頑固な文庫読者
この本を読んだぞ
本を買って読めればいいけど、時間がなかったり、読むタイミングを逸してしまったり、という難関を克服した完読本の感想をつらつらと書き込んでおります。
この中で「これはこれは」な本になるものが出てくればいいのですが。
完読本(2003/01〜06)
- 『ばかおとっつぁんにはなりたくない』 椎名誠著 角川文庫 し−6−19 590円+税
これは『本の雑誌』の巻末連載を集めたモノなのかな(?) まぁ、どうでもいいけど。
書かれている内容からすれば、『赤マント』シリーズにもつながる、日常のあれこれをつづったモノ。
その中から一つの定理が生まれた。
曰く、「女はまず集団行動からけんね化する」。
おぉ、そうだそうだ。なぜそれに気が付かなかったのだろう。おばちゃん達は言うまでもなく、勤め人、大学生だってそうであるし、高校生、中学生にも広がっているのだ。単独ならば、そういう傾向は出にくいのに、複数になると、途端に「けんね」化してしまうのだ。う〜む、恐ろしい事実。
さすがは日本全国を歩き回っているだけある。(でも、これは都内だけでも実証可能だね(笑))
読み進めていくと、著者が会ったこともない某建築家を嫌っているくだりが出てくる。その建築家が、東京湾を埋め立てて新しい土地を作り都市を造る、というコンセプトを出していることに先ず腹を立てている。実はその1ページ前には、海の中に堤防を作り、中の海水を抜いて出現する土地(つまり海底)を使う、という内容に面白さを表しているのだ。
どちらも海に土地を作り出す、という点では一致するが、埋め立て自体が金権土建体質を引きずることから、真っ当な嫌い方をしている。ただ、どちらの方法を取るにしても、その海だった部分をつぶしてしまうことになるから、どっちもどっちという気がするけど。海中逆堤防方式のアイデアに、本質を忘れちゃったかな(笑)
まぁ、その他、苦手な買い物の話、記号化様式化された応対の話、など、個人的なことから一般的なことまで、相変わらず守備範囲が広い。
20030622
- 『中古カメラの愉しみ』 赤瀬川原平著 知恵の森文庫 あ−6−3 590円+税
副題「金属人類学入門」。
曰く「かつてはたしかに、若者こそ素晴らしい明日の力だと思われていた。しかし・・・」
この本の連載は1993年に開始されたそうなのだが、ということは、バブル景気がはじけた後である。今までの開発一辺倒、新製品至上主義、金属からプラスチックへ、身の丈以上の自分へ、などという雰囲気から良くも悪くも解放され、「ちょっと頭を冷やそうよ」という感じでスタート。(と僕は感じた)
進化と言えば格好いいが、実は製品としての暖かみは失われていく。特にカメラは。
その暖かみはどこからかというと、ボディやシャッターが「金属+機構」であることから。つまり、電子回路やソフトウェアのような技術的進歩とは無縁の(多少はあるかも知れないけど)ものなのである。
かくいう僕は、プラスティックボディの電子技術のいっぱい詰まったフィルムカメラや、今やそれを凌駕する勢いのディジタルカメラだって使う。著者のような中古カメラに代表されるような金属アイテムはほとんど所有していないのではないかとさえ言えるのだ。だからこそ、読み進めるほどに、思い入れの大きさが伝わってくる。
まぁ、文中ではウィルスと表現しているけど、確かに伝染力は強そうだ。しかし、潜伏期間は人によりまちまちだろう。僕にはまだ症状は出ていない。ひょっとすると、これからも赤瀬川産の変性金属指向ウィルスを何種類も取り込んでしまうかもしれないなぁ(つまり読むってことね(笑))
20030615
- 『酒と家庭は読書の敵だ。』 目黒考二著 角川文庫 め−1−4 552円+税
僕にとっては、酒と家庭よりも会社の方が読書の敵なんだけどなぁ(笑)
まずは、13ページの中程から書かれている内容が驚きであり、納得してしまうのだ。
「実は本を外から見ていることが好きなのである」
こう書かれている。
えっ? どうして? と思うのだが、よくよく考えてみれば、僕自身が本屋で長い時間うろうろしているのはそういうことなのかも知れないのだ。平台の表紙を見て、棚の背表紙を見て、帯を読んで、などなど。著者から言わせりゃ、こっち側の人間なのだよ、なのかも。
本の中のある程度の部分を占める競馬関係本。僕は全然やらないのでほとんどちんぷんかんぷんなのだが、『本の雑誌』に連載している日記にも毎回競馬場通いが登場するほど。麻雀もやるそうだ。よくそれで本が読めるねぇ。全く不思議である。
この本の中では最終章にあたる第5章は「貸本屋に通っていた日々」
貸本屋、今でもあるのだろうか。少なくとも僕が生活してきた範囲では、その存在は確認できていない。仮にあったとしても、僕は利用しないだろう。少なくとも古書全体が苦手だからである。だからこそ、この章で書かれている貸本屋や、それ以前の章にある古書店についての記述は、僕の中では異次元の世界のようだ。
だから、本好きにも2パターンある。古書を手に取る人と、そうでない人。
でも、古書をめぐる話は面白いんだけどね。
20030608
- 『開国ニッポン』 清水義範著 集英社文庫 し−22−11 552円+税
さてさて、江戸時代に鎖国政策をとっていなかったら、その後の日本はどうなっていたでしょう。
簡単に予想できるのは、外国の製品や文化の流入、なんてことくらいなのですが。
なんたって、清水義範ですよ、奥さんっ(笑) そんじょそこらの作家じゃありません。無理な話になりそうで、なってません。歴史上の出来事にもちゃんとリンクしてます。とはいうものの、僕自身が日本史に疎いモンだから、どこまでが正史でどこからが偽史だか非常に怪しい状態です。そうか、だからすんなりと楽しく読めたんでしょうね。
以前に読んだ『尾張春風伝』の主人公である徳川宗春もちゃんと登場している。なんとなく嬉しい。
さて、実際に開国していたらどうなっていただろうか。
一つだけ確実なことがある。
それは。
この本が書かれることはない、ということだ(笑)
20030607
- 『GO』 金城一紀著 講談社文庫 か−84−1 448円+税
いきなり登場するのは、「ロミオとジュリエット」からの引用。
なるほど物語を暗示させるに足りるものである。文章は軽妙。スピード感あり。仲間、親との掛け合いも自然な感じである。これは吉村昭氏や宮城谷昌光氏などから遠く離れたところにある。
在日朝鮮人である主人公は、国籍の無意味さを知っている。しかし、この場所においては無意味では通らないことも知っている。行動もしかり。恋もしかり。
しかし、恋に落ちる。
自分でも分からないうちに無意味さが意味を持ってくる。相手も無意味さに意味を持たせてしまう。
だから冒頭の引用が利いてくるんだね。
物語はするすると進み、あっという間に読めてしまう。
主人公に関わる人々。途中で死んでしまう友人の心に引っかかった詩、『助言』。主人公は言う。
「みんなが知らないうちは、その詩は僕だけのものだ。いや、みんなが知ったって、僕だけのものだ」
本文には記されていない詩。探してみた。
僕だけのものになっただろうか。
20030601
- 『血の味』 沢木耕太郎著 新潮文庫 さ−7−14 476円+税
少年は大人になってゆく。
違いは足が地に着いているかどうか、といったあやふやなモノなのかも知れない。
少年がポケットに忍ばせているナイフ。その重さが、ほんの少しだけ、地面に引き寄せられる効果をもたらしていたのだろう。
少年は、ある時から走り幅跳びが出来なくなる。象徴的な出来事。より遠くまで飛べる可能性を大人から指摘され、飛ぶことが怖くなる。大地から離れている時間が長くなる。再び自分が地上に降りることが出来るのか、という漠然とした不安。着地を決める度に、少しずつ大人になっていくはずなのに。
両親の状況も、いわば大地との関係が不明確な状態にある。
少なからず影響を及ぼす元ボクサーとの関係。
皆、何かしら地に足がついていない状況にある。
そして、ナイフがその重さを失う瞬間。本当の自分の重さが分かる。
ということらしいのだが、自分自身、大した考え無しに年を食ってきているので、どうもピンとこない。表現しづらい苛立たしさは勿論あったはずなのだが、もう、とうの昔に忘れている。自分で自分を制御できなかった記憶はないし、所詮こんなもんだという諦めもあったかもしれない。
少年の心の動きに沿って、物語にのめり込むことが出来にくかったのも、こんな所に原因があるのだろう。
著者の初めての長編小説。やっぱりノンフィクションとはだいぶ違います。
20030525
- 『私の嫌いな10の言葉』 中島義道著 新潮文庫 な−33−2 400円+税
人が発した言葉の裏には必ずその人の考えが潜んでいる。
たとえ、言葉が私のために口から出たとしても、決してそれをそのまま受け取ってはいけない。
「相手の気持ちを考えろよ!」
まずはこの言葉である。僕も前々から、自分のことさえ分からないことがあるのに、なんで他人の気持ちを分かることが出来るのか、という疑問でいっぱいだったから、いきなり納得である。こんな言葉を吐く人には会いたくないな。
他にもたくさん出てくる。ほとんどが、平均的な思考状態を基準とするものばかりだ。先の言葉だって、「相手の気持ちとは、大多数の人間が考えて当然の気持ち」という前提があってのことだろう。言葉を吐く人にとっては、大多数という後ろ盾があるから、非難される筋合いは無いということになる。でも、所詮人と人とはその部分では一対一であるから、必ずしもそうはならないのだ。しかも、後ろ盾があるから「無いこと」に対する思考は欠落する。その言葉をぶつける先の人の逃げ道を塞ぎ、雲の上から対応を楽しむが如き。
自分が自分の考える通りの行動をとって、必要十分な結果を得ることが出来れば、それは申し分のないことだ。しかし、自分の周りには他人が存在する。身内であってもなくても、自分以外は全て他人である。自分が考えていることしか分からない。他人の思考は知るよしもない。コミュニケーションが必要となる。コミュニケーションの集合は思考の平均化を図り、自分の思考にもフィードバックをかけることとなる。
フィードバックを強く受けることになれば良いのかというと、そうではない。何の特徴もないノッペラボウ人間になるだけである。この本にある「嫌いな言葉」はノッペラボウ人間を作り出すための言葉だ。
敏感にならねばならぬ。
言葉の裏にある意志を。
そして、大多数の平均的思考を素直には受け入れない強さも持たねば。
20030517
- 『火怨(上・下)』 高橋克彦著 講談社文庫 た−43−32・33 (上)762円 (下)781円+税
副題「北の耀星アテルイ」
その昔、今の東北地方は陸奥(みちのく)とよばれ、そこに住む人々は蝦夷(えみし)と蔑まれていたそうな。いわゆる朝廷の支配とは無縁の生活をしている彼らは、そこに黄金が産出されることから圧迫と支配の力を受けることとなる。
若くして蝦夷の棟梁となった阿弖流為(アテルイ)は、寄せてくる都の部隊を仲間とともに防ぐ。
数でいえば圧倒的不利な状況でありながら、地の利、人の利を生かし、敵を蹴散らしていく。爽快である。人を人として見ていないということが、朝廷側の人間自身を追い込んでいく元凶となっているかが分かる。
そういう戦いをしていくにつれ、陸奥の人々は結集し、より力を蓄えていく。
しかし、坂上田村麻呂の登場により自体は一変する。蝦夷を人として認める者との戦いは、アテルイ達自身との戦いでもあった。そして、最後の戦いは蝦夷の尊厳を守るための戦いであり、アテルイの選んだ方法は・・・。
ということで、上巻はそこそこの流れであるが、下巻になると緊張の度合いが増し、最後の戦いは涙なしには読めない。人が人として生きていくことを勝ち取るためとはいえ、大きな犠牲をはらったと言える。
そういう時代ではないが、今現在も大なり小なり似たような考え方はあちこちに残っているのではないか。何かを守るために必要な犠牲は、時として非常な大きさとなる。それを厭わない熱を、自分は持っているだろうか。いや、持てるだろうか。
20030505
- 『華栄の丘』 宮城谷昌光著 文春文庫 み−19−13 495円+税
春秋時代、中国の歴史の中でも、古い秩序と新しい力が混ざり合う面白い時代である。
いくつもの国が力を付け、それぞれの国が守るべきものが何かを考えている。もちろん、自国を富ましたこくを圧するという目的も大きい部分を占めているだろう。権謀術数。無くてはならないと思うのだが。
ところが、主人公の華元はその言葉とは無縁であるという。確かに、裏工作や裏切りなどのおもてだった行動は起こしていない。しかし、小国の宋の宰相となり、晋と楚の和睦を実現させるなどという大役を果たす。基本となる考え方は、人に正道を歩ませるように導こうとするものだ。
追い込まず、導く。なんと難しいことか。
権謀術数とは無縁ではあるが、実際にはそれを超えた思考があるからこそできることなのであろう。
幾多の歴史物語の中で、ほとんど無いパターンではあるまいか。
この本の中に使われている言葉が難しいという印象があります。たとえば「貽謀(いぼう)」という言葉。少なくとも新明解国語辞典第4版には載っていません。「鬱怏(うつおう)」「恤問(じゅつもん)」、その他いろいろ登場するけど辞書には無し。さらには「供養」と書いて「きょうよう」とルビを振っている。おそらく、使わなければならない言葉であり、そう読まなければ意図が伝わらないのであろう。
なんとなく意味は推測できるけど、本来の意味を受け取ることが出来ていないはずだ。そういう点では、読者としての力量がだいぶ不足していると言える(汗)。もう少し大きな辞書を手に入れなければならないと思う今日この頃でありました。
20030504
- 『話を聞かない男、地図が読めない女』 アラン・ピーズ+バーバラ・ピーズ著 主婦の友社 667円+税
この本を読んでいて、真っ先に考えたのが「男女隔離社会」である(笑)
男と女は外見だけでなく、内面はさらに大きく異なっている、という。それはそうだろう。本書の中で、繰り返し繰り返し例を挙げているとおり、いかに男と女の間には深い溝があるようだ。それはそうだろう。
だけど、今の社会は表面上男女平等を掲げ、機会均等を目指している。内容からすれば、この動きは全くベクトルの違うといえるのだ。男なら男、女なら女のそれぞれ得意とする部分、不得意とする部分がある。それらの部分に特化して、十分な意味づけと効果を上げる方法を考えればよいのだ。
人間は平等であると言われているが、はたしてそうか? 考えなければならないのは、何が「平等」なのか、何からが「平等」なのか、だ。何が同じで、何が違うのか、だ。門戸を開くのは構わない。しかし、開かれた門をくぐり、外力で中に押し込めてはいけない。男と女は違うからである。
なんだか、読めば読むほど、どうして男と女がこの社会で(見かけ上だけでも)暮らしていけるのか、不思議でたまらない。本当に男は必要か?女は必要か?
笑い事ではなく、冷静な目で読んでみるべし。
お互いに何を考えているか、何に注意しなければならないかのヒントがつかめるはず。
20030430
- 『信長』 宇月原清明著 新潮文庫 う−13−1 590円+税
副題「あるいは戴冠せるアンドロギュヌス」。
どうにもこうにも、本の中の世界に飛び込むことができなかった。
日本ファンタジーノベル大賞受賞作ということで期待していたのだが、苦手な範疇であった。雰囲気という点からすれば、同じく大賞をとっている『オルガニスト』(山之内洋著)に近いとも言えるが、ちょっとオカルト方向に振れている分、僕には向かなかったようである。
織田信長とローマ皇帝ヘリオガバルスをつなげるものとは何か?
といわれてもなぁ。確かに、物語を構成する際には中心に据える人物(必ずしも主人公ではなくても可)と、対比する人物を示すのはよくある。織田信長はともかく(アンドロギュヌスであるか否かも別として)、ヘリオガバルスは全く知らない人物であることと、その像が(僕にとっては)難解であることが、物語全体の見通しの悪さにつながってしまった。しかも、背景となる事柄である信仰や宗教についても、元々の知識不足のためかほとんど理解できずに話がつながっていかない状態であった。
なんとも不甲斐ない(汗)
まぁ、こういうこともあるということで。
20030413
- 『活字狂想曲』 倉阪鬼一郎著 幻冬舎文庫 く−2−2 533円+税
印刷会社で文字校正が仕事。
つまりは個人の能力が問われる仕事である。なのに、(雇っている)会社は、(客先の)会社は、上司は、同僚は、後輩は・・・、と本来の仕事に向けるエネルギーを殺がれることに腹を立てる。それが社内の行事であっても同様である。
わかるなぁ、その感じ。特に集中力を必要とするときには。(でも、たいていの仕事はそうなんだけど)
また、中に登場する著者以上に変な人物の動向も注目である。忙しいのに仕事をしない人。仕事はほどほどといいながら残業ばかりの人。いるね、どこの会社にも(笑)
さらには、会社のシステムにも疑問を投げる。誰だってそういう点には気がついているのだ。でも、円滑に仕事を、システムを維持するためにはしなければならないことも数多いのである。要は、そういう人物、そういうシステムに対して、言葉を発するか否か。しかも、現場で。
書かれていることを鵜呑みにするならば、それがまさに現場で起きているのであるから、会社というシステムにはそぐわないのが著者だと言える。そして最終的には退職となるのだが、きっと(彼にとって)正しい選択なのだ。
腹にたまっていることはたくさんあるけれども、どっぷりと浸かってしまっている環境に対しては、今更どうしようもないとあきらめている部分は多い。だから、すっぱりと斬ってくれる話はこの上なく面白いのである。
20030412
- 『始祖鳥記』 飯嶋和一著 小学館文庫 い−25−1 695円+税
読み始めてすぐに、これはハードボイルドだな、と感じた。
風の噂に、日本にはライト兄弟よりも早く空を飛んだ人物がいる、ということを聞いていた。どうもそれがこの本の主人公である幸吉であるらしい。元々、日本の表具は技術のいる職業であり、構造材として使う木材や、それを接続するための糸(縄)などの材料も豊富であった。そして、空を飛ぶ鳥の、細かな状態をしっかりと調査する観察力とが結合し、具体的な形となって出現するのである。
独自の行動を行う人には批判が集中する。これは昔も今も変わらない。その批判の根拠が希薄であってもだ。主人公は空を飛ぶ実験を行い、それが元で非難を受け、目的を遂げる方法を失う。物語の中では、最終的に達することができるのであるが、すべての人に当てはまることではない。
主人公の行動が、その周りの人々に影響を与え混乱させるのは確かであるが、その一方で、表となり裏となり助ける人がいる。新たな考え方を伝えてくれる人がいる。
その上で、自分のやり残した目標が何か、見えてくる。見えたモノに向かって、自分の残りの人生をかけていくのだ。羨ましい限りである。
目標を達成したときの言葉。
すべてはここにつながっている。
きっと、その次の目標もおぼろげながらでも見えたのであろう。
20030406
- 『五人のカルテ』 マイクル・クライトン著 ハヤカワ文庫 NF201 540円+税
この本を買ったのは6年くらい前のことだろうか。
もともと医学関係の小説は好きな方なので、こういうタイトルを見るとそそられるわけです。
それで読み始めたのはいいけれど、なんだか小説とは言えない雰囲気なので、最初の章だけ読んでほっぽり出していたのです。なのに、なぜ再び手に取ったかというと、DVDを導入して、いま『ER』をファーストシーズンから見直しているから。
本の帯には「超人気ドラマ「ER」の原点となった医学ノンフィクション」と書かれている。さらには、「NHK・BS2で4月放送開始」とも。当時(今でもだが)BSなんて見ることのできる状態ではなく、ファーストシーズンを見始めたのがNHK総合におりてきたからだ。
『ER』についてはいろいろと語りたい(笑)ことはたくさんあるけど、ここでは本について。
驚くべきことに、今現在の病院なる施設は、たかだか19世紀後半からの歩みに過ぎないのである。また、以前読んだ『エーテル・デイ』にも登場する麻酔法についても言及されているし、医療器具の簡単な歴史や診断方法の進歩、治療方法の革新など、早足で俯瞰することができる。
珍しいことに、治療に対する費用についても例を挙げて説明しているし、大学病院の役割にもページが割かれている。もちろんアメリカの例ではあるが。
各章の冒頭は患者に対する治療の内容についてドキュメント風に書かれていて、その後に行われた治療に関する問題点や進歩の様子などが書かれる。最初に読んだときの違和感は、僕の医学小説に対する思いこみのずれが大きかったのだろう。こういうモノだと気がつけば、本書の構成は適しているし、医学や病院の問題点を列挙された本のような殺伐とした感想も抱かなくて済む。
読み終わって、言いたいこと。それは「この本は『ER』の原点ではない」ということだ。『ER』は別物である。確かに、各章の前半部分は近いといえるが、あくまで前置き。ドラマである『ER』に惑わされてはいけないし、でないと裏に隠れている問題点を見失ってしまいます。
20030318
- 『さかだち日記』 中島らも著 講談社文庫 な−41−10 533円+税
読んだのは、実は昨年のこと。ここに書き込むのを忘れていました。
だけど、時期が悪いなぁ。本人が捕まった後、どうなっているのだろうか。(大麻所持かなにかで)
タイトルである「さかだち」。うっかりというか、呆けているというか、本文を読み終わった後、裏表紙に書かれているあらすじを読んで初めて「酒断ち」であることが分かった。これは酔ってないだけに質が悪いぞ>自分。
日記の部分については、まぁこんなモノなのかなと。感想については特になし。たとえば筒井康隆の『腹立半分日記』や『日々不穏』も公開されることを前提とした日記であるわけで、本当は日記として読んではいけないのである。ノンフィクションに非常に近く、かつ、十分な脚色がなされていると考えた方がいい。だから、他人の日記を本にして、それを読む人がいるのだ。
さて、今回の事件に関わる文章が、この本の冒頭に登場する。
「なぜ人は酩酊を求めるのか? それは気持ちがよいから」
「自分の役割が済んだら、飲み続けて今度こそ本当に廃人になって死ぬかもしれない」
酒がドラッグに置き換わっても同じことだと思う。いや、酒とドラッグは同値である。溺れる者は、どちらだけを取る、ということは困難に違いない。どちらも気持ちがいいからだ。方法はともかく、求めるモノが同じ。
人間なのだから、しょうがないと言ってしまえばそれまでだけど、抑えることを知っているのもまた人間そのものなんだよね。
その繰り返しの悲喜劇を他人事と思える自分は、実は見えない崖っぷちにいるのかもしれないけど。
20030301
- 『パプリカ』 筒井康隆著 新潮文庫 つ−4−40 667円+税
この本、実は中公文庫になっていて、そのときに買ってあったのだが、そのままどこかに埋もれてしまい、今回新潮文庫版になったので新たに購入。しかし、またもやしばらく積ん読状態になってしまっていた。
題材は夢。
帯にも書かれていたが、魅力的でしかも注意を要する題材。しかし、心配する必要はないだろう。
パプリカは夢探偵。ツールを駆使し、他人の夢、意識に潜り込み、精神的にダメージを受けている人を治療する。パプリカは裏の顔。表の顔はノーベル賞候補。それを妨害しようとする人々が・・・。
ということで、読むジェットコースターともいうべき描写が後半で繰り広げられる。
でも、驚いたことに、所々、『家族八景』に出てくる描写に近いものが出てくる。これって、裏を返せば、そのころの精神描写からあまり変化していない部分が多いってことともいえる。いやいや、そのころから既に完成の域に達しているといえるのかもしれない。
現実と夢の世界がだんだん融合していくとともに、読者は区別が困難になっていく。
あぁこれは、
『うつし世は夢 夜の夢こそまこと』
という江戸川乱歩の言葉が出発点になっているのかなとも思う。どちらがどちらともいえず、どちらが本物であるのか分からない。人のエネルギーの源が、明るい太陽の下にあっても、夜の瞼の裏にあっても、両方正しいような気もする。
夢を分析したり解読したりする面白さは十分に予測がつくけど、共同の夢という発想までは思いもよらなかったな。ましてや、活字になって、目の前にあるように思えるとは。
20030216
- 『桜田門外ノ変』 吉村昭著 新潮文庫 よ−5−34・35 (上)480円 (下)520円+税
井伊直弼が桜田門外で暗殺される。
誰もが知っているであろう、日本の歴史上重要な事件である。これによって幕府から天皇へと実質権力の移行が行われることを加速した。しかし、事件が起きるまで、起きた後、関わった人たちはどういう生き方をしていたのだろうか。
この本では、水戸藩が大変重要な鍵を握っている。主人公は水戸藩の家臣関鉄之助。国交を迫る諸外国。国防の必要性を説く水戸藩大名と家臣たち。機能しなくなった幕府との対立が深まり、やがて・・・、といったところが淡々と語られる。
この「淡々」さこそ、吉村昭の最大の特徴であり、無駄な装飾を廃した上で広がる世界なのだ。そこではふわふわとした視点は無い。だからといって固まりきった動かない人間たちだけがいるのでもない。調べ尽くした事柄からにじみ出てくる「軽さ」さえ感じることができる。
こういう雰囲気は、この下の『功名が辻』とは全く違ったものである。言葉が適切かどうかは別として、エンターテインメント志向ではないものを目指していると言えるのではないか。
つまり、『功名が辻』には色がちりばめられていて、『桜田門外ノ変』はモノクロ。
モノクロにはモノクロでしかできない表現がある。
なお、この本のあとに『天狗争乱』が続く。僕は読む順番が逆になってしまった。ぜひとも『桜田門外ノ変』→『天狗争乱』の順で読んで欲しい。幕末の、やり場の無い思いが、多少なりとも分かるはずだ。
20030203
- 『功名が辻(一〜四)』 司馬遼太郎著 文春文庫 し−1−17〜20 各438円+税
山内一豊といえば・・・、はて? どのような人だったのだろうか。
頃は織田信長が日本を統一しようとする時代。秀吉が引き継ぎ、家康が完成させるまで、自身を破滅させることなく生き延びてきた男。しかも、最後には土佐一国の大名となる。
彼そのものを知らなくても、彼の妻、つまり、「山内一豊の妻」という一フレーズとしてなら聞いたことが多いのかもしれない。
この本を読めば、そのフレーズがいかに重要であるかが分かる。この妻の導きによって大名にまで上ることができたのだと。
裏を返せば、山内一豊本人の力量がそのフレーズによって覆い隠され、いわば無能な人とさえ感じられるほどになってしまっているのだ。読み進めると分かるのだが、妻の才能が優れているがゆえに、物語に嫌味を感じるようになってしまうおそれが高くなる。著者もそこらへんは気にしていたのだと思うけど、僕にとってはその線すれすれ(笑) これは自分が男だからなのかもしれないが。
しかし、強烈な個性と才能を持つ二人であったらどうであろうとも思う。ぶつかり合ってどこかで破綻していた可能性もあるはずだ。そう考えると、スポンジのような男と泉のような女の組み合わせは、両方を生かす絶妙の取り合わせなのかなぁ。
だけどやっぱり、なんだかそれはないよなぁ、と心の中でつぶやくのであった。
(この本はEさんから以前いただいた本です。どうもありがとう。)
20030119