長宗我部氏関連スポット
覚世の子息弥三郎元親十八歳、
今日初陣なりけるが、いかがしてか味方を放れ、
戸の本の西の方に廿騎ばかりにて扣へ給ふ。(土佐物語より)
長宗我部元親公初陣之像ちょうそかべもとちかこうういじんのぞう
本山氏との合戦に際して、長宗我部軍が本陣を布いた場所に現在は長宗我部元親の像が建てられている。『土佐物語』では十八歳となっているが、実際の元親はすでに二十三歳になっていた。「姫若子」と家中で陰口をたたかれていた元親は、はじめての合戦にのぞみ家臣秦前寺豊後に槍の扱いようを聞いたという。その槍をかいこみ、左手を前方につきだす躍動感ある銅像である。高知というと坂本竜馬像が有名だが、この元親像も新しいシンボルになっていくことだろう。
敷地内は公園として整備され、戸次川の合戦で信親とともに戦死した長宗我部家臣の全員の名を刻んだ銅板(原資料は秦神社蔵)もある。JR高知駅からバス。
「長宗我部元親公初陣之像」と刻まれた台座の前のタイルには四国の地図が描かれ、長宗我部氏とそのライバルであった勢力の名が刻まれている。台座をいれた高さは7メートル、槍の長さは5.75メートルという。槍をつきたてているものは加藤清正、柴田勝家などの例があるが、横ざまにかいこんでいるポーズは珍しいのではないだろうか。
秦神社が所蔵する「大位牌」に記された戸次川戦没者七百名の氏名を刻んだ銅版。一領具足の者が多かったという。冒頭には「天正十四年丙戌年十二月十二日 於豊州信親公忠死御供之衆」とある。
銅版の全体像。