必殺列伝

体育館でボヤ騒ぎ!
中学生の頃普段登校はしないが、友達の顔を見るため昼休みだけ行く時がある、その日は早く着いたので体育館の裏の畑で芋を盗み焼いて食べる事にした。30分ぐらい経っただろうか消防自動車と共に、目を吊り上げて今にも襲い掛からんと鼻息もあらわにした美術の若い先生が、数十人の人間を引き連れて自分の方に近づいて来た、俺は何事が起こったのかさっぱり分からず、いきなり美術の先生に殴られボコボコにされた。後で話しを聞くと南海電車の乗人が体育館の方から煙りが出ているので火事だと思い通報したみたいだ、翌朝の朝刊に体育館でボヤ騒ぎと載っていた。



歯医者にて
20歳過ぎのとき親不知が痛み出し我慢できなくなり、自分で処理しょうと歯の四隅にニッパーで切り込みを入れ、最後にペンチで歯を握り潰した、翌朝歯医者に行き見てもらうと先生に「何でこんなアホな事する」と言われたが、「痛いもんしょうがないやろ!」と腹の中で言い返した。その後検査で悪い歯を含め5本の親知らずがあり全部抜くことになった、手術の時先生は「痛っかたら手を上げろ」と言うが、手を上げたら痛くさせずに治療する方法があるのかと疑問を感じる。現在も歯の側面に穴があいていて痛い、歯医者に行かないとだめだが時間が無い、仕方ないのでアロンアルファーを穴のあいている場所に埋めたが、はぐきにくっ付き失敗した。



タコの刺し身で
これまた昔、スーパーで広告の品のタコの刺し身を買った、口に入れ「くちゃ、くちゃ」と噛んでいた、「さすが安いだけにゴムみたいやな」と思った瞬間「バキー」とにぶい音、タコを噛んでいるとき間違えて自分のベロを噛んで、しばらくその場でうずくまり冷や汗がタラタラ出だした、鏡でベロを見るとパックリ割れている、クソこんな安物売りやがってと腹が立ち(買わなければ良いのだが)それでもタコは全部食べた。それからが大変だ、ご飯など食べる時にベロに当ると痛いので、治るまではカロリーメイトなどの流動食でベロに蜂蜜を塗りながら治療をした。




ザリガニを食べた少年時代
小学生の頃近くの池でよくザリガニを獲って食べたものだ、サルモネラ菌などの問題は大丈夫だったのか今思うと不思議でならない、そういえば、たまに下痢をしたような記憶がある、食べ始めたきっかけは西成の浮浪者の人がスルメを餌に釣って美味しそうに食べているのを見て自分も挑戦したくなった。ザリガニだけではなく、池で釣れるドンコや小魚はとにかく味噌汁の中に入れて食べた。当時貧乏ではなかったが、何かそうゆうワイルドな事に挑戦したくなり、同年代の子供とは違う事を証明をしたかった。また現に、まずくなくソコソコ食べられたので続けていたと思う、そのおかげで好き嫌いは一切無く、多少腐った物でも美味しくいただけるので今思うと感謝している。




今でも許せぬ 小学5・6年の担任
小学5.6年の担任は子供の気持ちが分からない酷い先生だった、当時俺は新聞配達をしていたので手は年中アカギレ常態、手を石鹸で洗うと痛いので余り洗わなかったので、いつも不潔常態(子供がする事だから仕方ないと思う)すると担任は俺の手を見て「島田はこんな汚い手をしていると」教室の皆に俺を引き連れて見せに回った、腹がたったが、こんな人の痛みも分からない奴に文句を言っても無だだと思い何も言わなかった、だいたい、こうゆう奴が子供を教えているのが不思議でならない、その後この担任は教頭になったと噂で聞いている。





俺は西成の暴動に参加しとらんぞ!
今から25年ぐらい前、当時数年に一回は大規模な暴動があった、俺もやじうまとして見てたが、丁度、浮浪者が西成署に投石をしている時、俺も現場でいっしょになって投石をしたと噂が広がり校長室に呼ばれ美術の先生に袋だたきにあった、自分はなにもしていないが信用してもらえなかった、当時俺がなにか問題を起こすとすぐ暴力で片づける中学校であった。




俺の体は傷だらけ
二十歳過ぎぐらいの時 単車で朝刊を配達中に出合いがしらに牛乳配達のトラックと衝突して、俺の右足は単車の前輪とトラックのヘッドライトの間に挟まれて右の足の裏を30針以上縫う重傷を負った。足の裏を切ったと言うより パンクしたと言う方が分かりやすいかな、そのせいで左足に比べて右足は少し小さくなった。事故を起こして病院に運ばれてすぐに手術をした、手術といっても足をソファーの上に乗せてチョコチョコと30針を縫った、一応部分麻酔をしてくれたけど、敏感な足の裏だけに痛さをあまり抑えられず もがき苦しんだ。

それとアダルトビデオが出始めの頃 そのビデオをダビングしょうと、棚の上に置いてあったガラス入りのビデオラックから生テープを取ろうとしたら、誤ってビデオラックごと引っくり返して ガラスが俺の左足首に落ちて、スッパリと10針ぐらい縫うケガをした。あの時はさすがに自分でも情けなかった。

もうひとつオマケに小学生の低学年の頃、ふざけて一升瓶にプロレスのニードロップをかましたら 一升瓶が割れたが、俺のひざも割れた。これも10針以上のケガ。

その他 左目の上に5針、左肩にも5針ぐらい、これは殴られた傷。お尻と太股の間にも数針の傷、これは犬にやられた。全部で80針近くの傷がある。ただ病気や骨折の経験が無いのが自慢できる、子供の頃かかる はしかやおたふく風邪も無い、盲腸もない、俺は不死身な男キャプテン・スカーレット。




大山田村にて
10数年前、三重県の大山田村の山奥に土地を借りて畑で作物を作っていたことがあった、畑に必用な土や肥料などを坂道を登って自力で運んだ、水も無いので地面に穴を掘り 雨水を溜めるようにした、しかし一週間に一回は必用な水やりが出来なくなり途中で挫折した。

秋になるとこの近くで松茸が取れるらしくて 俺も挑戦した、そしてナント松茸をゲット、後にも先にも松茸を食べたのはこの一回だけ、この時道に迷ったが、運よく鉄塔があったので上まで上り、そこで高速道路などを目印に覚えて その方向だけを進み何とか遭難だけは免れた。国有林で松茸を採った罰か!。





留置場に入れられた
中学生の時、昼前に学校に行こうと萩ノ茶屋商店街を歩いていたら 警察官に呼び止められてカバンの中をチェックされた、その時エロ本とカッターナイフが入って、このカッターナイフにいちゃもんを付けて西成署に連行された。そしてなぜカッターが入っていたのかと聞かれ、取り調べた奴の満足のいく返答が返ってこなかったのか 俺は一晩留置場に入れられた、これは後から聞いた話だけど 未成年を留置場に入れるのは法律違反らしい、でもさすが西成署、そんなことは おかまえなし、翌日 バイト先の店長が身元引受人として来てくれて、俺は無事 釈放された。メデタシ メデタシ・・・。




台風は何故かウキウキ
小学生低学年の頃、台風が来ると嬉しくなり 近くの大和川によく出かけた。増水した川はよく魚が取れるので、つついつい自分を見失って魚取りに夢中になった、そんな時俺は誤って濁流に流されて 溺れ死ぬところだった。何とか木の枝みたいなモノにつかまって自力で助かった、仲間は俺が死んだと思い、翌日 俺の顔を見たらビックリしていた、俺はそう簡単に死なんぞ!。





俺はマジシャンか?
これも小学生の頃だったか、銭湯の服を入れる四角い箱の中に入って出られなくなった、後から来る友達をビックリさせようと思ってやった。子供でしか発想出来ないイタズラ。(その友達はいつも19番の箱に服を入れるのを知っていた。19は南海時代の野村の背番号)




黒い信号
これは小学校に入る前だと思うけど、萩ノ茶屋商店街近くの信号機によじ登って 青色のところを黒のマジックで塗りつぶした事があった。しかし降りて下から見ても余り変化ないのでガッカリした記憶がある、ホンマにワルガキやな。


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