史跡・スポット


独断と偏見のおすすめ度
★★★★★・・・・・・マニアならば必見スポット。
★★★★・・・・・・・意外と知られていない穴場かも。買い物、名物、温泉を求める人には向かない。
★★★・・・・・・・・観光客うじゃうじゃのおきまりコース。買い物好きも大喜び。
★★・・・・・・・・・時間つぶしか他に予定がなければ。
・・・・・・・・・・はずれ。話題にしたくもない。

北条早雲像★★★

JR小田原駅西口。北条早雲が牛の角に松明をくくりつけ、この群れを使って小田原城を攻略した時の姿をかたどったものらしい。繁華街とは反対側なので、見落としがち。小田原城見学の際は、西口で降りて、早雲像を見物し、城を見たら繁華街を戻って来るのがよろしいかも。(小田原市)

小田原城★★★

戦国期屈指の堅城。北条五代の頃には小田原の市域をすっぽり覆うほどの大城郭に発展。市内のあちこちには門の跡とか屋敷の名をとった町名が残る。城址は公園になっており、天守閣の内部は宝物館になっており、北条氏ゆかりの品々も見ることができる。(小田原市)

小田原城歴史見聞館★★

小田原城址公園内。展示自体はなんてことない内容だが、記念スタンプが「虎の印判」になっている。こういう配慮がうれしい。「虎の印判」は北条氏代々の公式文書に捺されていたもので、「禄壽応穏」の四文字が彫り込まれている。(小田原市)

北条氏政・氏照墓所★★★★

入りくんだ商店街の中にある。小田原開城後、主戦派の氏政と氏照は城下の屋敷で切腹を命じられた。氏照のほうは百回忌だかに居城のある八王子へ改葬されている。ちょうどお線香や花をあげている人々に行き合った。地元の婦人会かもしれない。(小田原市)

北条幻庵廟所★★★★

北条一族の長老的存在だった幻庵宗哲の墓所。97歳という長寿で有名だが、この没年齢は近年疑問視されている。小田原市中心部よりやや北の久野地区にあり、屋敷跡と思われる遺構や池が残る。庭石や池は幻庵が作った庭の一部であるという。小田急線足柄駅下車。(小田原市久野)

幻庵池★★

北条幻庵廟所に隣接。幻庵は一節切や鞍づくりで有名だが、茶・囲碁・作庭も得意だったという。幻庵池は数少ない遺構である。(小田原市久野)

京福寺★★

北条早雲の継室葛山氏とその子・幻庵長綱によって建立された。葛山氏は伊豆田方郡の豪族の娘。寺の由緒などを記した碑が残る程度。(小田原市久野)

三増峠古戦場★★

小田原攻めを行った武田信玄の帰途を、北条氏政が追撃、交戦した場所。戦闘は高所に陣して邀撃した武田方の勝利に終ったと伝えられる。付近には「武田信玄旗立ての松」や甲州の武将浅利氏の墓などが点在する。(愛川町)

龍松院★★

大倉山龍松寺。北条早雲の部将笠原能登守が創建。寺内には笠原能登守が戦場にお守りをして携えていった「胸掛け文殊菩薩」を納めた堂や、早雲と笠原能登守の供養塔が残る。(横浜市港北区)。

鉢形城跡★★★

上野白井城主・長尾景春が築いたといわれる。北条氏康の三男安房守氏邦が藤田氏の養子になる形で城主となった。このため一時、藤田新太郎氏邦と名乗っている。北側は荒川に面した急峻な断崖になっている。写真はわずかに残る当時の石垣。(埼玉県寄居町)

北条氏邦夫妻墓所★★★★

正龍寺裏手の山裾に建てられた朱色の覆屋の中にある。横には氏邦の養父母にあたる藤田泰邦夫妻の墓が並んでいる。(埼玉県寄居町)

正龍寺★★★★

武蔵七党の一、猪俣党の流れを汲む藤田康邦が開基した寺。本堂左手に北条氏邦夫妻および藤田康邦夫妻の墓がある。(埼玉県寄居町)

大福御前自刃の碑★★

北条氏邦の妻・大福御前の碑。彼女は藤田康邦の娘で、豊臣秀吉の北条征伐の折に鉢形城を攻撃した藤田信吉(上杉勢の先鋒)は弟であった。大福御前は寄せ手の弟を介して城兵の安全を図った。このため多くの城兵の命が助けられたといわれる。正龍寺の門前から右に入った畑の中にある。(埼玉県寄居町)