史跡・スポット


独断と偏見のおすすめ度
★★★★★・・・・・・マニアならば必見スポット。
★★★★・・・・・・・意外と知られていない穴場かも。買い物、名物、温泉を求める人には向かない。
★★★・・・・・・・・観光客うじゃうじゃのおきまりコース。買い物好きも大喜び。
★★・・・・・・・・・時間つぶしか他に予定がなければ。
・・・・・・・・・・はずれ。話題にしたくもない。

米沢城★★★
本丸跡には「伊達政宗誕生の地」という碑があるきり。やはり米沢は上杉氏(特に謙信、鷹山)一色なのである。米沢市の北高畠町には政宗がその名を襲った伊達儀山政宗の墓がある。山形県米沢市。

三忠碑★★
摺上原合戦が行なわれたとされる磐梯山麓、摺上の森の中に建っている。案内板はあるが、畑の中の道を抜けて行くためちょっとまごつく。芦名氏に忠節を尽くし、討死にを遂げた三人の武将を悼んで松平氏が建てたもの。碑文は中国の書家顔真卿の書から採った珍しいもの。福島県猪苗代町。

会津若松城(黒川城)★★★
もとは芦名氏の居城であったが、天正十八年、摺上原合戦で勝利した政宗が入城した。しかし、翌年豊臣秀吉により会津を没収され、かわって政宗のライバル蒲生氏郷、上杉景勝らが入部した。現在、会津には政宗の治績というものは残されておらず、伊達氏は芦名討伐によって多くの寺社に兵火を与えた侵略者のイメージがある。福島県会津若松市。

仙台城(青葉城)★★★
政宗が慶長五年築城開始、同八年岩出山城から移り、新たに定めた居城。天守台はあるが、天守閣は造られなかった。本丸跡には神社と資料館を兼ねたみやげもの屋、それに有名な「伊達政宗騎馬像」があるきりだったが、現在では青葉城資料展示館でCGによる青葉城復元図(必見!)が見られる。

仙台市博物館★★★★★
青葉城三の丸跡に建てられた大型博物館。郷土史にも力を入れており、1階情報資料センターは、伊達政宗資料館といっても過言ではない。『伊達治家記録』『伊達家文書』などの基本的な史書も揃っているし、書簡などはきちんとファイリングされ、写真版が付されており、閲覧に至便。政宗に関する一般書やAV資料も揃っている。2階の展示コーナーはもちろん有料だが、収蔵品は有名な政宗の甲冑、支倉常長肖像画、瑞鳳殿から出土した黄金のブローチなど、逸品揃い。みやげものコーナーでは博物館で発行している各種図録、資料集が入手可能。本丸からちょっと下ったところにあるので、城を見たあと素通りという人が多いかも。ただし、わたしが行った時には駐車場で泥棒が出没していたらしく、警備員に「何か取られましたか」と聞かれた。

瑞鳳殿★★★
伊達政宗廟所。土地の人でないと、けっこうわかりにくいかも。戦前は国宝に指定されていたが、戦火で焼失。現在の建物は昭和五十四年に再建されたもの。同じく感仙殿(二代忠宗廟)、善応殿(三代綱宗廟)も復興された。瑞鳳殿脇に、ひっそりと石碑が建つ。政宗がその生まれ変わりであると称された万海上人の墓である。伝説では、政宗が自ら定めたが経ヶ峰を墓所に定めていたが、死後、ここから万海上人の塚が出てきた。人々は「政宗公が亡くなられたので、万海上人の塚が出現したのだ」と信じたという。併設の瑞鳳殿資料館では昭和四十九年の発掘調査の成果が集められている。発掘調査の様子は記録映画で公開され、遺骨から復元した政宗、忠宗、綱宗の像も展示されている。

瑞鳳寺★★
臨済宗妙心寺直末。瑞鳳殿に向かう坂道の途中にある。寛永十四年、伊達忠宗によって建立された。開山は政宗に小姓として仕え、虎哉宗乙の法嗣となった清岳宗拙。

大崎八幡神社★★★★
奥州探題大崎氏とも縁のあった陸奥一の宮。現在の社殿は政宗が慶長九年に建立した代表的な桃山建築。国宝。なのに、この人の少なさはどうだ。早朝に行けば、お掃除している巫女さんしかいないぞ。大きな駐車場が近くにないので注意。仙台市青葉区。

松島・五台堂★★★
日本三景「松島」のシンボル。人の多さにうんざりするほどだ。しかし、日本人ならば一度は目にしてみたいと思う風景である。国重要文化財五大堂は政宗が慶長九年に再建した堂々たる桃山建築。内部に慈覚大師作と伝える五大明王像を安置している(三十三年に一回開帳)。

瑞巌寺★★★★★
「前は海、うしろは瑞巌寺ほどの〜」という歌(某ホテルのCM)でも有名。みやげもの屋、旅館が軒を連ねる通りに挟まれた格好になっており、見ていて痛々しい。境内はさすがに落ち着いた雰囲気である。本堂・御成玄関・庫裡・廻廊は国宝。御成門・中門が国重文である。おまけに政宗が朝鮮から持ち帰り、手植えしたと伝わる紅白梅(臥龍八房)は葡萄の房のような実をつけることから、松島町天然記念物に指定されている。

観欄亭★★
もとは伏見城の一部で、政宗が豊臣秀吉から拝領し、二代忠宗が江戸から現在地へ移築したものだという。ロケーションも最高で、松島を眺めつつお茶を飲んだりするのもよい。資料館には仙台城本丸大広間の上段の間に飾られていた、と伝えられる狩野左京作「鳳凰図屏風」がある。松島町。

みちのく伊達政宗歴史館
入場料が瑞巌寺などの資料館に比べて高い割には、大した内容ではないので、「蝋人形」が好きな人向け。伊達政宗歴史館と銘打ってはあるが、宮城県全般の偉人たちに関するコーナーもある。面白いのは、瑞宝殿の遺骸から科学的に復元された「政宗の声」が聞けるコーナー。あまり抑揚のない声で和歌を詠むのだが、やはり合成音のせいか特別な感慨は湧かないと思う。松島町。

月ノ浦★★
ご存知、支倉使節団を乗せた伊達の黒船「サン・ファウン・バウティスタ」号の出航地。よけいな観光施設などがないのがいい。月ノ浦を遠望する丘には支倉常長像と使節団の航路を刻んだ石碑がある。車でないとちょっと苦しい。バスも出ているが、本数は少なそう。わたしは、バイクで往復しました。ちなみに復元された「サン・ファウン・バウティスタ」号が見られるのは、石巻のほうなので、間違えないように。

後藤寿庵墓★★
岩手県境には、伊達氏のキリシタン弾圧の傷痕が遺る。そのうちのひとつ、後藤寿庵の墓。後藤寿庵は洗礼名ヨハネ。天正十八年の大崎・葛西一揆に参加し、没落。流浪の後に伊達政宗に仕え胆沢郡見分を領した。治政にすぐれ、胆沢川に寿庵堰を築いて領内の開拓に寄与する一方、奥州キリシタンの重鎮として元和七年、ローマ教皇パウロ5世に奉答書を呈している。同九年十二月、政宗から重臣石母田大膳を通じ「何方へも罷り失す可」と通告され、一族とともに南部領に逃れ、消息を絶った。墓は、後に発見されたものである。

石雲寺★★★★
茂庭家菩提寺。寺内には茂庭家御霊屋があり、代々の当主の木座像が納められている。ご開帳は1月15日と8月15日。伊達騒動の主役原田甲斐の室も茂庭家の出である。原田家取り潰し後、実家に戻り、この地に眠っている。同寺付近に案内板がある。松山町。

大雄寺★★★★
政宗の従兄弟伊達藤五郎成実をはじめとする亘理伊達氏の菩提寺。寺内には成実とその父実元ほか三つの御霊屋、歴代当主、夫人の墓がある。廟所は形が良い。全部で三つ。写真右手が成実。廟の前には殉死者四名の供養塔がならぶ。左手斜め奥にその父実元、さらにその横に五代実氏の廟がある。成実廟は没後間もない慶安元年(1648)に建立されたが、他は江戸時代後期のものである。成実廟の右手には、歴代の亘理伊達当主とその夫人の墓(石塔)がならんでいる。亘理町役場に問い合わせると、成実廟の御開帳は、8月と1月の2回である、ということだ。付近に亘理伊達氏の城跡もあるが、石碑のみが存する。

白石城★★
蒲生氏郷家臣蒲生郷成が築城。白石は仙台藩第一の要衝で信任厚い片倉氏が城主として置かれた。一国一城令にも関わらず、仙台藩は仙台城とこの白石城の保有を許された。幕末には奥羽越列三十一藩結盟の舞台ともなった。現在、本丸には復興天守が建てられているが、コンクリートを用いず、床も板張りにするなどの力の入れようである。城内には時代劇に関するミュージアムや片倉小十郎顕彰碑がある。もっともわたしは城よりも江戸時代の風情が残る武家屋敷のほうが気に入ったが。白石市。

片倉家廟所★★★★
片倉氏歴代廟所(白石市指定史跡)には、初代景綱から十代宗景までの墓がある。駐車場から石段を登り、杉木立の中を二百メートルほど歩くと、墓地の最奥に阿弥陀如来座像が我々を「出迎える」という格好で横一列に並んでいた。これが墓標である。案内板には、延宝八年(1680)に仙台から石工を呼んでつくらせたもの、とある。中央が、政宗の片腕、片倉小十郎景綱、その右手にその子小十郎重綱。以下、代ごとに左右交互に阿弥陀如来座像が並ぶ。明治に入って没した十代宗景のみ石塔である。また、廟の横には、明治四年に子孫が建てた供養碑があり、碑銘には、白石に墓参に来た者は、誰それの家を訪ねれば宿泊させる旨が刻まれている。白石市。

片倉喜多の墓★★
片倉家歴代廟所からさらに百メートルほど離れたところに、賢婦人ぶりが有名な「喜多」の墓がある。喜多、とは政宗の乳母の名前で、片倉小十郎景綱の異父姉にあたる。彼女の母ははじめ鬼庭良直(左月斎)に嫁ぎ、喜多を産んだが、のちに片倉家に嫁した。政宗よりも二十八歳年長であるが、記録についてはほとんど残っていない。小さな墓石、というよりは岩石をそのまま置いたような墓だ。地元の婦人会が守っているらしく、小綺麗で花も手向けてある。寂しいところだが、観光地化され喧噪の中にあるよりは感じがいい。白石市。