページおよび使用した画像は市立米沢図書館の許可を得て作成・掲載しております。 (2001.12.1) |